第5話【南瓜の娼婦と舞踏会】
レティシア王国の舞踏会は、おとぎ話で見るような煌びやかな世界だった。
絢爛豪華な照明器具が高い天井から吊り下がり、その天井には荘厳な油絵が全体的に描かれている。太い柱が何本も高い天井を支えており、随所に金細工が施されていた。
磨き抜かれた大理石の床は赤い絨毯で覆われ、広々とした会場の隅には出来立ての食事が皿に盛り付けられて並べられている。燕尾服を着た給仕の男性が銀色のお盆にシャンパンの硝子杯を載せ、すでに舞踏会を楽しんでいる様子の参加者たちに提供していた。
会場の片隅では、レティシア王国が用意したらしい管弦楽団が楽器を演奏していた。舞踏会に相応しい音楽である。その美しい音色に合わせて、綺麗なドレス姿の女性は背の高い男性を捕まえて一緒に踊っていた。
「さすがレティシア王国の舞踏会ネ♪」
「あばばばば、ばばばばばば」
「リタちゃん、もう少し落ち着きなさいネ♪」
アイゼルネは腰にしがみついたまま離れないリタの小さな頭を撫で、仮面の下で仕方がなさそうに笑った。
慣れていないのも無理はない。他の女子生徒たちもいざ舞踏会の会場に足を踏み入れただけで「ど、どうしよう……」「緊張するわ……」などと戸惑っている始末だ。
女性職員の大半も舞踏会には慣れていないのか、表情が堅苦しい。七魔法王が第六席【世界治癒】の名を背負うリリアンティアもまた笑顔を引き攣らせていた。あまりこういう場所に参加することはないのだろう。
すると、舞踏会の会場全体に響き渡る音楽を遮るかのように「静粛に!!」という声がかけられた。
「レティシア王からのお言葉です!!」
大臣らしい巻き髭が特徴的な初老の男性が声を上げれば、会場の最奥に設けられた2階席から王冠を頭に乗せた温和な顔立ちの王様が姿を見せた。
様々な宝石をあしらわれた豪華な王冠を頭に乗せ、上等な布地で作られた赤いマントを羽織っている。穏やかな顔立ちには優しそうな笑顔を浮かべて、優雅に舞踏会の参加者へ手を振っていた。
拍手で迎えられたレティシア王は、ぐるりと会場を見渡してから咳払いをする。
「ようこそ、レティシア王国の舞踏会へ。今日は思う存分、舞踏会を楽しんでいってほしい」
短い挨拶の言葉が終わると、レティシア王へ万雷の拍手が送られた。
レティシア王が2階席の奥へ引っ込むと、再び音楽が流れ始める。管弦楽団の奏でる音楽に合わせて綺麗に着飾った男女が踊り、舞踏会の時間がゆっくりと流れていく。
酒を片手に社交界らしいお堅い話に花を咲かせていた舞踏会の参加者たちは、こぞってヴァラール魔法学院の女子生徒や女性職員に魔法の話を求めていた。学んでいる身とはいえ、彼女たちはエリシアで唯一無二の魔女・魔法使い養成機関に在籍する魔女の卵だ。政治や世間話よりも、魔法の知識は有している。
とはいえ、アイゼルネは彼らの話に付き合うつもりはない。近くを通りがかった給仕を呼び止めて、
「そこのおにーさん、この女の子にジュースを持ってきてくれるかしラ♪」
「かしこまりました」
恭しげに頭を下げた給仕の銀盆からシャンパンが並々と注がれた硝子杯を受け取り、アイゼルネは黄金色に輝く酒を傾けた。
「……その仮面をしながら飲めるんですね」
「口元が開いているのヨ♪」
感心したような口振りで言うリタに、アイゼルネは茶目っ気たっぷりに舌を出して笑って見せた。
☆
舞踏会開始から数分が経過したところで、面倒な男に捕まった。
「これはこれは、美しい魔女たちですなあ」
給仕に運んでもらったオレンジジュースを両手でしっかりと抱えていたリタは、唐突に声をかけられて「ぴゃッ」と可愛らしい悲鳴を漏らす。
胡乱げに視線をやれば、すでに酔っ払ったような雰囲気のある赤ら顔の男が大股でアイゼルネとリタに歩み寄ってきた。
襯衣からはち切れんばかりの樽みたいな腹を揺らし、首元に飾られた蝶ネクタイが太い首を絞めている。財を成した影響で肥えた貴族の典型である。白い髪を整髪剤で撫でつけているので、近づくと酒精の臭いに混ざって整髪剤の独特の香りが鼻孔を突く。
アイゼルネはリタを守るように肥えた男の間に立ち塞がると、
「何かしラ♪」
「そう警戒しないでいただきたい、私はただ話がしたいだけですよ」
肥えた男は「失礼」と咳払いをしてから、
「私はアルファード・エメトセルクでございます」
「確か浮遊魔法を応用した運送業を営んでいる社長様よネ♪」
「おお、よくご存知で!!」
アルファード・エメトセルクと名乗った男性は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
知識は仕入れ先は、上司であるユフィーリアからだ。新聞などでたびたび見かけるが、不倫だの横領だの騒ぎが絶えない企業であると有名である。
ユフィーリア自身も「浮遊魔法を応用したってことは、範囲は限られてくる。前時代的だな」と酷評を下していた。どちらかと言えば浮遊魔法よりも転送魔法で物品のやり取りをした方が早いらしい。
そんな事実を突きつけて相手の気分を悪くしても嫌なので、アイゼルネは黙っておくことに徹する。
「社長様のお仕事の参考になるようなお話なんてないですわヨ♪」
「では世間話でも」
アルファードの小さな瞳が、アイゼルネの豊満な胸元に注がれる。
結局、男の人はそういう連中なのだ。身分が高い人間ほど、そして年齢を重ねた男ほど、女をいやらしい目で見てくるのが常だ。娼館で働いていた時もそういう場面を何度も経験した。
別に男の為に胸元を派手にしている訳でもなければ、足の線が浮き彫りになるような細めのスカートも穿いていない。これは全て自分自身の趣味である。
この変態には少しばかりお灸を据えた方がいいか、と思った矢先のことだ。
「あの」
「何かね、可愛らしい魔女様」
「えっちなのはダメだと思います」
アイゼルネの背後に隠れていたリタは、緑色の双眸でじっとアルファードを見上げて言う。
「先程からこの人をえっちな目で見てますよね? そういうのはダメだと思います。女の人はそういう目に敏感ですよ」
「何だと、生意気な小娘が!!」
アルファードが声を荒げた。
それまでアイゼルネの背後に隠れているだけだったリタは、毅然とした態度でアルファードを睨みつけている。問題児であるアイゼルネたちや学院長にも臆さず意見を言えるのだから、この少女は意外と度胸がある。
度胸があるのはいいことだが、今の状況で出すものではない。アルファードは顔を真っ赤にして憤慨し、今にも掴みかかってきそうな勢いだ。アイゼルネは勇敢な少女に苦笑するしかなかった。
その時である。
「はぁい、どうもぉ」
背後からヌッと伸びてきた太い腕が、アルファードの首に巻き付いた。
アルファードの口から「かひゅッ」と苦しそうな息が漏れた。それは首を絞められたことが影響しているのか、はたまた首を絞めてきた背後の人物の顔を見てしまったからか。どちらが理由にしろ、顔面が蒼白を通り越して紫色に見える。
アルファードの首を絞めた人物は、白色のチャイナドレスに身を包んだ筋骨隆々の巨漢である。腰まで刻まれた切れ込みから鍛え抜かれた足が伸び、立派な胸筋が大胆に解放された色々と見るに堪えない格好だ。布地がパツパツで今にも破けそうである。頭にはお団子状の付け髪まで装備していた。
「ご指名いただきありがとうございまぁす、エド美ちゃんですぅ。今日はたっぷり楽しみましょうねぇ、ダーリン」
「お、ぉぐッ、ぐえッ」
「やだぁ、ちょっと顔色が悪いわぁ。誰かぁ、この人を医務室に連れて行ってあげてぇ」
筋骨隆々とした巨漢はアルファードの首根っこを掴むと、近くを通りがかった給仕へ「介抱よろしくねぇ」と半ば強制的に押し付けた。
アルファードは未だに文句を言いたそうにしていたが、筋骨隆々の巨漢が睨んだだけで顔を青褪めさせた。顔面蒼白になる理由も分かる気がする。何せ相手は殺人鬼みたいな強面なのだ。
アイゼルネはため息を吐くと、
「エド、何してるノ♪」
「舞踏会なんて猛獣たちの集まりなんだからぁ、綺麗なお姉さんと可愛い魔女っ娘を守りに来たのよぉ」
チャイナドレス姿の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは「俺ちゃんだけじゃないよぉ」と続ける。
「オレもいるよ!!」
「俺もいますよ」
エドワードの背後からゴスロリ姿のハルアと、見慣れたメイド服姿のショウがひょっこりと顔を覗かせる。「ハル江ちゃんです!!」「ショウ子ちゃんです」とご丁寧に挨拶してくれた。
「3人とも、転移魔法なんて使えないでショ♪ どうやってレティシア王国まで来たのヨ♪」
「あっちです」
ショウが指で示した先には、着物姿で項垂れた様子の見慣れた青年がいた。烏の濡れ羽色の髪を紫色の蜻蛉玉が特徴的な簪でまとめ、藤色の着物がよく似合う。どこからどう見ても女性用の着物なのだが、顔立ちが中性的なので和装美人と言えた。
さらに隣には紺色の修道服姿の女性が立っているが、老婆を思わせるほど姿勢が悪い。控えめながらも布地を押し上げる胸部は魔法薬を使って性転換でもしたのだろうか。いつもは癖だらけの赤い髪も綺麗に櫛を通されており、紺色の頭巾に収められている。
着物姿で項垂れる学院長のグローリアは、
「何で僕まで……しかも性転換薬を飲まずに女装の状態なんだけど……」
「まあまあ、楽しくやろうッスよ。笑った方が可愛いッスよ」
「嬉しくない!! 何も嬉しくない!!」
修道服の女性は副学院長のスカイ・エルクラシスだったらしい。
グローリアは「何で巻き込まれなきゃいけないんだ」と嘆いていたので、おそらく問題児の野郎組3名に引っ張られてきたのだろう。この状況をユフィーリアが見れば腹を抱えて笑っていたかもしれない。
――そういえば、ユフィーリアはまだ準備中だろうか。会場で姿を見かけないが、時間がかかっている様子である。
「エド、ユーリはまだ学校かしラ♪」
「見なかったけどねぇ。多分もうすぐ来るんじゃないのぉ?」
遠巻きにこちらをジロジロと見てくる参加者を睨みつけて退散させるエドワードが適当に返したその時、舞踏会の会場が俄かに騒がしくなった。
シャンパンの硝子杯を片手に世間話に花を咲かせていた舞踏会の参加者は、玄関口に視線を注いだまま何かを話している。密着して踊っている最中だった男女もまた、踊る行為を中断して舞踏会の入り口付近に注目していた。
それまで管弦楽団が奏でていた荘厳な音楽は止み、誰もが途中で舞踏会にやってきた人物へ視線を向けている。おとぎ話で言えばシンデレラが王城の舞踏会へ姿を現した時のようだ。
給仕の男性からシャンパンの硝子杯を受け取ったエドワードが、黄金色の液体を傾けながら呟く。
「噂をすれば、だねぇ」
《登場人物》
【アイゼルネ】本作では生かされていないが男性嫌いで有名な問題児。特に金持ちで生きることに苦労していなさそうな男性は大嫌い。別にお前らに媚びる為に綺麗な格好をしている訳ではないのだ。
【リタ】小動物のような見た目とは対照的に、かなり度胸を有するヴァラール魔法学院1学年の少女。男性に対する耐性はあまりないのだが、度胸は人1倍あるので年上でもズケズケ言っちゃう。
【エドワード】エド美ちゃんで舞踏会に参戦。豊満なナイスバディのチャイナ美人。笑えよ。
【ハルア】ハル江ちゃんで舞踏会に参戦。舞踏会に慣れていないゴスロリっ娘。笑えよ。
【ショウ】ショウ子ちゃんで舞踏会に参戦。ご主人様を追いかけてきたメイドという設定。みんなのアイドルなので女装なんて恥ずかしくないもん。
【グローリア】問題児に巻き込まれた可哀想な学院長。強制的に女装させられるし、招待状がないのに舞踏会まで引っ張られるし散々。
【スカイ】問題児に巻き込まれた可哀想な副学院長。身長を懸念されて性転換薬をぶち当てられて控えめなおっぱいの美女に大変身。でも姿勢は悪い。