第1話【問題用務員と雨の日】
雨である。
「雨だあああ!!」
「雨だあああ!!」
分厚い灰色の雲から降り注ぐ恵みの雨を喜ぶ馬鹿野郎が2名ほど、ヴァラール魔法学院の中庭ではしゃいでいた。
銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、黒い雨合羽を着込んでキャッキャと雨粒が身体に当たる感覚を楽しんでいた。裾の長い雨合羽を翻しながら遊ぶ姿は、舞踏会でダンスに興じるお姫様のようである。さしづめ黒い雨合羽は彼女にとってのドレスだ。
そんな問題児筆頭に付き合ってはしゃぐのは、黒い雨傘をぶんぶんと振り回すハルア・アナスタシスである。彼は雨合羽などという無粋なものは身につけておらず、いつもの数え切れないほど衣嚢が縫い付けられた黒いつなぎをずぶ濡れにしながら雨を楽しんでいた。
シトシトと降り続く静かな雨を全力で楽しんでいるのは、ヴァラール魔法学院でも彼らだけだ。恵みの雨を喜ぶのは植物と、雨を楽しむ馬鹿2名ぐらいのものだろう。
「いや本当に何してんの、君たち」
「あ、グローリア」
「学院長もやる!?」
「やらないよ」
中庭ではしゃぐ馬鹿2名に、学院長のグローリア・イーストエンドが可哀想なものでも見るような視線を送る。
その他、廊下を通過中の生徒たちも降り注ぐ雨を全身で浴びるユフィーリアとハルアに冷ややかな視線を突き刺していた。これほど楽しいものが目の前にあるのに、どうしてそんな冷ややかな視線を送られなきゃいけないのだろうか。雨の日ほど外に出て「自然のシャワーだ!!」とかやらないのだろうか。
グローリアはこめかみをグリグリと揉みながら、
「いやね、問題行動じゃないしこっちには迷惑なんてかからないけどさ」
「何だよ?」
「可哀想に見える。雨だけでこんなにはしゃげる? 君たちって何歳?」
ユフィーリアとハルアは互いに顔を見合わせると、
「永遠の28歳」
「永遠の18歳!!」
「まさかの10歳差だよ。年齢詐欺じゃないの? 本当はどっちも8歳ぐらいじゃないの?」
怪しむような口振りで言ってくるグローリアに、ユフィーリアは「失礼だな」と憤る。
「お前も自然のシャワーを楽しもうぜ。ほら、エドなんかもう水浴び気分だよ」
「本当に何してんの、馬鹿なの!?」
シトシトと降り注ぐ雨をシャワーに見立て、雨合羽や雨傘どころではない人物が全裸で水浴びをしていた。
彫刻のような筋骨隆々とした肉体美を曝け出し、灰色の短髪を石鹸でワシャワシャと洗っている。彼の頭は泡に塗れており、鼻歌まで奏でていい気分になりながら雨のシャワーを楽しんでいた。中庭は風呂場ではない。
雨シャワーを堪能中である筋骨隆々とした馬鹿野郎――エドワード・ヴォルスラムは、
「え? 学院長も水浴びするのぉ?」
「しないよ!?」
「石鹸貸すよぉ?」
「貸さなくていいんだよ!!」
平然とグローリアに石鹸を渡そうとするエドワードだが、取り付く島もなく断られてちょっとしょんぼりしていた。
「馬鹿と変態しかいないのか、ウチの用務員は!!」
「何言ってんだ、美人と天才とイケメンしかいねえだろうが」
「普段の君たちの行動を振り返って言ってみなよ!?」
普段から問題行動ばかりを繰り返す問題児だからこそ、馬鹿と評価されてもおかしくない。時折、衣服すらも常識と一緒に脱ぎ捨ててしまうので変態という評価も一緒について回る。妥当な判断である。
それでもなお自分たちのことを『美人』と『天才』と『イケメン』と評価できる強靭な精神は、もう褒められるべきなのかもしれない。清々しいほどの自信満々な発言だ。
深々とため息を吐いたグローリアは、
「それで、ショウ君は参加しないのかな?」
「はい」
雨降る中庭ではしゃぐ馬鹿野郎どもを微笑ましそうに眺めていた女装メイド少年――アズマ・ショウはグローリアの質問に応じる。
本日、彼の艶やかな黒髪は両脇を細い三つ編みにされた簡素で大人びた印象のある髪型にされている。雪の結晶が随所に刺繍された半袖のメイド服の上から透け感のあるカーディガンを羽織り、雨による気温低下にも対応していた。首元を飾る赤いリボンには真っ赤な魔石が使われており、彼の赤い瞳と酷似している。
こんな冷たい雨へ長時間に渡って晒せば、確実に風邪を引いてしまう恐れがある。最愛のお嫁さんである彼にはいつまでも健康的でいてほしいのだ。人間の身体が意外と頑丈だからと言っても個人差というものがある。
ショウは「別に平気なんですけどね」と苦笑し、
「それよりもユフィーリアの勇姿を焼き付けておく方が重要です。見てください、あの子供みたいな可愛らしい笑顔を。いつもは大人っぽくて用務員を率いるリーダー的存在ですが、雨を前にあんなにはしゃぐなんて可愛らしい一面もあると思いませんか? これぞまさにギャップ萌えというアレです」
「何をそんなに興奮しているの? 君の目の前にいるのはただの馬鹿だよ?」
「何を言いますか、学院長。『水も滴るいい女』という言葉をご存知でいらっしゃらないのですか? 随分と教養がないんですね、魔法学校の学院長なんてお辞めになったらどうですか?」
「1の言葉に対して100の罵詈雑言が返ってくるのは何なの?」
グローリアが涙目になりながら応じる。
当の本人は、止む気配のない雨に「雨だああああ!!」とはしゃぐユフィーリアをうっとりとした表情で観察していた。もはや視線は信者のそれである。問題児筆頭の愛するお嫁さんから、問題児筆頭を盲目的に崇拝するイカれた信者に格上げも夢ではない。
ただ、本人からすれば愛情ある行動の一環なのだろう。傍目から見ると犯罪臭極まりないのだが、対象であるユフィーリアが何も言わなければ問題ないのだ。ないったらないのだ。
「まあ、雨にはしゃぐのも君がユフィーリアに夢中なのもいいけどね」
グローリアは「問題は」と最後の1人を示す。
「アイゼルネちゃん、君は一体何をしているのかな!?」
「あラ♪」
最後に指摘されたのは、問題児の中でも比較的まともな感性を有した南瓜頭の娼婦――アイゼルネである。それまでやっていた行動を一時中断して、彼女はグローリアに振り返った。
アイゼルネがやっていたのは、どこにでもある釣り竿の先端にてるてる坊主を逆さの状態で括り付けて振り回すという謎の行動である。
てるてる坊主は、極東地域で見かける晴れを願う為のおまじないだ。そのてるてる坊主を逆さの状態にして、さらに釣り竿へ引っ掛けて振り回すという謎めいた行動は怪しまれても仕方がない。
釣り竿を担ぐアイゼルネは、その豊満な胸を張って答えた。
「雨乞いヨ♪」
「もう雨は降ってるけど」
「違うわヨ♪ もっと酷い雨が降ってほしいのヨ♪」
釣り竿の先端に括り付けた逆さてるてる坊主に頬擦りするアイゼルネは、
「どうせなら学院が沈むぐらい大雨が降ってくれると嬉しいワ♪」
「残念だけど、洪水なんて真似は永遠にさせないからね」
「叶っちゃったらどうするノ♪」
「問題児を中庭に吊り下げて、てるてる坊主にしてあげるよ」
そんな会話をしていると、ヴァラール魔法学院の校舎全体にがらーんがらーんという鐘の音が鳴り響いた。どうやら次の授業が始まる合図らしい。
次の授業は受け持っていないのか、グローリアは「ほどほどにしなよ」などと言いながらその場を立ち去った。雨はあんまり好きではないのか、しきりにこめかみをグリグリと揉みながら嫌そうな表情まで浮かべていた。
気圧の変化によって頭痛が発生する人間は一定数存在するらしいが、ユフィーリアたち問題児には関係のないことである。むしろ学院長が困るなら「もっとやれ」と思ってしまうぐらいだ。
雨に打たれながら踊っていたユフィーリアは、雪の結晶が刻まれた煙管を咥えて白い煙を吐き出す。
「楽しいのになァ、雨」
「ね!!」
ユフィーリアの何気ない一言に、ハルアが全力で同意を示してくる。
雨の日には読書が捗るとよく聞くが、ユフィーリアの場合は「雨の日こそ外に出ろ」という行動を推奨する。この自然の恵みを全身で楽しまなければ損ではないか。
もちろん、これ以上に雨が酷くなる場合も大歓迎である。アイゼルネのやるように雨乞いでもして雨足が強まることを祈ろうか。
「何か逆に雨の勢いが弱まってるねぇ」
「おい、エド。まだ頭に石鹸がついてるぞ」
「流れないんだもんねぇ。雨の勢いが弱すぎるんだよぉ」
洗髪中だったエドワードだが、雨の勢いが徐々に弱くなってきている影響で髪の毛にまだ大量の泡が残されたままだった。このまま校舎内を彷徨い歩けば、廊下を汚して怒られてしまう可能性が高まる。
ユフィーリアは「仕方ねえな」と呟き、雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
魔法が発動し、エドワードの頭上に灰色の雲が出現した。それからすぐに灰色の雲から大量の雨粒が降り注ぎ、彼の彫像めいた肉体美を容赦なく濡らす。局地的な豪雨にエドワードも歓声を上げていた。
「うわぁ、凄い勢いだねぇ!!」
「天気も変えられるのか?」
「まあ、あるにはあるけどな。自然に影響の出るような規模で天気を変えることは法律で禁止されているんだよ」
ユフィーリアはショウの質問を、煙管を吹かしながら答えた。
天気を変える行動は自然の摂理を脅かすということで、法律によって禁じられている。ただし自然の摂理を崩さない範囲での操作は許可されているので、他人の頭上に雨雲を発生させて豪雨を降らせる程度なら許されるのだ。
ちなみにこの方法を使えば、お手軽に室内で日光浴も楽しめるし雪遊びも楽しめる寸法である。魔法とは便利だ。
「雨足が弱まっちまうと遊ぶのもここまでみたいだな」
「まだ踊りたかったな!!」
「次の雨まで我慢だねぇ、ハルちゃん」
中庭で雨に打たれていた馬鹿3名は、いそいそと校舎内に引っ込む。ユフィーリアは雨合羽に付着した雨粒を魔法で落としていつもの袖なしの外套に戻し、エドワードとハルアはショウからタオルを渡されていた。準備万端である。
全体的に濡れた様子の中庭を見やれば、雨の勢いも小雨と呼べる程度に弱くなっていた。この調子であればもうすぐ晴れ間が拝めるかもしれない。
晴れになったら晴れになったで、楽しいことは出来るのだ。もう少し雨のシャワーは楽しんでいたかったが、自然のことなので仕方がない。
「用務員室に戻って紅茶でも飲むかな」
「学院長室からくすねてきたお菓子の箱も開けようよぉ」
「購買部に行ってきていい!?」
「お紅茶は何かあったかしラ♪」
「ハルさんが購買部に行くなら俺も同行してもいいだろうか?」
早々に撤収を目論む問題児だったが、
「ま、待ってください!!」
「ん?」
誰かの声に呼び止められて、ユフィーリアは足を止める。
声の方向は、雨が降る中庭からである。誰かがいるような気配は見られない。
それに、生徒たちは授業の真っ只中である。暇そうにしているのは問題児であり仕事をしない用務員として有名なユフィーリアたちだけだ。
「足元!! 足元をご覧ください!!」
「足元?」
声に促されて、ユフィーリアは足元に視線をやる。
ぴょんぴょんと飛び跳ねて存在を主張していたのは、親指程度の身長しかない小人の少女だ。赤と白の水玉模様が特徴的な雨合羽を身につけて、葉っぱの傘を差した可愛らしい様相だ。
その小人の正体を、ユフィーリアは知っている。この時期に最も重要な妖精だ。
「雨妖精じゃねえか、何だってこんなところに」
「実はお願いがあるんです!!」
雨妖精と呼ばれた小人は、ぴょんこぴょんこと飛び跳ねながらそんなことを言ってきた。
《登場人物》
【ユフィーリア】雨の日大好き問題児筆頭。雨が降ると外に出て笑いながら踊ってる。雨粒が身体に当たる感覚が好き。
【エドワード】雨の日大好き問題児2号。雨の日は自然のシャワーだと勘違いしているのか、石鹸片手に外へ飛び出す。
【ハルア】雨の日大好き問題児3号。雨の日になると雨傘を片手にユフィーリアと一緒になって踊っている。踊り方はショウ曰く「トト◯を呼んでいる」らしい。
【アイゼルネ】雨の日大好き問題児4号。雨の日になればさらに雨足が強まるように雨乞いをする。成功した試しはない。
【ショウ】雨の日になると叔父夫婦からの暴力が増すので好きではなかったが、ユフィーリアがはしゃぐ姿を見て雨の日が好きになった。
【グローリア】雨の日はあんまり好きじゃない。濡れるし出かけられないし、偏頭痛持ちなので雨の日になると頭痛がするので痛み止めは必須。