第7話【問題用務員と舞踏会】
「はあ、やっと終わった……」
ようやくユフィーリアの支度が終わった時刻は、夜の10時を過ぎた頃合いだった。
職人たちは「ドレスの構造が複雑で作成に時間がかかる」と言っていたが、それほど複雑な構造にはなっていない気がする。意図してドレスの作成を後回しにされたのだろうか、と悪い方向に勘ぐってしまう。
とはいえ、今までドレスの詳細情報が明かされなかったので仕方がない。文句を言っている暇があるなら、先に行かせてしまったアイゼルネを追いかけなければならないのだ。
姿見を覗き込むユフィーリアは、
「にしても、綺麗なドレスだな。さすがショウ坊の指定しただけあるわ」
鏡に映り込むユフィーリアの格好は、普段の見慣れた黒装束から打って変わって煌びやかな舞踏会仕様となっていた。
自慢の銀髪は丁寧にコテで巻かれて肩から流し、真珠をあしらった鎖型の髪飾りが銀髪全体に巻き付いている。ドレスの色は首元から胸元にかけて薄い青色の生地を使い、スカートの裾へ向かうにつれて青色の濃度が増していく。ドレスのスカートを構成する深い青色から黒に近い濃紺の生地には銀糸が織り交ぜられたラメ模様となっていた。
ドレスの形にも注目すべきだろう。ひらひらとしたスカートは前後で長さが違い、さながら魚の尾鰭を想起させる形となっている。優雅な印象のあるスカートだが、上半身は首から腹までを覆い隠しているものの、背中が大胆に開いているので見る相手の劣情を誘う。今回は銀髪で隠すことも出来ないので、白い肩甲骨が露わの状態となっていた。
今夜は胴着を装備しているので胸元の心配はいらないが、それでも胴着そのものの形が背中を大きく開くような仕様となっているので、やはり背中の露出は免れない。
「ドレス自体はそれほど複雑ではないんですよ」
「じゃあ何が原因だってんだ」
「こちらです」
仕立て屋の女性が差し出したのは、硝子の靴だった。
見た目は硝子製で作られた心許ない靴だが、触れれば魔法で強度をかなり上昇させているのが分かる。硝子製だと簡単に壊れてしまうので、割れないように魔法で強度を上げているのだ。
硝子製の靴を受け取ったユフィーリアは、
「なるほどな、確かにこれは簡単に出来ねえわ」
「職人たちが総出で強度を上昇させる魔法と、上昇させた強度を維持する魔法をかけております」
仕立て屋の女性はやり遂げたと言わんばかりの態度で、
「さあ、お履きください。舞踏会に間に合いませんよ」
「そうだった」
ユフィーリアは硝子製の靴を履いてみる。大きさもピッタリであり、硝子製ではあるものの薄青を帯びているので綺麗だ。指先まで透けてしまうのはどうしようもないが。
「助かった、ありがとうよ」
「お気をつけて」
更衣室から飛び出したユフィーリアは、見送ってくれた仕立て屋の女性の独り言に気づくことはなかった。
「――アレス殿下のご結婚相手、その最有力候補ですもの。しっかり飾り立てなければなりませんわ」
☆
転移魔法でレティシア王国へ飛べば、荘厳な音楽が夜空に響き渡っていた。ちょうど舞踏会も最高潮の盛り上がりを見せている様子である。
前後でスカートの長さが違う影響で足元が見やすく、非常に歩きやすい。なおかつドレスはまるで夜空を模しているかのように綺麗で、このドレスを依頼してくれた最愛の嫁であるショウには感謝しなければならない。舞踏会に出されたケーキを土産で包んで持って帰ろう。
白亜の王城前で待機していた門番に招待状を差し出し、
「まだ入場は出来るか?」
「…………」
槍を持った門番2名は、何故かユフィーリアに注目したまま微動だにしない。ほんのり頬まで染めているので、酔っ払っているのだろうか。
「おい、酔っ払ってんじゃねえよ。こっちが質問してるじゃねえか」
「――はッ、大変失礼致しました」
門番は我に返ると、ユフィーリアの差し出す招待状を確認してから「お通りください」と告げる。
他の招待客と入場できれば確認する作業も省けるのだが、ユフィーリアは遅刻組なので招待状の確認は必須である。面倒なことこの上ない。
ユフィーリアは「ありがとうよ」と告げて、王城の敷地に足を踏み入れた。
「アイゼは大丈夫だろうな……」
同行したリタの様子も心配である。リタはまだ1学年だし、アイゼルネは魔力量の少なさから強い魔法を乱発することが出来ない。
手品じみた幻惑魔法で他人の目を誤魔化せるだろうが、舞踏会に参加する魔女や魔法使いはこぞって高名な連中ばかりなので、厄介なことに巻き込まれていないか心配だ。「ルージュやリリアンティアと一緒にいろ」と命じたのはいいが、ちゃんと守ってくれているだろうか。
足早に階段を駆け上がると、ユフィーリアは舞踏会の会場に到着した。
「…………?」
ユフィーリアが舞踏会の会場に姿を見せた途端、招待客からの視線が集中する。それまでレティシア王国全体に轟けと言わんばかりの音量で奏でられていた音楽も止んだ。
全員してユフィーリアに視線を向けている。遅刻してきた身なので居た堪れなくなり、早急にアイゼルネと合流する為に周囲を見渡した。
その時である。
「ようこそ、レティシア王国へ」
そんな歓迎の言葉が投げかけられる。
ユフィーリアが目を向けた先には、綺麗な金色の髪をした青年が立っていた。年齢は20代前半ぐらいだろうか。装飾品がこれでもかと縫い付けられた豪華な衣装に身を包み、整髪剤を使って綺麗な金髪も後頭部に撫で付けている。
柔らかな笑顔を浮かべた顔立ちは端正で、立っているだけで1枚の絵画になりそうだ。これだけの美貌であれば女性が放っておかなさそうだが、今やってきたばかりなのか誰も彼に話しかける人物はいない。僅かに息も上がっている様子なので、慌てて走ってきたのだろうか。
青年は胸元に手を当てて優雅にお辞儀をし、
「私はアレス・アーノルド・レティシアです」
ユフィーリアはその名前を聞いて「ああ」と納得した。
アレス・アーノルド・レティシアといえば、レティシア王国の第二王子である。魔法の知識が豊富で、将来的には立派な魔法使いとして王国を引っ張っていってくれるだろうと国民からの期待値も高い。
王座を獲得するには兄の存在があるが、それでも十分に立派な王子様と聞く。放蕩するような王子は王座を得ても碌な結果を招かない。
舞踏会に参加するのは久々だが、わざわざ王子様が遅刻者のユフィーリアを出迎えてくれるとは光栄である。ここは礼儀正しく応じるべきだろう。
「第二王子に謁見できる栄誉、恐悦至極にございます」
ユフィーリアは前後で長さの違うスカートを摘むと、優雅にお辞儀をしてみせた。
「私は一介の魔女に過ぎませんので、貴殿に名乗る名前を持ち合わせておりません。ご容赦を」
「それではダンスなどいかがですか?」
第二王子のアレスが手を差し出してくるが、
「お断りします」
ユフィーリアは優雅にお辞儀をしたまま、その誘いを断った。
固まる王子をよそにさっさと居住まいを正したユフィーリアは、会場の片隅でシャンパンの硝子杯を傾けている緑髪の美女を見つける。彼女の周囲に余計な虫の影は見当たらず、ちょっと安堵する。
王子には目もくれず「失礼します」と告げてから、人混みを掻き分けて舞踏会の隅に移動する。それから待たせてしまったお詫びの言葉を告げようとしたのだが、
「アイ――ズェ!?」
「おねーさん、アイズェなんていう名前じゃないのよネ♪」
のほほんと応じる緑髪の仮面美女――アイゼルネは、
「遅いじゃないのヨ♪」
「いやそうじゃねえだろ、何だ後ろのゲテモノ!?」
ユフィーリアが示したのは、アイゼルネの背後に立つチャイナドレス姿の巨漢だった。真っ白いチャイナドレス姿を披露しているが、生地がパツパツで今にも布地が破けそうである。頭頂部にはお団子状の付け髪まで装備し、完璧に東洋美人を演じているのだろうが、顔面が凶器でしかない。
立派な胸筋の下で太い両腕を組み、銀灰色の双眸でユフィーリアを見つめる強面巨漢は「遅いよぉ、ユーリ」などと言う。本当はこの場にいないはずの存在だ。
チャイナドレス姿の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは、
「何をモタモタしてんのよぉ。アイゼったらデブのおじちゃんに絡まれてたんだからねぇ?」
「誰だソイツ、氷漬けにしてやるよ」
「もう絞めたから医務室じゃないのぉ?」
遅かったか、とユフィーリアは後悔する。悪い虫がついていないと安心していたが、どうやら事後だったようだ。
「それよりエド、お前1人か?」
「そんな訳ないじゃんねぇ」
シャンパンの硝子杯を揺らすエドワードは、料理が並ぶ台座を指で示した。
大皿に盛られた料理を手持ちの小皿に取り分け、幸せそうな表情で頬張るゴスロリ姿のハルアといつものメイド服姿のショウがいた。舞踏会の料理を心ゆくまで堪能している様子である。彼らも来ていたとは驚きだ。
ユフィーリアの到着に気づいたハルアとショウは、
「ユーリ、料理美味しいよ!!」
「とても綺麗だ、ユフィーリア。ドレスがよく似合う」
「お前ら、舞踏会は女装して参加する仮装大会じゃねえからな?」
普段から女装をしているショウならともかく、エドワードやハルアの女装など見るに耐えない。華やかな舞踏会が愉快な仮装大会に様変わりしてしまう。下手をすれば首が飛びかねない――もちろん物理的に、だ。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
すると、チャイナドレス姿のエドワードとゴスロリ姿のハルアが一瞬にしてタキシード姿に変化した。夜会の場に相応しい上着に蝶ネクタイ、エドワードは飾り帯を装備し、ハルアはサスペンダーを使って洋袴を吊る形式を選んだ。
最後にショウだが、
「ショウ坊も今日は男の子の格好な」
「わッ」
ショウにも向けて雪の結晶が刻まれた煙管を一振りすれば、エドワードやハルアと同じくタキシード姿に変貌を遂げる。整髪剤がないので前髪はどうにもならないが、とりあえずツインテールにタキシードという組み合わせは似つかわしくないので無難な1つ結びに変更だ。
魔法を使ってショウの髪型を整えてやれば、彼は普段と違った格好に瞳を輝かせていた。手を覆う真っ白い手袋を眺め、足元を飾る磨き抜かれた革靴に視線を落とし、感覚を確かめるようにタキシードの上着や内側に着ているサスペンダーに触れたりと忙しない。
一通り確認し終えたのか、赤い瞳をキラッキラと輝かせてショウは振り返る。
「凄い、ユフィーリア。おとぎ話に出てくる魔法使いみたいだ」
「みたいじゃねえんだよな、本当に魔女なんだよ」
興奮気味なショウの頬を撫で、ユフィーリアは苦笑した。
一瞬で終わったゲテモノ2名と可憐なメイド1名の早着替えに、他の参加者は舌を巻く。
何せ、一般の魔女や魔法使いでは到底出来ない芸当なのだ。現物がなければ発動できない魔法なのでヴァラール魔法学院にある衣類だろうが、着替えの魔法を使うには座標の計算だとかその他諸々を整えなければならない。整えなかったら中途半端に着替えて終わるだけだ。
その魔法を、煙管を振っただけで発動できるものだから驚かれるのは当然だ。
「あの魔法の技術は一体……」
「可能なのか、あんな芸当が?」
「ヴァラール魔法学院にあんな逸材がいたのか」
「誰だ、あの魔女は?」
給仕からシャンパンの硝子杯を受け取るユフィーリアは、招待客たちから羨望の眼差しを受けていることに気づかない。
《登場人物》
【ユフィーリア】遅れてきたシンデレラ。知らないうちに第二王子のアレス殿下のお嫁さん最有力候補になっているのだが事実を知らずにお酒を楽しむ。
【アイゼルネ】先に待っていた仮面美女。チャイナドレスのゲテモノ野郎に護衛されていたから、面倒なナンパにリタともども引っ掛からなかった。
【リタ】先に待っていた無垢な魔女っ娘。チャイナドレスのゲテモノ野郎に守られていたので面倒なナンパに引っかからず、ゴスロリ野郎とメイド少年と仲良くお料理を堪能していた。
【エドワード】チャイナドレスのゲテモノ野郎。冷ややかな視線を無視してお料理を堪能中。
【ハルア】ゴスロリ姿のゲテモノ野郎。冷ややかな視線を寄越してくる相手には悩殺投げキッスをお見舞いだ!
【ショウ】みんなのアイドル、女装メイド少年ちゃん。熱視線を注いでくる相手には絶対零度の眼差しをお見舞いして、実際に3人ほど医務室送りにした。
【アレス】レティシア王国の第二王子。遅れてきたシンデレラにダンスを申し込むも断られて放心状態。他の女性参加者にダンスを申し込まれるより先に図書館へ逃げ帰った。