第8話【問題用務員と舞踏会珍騒動】
「舞踏会は楽しんでいるかな、お嬢さん」
「よければぜひお話を」
「いや、私と一緒に魔法の未来について議論を」
「先程のような魔法の腕前をぜひ」
毛ほども興味の湧かない話が次々と飛び出してくる中、ユフィーリアは全てを無視してシャンパンの硝子杯を傾けていた。
見渡す限り、鼻の下を伸ばした野郎どもばかりである。酒盃を片手にユフィーリアへ話題を投げかけているが、どれもこれも全く興味が湧かない。むしろせっかくの高級な酒が不味くなるような話題だ。
得意とする氷の魔法で片っ端からケツに氷柱でもぶっ刺してやろうかと画策するが、そんな高度な技術を見せつければますます興奮させるだけである。普段の問題行動が、魔法の研究に熱心な魔法使いたちを興奮させる為の材料にしかならないことにうんざりしていた。
あっという間にシャンパンの硝子杯を空っぽにしたユフィーリアは、
「ショウ坊、ケーキは美味いか?」
「ああ、とても美味しいぞ」
今日だけはタキシードで格好よくお洒落をした最愛の嫁――ショウはとても嬉しそうな笑顔でユフィーリアの質問に応じた。
彼の手には取り皿が握られ、その取り皿の上には大量のケーキや焼き菓子が積み重ねられていた。舞踏会で提供される食事の中には豊富な種類のお菓子が並び、甘いものが好きなショウにとっては天国と呼んでもいいぐらいだろう。ユフィーリアにとっては胸焼けするような光景でしかならない。
真っ赤な苺が乗ったケーキを口に運び、ショウは心底幸せそうに頬を緩ませる。今までクソほど興味のない話題ばかりを投げかけられてささくれ立った精神状態が浄化されるような気分になる。
「よかったな、ショウ坊。腹一杯に食えよ」
「ユフィーリアもどうだ?」
「え?」
ふすり、とショウが持つ肉叉の先端が、取り皿の上に置かれた苺のケーキに突き刺さる。一口大のケーキをそっと差し出され、
「あーん」
「あがッ」
問答無用で口の中に押し込まれた。
口いっぱいに甘い味が広がっていくが、生クリームの甘さと苺の酸味が絶妙な加減でしつこくない。台座となるスポンジの合間には苺のジャムが挟まっており、生クリームの強烈な甘さを掻き消してくれていた。
甘いものが苦手なユフィーリアだが、この苺のケーキはなかなか美味しい。最愛の嫁であるショウが手ずから食べさせてくれたおかげで美味と感じたのかもしれない。
ショウは花が咲くような笑みを見せると、
「俺のお勧めだ」
「ん、美味いなこれ」
「そうだろう? ふふッ、ユフィーリアにも美味しさを共有できてよかった」
そう言ったショウが嬉しそうにはにかむものだから、ユフィーリアの心臓から『ギョルギョン』みたいな変な音がしたような気がした。多分、捻じ切れたのだろう。
完全に置いてけぼりとなった研究熱心な魔法使いどもは、砂糖を吐くような甘いやり取りを繰り広げるユフィーリアとショウの間に割って入ることすら叶わなかった。今宵の舞踏会で誰よりも美しい魔女として君臨するユフィーリアが笑顔を向けるのは、最愛の嫁であるショウを含めた問題児の面々だけである。残念ながら会話に応じることすらない。
中には果敢にユフィーリアへ話しかけようと隙を窺う若手の魔法使いもいたが、世界で誰より旦那様を愛する執着心バリ高なヤンデレ少年が許す訳がなかった。アズマ・ショウという人となりを知っている人物がいれば「自殺行為だ」と嘲笑うことだろう。
ユフィーリアの肩に触れようとした若手魔法使いの手に、ごうごうと燃え盛る炎の腕が重ねられた。
「……俺の旦那様に何かご用ですか?」
清々しいほどの笑顔を浮かべたショウが、ユフィーリアの背後に立つ若手魔法使いに問いかける。
「いや、あの、僕の担当している実験について意見交換を」
「奇遇ですね、俺も実験をしているんですよ。よければ参考までに感想をお聞かせ願えますか?」
ショウがコツコツと大理石の床を革靴の爪先で叩けば、ワッサァと炎の腕が大量に生えてくる。舞踏会に相応しくないブツであるのはお察しである。
怯えたような目で自分を取り囲んでくる炎の腕を見回す若手魔法使いに、ショウはとっても綺麗で惚れ惚れするような笑顔のまま告げる。
彼の奇行を目の当たりにしたらしいヴァラール魔法学院の関係者が、一斉に合掌していた。「馴れ馴れしく問題児筆頭に話しかければ、どうなるかなんて分かっていただろう」と言わんばかりの行動である。
「この腕、炎腕って言うんです。人間は炎腕で掴めば、何秒で焼けるかなって実験なんですよ」
「え、ちょ、やめ」
「まずは全裸から」
取り囲まれた炎の腕が若手魔法使いに襲い掛かり、綺麗に着飾った彼からタキシードをひん剥く。上着や洋袴、装飾品なども剥ぎ取っていき、最終的に下着1枚という変態的格好をユフィーリアの眼前に晒すこととなった。
下着1枚という悲惨な末路を辿ることになった若手魔法使いは膝から崩れ落ち、他の招待客はショウの犠牲になりたくないということでユフィーリアから即座に離れてしまった。正しい判断である。
最愛の嫁による暴虐行為はすでに慣れたのか、ユフィーリアは給仕の男に本日4杯目のシャンパンを注文していた。嫁の暴力を見ながら飲む酒が美味すぎる。
「ユフィーリア」
「ん?」
不意に名前を呼ばれて、ユフィーリアは声の方向へ振り返る。
そこに立っていたのは、飛び抜けて綺麗な着物美人である。紫色の蜻蛉玉が特徴的な簪で烏の濡れ羽色の髪をまとめ、朝靄の如き紫色の双眸には僅かな苛立ちの感情が滲んでいる。中性的な顔立ちは男性にも見えるが、薄く施された化粧のおかげで見た目だけなら女性的である。
藤色の着物と白い帯、漆塗りの下駄で大理石の床を踏む。まさに東洋の神秘と表現してもいいほど美人だ。身長が高い分、身体の凹凸はなだらかなものだが、身長との兼ね合いを考えれば妥当だろう。細身でも十分に映える着物姿だ。
4杯目のシャンパンを傾けるユフィーリアは、
「どちら様?」
「学院長様ですけどぉ!?」
藤色の綺麗な着物を身につけた黒髪紫眼の青年――ヴァラール魔法学院の学院長であるグローリア・イーストエンドは、ユフィーリアに掴みかかって叫ぶ。
「どうして君って魔女はいつもいつも余計なことしかしないのかな!?」
「え、アタシは知らねえんだけど」
「君の部下に無理やり着替えさせられたんだから、上司である君に責任が生じるのは当然のことだと思うよ!?」
金切り声で叫んでくるので、ユフィーリアは耳を塞いで「あーあー聞こえない」と主張した。無駄だと分かっていてもやらなければならないと思ったのだ。
「ボクもグローリアに同意ッスよ」
「げ、副学院長!?」
着物美人と化した学院長の背後から、修道女の格好をした背筋が異様に悪い美女が顔を覗かせた。紺色を基調とした修道服で、控えめな胸元では作り物らしい十字架の装飾品が揺れている。頭巾の隙間から零れ落ちる赤い髪は癖があり、なおかつ鮮血を想起させる毒々しい色合いをしていた。
身長はいつもより小柄になっているし、小ぶりながら胸もちゃんとあるので、おそらく性転換薬を使用したのだろう。副学院長を相手に性転換薬を使用するとは、なかなか度胸のある部下に成長したものだ。
ユフィーリアは「許して!!」と叫び、
「エロ同人でよく見かけるエロトラップダンジョンに放り込まないでください、お願いします!! 感度が3000倍になる媚薬の沼に落ちるのはもう嫌だ!!」
「ふぁッ!?」
副学院長のスカイは「何言ってんだ、アンタ!!」と悲鳴を上げる。
グローリアだけを敵に回すのであれば命の保証はあるものの、副学院長まで敵に回してしまうと命の保証はない。本当にエロトラップダンジョンに放り込まれて、性癖を丸ごと改造させられかねないのだ。
そんな訳で、まずは先手を打ってみた次第である。変態的な内容を絢爛豪華な舞踏会の場所で明かすのは憚られるが、ユフィーリアが得る恥は一瞬の出来事だ。それよりも副学院長に耐え難い恥を植え付けてやるのだ。
案の定と言うべきか、招待客の視線にやたら冷たいものが混ざり始めた。何やらヒソヒソと声を潜めて会話もしている。いい傾向である。
「触手型に品種改良された魔法植物に【自主規制】されて【検閲削除】されて【放送禁止用語】で【強制消去】で【表示できません】はもう嫌だぁ!!」
「ちょおおおい!? ボクに容赦なく冷たい視線が突き刺さるんスけど、どうしてくれるんスか!?」
「【自主規制】されて【検閲削除】されて【放送禁止用語】されて【強制消去】までされるのは嫌なんです、ごめんなさい許してください!!」
「アンタでは実験してねえでしょうがよぉ!!」
「えッ」
今まで恥ずかしい内容の台詞を連呼していたが、スカイが口走ってしまった特大級の地雷に頭の中が真っ白になる。
「実験、え? もしかして、もうご用意が……?」
「え? ええまあ、進行中ではあるッスけど」
キョトンとした表情で「それが何か?」と言わんばかりの態度を取るスカイ。
これに命の危機を感じたのはユフィーリアたち問題児である。ユフィーリアは自分の身体を抱えてスカイから後退りし、ショウは炎腕をわっさわっさと携えてスカイの動きを警戒する。近くで料理を堪能していたエドワードとハルアも動きを止め、アイゼルネは同行していたリタの耳を塞ぐ始末だ。
まさか本気で問題行動の罰則用にエロトラップダンジョンを構築するとは、一体誰が想像するだろうか。性癖改造計画は進行中、問題児の人権がなくなるまで秒読みだ。
ガタガタと震え出すユフィーリアは、
「許してください……」
「いや、アンタらに使うつもりは毛頭ないんスよ」
「じゃあ何でエロトラップダンジョンを実現させたんだ……アタシらの罰則用じゃねえのか……?」
「どっかの運送会社の社長さんからご依頼を受けたんスよ。大金を積まれたんで、こりゃ気合を入れて作らなきゃダメだなって」
さすが魔法工学の界隈に於いて頂点に座する魔法使いである、とても清々しいほどの笑顔で「ボクの持てる技術の髄を詰め込んだんで、最高の出来になってるッスよ」などと言う。
何度も言うが、この場はヴァラール魔法学院の教室でもなければ食堂でもレストランでもない。レティシア王国の舞踏会である。そんなエロトラップダンジョンとかいう単語は非常に似つかわしくないのだ。
誰もが凍りつく中、苛立ちが混ざった声がやたら大きく響き渡る。
「酷い目に遭った。全く、今夜の舞踏会は実につまらん」
人混みを掻き分けてきたのは、小太りのオッサンである。タキシードに詰め込んだはち切れんばかりの腹を揺らし、深々とため息を吐いている。
「あ、エメトセルクさん。どうもどうも」
「……? 修道女が舞踏会に訪れるとは、何とも珍しいものだな」
「アンタからご依頼されましたエロトラップダンジョン、もう間もなく完成するんスよ。代金の方なんスけど、ご要望にお応えしていたら資金がなくなっちまいましてね。追加でいくらかいただきたいんで、請求書はお宅の会社宛でよろしかったッスか?」
「ちょおおおおおおい!?!!」
小太りのオッサンが、ベラベラと必要のないことを大きな声で喋る副学院長に「何を言ってるんだ!?」と叫んだ。
副学院長からすれば、依頼されて作っただけであることを主張するのに必死なのだ。冷ややかな視線は性転換薬を被った副学院長から、小太りのオッサンに向けられている。むしろ副学院長には、同情の視線が集まっていた。
ユフィーリアたち問題児は、静かに舞踏会の会場から逃げ出すのだった。これ以上、注目の的にされるのは勘弁である。
《登場人物》
【ユフィーリア】今宵のシンデレラ。嫁の暴力を眺めながら飲むシャンパンが美味すぎる。
【ショウ】世界で1番旦那様を愛しているヤンデレお嫁さん。旦那様に近寄る輩は男女を問わず暴力でぶちのめすが、一部知り合いを除く。
【グローリア】問題児に無理やり女装をさせられた学院長。問題児に詰め寄る前に3人からセクハラされてあらゆる角に小指をぶつける呪いをかけておいた。
【スカイ】問題児に性転換薬をぶっかけられたらしい副学院長。エロトラップダンジョンは鋭意開発中。
【エメトセルク】浮遊魔法を使って運送業をする社長。アイゼルネにセクハラしたらマッチョのチャイナドレス野郎に医務室送りにされたと思ったら、秘密裏に依頼していたエロトラップダンジョンをバラされた。踏んだり蹴ったり。