第1話【問題用務員とパーティーの招待状】
「ん?」
銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルがヴァラール魔法学院の異変に気づいたのは、ちょうど昼休みが終わる頃合いだった。
天国に最も近い喫茶店『カフェ・ド・アンジュ』で昼食を楽しんだ帰り道、正面玄関に差し掛かると大勢の女子生徒や女性教師が集められていた。彼女たちは何やら型録を真剣な様子で眺め、布がどうとか装飾品がどうとか真剣に話し合っている最中のようだった。
会話の内容から判断してドレスの形を相談しているようだが、何故そんな会話をしなければならないのか見当がつかない。掲示板にも学院主催の舞踏会があるという張り紙はないし、ドレスを必要とする行事が企画されている気配すらない。
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えるユフィーリアは、
「何だってドレスの話で盛り上がってんだろうな?」
「さあねぇ」
昼食後の影響で眠いのか、筋骨隆々とした巨漢――エドワード・ヴォルスラムは欠伸をしながら応じる。
「ドレスなんか食べられないから興味ないもんねぇ」
「お前はそんな奴だと思ってたよ」
お洒落などにクソほども興味のない様子のエドワードに、ユフィーリアは肩を竦めた。
「まあ、舞踏会が開かれるってなったらハルに首輪をつけなきゃいけねえかな」
「オレ!?」
急に話題へ出された黒いつなぎ姿が特徴の少年――ハルア・アナスタシスが、琥珀色の瞳を見開いて叫ぶ。
「オレ、何もしないよ!!」
「衣装が窮屈だからって理由で全裸になろうとした前科持ちじゃないノ♪」
「そうだっけ!?」
南瓜頭の娼婦――アイゼルネに自分自身の前科を指摘されて、ハルアは「覚えてねえや!!」と無責任なことを叫んだ。
「舞踏会があるなら、やはり踊れなくてはいけないのだろうか……」
深刻な表情をした可憐なメイド少年――アズマ・ショウは、小声で「踊れないからダンスを覚えなくては」などと呟いていた。
本日は艶やかな黒髪をツインテールに結び、さらに先端がくるくるとカールした可愛らしい髪型となっていた。側頭部を飾る真っ赤な細めのリボンが清楚さも後押ししており、雪の結晶が随所に刺繍された古風なメイド服によく似合う。
見慣れたメイド服の胸元では赤い魔石をあしらったループタイが揺れ、半袖から伸びる華奢な両腕は肘まで真っ白い長手袋で覆われていた。白い手袋はレースで出来ている様子で、肘の辺りに花弁を模した複雑な切れ込みが施されている。
今日も100点満点の可愛さである。毎朝、五体投地すべきか否かを悩むところだ。
「そんな深刻に考える必要はねえよ、ショウ坊」
真剣な面持ちで悩むショウの肩を叩いたユフィーリアは、
「舞踏会には美味い飯や酒がたんまり出るからな。それを楽しみに行くのも舞踏会の醍醐味だぜ」
「でも、ユフィーリアと一緒に踊ってみたい……」
「ンがわ゛い゛い゛」
思わず濁声が出てしまった。最愛の嫁が最高に可愛い。
「うーん、可愛い嫁さんの為に一肌脱いじゃおうかな。ダンス苦手だけど頑張っちゃう」
「苦手なのか?」
「まあ、舞踏会のダンスってどうしても男と密着しなきゃいけねえしなァ」
舞踏会で踊るダンスは男女が非常に密着するものが多いので、ユフィーリアはちょっと苦手なのだ。男性側の相手がやたら腰だの肩だの抱き寄せてくるので、何度も足を踏んで蹴飛ばして最終的には背負い投げをしてやった経緯がある。調子に乗りすぎたのだ、野郎側が。
そんな訳で舞踏会で踊るようなダンスが苦手なのだが、可愛いお嫁さんが「踊りたい」と要求するのであれば頑張って学び直すことも吝かではない。完璧に女性側としてリードされるか、男性側としてリードしてやる所存である。ここはどちらも完璧に踊れてこそだろう。
しかし、ユフィーリアのたった一言でショウの気持ちが一瞬にして変わってしまった。
「やっぱり踊らない」
「え? ちょっと学び直すだけだぜ? 3日ぐらい時間をくれれば」
「踊らなくていい」
惚れ惚れするほどの満面の笑みでそんなことを言うので、ユフィーリアも「ええー……?」と首を傾げるしかなかった。この数十秒で彼に一体何があったのか。
ショウは小声で「誰もユフィーリアに触らせない……不埒な輩はみんな殺す……」と邪悪なことをブツブツと繰り返していた。そんな彼の肩をポンとエドワードとハルアが神妙な面持ちで叩いていたので、男にしか分からない話なのだろうか。
舞踏会のダンス程度なら3日ぐらい時間をもらえれば女性側・男性側の両方を完璧に習得できると思うのだが、可愛い嫁が心変わりしてしまったのであれば仕方がない。踊らなくていいのであればユフィーリアだって踊りたくないし、舞踏会で目立ちたくない。
「あ、ユフィーリアいた!!」
「げ、グローリア」
廊下の奥からズカズカと大股で歩み寄ってくる学院長――グローリア・イーストエンドの姿を視認して、ユフィーリアはあからさまに顔を顰める。
急いで自分自身の過去の行動を振り返るが、今日はまだ問題行動を起こしていないはずだ。『カフェ・ド・アンジュ』の代金も学院長であるグローリアのツケにせず、ちゃんと自分の財布から金銭を払ったつもりである。お釣りも領収書も受け取ったので、代金が未精算になっていることはないはずだ。
よし、今日ばかりは無実である。何も悪いことをしていないので「何も悪いことをしていない!!」と主張するのは当然の権利だ。
「まだ何もしてねえぞ、本当だぞ。今日だってこれから部屋に戻って昨日届いたばかりの魔導書を読むんだから」
「君に『仕事をする』という選択肢がないことに僕は驚きが隠せないよ」
「はえー? おしごとぉー?」
「いきなり馬鹿にならないで」
深々とため息を吐いたグローリアは、2通の手紙を差し出した。
「はい、これは君たちのものだよ」
「ラブレターならいらねえぞ」
「君の目は節穴かな? そんな自殺行為を僕がすると思う?」
グローリアは非常に嫌そうな顔で言った。
ユフィーリアも「確かに」と納得する。
最愛の嫁であるショウの目の前でユフィーリアにラブレターを渡そうものなら、過激派である彼がどんな行動を起こすか分かったものではない。現にショウは、グローリアが差し出す2通の手紙を穴が開かん勢いでじっと見つめているのだ。この手紙を受け取るのを躊躇ってしまう。
「招待状だよ、舞踏会の」
「舞踏会ィ?」
「そうさ」
グローリアは2通の手紙をユフィーリアに手渡し、
「西側諸国で最大の国『レティシア王国』って知ってるよね?」
「ウチにもいくらか寄付してくれてるってところか?」
「そうだよ」
西側諸国で最大の規模を誇る『レティシア王国』は、魔法を使った製造業で栄えた長い歴史を持つ大国である。著名な魔法使いや魔女が所属する研究施設をいくつも擁しており、魔法の研究にも莫大なお金をかけていると聞く。
魔法を使って発展した王国なので、最新の魔法技術や優れた魔法使い・魔女の存在には目がないのだ。その為、世界で唯一無二の魔女・魔法使い養成機関であるヴァラール魔法学院にも目玉が飛び出るほどの多額な寄付をいただいているのだ。
その王国主催の舞踏会ということは、かなり重要な行事ということになる。問題児を招待するなど自殺行為だ。
「今回の舞踏会は、ウチの学校の女性陣しか招待されていないのさ。男性陣はお留守番」
「はあ? 何だってそんな限定的なんだよ」
「僕が知る訳ないでしょ、招待されていないんだから」
グローリアも「相手も何かしらの理由はあるはずだけど」と言うが、正直なところレティシア王国の目論見など何も理解していないのだろう。不思議そうに首を捻っているだけだ。
ユフィーリアは、手渡された招待状に視線を落とす。
封筒に書かれた文字はユフィーリアと、アイゼルネの名前を示していた。問題児の中の女性陣である。ヴァラール魔法学院の名簿にもユフィーリアとアイゼルネは女性として登録されているので、招待状が送られてきたのだ。
アイゼルネの分の招待状は本人に渡してやり、
「行きたいか?」
「どうしまショ♪」
招待状を受け取ったアイゼルネは、困ったように頭部を覆う南瓜のハリボテを撫でる。
「おねーさん、お顔を覆う仮面を用意しないといけないワ♪」
「アタシもドレスを仕立てなきゃいけねえしなァ。金もねえし」
ドレスを仕立てるのも、仮面を用意するのも、装飾品や靴などを用意して化粧品を揃えるのも、意外と高いお金がかかるのだ。お洒落だって無料ではないのである。
特に問題児と名高い用務員どもは、日頃の問題行動のおかげで最近では給料の上下が半端ではないのだ。上がったり下がったりするのだ。固定給のはずなのに、どうしてこんな給料の乱高下が起きるのか。
今月はまだ大丈夫な範囲だが、それでもドレスを仕立てるのに無駄な金を使いたくない。ぶっちゃけ言えばドレスを仕立てるぐらいなら美味い酒に金を注ぎ込みたいところである。
「そう言うと思った」
グローリアはやれやれと肩を竦めると、
「相手は最大の寄付相手なんだから、君たちにも媚びてきてもらわないと困るよ。特にユフィーリア、君は顔だけはいいんだから」
「何だ顔だけって、性格もいいだろうが」
「君の言動と行動を思い返してみな? 口を開けば馬鹿発言、普段の行動は問題だらけじゃないか」
「何だとこの野郎」
純粋な悪口にユフィーリアは苛立ちを覚えたが、事実なので暴力で解決してやろうかと思った。実際、ちょっと拳まで握った。
しかし、それを見越したグローリアが次の行動に出る。
両手を叩くと「ルージュちゃーん、リリアンティアちゃーん」とどこかに呼びかけた。
「ユフィーリアとアイゼルネちゃんの採寸をしてあげてー」
「合点承知ですの!! ようやくお出ましになられましたのね、この問題児。わたくしを待たせるとはいい度胸ですの!!」
「はッ!? ルージュ、お前いつのまに!?」
髪もドレスも真紅で統一された淑女――図書館司書のルージュ・ロックハートが、いつのまにかユフィーリアの背後に出現して首根っこを引っ掴む。華奢な美女とは思えないほどの膂力を発揮して、ユフィーリアを問答無用でどこかに引き摺っていった。
アイゼルネは純白の修道服に身を包んだ保健医のリリアンティア・ブリッツオールによって丁重に案内されていた。この差は何なのだろう。
連行されていく女性陣を眺めていたエドワード、ハルア、ショウの3人は、
「あららぁ、連れて行かれちゃったぁ」
「大丈夫なの、あれ!?」
「とりあえず学院長はユフィーリアの悪口を言ったのでギロチンチョークの刑に処します。ハルさん、お願いします」
「何でイダダダダダダダダダダ」
ウッカリ口を滑らせてしまった影響で前屈みで首を右腕で抱えられて締め上げられる技――ギロチンチョークを食らうグローリアは、本当に自業自得としか言えない。ショウの前で口を滑らせればどうなるか理解できるはずなのに、だ。
狂気的な笑顔を浮かべながら遠慮なくギロチンチョークをかける先輩の姿を眺め、ショウは「凄いな、ハルさん」などと賛辞の言葉を送っていた。
ちなみにこのギロチンチョーク、冥府で働くショウの父親直伝である。
《登場人物》
【ユフィーリア】舞踏会では食事と美味しいお酒目当てで参加する。社交界? そんなの知らない。魔法の話題でも無視する所存である。
【エドワード】舞踏会では美味しいご飯を目当てに参加することが多い。基本的にユフィーリアの護衛目的で引き摺られていくが、お目当てはご飯。
【ハルア】舞踏会では楽しく踊ることを目的として参加する。舞踏会みたいに煌びやかなダンスは踊れず、管弦楽団の奏でる音楽に合わせてブレイクなダンスを踊っている。
【アイゼルネ】舞踏会では招待客のドレス目当てで行く。でもユフィーリアを着飾るのが1番。どれほどユフィーリアを綺麗に着飾らせて、社交界の話題の中心になれるか腕の見せ所である。
【ショウ】舞踏会に招待されたことはないが、童話と同じような感覚なのだろうかと疑問。それならユフィーリアのドレス姿はさぞ綺麗だろうなぁ。
【グローリア】舞踏会の招待状をお届けした学院長。舞踏会には学院の長らしく社交目的で向かうが、第一席【世界創生】として招かれたらケーキばかり食べてる。