第2話【問題用務員と火遊び現場】
頭にたんこぶを作った蛙の集団が、用務員室にご帰還である。
「いってえ……あの野郎、本気で殴りやがって」
ユフィーリアは蛙の被り物を脱ぎながら、頭頂部に作られた巨大たんこぶの状態を鏡で確認する。面白いぐらいに腫れ上がっていたし、何なら煙も出ていた。
あの非力な学院長が暴力という手段に訴えるとは驚きである。彼も立派な暴君に成長したようだ。全然嬉しくない。
とりあえず巨大たんこぶは回復魔法で治療すると、
「ユーリぃ……」
「おう、エド。無事か?」
居住区画の扉がほんの僅かに開かれて、頭から布団を被った筋骨隆々の巨漢が涙目で顔を覗かせた。紡がれる声も覇気がなく、随分と弱々しくなってしまったものである。
殺人鬼と見間違えられる強面を涙と鼻水でベショベショに汚した情けない男は、問題児の中で2番目に勤務歴の長いエドワード・ヴォルスラムである。問題児筆頭であるユフィーリアの右腕と囁かれる悪タレだが、雷が鳴るとこのように弱々しくなってしまうのだ。
雨粒が大量に付着した窓を見やるエドワードは、
「もうやだぁ、雷怖いよぉ」
「室内だから平気だろ」
「音と光が怖いんだもんねぇ」
「もう布団を被って引きこもってろよ」
雷を怖がるエドワードに呆れた様子で言うユフィーリアは、
――ゴロゴロ、ピシャーンッ!!
窓の向こうで稲光が迸ったと思えば、盛大な音を轟かせて校庭に雷が落ちる。あれは地面が抉れるか、軽くても表面が焼け焦げる程度の被害は出ていそうだ。
ユフィーリアは「落ちたなァ」などと呑気に窓の向こう側を眺めて、雪の結晶が刻まれた煙管を吹かす。ミントにもよく似た清涼感のある煙が用務員室の中を漂い、ジメジメとした空気を吹き飛ばしてくれるかのようだ。
別に室内なので雷は怖くない。雷を扱う魔法だって世の中には存在しているので、雷程度に恐怖心を抱いていたらまともに魔法だって扱えないのだ。
「ユフィーリア、エドさんが大きなお饅頭になってしまった」
「あらまあ」
用務員室の床に布団を被って巨大な饅頭と化すエドワードの背中を、ショウとハルアが心配そうな表情で撫でていた。いつもは頼り甲斐のあるエドワードだが、雷のせいで形なしである。
よく聞けば、布団の中から「シクシクシクシク……」などという啜り泣きのようなものまで聞こえてきた。本気で雷が怖いらしい。
未成年組に背中を撫でられて慰められるエドワードを見下ろしたユフィーリアは、
「エド? おーい、エド」
「ぐすッ、ひッ」
「ダメだ本気で泣いてやがる」
雷を止ませる方法はあるのだが、それは自然界の法則を乱すという意味合いで禁じられている。嵐妖精が元気にお仕事中なのだ、それを邪魔すれば問題児は問題児ではなく犯罪者にランクアップである。そんなの嫌だ。
しかし、付き合いの長いエドワードがここまで酷い状態とは可哀想だ。外でゴロゴロと猛威を振るう雷をどうにか出来なければ、雷の音や光を認識できなくしてやればいい。
ユフィーリアは机の上に置いた蛙の被り物を手に取ると、
「エド、顔だけ出せるか?」
「無理ぃ……」
「ハル、エドの布団を剥ぎ取れ。容赦はするな」
「あいあい!!」
ハルアはエドワードを守る布団をむんずと掴むと、ユフィーリアの命令に従って容赦なく布団を剥ぎ取った。
布団を引き剥がされて、床に転がされるエドワード。泣いた影響で銀灰色の鋭い双眸は涙に濡れ、鼻水もダラダラと垂れ流されていた。いつものイケメン顔が台無しである。
命綱である布団を剥ぎ取られて、エドワードは「あびゃああああああ!!」と悲鳴を上げる。急いで耳を押さえて床に伏せ、布団がない状態でも大きなお饅頭になり切ろうとしていた。
ユフィーリアは蛙の被り物をエドワードの頭に被せてやると、
「〈認識阻害・雷〉」
雪の結晶が刻まれた煙管で蛙の被り物を叩いてやる。
未だにグスグスと蛙の被り物で頭部を覆った状態で膝を抱えるエドワードは、涙に濡れた声で「何の魔法をかけたのよぉ」と訴えてくる。
さすがに雷だけでここまでグスグスと泣けるエドワードに同情したので、今朝の朝刊に掲載されていた魔法を試してみたのだ。雷を嫌いと主張する人間は一定数存在するので、雷だけを認識できなくなる魔法である。
直後、ゴロゴロピシャーン!! と落雷が窓の向こうで発生するのだが、
「…………? 雨止んだぁ?」
「止んでねえよ」
「じゃあ雷はぁ?」
「相変わらずゴロゴロと元気だぞ」
蛙の被り物を装備するエドワードは、
「雷の音が聞こえなくなったよぉ」
「雷だけを認識できなくなる魔法だ。その被り物がある限り、雷の音だけ聞こえなくなるし雷の光も見えなくなる」
「便利だねぇ」
雷だけを排除されたことで、エドワードはいつもの間伸びした調子で言う。普段の姿を取り戻すことが出来たようでよかった。
どうせ雷が酷いのは昼間だけなのだ。新聞に掲載された天気予報では『夜には嵐妖精も去ります』とあったので、その予想を信じるしかない。妖精たちは気まぐれなので、夜までヴァラール魔法学院の近郊にいるかもしれないが。
すっかり元気を取り戻したエドワードは、
「おトイレ行ってこよぉ」
「オレも行く!!」
「俺も行きます」
「え? 俺ちゃんもう雷平気だよぉ、これがあるからぁ」
「漏れちゃう!!」
「ハルさん、多分カエルスーツを1人で脱ぐことが出来ないのでお手伝いです」
「あ、なるほどねぇ」
そんな訳で、男3人で仲良く連れションに出掛けてしまった。まあトイレは用務員室のほぼ目の前にあるので、すぐに戻ってくるだろう。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして、魔法でいつもの黒装束に着替える。首から腹まで覆い隠す心許ないほど薄い布地の上衣と幅広の洋袴、袖のない真っ黒な外套と二の腕まで届く長手袋という黒だけで統一された礼装だ。肩だけが剥き出しの状態である。
魔法が使えるアイゼルネも、同じくどこからか取り出したトランプカードを指で弾くと着替え魔法を発動させた。ポンという音を立てて、カエルスーツから胸元が大きくVの切れ込みが入った妖艶な意匠のドレスに変身する。真紅のドレスから覗く艶かしい足の線が、見る相手の劣情を誘う。
魔法が使えないと、背中のファスナーを下ろして云々という作業が必要になってくるので、1人では脱げないハルアの補佐としてショウがついていったのだ。カエルスーツを脱がないと用が足せないという面倒な仕様である。
「今日のお茶請けは何があったかな」
「キクガさんに貰った水饅頭があるわヨ♪」
「お、いいな。このジメジメの季節にちょうどいいわ」
アイゼルネも「今日は緑茶にしましょうネ♪」と部屋の隅に置かれた戸棚から茶器を取り出すのだが、
「…………」
「…………」
「…………」
バタン、とトイレに行ったはずの男子3人組が勢いよく用務員室に雪崩れ込んできた。
「どうしたお前ら、漏らしたか?」
「何かあったのかしラ♪」
怪訝な表情で男子3人に視線をやるユフィーリアだが、
「…………ちょっと、あの、あそこのトイレ使えないかもしれないよぉ」
「…………あの、うん、色々とダメ」
「…………その、上手く言えないんだけど、あの、しっぽり的な」
「え? 何、何だって?」
顔を青褪めさせる3人は、何故か涙目でユフィーリアに縋り付いてきた。
「ユーリぃ、助けてよぉ!! 雷の次はこれかよぉ!!」
「この世は地獄だ!!」
「トイレが汚れてしまった!! あそこはもう使えない!!」
「何があったお前ら。あとトイレは掃除すれば使えるだろうが、そんなに汚れてたか?」
ユフィーリアは首を捻る。
雷嫌いなエドワードがウッカリ雷を認識してしまい、ベショベショに泣きながら帰ってくるのはまだ分かる。でも特に雷へ苦手意識を持っていないショウとハルアまで逃げ帰ってくるとは異常である。
原因は雷ではないとすれば、果たしてトイレで何が起きたのか。トイレにまつわる怪奇現象か何かか。
「仕方ねえな、アタシが見てきてやるよ」
ユフィーリアは席を立ち上がると、大股で用務員室を出ていった。
用務員室を出て、目と鼻の先の距離にトイレがある。女子トイレの隣に男子トイレである。一般的な学校設備と同じ並びだ。
校舎3階、そして隅に追いやられた用務員室は『離れ島』として有名だ。こんな場所までわざわざ足を運ぶ生徒や教職員はおらず、またその付近に作られたトイレも同じだ。
つまり何が言いたいか。問題児以外の利用者などいないのだ、ここのトイレ。
「ッたく、何を見たってんだ」
ユフィーリアは特に警戒心を抱くことなく、男子トイレの扉を開ける。
個室と、男子トイレ特有の便器が等間隔に並べられたごく普通のトイレだ。手を洗う為の洗面台もあり、鏡も完備されている。綺麗に使っているはずだから、清掃の心配はないはずだ。
トイレの内部を見渡すと、1番奥の個室の扉が閉まっていた。どうやら誰かが使っているらしい。
「他の奴が使っただけで『もうあのトイレは使えない』って言わねえよなァ、そこまで狭量な心の持ち主じゃねえはずだけど」
ユフィーリアは1番奥にある個室の扉の前に立つと、
「おーい、クソでもしてんのかァ? 便器を汚くしたら許さねえからな」
「そ、それはすまないことをした。申し訳ない」
扉の向こうから聞こえてきたのは生徒のものではなく、年齢を重ねた男性のものだった。中年から壮年と呼べる範囲だろうか。
スン、と鼻を鳴らしたユフィーリアは「ん?」と首を傾げる。
僅かな汗の臭いに混ざって、どことなく独特の臭いがするのだ。嗅いだ覚えのないものである。大便ではないと思うのだが、このトイレの個室で何をしているのか。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管の先端で扉を叩き、
「〈開け〉」
扉にかけられた鍵を解除してしまう。
「あ、何をする止めッ」
「便器を汚してんじゃねえぞ、誰が掃除すると思って――」
開いた扉の先で待っていたのは、先程から声の聞こえてくる男だけではなかった。
半裸の状態となった女性職員と、何やら小綺麗な格好をしたちょび髭の男性が仲睦まじく抱き合っていたのだ。2人の顔は火照り、どこかハアハアと荒い息をしている。それから男女の足元には汗には見えない色々な液体が飛び散っており――。
どこからどう見ても火遊び現場である、本当にありがとうございました。
「なるほど、そうか」
ユフィーリアは顔を青褪めさせる男女に向かって雪の結晶が刻まれた煙管を突きつけると、
「ウチの可愛い部下に何つーモンを悟らせてんだ〈大凍結〉!!」
絶叫すると同時に氷の魔法を発動させ、男女をまとめて氷漬けにした。
《登場人物》
【ユフィーリア】純愛貫き早××××年。今でも最愛の嫁を愛し続けるし、何なら真っ直ぐに愛の言葉を伝えちゃう。彼以上に愛せる人物はいないし目移りしない一途な魔女。
【エドワード】火遊びなんてしないし惚れた相手が出来れば意外と貢いじゃう系男子。浮気なんて以ての外ですが、人相のせいでモテない。
【ハルア】火遊び? マッチで遊ぶの?
【アイゼルネ】この現場を見ていたらおそらく吐いていたことでしょう。ユフィーリアに氷漬けにされて「ざまあみロ♪」とご機嫌。
【ショウ】ユフィーリアに手を差し伸べられてからぞっこんラヴ。彼女を害する人物は誰であれ排除するし、色眼鏡を使う輩には厳しい制裁を加える。監禁はしないが、ユフィーリアの好みに近づこうとするので迂闊な発言は注意が必要。