第11話【問題用務員と逃亡】
絶賛逃亡中である。
「お待ちください!!」
「誰が待つか!!」
「せめてお名前だけでも!!」
「誰が教えるか!!」
舞踏会の会場を爆走するユフィーリアは、胸中で忌々しげに舌打ちする。
普段の格好ならば追いかけてくる第二王子様をぶちのめすことが出来るのだが、今夜は綺麗なドレスでお洒落をしているので暴力的な行動が封じられているのだ。下手をすればドレスのスカートが捲れて大変なことになりかねない。
最愛の嫁であるショウならまだしも、素性も知らない第二王子様にそんなサービスをしてやるつもりは毛頭ない。見えたら記憶が飛ぶまでぶん殴る所存である。
ただ、拳を血で染めるにはまだ早い。求婚されただけでぶん殴るような血の気の多さは持ち合わせていないユフィーリアである。
「どうか私との結婚をお考えください!!」
「アタシにはもうめっちゃ可愛いお嫁さんがいるので無理でーす!!」
「それではその方も一緒に娶ります!! 第二夫人でいかがですか!?」
「もう1発殴られてえのかふざけんな!!」
最愛の嫁であるショウを『第二夫人』と抜かすことがそもそもの罪である。冥府で働く彼の父親から雑巾のように搾られても文句は言えない。
というか、ユフィーリアには結婚を誓った相手がいるにも関わらずしつこく求婚してくる根性が白目を剥きたくなるほど素晴らしいものだ。素晴らしすぎて反吐が出る。
舞踏会から帰ろうとする招待客の間を縫うようにして駆け抜け、ユフィーリアはようやく王城の階段にまで到着した。背後を振り返れば、
「お待ちください!!」
「まだいんのかよぉ!!」
アレスが執念深く追いかけてきていた。諦めという感情を知らないのか。
ユフィーリアは忌々しげに舌打ちをし、過去の行動を後悔しながら階段を駆け下りる。とっとと招待状を見つけて戻ればよかったのに、余計なことに口を出してしまったのが運の尽きだ。
ヴァラール魔法学院の女性職員が玉の輿に乗るような場面があれば、まあ羨ましいとは多少考えるけれど指差して笑うぐらいはした。なのに自分がその立場になるとは考えたことなどない。あのクソッタレ王子様に愛のキスを送ることすらゲロを吐きそうである。
その時だ。
「ゔぇッ」
階段を駆け下りている途中で、ユフィーリアは足を引っ掛けてしまう。
勢いがついて空中に放り出され、赤い絨毯が敷かれた立派な階段へ全身を強かにぶつけながらゴロゴロと転がり落ちていった。盛大に階段から転げ落ちていく銀髪碧眼の問題児の姿を、他の招待客は憐れみが混ざった目で眺めていた。助けてくれてもいいだろう。
階段の半ばで動きを止めたユフィーリアは、視界を覆い隠す銀髪を掻き上げる。真珠を使った髪飾りは取れかかっているし、ドレスは見事に埃だらけだ。硝子製の靴は片方だけ脱げてしまっており、脱げた靴は階段の途中で置き去りとなっていた。
片方だけ靴を履いた状態では足を怪我してしまう可能性が高くなる。ユフィーリアは「ああ、クソが」と起き上がるが、
「お待ちください!!」
「げ」
早々に追いついてきやがったアレスに、ユフィーリアは顔を顰める。
階段の途中で転がっている硝子製の靴を拾ったアレスは、お優しいことにユフィーリアへ脱げた靴を返却しようと試みる。今はそんな慈悲に溢れる行動はいらない。
アレスから逃げる為に、ユフィーリアは弾かれたように立ち上がった。この際だから硝子製の靴は捨ててしまおう。もう片方だけ残った硝子製の靴を脱ぐと、アレスの顔面めがけて投げつける。
だが、ユフィーリアは基本的にボールなどを投げる際のコントロール力がない。こうなることは当然のことだった。
「あ」
「…………」
投げつけた硝子製の靴はあらぬ方向に飛んでいき、階段に叩きつけられてコロコロと数段ほど転がり落ちた。アレスの方向には飛んでいかなかった。
アレスは、階段に転がる硝子製の靴をじっと眺めている。彼の表情は「どうして靴を投げたのだろう?」と物語っていた。
靴を脱ぎ捨てて裸足となったユフィーリアは、アレスが硝子製の靴に視線を注いでいる間に残りの階段を駆け下りる。硝子製の靴を囮にして第二王子の気を逸らすことが出来るならば、裸足になることだって吝かではない。
窮屈な硝子製の靴を手放したことで身軽さを得たユフィーリアは、
「いやー、悪い悪い。遅れた遅れた」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「あれ?」
玄関で待っていたエドワード、アイゼルネ、ショウ、そしてリタから可哀想なものでも見るかのような視線を送られる。ハルアは冥砲ルナ・フェルノにしがみついてお休み中だ。
それもそのはず、ユフィーリアの今の格好は悲惨なものだった。
ドレスは埃まみれ、髪の毛はボサボサ。しかも硝子製の靴は両方とも脱ぎ捨てた影響で、裸足の状態である。目を覆いたくなるボロボロ具合だ。
ユフィーリアは「どうしたんだよ」と首を傾げ、
「ほら帰るぞすぐに帰るぞこんなところさっさとオサラバしてやる」
「ユーリ、さすがに裸足はダメだと思うよぉ」
「お洒落なドレスが台無しヨ♪」
「冥砲ルナ・フェルノに乗るか?」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「いいから帰るぞ、格好なんてどうでもいいんだよ!!」
アレスが追いかけてこないうちに、ユフィーリアは拾ってきた招待状を広げる。雪の結晶が刻まれた煙管で招待状の表面を叩けば、招待状に刻まれた転移魔法の仕掛けが発動されてレティシア王国から問題児たちの姿が掻き消えた。
煌びやかな舞踏会はもう終わりだ。
硝子製の靴を片手に階段の途中で立ち尽くす第二王子のアレスは、消えたユフィーリアの姿を探して呆然と呟いた。
「消えてしまった……」
☆
一瞬で視界の景色が切り替わり、見慣れたヴァラール魔法学院の正面玄関に戻ってくる。
ユフィーリアは「ようやく帰ってきた……」と安堵の息を吐く。
背後を確認するが、こんな辺鄙な場所にある魔法学院までわざわざ転移魔法を使ってくるはずがない。基礎知識を身につけていないので、超長距離の転移魔法を使うには相当な時間を要するはずだ。それまでにはアレスもユフィーリアの存在を忘れているだろう。
不安そうな表情のリタは、
「何かありましたか? あの、すぐに帰りたいみたいな雰囲気でしたが……」
「いやな、第二王子様に『結婚してくれ』って言われたからな」
リタの質問へ正直に答えてしまい、ユフィーリアは「あ」と気づいてしまう。
裸足が冷たい床を踏んづけているものの、何故か肌を撫でる空気が床の冷たさ以上に冷え込んでいく。窓の向こう側がついに真冬でも到来したのかと視線を投げるが、雪も降っていなければ氷柱も軒先にぶら下がっていなかった。
冷たい空気の発生源は、ユフィーリアのすぐ側に控えていた黒髪赤眼の美少年である。普段は雪の結晶が随所に刺繍された古風なメイド服に身を包んでいる彼だが、今日ばかりはタキシードでおめかし状態だ。男らしい格好も久々に見たが、何度見てもなかなか似合っているものである。
タキシード姿な最愛のお嫁さん――ショウは清々しいほどの笑顔で問いかける。
「ユフィーリア、それは本当か?」
「あー、その、もちろん全力で断ったぞ? だから逃げてたっていうか、その、硝子の靴も囮にしてきたしな」
「その回答だけで十分だ、ユフィーリア」
ショウはポンとユフィーリアの肩を叩くと、
「ちょっとレティシア王国に戻って第二王子とやらをぶちのめしてくる」
「ショウ坊、アタシは求婚を断った。それに、こんな辺鄙な場所までわざわざ来ねえだろ」
「俺の最高の旦那様へ求婚するなど言語道断、今後永遠にそんな気持ちが湧かないようにしっかりと教育しないトナァ……」
「ショウ坊、戻ってこい。話を聞け」
光の消えた赤い瞳でヴァラール魔法学院の玄関を眺めるショウの胸倉を掴んだユフィーリアは、
「アタシが愛しているのはお前だけだ、ショウ坊。その気持ちを疑うなんて心外だな」
「俺もユフィーリアを愛している。だけど」
「じゃあそれでいいだろ、アタシだけを見てろショウ坊。よそ見するな」
「ふにゃあ」
赤い瞳に光が差したと思えば、デロデロに蕩けてしまった。ショウはユフィーリアに抱きついて「ユフィーリア、ユフィーリア」と頬擦りしてくる始末である。
もしショウが第二王子のアレスに暴行すれば、国際問題に発展しかねない。ユフィーリアであれば言い訳などいくらでも出来るが、世の中の冷たい空気が最愛の嫁であるショウに向けられるのは御免である。
ユフィーリアはショウの背中を撫でながら、
「ほらショウ坊、もう帰るぞ。夜も遅いし」
「ああ」
「リタ嬢も学生寮に帰れるか?」
「はい、大丈夫です」
リタは小さく微笑むと、
「お2人は本当に仲がいいですね」
「あげないぞ」
「私もそこまで野暮じゃないです」
ユフィーリアを抱きしめたままジト目で睨みつけてくるショウに、リタは首を振って辞退した。
疲れはあったが、舞踏会はなかなか楽しめた。ああいった煌びやかな場所に誘われることが滅多にないので、今日はとてもいい経験になった。
まあ、第二王子からの球根は想定外である。もう2度と余計なことは言わないようにしよう。
「ふあぁ、もう眠いわ」
「お風呂は明日でもいいかねぇ」
「疲れちゃったワ♪」
「ユフィーリア、ユフィーリア、ユフィーリア、ユフィーリア……」
「あのユフィーリアさん、お嫁さんの状態がおかしいのですが大丈夫ですか?」
「慣れた」
「そうですか……」
背中にしがみつくショウを引き摺りながら、ユフィーリアは欠伸をしながら用務員室を目指すのだった。
どうせ第二王子様はこんな辺鄙な場所までやってこない。特徴的な格好をしていたとはいえ、噂を聞けば一瞬で幻滅するような行動しかしてないのだ。あの惚れ込み具合も一過性のものである。
投げ捨てた硝子製の靴を揃えて「この靴が履けた女性と結婚します」などと言おうものなら、童話の『シンデレラ』のようだ。非常に笑える展開だ。
――そんなことを軽く考えていた時期が、ユフィーリアにもあったのだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】慣れない硝子の靴であまり速く走れなかったが、本当は身体能力が非常に高いので風のように走れる。ただしノーコンの為、ボールなどを投げさせてはダメ。
【アレス】身体能力はあまり高くない。多分ユフィーリアに追いつけたのは、彼女自身が硝子の靴という走りにくいことこの上ない靴を履いていたから。別の靴だったらあっという間に撒かれてた。
【エドワード】足は速くないが持久力が高いので、人を抱えて走ることが得意。
【ハルア】問題児の中で1番足が速いが、持久力がない。あんまり長く走れないので、ショウに冥砲ルナ・フェルノに乗せてもらう。
【アイゼルネ】そもそも義足なので速く走れず、エドワードに抱えて走ってもらうのが常である。
【ショウ】足の速さも持久力も中間、可もなく不可もない。ただし最近、冥砲ルナ・フェルノのおかげで逃げる時は速くなった。
【リタ】ヴァラール魔法学院の1学年の少女。見た目通りに鈍臭いのかと思いきや、両親の研究に幼い頃から付き合っていたので持久力が高い。動物関連の授業以外で取得した授業の内容は箒で空を飛ぶ『飛行術』である。