第13話【問題用務員と怒れる学院長】
王族を殴り飛ばした。
もう1度言おう。
ヴァラール魔法学院きっての問題児、その筆頭が学院最大の寄付相手であるレティシア王国の第二王子様をぶん殴った。それはそれはもう、見事な右ストレートだった。
ユフィーリアよりも遥かに身長の高い第二王子様が華麗に空中を舞い、放物線を描いて正面玄関の硬い床に背中から着地を果たすまで、周囲の全ての人間の時が止まっていた。唖然とした表情で軽々と宙を舞う第二王子様と、そんな高貴なお方をぶん殴った問題児筆頭に、誰もが注目していた。
「貴様ァ!! アレス殿下に何をする!?」
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
第二王子のアレスに付き添っていた護衛の人間が一斉に片手剣を抜き放ち、学院長のグローリアが悲鳴を上げる。護衛対象である第二王子に暴力を振るわれたのだから護衛は怒って当然だし、寄付金という目に見える形で学院に貢献してくれているレティシア王国の要人がぶん殴られれば学院長だって顔を青褪めさせる。
しかし、ユフィーリアは我慢が出来なかった。
どれほどアレスの顔面が整っていようと、好みでも何でもない男から求婚されて嬉しいはずがない。しかも相手は、ユフィーリアが求婚を受けると確信したような態度なのだ。拳で済んだだけありがたいと思ってほしい。
「ふざけんじゃねえ、誰がお前の求婚なんぞ受けるか!! 舞踏会の日にも言ったが、アタシには超可愛いお嫁さんがいるから諦めろ!!」
「では舞踏会の日にも言いましたが、その方も第二夫人という形式で娶りますので求婚をお受けください」
「その条件を提示されて『やったぁ、結婚する』なんて言うとでも思ったか!? アタシはそこまで脳内お花畑のハッピー馬鹿野郎じゃねえ!!」
顔面をぶん殴られてもなおユフィーリアへ求婚する行為を止めないアレスに、今度こそ本気で尻に氷柱でも突き刺してやろうかとユフィーリアは画策する。実際に雪の結晶が刻まれた煙管まで握りしめた始末だ。
どこの国にも共有しているのか、王子様の求婚は非常にしつこい。断っても断っても諦めずに求婚をしてくるものだから、求婚された側は根負けするしかないのだ。確かに女性側からすれば玉の輿に乗れるので、王子様からの求婚なんて夢のような話である。
まあ、ユフィーリアにとっては悪夢でしかない。こうして王子の求婚を口汚く断りながら、どうすれば相手が諦めてくれるか思考回路を懸命に働かせていた。何故かどれほど考えても「殺す」以外の最終手段しか思い浮かばないのだが。
「ユフィーリア、この馬鹿!! アレス殿下に暴力を振るうなんて許されると思ってるの!? 最悪の場合、首を刎ねられてもおかしくないよ!?」
「じゃあレティシア王国を滅ぼすか!! 氷河期突入だぜ!!」
「止めて!! 死んでも止めて!!」
すでに暴力的な思考回路に染まっているユフィーリアの後頭部を何度も引っ叩いたグローリアは、慌てた様子で顔を腫らしたアレスに土下座する勢いで謝罪する。
「うちの用務員が大変申し訳ございません、創立当初から自由奔放な性格のせいで色々な人に迷惑をかけてしまい……!!」
「いいえ、こちらこそ彼女を警戒させてしまったご様子です」
アレスは申し訳なさそうな表情で、
「いきなり求婚も急ぎすぎました。無礼をお許しください」
「先に手を出してしまったこちらが悪いです。私からもよく言っておきますので、どうか彼女の首を刎ねるような真似だけはご容赦を……」
「首を刎ねるような真似はしませんとも」
護衛の1人が使う回復魔法で顔の腫れを治療するアレスは、
「いずれ妻として迎え入れるお相手の拳さえ受け止めることが出来ず、何が夫でしょうか」
「だから、誰がお前の妻なんだよスットコドッコイ」
ユフィーリアは中指を立てて吐き捨てる。相手に嫌悪感を伝える最適な行動だが、お育ちのよろしい王子様には中指を立てる意味が分からなかったようで不思議そうに首を傾げていた。
「アタシにはこの世界で1番可愛いお嫁さんがいるから、お前なんぞお呼びじゃねえんだよ。分かったらとっととお国に帰って図書館にでも引きこもってろ能天気野郎が」
今にもアレスに飛びつきそうな雰囲気を醸し出していたショウの腰を抱き寄せ、ユフィーリアは本気でアレスの求婚を拒否した。それまで嫉妬深い飼い猫よろしく鋭い眼差しで第二王子様を睨みつけていた女装メイド少年君は、すぐ近くに迫ったユフィーリアに一瞬で骨抜きにされてしまう。
夕焼け空にも似た赤い瞳は蕩け、細い腕で目一杯にユフィーリアを抱きしめて頬擦りしてくる。本日は一般的なホワイトブリムとツインテールの組み合わせだが、ここに猫耳と猫の尻尾が装備されていれば喜びのあまり大変なことになっていたかもしれない。最愛の嫁さんが嬉しそうで何よりである。
ユフィーリアもショウの頬を撫でて応じ、ショウによる熱い抱擁を享受する。ここまで見せつければ、いくら鈍感なアレスだって引き下がるはずだ。
「…………僭越ながら申し上げます、ユフィーリア」
ところが、アレスはどこか真剣な表情でこう言った。
「見窄らしい侍女を配偶者に選ぶとは、貴女は何をお考えですか? その侍女に弱みでも握られているのです?」
「…………あ゛?」
割と本気で、ユフィーリアの口から低い声が出た。
見窄らしい侍女? はて、一体誰のことを言っているのか。
ショウほど可愛い人物などこの世に存在せず、見窄らしいという言葉など遥かに縁遠い至高の天使様である。「神々しく愛らしい」と評価を下すのであれば許すが、どこの部分を見て見窄らしいと言いやがった?
「ユフィーリア、聡明な魔女であらせられる貴女なら分かるでしょう。その見窄らしい侍女と気高い貴女では釣り合わない、何か弱みでも握られていなければそのようなことなど言えない」
「…………何言ってんだ、お前?」
「そうでしょう? 優秀な魔女が伴侶として選ぶなら、最低でも豊富な魔法の知識を有していなければ釣り合いませんとも。そこの侍女は卑しくも貴女の愛を独占しようとしている。可愛く媚びて、貴女に擦り寄ろうとしている下男です」
アレスは純粋にユフィーリアへ忠告しているようだが、彼の言葉の端々には地雷がふんだんに盛り込まれていた。問題児の大好きな爆弾が山ほど仕込まれている。
もうダメだ、この第二王子は殺すしかない。ついでにレティシア王国も破滅の道を歩ませるべきだ。学院長のグローリアには悪いが、今ここで始末してしまった方が精神衛生的にもいい。
雪の結晶が刻まれた煙管をそっと握り直すユフィーリアだったが、
「うるさい」
「へぶんッ!?」
アレスはぶん殴られた。本日2度目である。
殴った相手はエドワードでも、ハルアでも、アイゼルネでもない。彼らはアレスに飛びつこうとしていたが、アレスをぶん殴った相手を見て固まっていた。
もちろん、ショウでもユフィーリアでもなかった。騒ぎを聞きつけて様子を見に来た副学院長のスカイでもなかった。この場で最もアレスに手を出さないだろう人物が、第二王子のアレスに強烈な平手打ちを叩き込んだのだ。
ヴァラール魔法学院の学院長、グローリア・イーストエンドである。
「な、何をお考えですか!?」
「そうッスよ、グローリア!? アンタ、レティシア王国の第二王子様に何してんスか!?」
さすがにグローリアからの平手打ちは許容できなかったのか、アレスは目を吊り上げて抗議してくる。スカイも学院長の暴行現場に顔を青褪めさせ、慌ててグローリアにしがみつく始末だ。
しかし、グローリアは底冷えのするような眼差しでアレスを見つめるだけだった。
反射的にアレスをぶん殴ったという様子はなく、むしろ意図的にアレスを殴ったように見えた。「グローリア、アンタ聞いてんスか!?」と叫ぶスカイに、彼は緩慢な動きで振り返る。
それから、朗らかな笑みで副学院長に命じた。
「スカイ、レティシア王国が擁する僕名義の魔法研究施設を全部引き払ってきて。研究職員は全員、ヴァラール魔法学院で一時的に面倒を見るから」
「へあ」
「それとレティシア王国発信で僕が提案・開発した全部の魔法技術も引き上げてきて。進行中のものも含めて全部ね。証拠が残ると面倒だから、手引き書とか全部燃やして」
「ちょちょちょ、ちょっと」
「あとレティシア王国に在籍する魔女と魔法使いね、あの人たち全員揃ってヴァラール魔法学院に招聘して。ウチの卒業生でしょ? 学院長命令ってことで呼び寄せて。他の国に派遣するから」
「まーて待て待て待て!!」
淡々とした口調で命令を下すグローリアに、スカイからのストップがかかった。
「アンタ、それやればレティシア王国は完全に破滅するッスよ? 最先端の魔法技術で成長し、国全体は魔法の研究で得られる他国からの収入で成り立ってるッス。それを全部取り上げれば、あの大国は他の国から孤立することになって破滅するッスよ!?」
「じゃあ第七席にお願いしようか。『レティシア王国を滅ぼして』って」
「何考えてんだ、アンタ!?」
ガクガクとスカイに揺さぶられながらもなお朗らかな笑みを絶やさないグローリアに、アレスが「お待ちください!!」と詰め寄る。
「我が国はヴァラール魔法学院の最大の支援者です。我が国が斃れれば、学院の運営だって」
「じゃあいらない」
「ッ!?」
唐突な不要発言に、アレスは息を呑んだ。
迷いのない言葉だった。寄付金を絶たれれば学院の運営に支障が出てしまい、生徒はおろか教職員だって路頭に迷ってしまう恐れがある。生徒たちから得られる授業料の収入だけでは学院の運営など成り立たないのだ。
それでもグローリアは「いらないよ」と言い、
「今すぐ返すよ、ほら」
グローリアが指先を鳴らせば、アレスの頭上からルイゼ紙幣が雨のように降り注ぐ。
それが、レティシア王国から得た寄付金なのだろう。唖然とするアレスはあっという間にルイゼ紙幣に埋もれてしまった。
朗らかな笑みのまま、グローリアはルイゼ紙幣の山に埋もれるアレスの胸倉を掴む。
「それ持って今すぐ帰って。寄付を止めるなら国王様にも言えばいいよ、僕も君たちレティシア王国を潰すから」
アレスは口を引き結ぶと、
「この所業は父上に報告し、正式に抗議させていただきます」
「好きにして」
それまで朗らかな笑みを浮かべていたグローリアだが、フッとその笑みを消した。紫色の瞳に敵意の光を漲らせ、
「帰れ!!!!」
最大の寄付相手だと言っていたレティシア王国の要人相手に、鋭い声で命令していた。
☆
大量のルイゼ紙幣を置き去りにし、アレスは護衛と共にヴァラール魔法学院を立ち去った。
レティシア王国の王子様を追い返したグローリアは、閉ざされた扉をしばらく眺めてから指を弾く。
すると、正面玄関の床に散らばったルイゼ紙幣が一斉に燃やされた。紅蓮の炎によって金が燃やされて、使い物にならなくなる。
「何してるの」
パッと振り返ったグローリアは、変わらない笑顔のまま手を叩く。
「ほら、午後の授業は30分後に始めるから教室に戻って。今日も楽しい魔法のお勉強の時間だよ」
正面玄関に集められた女子生徒及び女性職員に授業であることを呼びかけると、グローリアは思い出したようにユフィーリアたち問題児へ振り返った。
「正面玄関を掃除して、塩を撒いておいて。ちゃんと仕事をするんだよ」
「…………は、はぁーい」
ユフィーリアは苦笑して、グローリアからの仕事を請け負うのだった。ここで断ろうものなら学院から追放されそうな雰囲気があったのだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】最愛の嫁さんを貶されて殺そうかなと思っていた矢先、何故か今まで常識人を振る舞っていた学院長が暴力行為に及んでビックリした。何があった?
【エドワード】ショウちゃん貶すとか何考えてんだあのダボ、と殴りかかろうと思ったら学院長がすでに殴ってた。
【ハルア】よくもショウちゃんの悪口を言ったな、と殴りかかろうと思ったら学院長がすでに殴ってた。驚き。
【アイゼルネ】ショウちゃんを貶すなんて許せないワ♪ と殴りかかろうと思ったら学院長がすでに殴っていた。
【ショウ】第二王子に何を言われても心は動かなかったのに、学院長が第二王子を殴る理由が皆目見当もつかないで驚いている。
【グローリア】第二王子をぶん殴った学院長。金に執着しないので寄付金を燃やしても特に何も思わないし、七魔法王の広告料収入の方がレティシア王国の寄付金を遥かに上回る金額なのでへっちゃら。
【アレス】嫁候補にぶん殴られるのは許容できるが、学院長に殴られるのは許容できない。忘れてない? 学院長は七魔法王の第一席だけど忘れてない?