第2話【問題用務員と雨妖精】
そんな訳で、雨妖精を用務員室にご招待である。
「お紅茶はこれでいいかしラ♪」
「恐縮です!!」
ユフィーリアの事務机に立つ雨妖精の少女は、アイゼルネから小さなカップを渡されていた。紅茶1滴分の量しか入っていないにも関わらず、雨妖精の少女は美味しそうに紅茶を啜っていた。
少女が使っているカップは、ハルアが人形遊びをする際に用いられる女児用の玩具だ。まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
雨妖精の少女は「お茶までいただけるなんて嬉しいです!!」と心の底から嬉しそうに言い、
「申し遅れました、ワタシは雨妖精のレニーと申します!! よろしくお願いします!!」
「雨妖精にも名前なんてあるんだな」
アイゼルネに入れてもらった紅茶を啜るユフィーリアは、流暢に言葉を話す雨妖精のレニーに驚いていた。
「ユフィーリア、雨妖精とは一体何だ?」
「ああ、ショウ坊は知らねえよな」
不思議そうに首を傾げるショウは、異世界出身だから雨妖精の存在など知らないだろう。実際、ユフィーリアも初めて見る存在なのだ。
「雨妖精ってのは、雨を降らせるのが仕事の妖精だ。雨雲を発生させて、世界各地に雨を降らせるんだよ」
「それは自然の摂理に違反するのでは?」
「我々の仕事は自然の摂理に基づいているので、第三席【世界法律】様が定めた法律にまで抵触しませんよ!!」
レニーが紅茶を飲みながら補足として説明してくる。
妖精の存在は自然に発生するものであり、魔女や魔法使いと密な関係を築いてきた。妖精たちの持つ自然界に干渉できる能力や、その小さな身体に秘められた濃度の高い魔力など研究できる部分は多い。
雨や晴れ、嵐などの発生も妖精が原因である。レニーのような雨妖精が雨を降らせ、嵐妖精が嵐を呼び起こし、晴れ妖精が晴れ間を呼び込むのだ。天気の沙汰も妖精次第である。
妖精の存在は研究結果などで理解していたが、実物を見るのは極めて珍しいことだ。特に雨妖精などの天候を司る妖精は多忙を極めるので、見かけることが稀である。
「その雨妖精が、わざわざウチの学校まで何の用だ?」
「用務員の皆様にお願いがあって参りました!!」
ぴょんこと飛び跳ねるレニーは、
「ワタシは雨妖精全体の意見を代表して、用務員の皆様の前に姿を見せています!!」
「へえ、ソイツは光栄なこったな。雨妖精を代表して問題児だの何だの悪名がついて回る用務員に、お前は何を願うんだ?」
「雨を降らせてほしいのです!!」
雨を降らせるのが仕事とする雨妖精が、仕事を放棄してきやがった。話が全く読めない。
「あ、ちが、違います語弊があります!!」
「そうだよな。アタシらとは真逆で勤労な雨妖精が、まさか仕事を放棄するなんてことはねえよな」
「雨を降らせたいのです!!」
今度は自分自身の仕事が分からなくなってしまったらしい。痴呆でも始まったのか、雨妖精。
「ちょっと……介護は問題児に向いてねえかな……」
「あの、お話を最後まで聞いていただきたいのですが!!」
「聞くよ? 聞くけど、最後まで精神的に持つか分からねえんだわ」
ユフィーリアはすでにレニーの話を聞くのが嫌になっていた。このまま空のカップを逆さにして、雨妖精を捕獲でもすれば面白いことになるだろうなと考えるほどである。
世界的にも珍しい雨妖精を捕獲すれば、学院長のグローリア・イーストエンドにどれほど値段を吹っかけることが出来るだろうか。もしかしたら破産に追い込めるかもしれない。
面倒くさい雰囲気を感じ取るユフィーリアをよそに、レニーは訥々と話し始める。
「我々雨妖精は、常に自然の摂理に従って世界中に雨を降らせてきました。短時間にいっぱい降る雨からシトシトと長続きする雨など様々です」
「ほー」
「ですが、我々の実力はまだ出来ると思うのです。まだまだ高みを目指せるはずです!!」
「へー」
「そこで問題児と名高い用務員の皆様にお知恵をお借りしたいのです!! どうすれば豪雨を降らせて洪水を引き起こせるのか!!」
「んん?」
どうせつまらないのだろうな、と片手間に聞いていたユフィーリアだが、レニーの話に興味を持ち始めた。
「豪雨?」
「はい!!」
「でもって洪水を?」
「はい!!」
「引き起こすのか? 雨妖精が?」
「はい!! 人間様に恨みはありませんが、我々も天災を引き起こしてみたいのです!!」
雨妖精とは、実はとんでもねー欲望を秘めているのかもしれない。
確かに、他の妖精と比べれば雨妖精は比較的『優等生』と呼べる分類かもしれない。
晴れ妖精は加減を間違えれば日照りになってしまい、作物の成長にも影響が出てしまう。洪水などを引き起こすのは嵐妖精の役割だし、落雷によって山火事を引き起こすことも可能だ。彼らと比べれば、雨妖精はただ雨を降らせるだけである。局地的豪雨など聞いたことがない。
そういえば思い出したが、妖精は悪戯が好きな性格だ。雨妖精たちも例外に漏れず悪戯好きなのだろう。
「なるほどねェ、いいじゃねえか」
ユフィーリアは楽しそうに笑うと、
「いいぜ、その悪戯に協力してやろうじゃねえか」
「本当ですか!?」
レニーは瞳を輝かせて喜ぶ。「これでみんなも喜びます!!」と跳ね回っていた。
「ええー、豪雨なんて大丈夫なのぉ?」
ユフィーリアの決定に難色を示したのはエドワードである。
彼は雷が苦手なのだ。局地的豪雨を降らせて、雷が誘発されるのを懸念している模様である。快く協力できない理由は分かる。
そんな彼に、ユフィーリアは「大丈夫だよ」と応じた。
「雨妖精の仕事は『雨を降らせること』だけだ。雷は管轄外だよ」
「そうです!! 雷を落とすお仕事は、嵐妖精の管轄になります!!」
本職である雨妖精のレニーまで雷の業務を否定してきた。雨妖精本人が言うのだから間違いはない。
エドワードは「じゃあ問題なさそうだねぇ」と、どこか安堵した様子で言う。
懸念すべき事項は解決されたのだから、あとは局地的豪雨を楽しむだけだ。雷を管轄する嵐妖精まで引き寄せられたら問題だが、それはもう気合いでどうにかするしかない。
「強い雨いいね!!」
「俺も賛成だ。他人事で豪雨が見れるなら、これ以上に楽しいことなんてない」
未成年組のハルアとショウも賛同を得られた。2人揃って「強い雨だ、強い雨だ」などと楽しそうにしている。
「おねーさんも賛成だワ♪」
「お、アイゼもいいのか?」
「おねーさん、豪雨の方が好きだもノ♪」
アイゼルネも手放しで賛成である。彼女は元々、雨が降ればさらに雨足が強まるように雨乞いをするような問題児である。雨妖精の方から豪雨を望まれるのは願ったり叶ったりという訳なのだろう。
これで問題児全員は『雨妖精の豪雨チャレンジ』に大賛成である。協力も決定だ。これは楽しくなってきた。
レニーは感動のあまりポロポロと涙を零しながら、
「あ、ありがとうございますぅ……!! 人間の皆様は何と心優しいのでしょう……!!」
「なぁに、これぐらい協力するのなんて簡単だよ」
ユフィーリアは「で?」と続け、
「どこに雨を降らせるつもりだ?」
「え?」
「まさかお外で雨を降らせて満足するつもりじゃねえよな? ウチの学校の広さを舐めてもらっちゃ困るぜ」
ヴァラール魔法学院は辺鄙な場所にあるので、局地的豪雨が降ろうが問題はなさそうだ。むしろ雨妖精が望むように洪水を引き起こすまで至らないかもしれない。
それならどうすればいいだろうか。川などが氾濫して建物が水に沈んでしまうのを洪水と捉えるならば、もっと適した方法がある。
その美人な見た目に似つかわしくない凶悪な笑みを見せたユフィーリアは、
「室内に雨を降らせるんだよ」
「室内ですか?」
パチクリと大きな瞳を瞬かせるレニー。
「室内に雨を降らせりゃ、洪水なんて簡単に起きる。床上浸水なんて夢じゃねえぞ」
「それはいいですね!! 室内に雨を降らせるなんて非常に珍しいことです!!」
「そうだろ、そうだろ。楽しそうだろ!!」
レニーは期待と尊敬の眼差しをユフィーリアに向ける。
彼女たちの「自分の実力を試したい」という純粋な目標を利用するような形で悪いが、ユフィーリアは生粋の問題児である。物事を『面白い』か『面白くない』かで判断する馬鹿野郎だ。
そんな馬鹿野郎に、面白そうな提案をしてくる雨妖精の方が悪いのである。利用されるのが目に見えて分かるはずなのに、雨妖精の人選ミスだ。
「ただ、書類とか本が濡れるのはあれなので、そこは雨妖精の雨除けの加護をさせていただきますね!!」
「お、気が利くな」
「こちらがお願いしている立場なので、この程度は朝飯前です!!」
レニーは「お任せください!!」と控えめな胸を張って自信満々に言った。
この申し出は非常にありがたい。魔導書が雨によって濡れてしまった場合、復元が難しいものが多くあるのだ。その修繕までユフィーリアに任されてしまったら、一体何日ぐらい徹夜をしなければならなくなるだろうか。
雨除けの加護を使えば、雨に濡れなくなる。雨を司る雨妖精だから許された加護だ。これで怒られる可能性は――いやまあ怒られるだろうけれど、格段に低くなる。
「お仲間の雨妖精はその辺にいるのか?」
「いますよ!!」
「じゃあ呼んできてくれ。早速やろうじゃねえか」
「はい!!」
ぴょんこぴょんこと飛び回るレニーは、
「じゃあ少しお待ちください、近くで待機している雨妖精を全員呼んできますので!!」
そう言い残して、レニーは用務員室から飛び出してしまった。
さて、こちらも豪雨に準備をしなければならない。
ユフィーリアは黒装束の袖なし外套を雨合羽の形式に再び組み直し、エドワードやハルアは用務員室の隅に放置された雨傘の調子を確かめる。豪雨なのだから雨傘など意味なんてないと思うのだが、多分関係ないのだろう。
「アイゼとショウ坊は雨合羽な」
「おねーさんの南瓜は防水加工済みだから、身体だけにしようかしラ♪」
「ついに雨合羽をお披露目する時が来た。この時の為に用意しておいてよかった」
ショウは雨合羽を取りに居住区画へ引っ込み、それからすぐに戻ってくる。
雪の結晶が刺繍されたメイド服の上から、猫耳が頭巾に生えた白い雨合羽を羽織っていた。背中の辺りからぺらっとした猫の尻尾が生えている。いつものホワイトブリムに縫い付けられた猫耳やベルトから生えた猫尻尾とは違い、こちらは完全に紛い物である。偽物なので動かないが、可愛らしさは完璧である。
真新しい雨合羽を身につけるショウは、
「どうだろうか、ユフィーリア」
「がわ゛い゛い゛」
「ユフィーリア、涙が滝のように流れているが身体の水分は平気か? ユフィーリア? ユフィーリア!?」
涙を豪雨並みにジョバジョバと流すユフィーリアに、ショウが心配そうに「紅茶、紅茶のお代わり」と紅茶がまだ残された薬缶を差し出してくるのだった。やはり可愛い。
《登場人物》
【ユフィーリア】面白いことを求める性格のおかげで妖精から好かれやすい。また妖精からの協力も得られやすい。学院で1番妖精と親しい魔女かもしれない。
【エドワード】妖精には怖がられてしまうのでしょんぼりしているが、一部の妖精には懐かれている。ユフィーリアのおかげで妖精の扱い方は慣れている。
【ハルア】妖精を鷲掴みにして上下に振り回したり、虫籠に入れて捕まえようとしたり、妖精にとってよからぬ行動ばかり取るので警戒されている。
【アイゼルネ】ユフィーリアと一緒にいるようになってから妖精の存在を認識し始めた。それまでは認識すら出来ていなかった。
【ショウ】最近、ユフィーリアと一緒にいると頭上から花弁が降り注ぐ時間が発生した。多分妖精のせい。
【レニー】雨妖精の少女。雨を降らせることが仕事だが、豪雨を降らせて洪水を引き起こしたい願望を叶える為に問題児と名高いユフィーリアを頼ることになる。雨妖精のリーダー的存在。