第4話【問題用務員と妖精学講義】
さて、問題のサミュエル・ニコル氏とやらはカエルスーツに押し込めた。
「……蛙がムッキムキになった」
「褒めてるぅ?」
ユフィーリアの視線の先には、カエルスーツを身につけたエドワードが立っていた。
購買部で買ったカエルスーツは大きさを自由に変えられるものの、その変えられる大きさにも限度があった。見上げるほど大きな身長と彫刻と見紛うほど鍛えられた肉体美を持つエドワードでは、さしものカエルスーツも耐えられなかったようだ。
おかげでカエルスーツの布地は見事にパツパツである。緑色の布地から彼の鋼の肉体が浮き彫りとなっていた。頭の可愛らしさと、首から下のバランスが不釣り合いすぎる。
エドワードは鍛えられた胸筋の前で太い腕を組むと、
「まあ、褒められてるってことにしておくよぉ」
「あー、うん、はいはい」
ユフィーリアは適当に応じると、トイレの壁を背にして座り込んでいるサミュエル・ニコル氏と向き合った。
こちらは一般的な蛙である。ハルアが着ていたカエルスーツを身につけた影響で、頭から爪先まで立派な蛙さんとなっていた。
ガックリと項垂れた様子なのは、単に気絶しているからだ。決して蛙に無理やり変身させられたことが原因ではない。その証拠に、ユフィーリアが目の前で煙管を振ってもピクリとも反応しないのだ。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を気絶したサミュエル・ニコル氏の頭上に翳すと、
「〈|操られ真似て人形と成れ《パペット・ドールズ》〉」
ユフィーリアが翳した煙管から、薄青の糸が垂れ落ちる。
その糸がサミュエル・ニコル氏の両腕や両足に巻き付くと、気絶したはずの不倫野郎がガタガタと痙攣し始めた。ガクガクと小刻みに震えていたが、やがて何事もなかったかのように大人しくなる。
次いで、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管をエドワードに向けた。
「〈操り従わせ術者と成れ〉」
「わあ」
同じく薄青の糸が煙管から伸びて、エドワードの両腕や両足に巻き付く。その糸はサミュエル・ニコル氏の四肢に巻き付いた糸と同じもので、エドワードに巻き付くと同時に糸の端が自然と不倫野郎の糸と結ばれる。
両者を繋ぐ薄青の糸はスゥと空中に溶けて消えていき、強制操作魔法がきちんと発動されたことを示していた。これでエドワードは、サミュエル・ニコル氏を自在に操ることが出来る。
エドワードは調子を確かめる為に、まず右手を持ち上げてみた。
「お、凄いねぇ。右腕が持ち上がるねぇ」
気絶したサミュエル・ニコル氏の右腕がスッと持ち上がり、エドワードの動きに合わせてぶらぶらと揺れる。魔法の安定化も問題はなさそうだ。
「まずは立ち上がらせて、と」
ユフィーリアが煙管を一振りすると、気絶したサミュエル・ニコル氏がふわりと浮かび上がって両足から床に着地を果たす。そのまま膝から崩れ落ちて顔面から床に熱い抱擁を交わすかと思いきや、ちゃんと強制操作魔法の影響によってエドワードの姿を真似している様子だった。
エドワードは歩き回ったり、跳ねてみたり、軽く拳を握って空中を殴ってみたりしている。その動きに合わせてサミュエル・ニコル氏も歩き回り、跳ねたり、軽く拳を握って空中を殴ったりしていた。完璧に操り人形である。
さて、これでサミュエル・ニコル氏の行動は問題ないだろう。エドワードがそれらしい動きをしてくれれば、サミュエル・ニコル氏の講義を誤魔化すことが出来る。
問題といえば、講義の内容についてだ。
「妖精学とは一体何だ?」
「妖精のことを学ぶ分野だな。妖精と交流したり、能力を借りたり、妖精が請け負う仕事を研究したり、まあ妖精に関連する色々なことをやってる」
「なるほど」
ユフィーリアの説明で納得できたのか、ショウは理解したように頷いた。さすが頭の回転が速い最愛の嫁である。
妖精学とは妖精のことを学ぶ分野であり、世界中に散らばる妖精に関連する知識や妖精と交流する為の言語や礼儀を勉強するのだ。妖精は人間と違って独自の文化を築いている種族で、その強大な能力は目を見張るものがある。妖精と協力すれば難しい魔法実験でも簡単にこなすことが出来るのだ。
ただし妖精は非常に気まぐれで悪戯好きであり、また礼儀作法を重んじるので交流する際にも一苦労である。変なことをすれば怒って呪われてしまうなんてことも有り得るので、妖精と接する場合は慎重に判断しなければならない。
まあユフィーリアほどの天才ならば、妖精学など履修済みだ。
「講義って何すればいいんだ?」
「題名は『妖精と人間と私』ってあるわヨ♪」
「詩人かな?」
アイゼルネが持ってきたチラシを受け取り、ユフィーリアは内容を改めて確認する。
巻いた髭が特徴的なアホ面がムカつく以外で言えば、講義のテーマが『妖精と人間と私』などというやたら詩人めいたものが気に食わない。やはり助走をつけて思い切りぶん殴った方が早い。このテーマを掲げておいて、果たして何をしたいのかコイツ。
生徒たちも生徒たちである。このテーマで何を学ぶというのか。こんな馬鹿げた講義に出ている暇があるなら、妖精学の魔導書でも読んでいれば解決できそうだ。
チラシをぐしゃぐしゃに丸めて床に放り捨てるユフィーリアだったが、
――ピリリリリリリリ、ピリリリリリリリ。
再び鳴り響く魔フォーンの呼び出し音に、心臓がドキリと跳ねた。
「はあー……」
深々とため息を吐いたユフィーリアは、懐から取り出した魔フォーンの表面に指を滑らせて通信魔法に応じる。
「何だよ、グローリア」
『早く連れてこいって言ったはずだけど?』
「分かってるよ、うるせえな。首を長くして待ってろ」
『余計なことをしたら君の首が飛ぶからね、物理的に』
物騒なことを吐き捨ててきた学院長から、一方的に通信魔法が切断される。
まずい、非常にまずい。
クビになって学院を追い出されるならば校舎爆破で仕返しが出来るけれど、首が物理的に飛んだら仕返しが出来ない。せいぜい冥府で働くショウの実父に泣きつく程度だ。
今回ばかりは完全に問題児が悪い訳ではないのに、どんどん状況が悪くなっているので泣きそうだ。あとでショウに慰めてもらおう。
「こうなったら妖精学の講義はアタシがサミュエル・ニコル氏の声を真似てやる。エド、お前は適当に動いてろ。いいな?」
「はいよぉ」
「ショウ坊はあとでアタシのことを慰めて。今にも挫けそう」
「ユフィーリアの勇姿をしっかり目に焼き付けて、影から応援しているな」
最愛の嫁から天使のような笑みで「頑張れ」と応援されて、ユフィーリアはちょっとやる気が出た。
☆
妖精学の講義には、大勢の生徒たちが大講堂に集められていた。
大講堂の壇上には演説をする為の講演台が設置されており、さらに舞台上には今回の講義テーマである『妖精と人間と私』という看板が掲げられている。こんな不倫野郎が魔女・魔法使いの学校で盛大に歓待されるのが気に食わない。
ユフィーリアたち問題児は、大講堂の舞台袖に隠れていた。転移魔法で慌てて転移してきたが、学院関係者の姿は一切ない。舞台袖から講堂内を見渡せば、学院の教職員が講義を今か今かと待っている様子だった。
「はー、本当にクソだわ」
「どうするのぉ、ユーリ。本当にやるのぉ?」
「やるに決まってんだろ、打ち首になりたくねえ」
大講堂に集められた生徒たちを舞台袖から睨みつけるユフィーリアに、エドワードが首を傾げて問いかけるり
「ユーリはこのオッサンの声って知ってるのぉ? 魔法で真似できるぅ?」
「…………」
――そういえば、このサミュエル・ニコル氏とかいうオッサンの声がどんなものだったか知らない。
「やべえやべえやべえやべえ」
「どうするどうするどうするどうする!?」
「もうやるしかねえ、やるしか!! ああそうだアタシはやれば出来る子、凄い魔女!!」
もう自分自身に「やれば出来る」と暗示をかけるしかなく、ユフィーリアは拡声魔法を発動させた。声の範囲は大講堂内全域に限定し、集められた生徒たちに声が届けられるように魔法を調整する。
『皆様、大変長らくお待たせいたしました。これより妖精学講義「妖精と人間と私」の講義について執り行いたいと思います。講義を執り行いますのはサミュエル・ニコル氏です』
努めて丁寧な口調での放送を心がけて、ユフィーリアは拡声魔法の発動を中断する。目線でエドワードに合図を送れば、彼はしっかりと頷いた。
その場で足踏みをすれば、カエルスーツを身につけたサミュエル・ニコル氏が動き出す。スタスタと何の障害もなく歩いていくと、生徒たちから温かい拍手で出迎えられた。
ただし、会場内は拍手が起きているものの、生徒たちは怪訝な表情である。いきなり壇上にカエルスーツを身につけた馬鹿野郎が出現すれば、誰だって怪しむに決まっていた。
「止まれ、エド」
「あいよぉ」
エドワードが立ち止まれば、サミュエル・ニコル氏も立ち止まる。クルッと身を反転させて生徒たちへ向き直るが、
「ちょっとズレてる」
「え、本当にぃ?」
「行き過ぎだ、戻れ戻れ」
舞台袖から様子を見ているから奥行きが曖昧になってしまい、サミュエル・ニコル氏の位置が講義台からずれてしまっていた。このままの位置で講義を始めれば、間違いなく問題児の仕業を疑われてしまう。
エドワードに位置を調整してもらい、ようやく気絶状態のサミュエル・ニコル氏を講義台の前まで連れてくることが出来た。それだけで「もうコイツこのまま放っておいてもいいかな」と思えてきてしまうが、ここで問題児の悪い癖が発動してしまう。
そう、彼らは生粋の問題児だ。悪戯や問題行動を喜んでやる馬鹿野郎の集団である。
「えー、ごほん。あーあー」
拡声魔法を再び発動させる前に、ユフィーリアは声の調子を確かめる。壮年男性の声など出したことはないが、魔法で声を低くすればそれっぽいものになるだろう。
声の調子を整えてから、拡声魔法をもう1度発動させた。先程と同じく範囲は大講堂全域に留めておき、ゆっくりと話し始めた。
何度も言うが、ユフィーリアたちは問題児である。面白くもクソもない授業などやる訳がないのだ。
『皆様、初めまして。妖精に牛乳と間違えて白い絵の具で色をつけただけの水を与えて、仕返しに飲んでいた紅茶を何かの生物のゲロとすり替えられてのたうち回ったサミュエル・ニコルです。よろしくお願いします』
自己紹介というより、事故を起こした紹介によって講義が幕を開けたのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】妖精学などというマイナーな講座もお任せあれな天才魔女。でもちゃんと講義するとは言っていない。
【エドワード】別名をムッキムキ蛙。雷が聞こえなければ無敵の状態。妖精学? 何それ食えんの?
【ハルア】今の今まで下着1枚の状態である。そろそろ服を着ようかなと検討中。
【アイゼルネ】妖精学はあまり知らないので今回は完全にユフィーリアとエドワードのサポートに回るしかない。
【ショウ】背後でカエルスーツの姿で応援中。