第5話【問題用務員と雨妖精との別れ】
「親父さん、交渉に随分と手慣れた様子だったけど」
「はははは」
「笑い事じゃねえ」
副学院長のスカイをあっさりと引き下がらせる手腕を見せつけたキクガに、ユフィーリアは畏怖の念を込めた視線を寄越すのだった。
個性豊かな面々が揃うヴァラール魔法学院の中でも、副学院長のスカイはまだ常識人の部類に属する魔法使いだ。「エロトラップダンジョンに放り込む」とか悍ましい脅し文句が飛んできたりするが、総合的に見れば常識人の範囲内にまだ留まっていると言っていいだろう。
それなのに、キクガの賄賂でスカイはあっさりと陥落してしまった。それはもうイキイキとした様子でユフィーリアたち問題児を解放し、リコリスと名付けた獅子型魔法兵器に乗って自分の根城に帰ってしまったのだ。キクガの交渉術はなかなか目を見張るものがある。
朗らかに笑うキクガは、
「何、元の世界では少々交渉術が必要となる職業に就いていた訳だが。そのおかげで交渉が上手くなったと言えるだろう」
「交渉が必要になる職業って……」
「金融関係な訳だが」
サラッとそんなことを言ってしまうキクガに、ユフィーリアは何となく彼の前職を察することが出来てしまう。
なるほど、冥王を脅す際にもドスの効いた声で罵倒するものだから水商売の女王様的なアレをやっていたのかと思えば、元締めの方と言ってもいいだろうか。想像が正しければ、現職とは真逆の方向性である。冥府が前職を調べるほど律儀な職場でなくてよかったのかもしれない。
とはいえ、前職の件に目を瞑れば非常に優秀な人間であることは間違いないのだ。物腰も柔らかく、部下に的確な指示を出せる立派な補佐官である。
「父さんの部屋に数字がたくさん並んでいた書類が何枚も落ちていたのは前職が関係していたのか、納得した」
「ショウ? いつのまに私の部屋へ入った? というかその記憶はあるのかね?」
「朧げながらある。読めなかったが、何か人の名前も書いてあった気が」
ほわほわと笑いながら言う息子の華奢な肩を掴んだキクガは、迫真の表情で「忘れなさい」と告げた。
「あれはよくない数字な訳だが。早急に忘れなさい」
「? 分かった……」
不思議そうに首を傾げるショウは、朧げながらも残っていた『数字だらけの書類』についてそれ以上は言及しなかった。
息子に隠したくなる気持ちも分かる気がする。純粋無垢な子供には、キクガが浸っていた世界の事情など早すぎるのだ。息子には真っ当に生きてもらいたいという意思がヒシヒシと伝わってくる。
ユフィーリアはあえて何も言わなかった。ただ、生暖かい目でキクガを見つめるだけに留めた。
「あれぇ?」
唐突にエドワードが声を上げる。
「あれってレニーちゃんじゃないのぉ?」
「え?」
用務員室の前では、何か小さなものが懸命に飛び跳ねている様子だった。
赤と白の水玉模様が特徴的な雨合羽と葉っぱの傘、今にも消えてしまいそうなほど可愛らしい小人――雨妖精のレニーがそこにいた。「あ!!」とてるてる坊主状態から戻ってきた問題児たちを見つけたレニーは、瞳を輝かせて飛び跳ねながらこちらに向かってくる。
元気いっぱいに飛び跳ねて自身を主張するレニーは、
「今日はありがとうございました!! おかげで我々の力の限界に挑戦できました!!」
「まあ、青銅林檎で反則したけどな」
「嵐妖精に頼らず自分の力で豪雨を降らせることが出来たのです!! 嬉しい成果ですよ!!」
ユフィーリアの手のひらの上に着地したレニーは、へにゃりと笑ってお礼を告げた。
「本当にありがとうございます」
「豪雨を降らせることが出来てよかったな」
「いえ、それだけではなく」
レニーは恥ずかしそうにはにかむと、
「雨を好きでいてくれて、ありがとうございます。あなたは我々が降らせた雨を、踊りながら喜んでくれたでしょう?」
「あー……」
ユフィーリアは今朝の行動を思い出す。
シトシトと降り注ぐ雨を踊りながら喜んだのは確かなことだ。雨の日ほどはしゃいでしまう問題児の悪い癖が、まさか雨妖精に喜んでもらえるとは想定外である。
雨は好きだ。濡れる感覚が面白いし、雨が降ればいつまでもはしゃげる自信がある。今回の校内に豪雨を降らせた事件はなかなか楽しいことだった。
指先でレニーの頬を突っついたユフィーリアは、
「アタシらは雨好きだしな。雨が降るといつでも踊ってやるさ」
「嬉しいです!!」
レニーはぴょんことユフィーリアの手のひらから飛び降りると、
「それでは、我々はもうそろそろ仕事に戻りますね!! 次の雨の日に会いましょう!!」
小さな手のひらを振って、レニーはジメジメとした空気の漂う外の世界に飛び出していった。3階の位置から飛び降りたにも関わらずあの小さな姿はあっという間に見えなくなり、声すらも聞こえなくなる。
レニーが姿を消したと同時に、空を分厚い灰色の雲が覆っていく。それまではどんよりとした曇り空だったのだが、ポツポツと雫が落ちてきた。
弱い雨量から、徐々に雨の量が強くなっていく。雨上がりの世界が、再び雨粒によって濡れていく。
「あ、雨」
ユフィーリアは雨降る灰色の空に視線をやった。
きっと、雨雲の中でレニーたち雨妖精は頑張って雨を降らせているのだ。今日も自然の摂理に従って、優等生のように雨を降らせて自然の成長を促していく。
彼らが羽目を外したのは、今回が最初で最後だろう。問題児と違って勤労な雨妖精が豪雨を降らせるなど今後はなさそうだ。
真っ黒な雨合羽の頭巾を被ったユフィーリアは、
「よし踊っちゃお♪」
「俺ちゃんも♪」
「オレも♪」
「おねーさんは雨乞いしちゃオ♪」
「俺もユフィーリアと踊りたい」
「これは私も雨合羽を着てくるべきだったか……」
雨合羽を着込んで雨が降る外に飛び出していく問題児たちは、キャッキャとはしゃぎながら楽しく踊るのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】縁切りも司る為か、お別れも寂しいけどちょっと慣れたので泣きはしない。
【エドワード】お別れはやっぱり寂しいので、寂しさを紛らわせる為に雨の日は踊る。
【ハルア】お別れしてもまた会えると思っているが、会えないと分かればショウに抱きついてちょっと泣く。
【アイゼルネ】誰かと出会うのも、別れるのも、最後は笑顔でネ♪
【ショウ】お別れしてもまた会えると思っているが、会えないと分かればハルアに抱きついてちょっと泣く。
【キクガ】ショウの実父。普段は冥府の役人、前職はヤクザの若頭。金融関係とはつまり、債務者からの取り立てである。
【レニー】雨妖精。雨を降らせるのが仕事とする。雨の中、楽しそうに踊っている問題児に惹かれたので、今回の『豪雨を降らせたい』という欲求を叶えてもらった。