第6話【王子様とシンデレラ】
舞踏会の参加者に挨拶を済ませたレティシア王が向かった先は、王宮の片隅にある図書館だった。
今日の招待客であるヴァラール魔法学院には、世界最大級の規模を誇る魔導書図書館がある。古今東西の魔導書が揃う図書館には劣るが、レティシア王宮の図書館にも多くの魔導書が置かれている。
用事があるのは、その図書館だ。目的の人物は今頃、せっかく開いた舞踏会をそっちのけで魔導書に夢中となっているだろう。
足早に図書館へ向かうレティシア王に、大臣が「陛下」と呼び止める。
「あまりアレス殿下をお叱りにならないでください。魔法の知識だけで言えば国で1番を誇ります」
「しかし、魔法の才能が伴わなければ意味などない」
それまで舞踏会の招待客を歓迎していた口振りとは打って変わり、厳格な口調でレティシア王は大臣に返す。
「どれほど勉強しようと、アレスの実力は駆け出しの魔法使いにすら及ばない。ヴァラール魔法学院の1学年にも劣るようでは魔法使いの風上にも置けんよ」
「ですが」
「だからその為の舞踏会だろう」
レティシア王は大臣を睨みつけると、
「そろそろ現実を見てもらわなければ困る。アレスはレティシア王国の第二王子だ、いずれこの国を担うやもしれん。魔法だけではなく、社交界にも触れなければ嫁を娶ることすら叶わん」
レティシア王国の第二王子は、1日のほとんどを王宮の図書館で過ごしている。図書館に収納されている全ての魔導書を読破し、魔法の知識はレティシア王国で随一と呼び声が高い。魔法が中心となった世の中に於いて、魔法の知識は必須となる場面が多い。
多いのだが、第二王子は魔法の使い方が下手くそである。元々の魔力量が少ないのか、簡単な魔法の儀式すら満足に執り行えないのだ。魔法の知識がどれほどあろうと、魔法の技術が伴わなければ勉強している意味がない。
世の中は結果が全てだ。蓄えた知識を披露したところで、それが使えなければ持っているだけ無駄である。
「アレス、いるのだろう」
図書館の扉を開き、レティシア王は薄暗い部屋に呼びかける。
時間帯が夜ということもあり、図書館の窓からは青白い月明かりが差し込んでいる。背の高い本棚が数え切れないほど屹立し、隙間なく詰め込まれた書籍は全て魔導書だ。見渡すと何冊か抜き取られている箇所があるので、目的の人物がこの図書館に引きこもっているのは間違いない。
薄暗い図書館の内部に視線を巡らせてから、レティシア王は面倒臭そうに舌打ちをする。それから右手をゆっくりと虚空に翳せば、小さな光の球がいくつも浮かび上がった。
光球によって薄暗い図書館を照らし、レティシア王は大臣を伴って図書館の奥に進んでいく。
「アレス」
図書館の最奥で発見した人物に、レティシア王は低い声で名前を呼んだ。
大理石の床に積み上げられた魔導書の山。それらに囲まれるようにして、金髪の青年が膝を抱えて魔導書を読み耽っていた。
艶やかな金色の髪を1つに束ね、足元に置かれた角燈に照らされて薄青の瞳が魔導書の頁の上を滑る。端正な顔立ちは横から見るだけでも絵になり、普段から薄暗い図書館に引きこもっている影響で肌の色は白い。仕立てのいい襯衣と洋袴の下から窺える体格も、男性にしては華奢な部類に入るだろう。
レティシア王の存在に気づかず魔導書の頁を捲る青年は、ようやく本から顔を上げた。
「…………父上、何か用ですか?」
「今宵の舞踏会こそ、お前にも参加してもらうぞ」
「お断りさせていただきます」
青年はレティシア王の言葉に拒否を示すと、再び読書へ戻った。
「お前に拒否権はない。舞踏会に参加しなければ、この図書館に出入り禁止を言い渡すぞ」
「そんな権限がどこにお有りですか」
「権限などない。だが、私はお前と違って魔法が使えるのでな。魔法で固く施錠してしまえばいいだろう」
青年の頁を捲る指先が止まった。
彼にとって触れられたくない箇所ではある、と痛いほど理解している。どれほど魔法の知識を身につけたところで使えなければ無用の長物であり、それなら捨ててしまった方がどれほど楽だろうか。
唇を引き結んだ青年は、
「分かりました」
「早く支度をしろ。舞踏会が終わってしまうだろう」
レティシア王はそれだけ言い残して、大臣を伴って図書館から立ち去った。
☆
アレス・アーノルド・レティシアは舞踏会が嫌いだ。
舞踏会の招待客はアレスの身分しか見ておらず、魔法の知識などないに等しい馬鹿な連中ばかりである。誰も彼も化粧臭くて、香水臭くて、整髪剤の悪臭がして、仮面のような笑顔を貼り付けた気味の悪い奴らだらけなのだ。
どれほど優秀な魔女であっても所詮は女――第二王子であるアレスの身分がほしいだけに過ぎないのだ。アレスよりも魔法の知識を有していても、アレスがレティシア王国の第二王子だと分かればコロッと態度を変えてくる。それまで朗々と魔法の知識を語っていたのに、急に馬鹿を演じ始めてしまうのだ。
今夜の舞踏会も、そんな招待客ばかりに違いない。
「お待たせしました、父上」
「……ちゃんと見られる格好に着替えてきたようだな」
レティシア王の冷たい視線が、アレスの頭から爪先までを移動する。
舞踏会の出席を強要されたので、仕方なしに王子を演じることにしたのだ。『魔法の知識があって、人当たりの良い第二王子様』を演じるのがレティシア王の望みだろう。
嫌いな整髪剤で金髪を撫で付け、重たい装飾品が目一杯あしらわれた正装で身を固める。息が詰まるような衣装だ、今すぐ脱ぎたい衝動に駆られる。
鼻を鳴らしたレティシア王は、2階席の手摺を撫でて「見なさい」と告げた。
「今宵の招待客はヴァラール魔法学院の若き魔女たちだ」
「ああ……」
「この中ならば、お前に相応しい嫁が見つかるのではないか?」
「…………」
アレスは押し黙る。
連日、レティシア王国は舞踏会を開いていた。周辺各国から貴賓を問わず女性のみを招待している理由は、第二王子であるアレスの嫁探しである。
中には王女も舞踏会に招待されたが、アレスの気を引くことは出来なかった。魔法の教養も十分だったのだが、やはりどうしても結婚をしようという気持ちがアレスにはなかったのだ。
そして今夜、ついにヴァラール魔法学院のうら若き魔女たちがアレスの嫁候補として、知らず知らずのうちに舞踏会を楽しんでいる。真実を知った時、彼女たちはどんな反応をするのだろうか。
「お前は、魔法の教養があれば納得するのだろう? それならば、ヴァラール魔法学院の魔女たちは最適ではないか。彼女たちは魔法の知識も技術も1級品、お前に勝るとも劣らない金の卵たちだ」
「王族の伴侶として縛り付けるのは納得いきません」
レティシア王の心ない言葉に、アレスは毅然とした態度で応じた。
王族に嫁ぐということは、魔法の知識や技術が秀でているだけではダメなのだ。王宮は醜い人間たちによる王座の取り合いが密かに行われているので、アレスに嫁ぐということは将来的な女王の座に収まることを前提に考えなければいけない。
気品よりも、必要なのは醜悪な人間に負けない強い精神力だ。うら若き魔女たちでは、女王の座を巡って争う醜い女同士の戦いに耐えられない。
レティシア王は深々とため息を吐くと、
「お前は我儘すぎる。これ以上どうしろと?」
「父上はしつこすぎます。いい加減に諦めたらどうです? 俺に結婚は向いていません」
「他国の王女との見合いも蹴ったではないか。ならばもう、こうして舞踏会を開いて選ぶしかあるまい」
レティシア王は「それに、ほら」と会場の一角を示す。
「ヴァラール魔法学院には、あの七魔法王も在籍している。女性は第三席【世界法律】と第六席【世界治癒】だけだ。若い魔女がダメなら、高名な魔女ならどうだ?」
「父上、世界中を敵に回したいのですか?」
アレスは愚かな父親を睨みつける。
七魔法王とは、世界中で神々よりも崇拝されている魔法の天才たちだ。アレスなど足元にも及ばない、誰からも尊敬されて止まない人物である。
確かに七魔法王では女王の座に相応しいだろう。ただ、彼女たちのどちらかを妻として娶れば他国からの反感は免れられない。七魔法王は全ての魔女・魔法使いの指標となるべき存在だから、どこかの国が独り占めをするような真似は避けるべきだ。
葡萄酒を楽しむ第三席【世界法律】の魔女と、何故か男性の参加者から拝まれている第六席【世界治癒】の魔女を完全に嫁候補から外す。彼女たちを妻として娶ることなど、恐れ多くて出来ない。
「ならば誰ならいいんだ」
「諦めてください、と申したはずですが」
「お前も23歳だ、そろそろ結婚するべきではないのか? 世継ぎのこともある」
「兄上がいるではないですか」
「王族の血を引き継ぐ存在は多ければ多いほどいい」
レティシア王の吐き気のするような台詞が嫌になって、アレスは視線を会場に投げかけた。
「――――」
その姿を認識した瞬間、アレスは呼吸の仕方を忘れてしまった。
舞踏会という煌びやかな場所につられてやってきた有象無象の中に佇む、まさに百合の如き可憐な姿。彼女が靴を鳴らせば人の波がサッと割れ、自然と舞踏会の会場へ誘う。
王宮に飾られたどんな絵画よりも、どんな彫刻よりも、今しがたやってきた女性は飛び抜けて美しかった。運命がアレスと彼女を引き合わせたのではないか、と思うぐらいに目が離せない。
丁寧に巻かれた純銀の髪を肩から流し、髪飾りとして真珠が散りばめられている。首元の布地は薄青、ドレスの裾へ向かうにつれて青色が濃く鮮やかになっていく。前後で長さの違うドレスのスカートには銀糸が織り混ぜられているのか、さながら夜空のような美麗さがあった。
華奢な両肩を大胆に露出し、両腕は濃紺の長手袋が二の腕まで覆い隠している。ひらひらと魚の尾鰭のようなスカートから伸びる細い足は、硝子で出来た靴で守られていた。星空のようなドレスと、硝子の靴を組み合わせたその姿は、まるでおとぎ話に出てくるシンデレラのようだ。
ゆったりとした足取りでやってくる銀髪の女性から目を離すことなく、アレスは2階席から移動し始めた。
「アレス?」
レティシア王の言葉が背中に投げかけられる。
アレスは階段を駆け下り、それから舞踏会の会場へ降り立った。
息が上がっているのは階段を慌てて駆け下りたからか、それとも緊張のせいか。どちらにせよ、目の前の招待客と接するのは勇気がいる。
「ようこそ、レティシア王国へ」
歓迎の言葉で彼女を出迎えれば、宝石のような気品ある青い瞳が真っ直ぐにアレスを射抜いた。
《登場人物》
【アレス】レティシア王国第二王子。連日の舞踏会は自分のお嫁さん探しの為に開催されているので、嫌になって図書館に引きこもった。王国で1番の魔法の知識は待っているが、技術が伴わず父親から『才能なし』と思われている。
【レティシア王】アレスの父親であり、レティシア王国の現国王。元はヴァラール魔法学院の生徒で首席で卒業したほど優秀な成績を持つ魔法使いだが、他人に魔法を教えるのが苦手で自分が出来ることは相手も出来ると思いこみがち。
【シンデレラっぽい人物】銀髪碧眼の美人。誰だろうね?