第10話【問題用務員と第二王子】
「おー、こんなところに落ちてた」
探査魔法によって導かれたユフィーリアは、中庭の植木に引っかかった招待状を発見した。
手を伸ばしても届かない位置に引っかかっていたので、雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして風の魔法を発動させる。
柔らかな風が吹き、植木に突き刺さっていたユフィーリアの招待状が夜空を舞う。紺碧の空をひらひらと踊るように落ちていく招待状の封筒を掴み取り、密かに安堵の息を漏らした。探査魔法を使っているので見つからないという状況はないが、誰かに招待状を拾われていたらどんなことをしていたか分からない。
誰の手にも渡っていない招待状の封筒を片手に、ユフィーリアは王城方面に戻ろうとする。
「そこにいるのは誰だ」
「ッ」
唐突に声をかけられて、ユフィーリアの心臓が跳ねた。
中庭に立ち入ってはならない、という話は聞いたことがない。ただ、現在は舞踏会の真っ最中なので立ち入り禁止にしている可能性が大いに考えられる。
レティシア王国の関係者に見つかってしまったのだろうか。別にやましいことはしていないので事情を説明すればいいだけだが、最悪の場合は催眠魔法で乗り切るしかない。魔法の天才と名高いユフィーリアにかかれば、詠唱せずに催眠魔法を発動させることなど造作もないのだ。
そっと雪の結晶が刻まれた煙管を握る手に力を込め、ユフィーリアは意を決して振り返った。
「貴女は……」
「アレス殿下?」
植木の影から姿を見せたのは、第二王子のアレスだった。
彼の左手には魔導書が、右手には白墨が握られている。ユフィーリアの視線に気づいたらしく慌てて後ろ手にそれらを隠すが、見てしまった事実は変えられない。よく観察すると、煌びやかな王子様の衣装が土で汚れている気さえある。
左手に握られた魔導書は『悪魔召喚の儀』とあった。上級に属する魔導書であり、内容を読み解くには魔導書解読学の知識が必要になってくる。ヴァラール魔法学院でも5年生――特に召喚魔法を専門とする魔女や魔法使いが読む魔導書だ。
ユフィーリアは首を傾げ、
「悪魔召喚の儀式中でしたか?」
「ええ、まあ……」
アレスの答えは歯切れが悪い。どこか苦しそうに視線を彷徨わせている。
「実は成功した試しがなくて。父上――国王陛下にも無駄だから魔法の勉強は止めろと言われているんです」
「魔法の勉強は決して無駄なことではありません。世の中は魔法中心となっているのですから、必要最低限の知識がなければ国同士の外交も失敗に終わるでしょう」
ユフィーリアは努めて丁寧な口調で、悩む素振りを見せるアレスに返した。
エリシアは魔法が中心となった世界で、昔と違って現在では貴賓を問わず魔法の勉強が必須となっている。工業関係や行政、国交にも魔法が深く関わっているのだ。魔法の勉強とは決して無駄なことではなく、むしろ魔法の勉強をすればするほど有利に働く世の中になったのだ。
それを「無駄なことだ」と切り捨てるのは、実に愚かなことである。ユフィーリアも鼻で笑う愚行だ。正直な話、魔法を軽視するなら魔法に泣かされてもおかしくない。
「ですが、私自身に魔法の才能はないんです。現にこうして簡単な召喚魔法すらこなせない身で」
「魔導書解読学の知識はお持ちですか?」
「まど、え?」
「は?」
聞き慣れない単語を聞いたと言わんばかりの態度を見せるアレスに、ユフィーリアは「え?」と聞き直していた。
「魔導書解読学の知識はお持ちでないんですか? その魔導書は上級に属する書籍なので、魔導書解読学の知識がなければ読めませんし内容も理解できないですよ? ましてや魔法を使うなんて……」
「ですが、これが簡単な召喚魔法だと父上が」
「パパの言うことしか鵜呑みに出来ねえのか!!」
「へぐぁ!?」
ユフィーリアは殴っていた。割と本気で、第二王子のアレスの頬をぶん殴っていた。
華奢な美人とはいえ、ユフィーリアは日頃から名門魔法学校で問題行動を起こして馬鹿騒ぎする問題児筆頭である。魔法に依存しているが身体能力は非常に高く、見た目に似合わないほどの膂力も有する。明らかに身長の高いアレスがどうなるかなど、簡単に理解できた。
案の定、ぶん殴られたアレスは放物線を描いて吹っ飛ばされる。植木の向こう側までぶっ飛び、ズシャァという地面を滑るような音まで耳朶に触れた。王族相手に暴力を振ってしまったが、魔法の勉強方法を間違っている馬鹿野郎にはいいお灸となる。
硝子製の靴をカツカツと鳴らし、ユフィーリアは地面に寝転がるアレスへ大股で歩み寄った。彼の背中には複雑な魔法陣が広がっているものの、魔力を流し込む為の回路が破綻しているので召喚魔法は使えない。魔導書解読学の知識を有していないから、魔導書が本当の情報を与えていないのだ。
「見たところ王族だから魔力量もそこそこ、中規模程度の召喚魔法なら1人でも運用できそうなお前が『魔法の才能がないんです』なんて冗談かと思ったら勉強方法を間違えてんじゃねえか!! 魔導書片手にしておきながら魔導書解読学の知識を持ち合わせてねえなんてどういう了見だ、ええ!?」
「あ、あの、え? 先程と口調が」
「火蜥蜴の召喚は? 水精霊や風精霊、土精霊の召喚はやったか? 悪魔召喚にこだわるなら下級悪魔の召喚はやったか? 召喚魔法ってのは召喚対象との契約と会話なんだから、たとえ王族であってもまずは1番下から呼び出さねえと『何だコイツ、失礼な奴だな』って相手に思われて嫌われるぞ?」
「や、やってませんが」
「何でやってねえんだ、このダボが!!」
もう1発殴った。今度はアレスの顔面に、ユフィーリアの拳が突き刺さった。
呆れたものである。魔力量は生まれた時には決まってしまう代物だが、どれほど魔力量が少なくても使える魔法はある。正しく勉強をすれば誰だって魔法を使いこなすことが出来るのだ。
アレスの魔力量は、平均以上と言ったところだろう。王族であることを加味すれば多い方だ。基礎の知識を身につければ偉大な魔法使いとしてレティシア王国を牽引できるはずだが、この調子では永遠に無理だろう。魔法すら使えないのだ。
何せ、彼の頭の中に埋め尽くされた魔法の知識は名門家系の魔法使いや魔女が一人前になった時に身につけるような代物ばかりだ。基礎の基礎を学んでいないのだ。基本を学んでいないのに魔法を使えると思わないことだ。
「知識だけなら1級品だけど、初心者には向いてねえな。今からでも遅くねえから基礎知識を学んでから、もう1回やり直せ。そうすりゃお前の頭に残された知識も無駄にならずに済む」
「ですが、私には魔法の才能が……」
「魔法の才能なんて関係ねえよ。大事なのは勉強のやり方だ」
頭に詰め込むだけ詰め込む勉強方法は魔法を学ぶ際に向いておらず、実践して失敗を繰り返すことで学んでいくのだ。ヴァラール魔法学院も実践形式の授業を主体としているので、優秀な魔女や魔法使いが多く輩出される。
魔法に才能は関係ない。勉強をすれば魔力量の少ない人間だって立派な魔女や魔法使いを名乗れる時代なのだ。誰だって魔法を使うことは出来る。大規模な魔法を実践したい時は、数人で協力すればいいだけだ。
ユフィーリアは「2発も殴って悪かったな」と一応謝罪し、
「お前が身につけた知識は無駄じゃねえ。基礎を学んでいけば、いつか絶対に必要となるものばかりだ」
唖然と見上げてくるアレスに、ユフィーリアは自信を持って言った。
「お前は間違いなく才能のある魔法使いになれる。だからもう『自分には才能がないんだ』なんて悲しいことは言うなよ」
その途端、アレスの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
ユフィーリアは「うええッ!?」と変な声を出してしまう。
確かに2発も思い切りぶん殴ったし、王族相手に乱暴な言葉遣いで説教じみたこともしてしまった。相手を泣かせるには十分すぎる要件が揃っている。
しどろもどろになって謝罪の言葉を探すユフィーリアだが、
「――ありがとうございます」
アレスはボロボロと涙を零しながら、ユフィーリアにお礼の言葉を述べたのだ。
「才能がないものだとばかり思っていました。父上からも『無駄なことは止めろ』と何度も言われて、誰に何を聞いても『知らない』『分からない』と言われて……」
アレスは「でも」と涙と鼻血を拭って立ち上がると、
「貴女の言葉で、私のやり方が間違っていることがようやく理解できました。ありがとうございます」
「おう、感謝して崇め奉れ。アタシは世界で1番慈悲深い魔女だからな」
感謝されていい気分になってしまったユフィーリアは、思わず身内のノリでそんな答えを返す。
普段は馬鹿な行動しかしないが、魔法に対することならユフィーリアも真摯的に対応するのだ。正しく学ぼうと志す魔女や魔法使いであれば応援するし、魔法を軽んじる馬鹿野郎がいれば殴って説教もしちゃう所存だ。
アレスはユフィーリアの冗談に「はい」と頷き、
「私はぜひ、貴女のような慈悲深い魔女様に妻として支えていただき、またレティシア王国の発展に貢献していただきたいです」
「実にいい考えだな。ウチの学校には優秀な魔女がゴロゴロ転がっているから、きっとレティシア王国に貢献してくれるさ」
「つきましてはまず貴女の名前が知りたいのですが」
「――――ん?」
何か、流れが変わった気がする。
「アタシ?」
「はい」
「何で?」
「貴女を妻として娶り、共にレティシア王国の繁栄に協力していただきたいからです」
アレスはユフィーリアに詰め寄り、澄んだ眼差しで言う。
「慈悲深い魔女様、私は貴女の言葉で目が覚めました。自分が如何に愚かで、如何に間違った魔法の学び方をしていたか思い知らされました」
「そうか、じゃあその役目はぜひ他の女の子に譲ってやれ。アタシはほら、すぐに手が出るから」
「構いません。貴女の拳は素晴らしいです」
「嘘だろ、アタシの拳で王子様のドM属性が開花!?」
頭を抱えたくなる事実である。こんな展開ってあり得るのか。
殴って険悪な関係になるならまだ理解できる。殴って求婚されるなど、ユフィーリアからすれば「変態に求婚された」と言ってもいいだろう。何も良くない状況だ。
ユフィーリアは「いやいやいや!!」と拒否し、
「お前にはもっと相応しい魔女がいる!! 探せ!! ソイツなら絶対にお前のことを幸せにしてくれるはずだ!!」
「私を幸せに出来るのは貴女しかいない!!」
「アタシの拳はお前の頭の螺子まで吹っ飛ばしたか!?」
もう埒が開かない。話を聞かない奴の前からは逃げるのみである。
ユフィーリアはくるりと身を翻し、夜空のようなスカートの裾を揺らしてその場から逃げ出した。抜群の身体能力に全ての力を注ぎ込み、物凄い勢いで逃亡した。
転移魔法で逃げればよかったのだが、あまりの慌てぶりで魔法を使うという考えに至らなかった。それがまさにユフィーリアの敗因である。
当然、こうなることは予想できたはずだ。
「お待ちください、魔女様!!」
「ついてくるんじゃねえ、どポンコツ王子様!!」
逃げるユフィーリアを追いかけるアレスという構図が完成し、ユフィーリアは地獄の鬼ごっこが開催されたことに「ちくしょう!!」と叫んでいた。
《登場人物》
【ユフィーリア】魔法の勉強を間違えていた第二王子様に魔法の勉強方法を拳で叩き込んだら、何故か求婚された。ありのまま起こったことを話すとそんな感じ。人生を何周しても殴って求婚される状況が分からない。
【アレス】レティシア王国第二王子。今まで魔法の才能がなかったのは基礎を学んでいなかったことが原因。その事実を提示してくれたユフィーリアに惚れて求婚するも、逃げられる。