第5話【異世界少年と純愛】
ユフィーリア・エイクトベルの過去は、それはもう壮絶なものだった。
実は女神様で、だけどその身体に宿った魂は人間の男性で、過去の記憶は一切覚えていない。女神様の魂が消え去る際、ユフィーリアの記憶さえも刈り取ってしまったのが影響しているらしい。
それでも、特に何も思うことはなかった。「過去のユフィーリアは今と同じぐらい格好良かった」とか「終わりの女神エンデとか言う過去の女が出しゃばってくんな」とか思ったけれど、それ以上に心揺らぐことはなかった。
冥砲ルナ・フェルノに乗って静かに用務員室へ帰還を果たしたショウは、
「…………よし」
用務員室の扉を少しだけ開いて、誰も起きていないことを確認する。
冥砲ルナ・フェルノがあるとはいえ、単独行動は危険すぎる。深夜のヴァラール魔法学院を出歩けば、幽霊と遭遇する可能性も捨てきれない。
死者蘇生魔法などのトンデモな魔法が存在するぐらいだ。エリシアの幽霊事情は、ショウの知り得る怖い話より想像を絶するほどの恐怖を与えてくるはずだ。これはあくまで予想だが、絶対にそうだ。
夜の帳が下りた用務員室を突っ切り、ショウは居住区画の扉を少しだけ開ける。
「…………よし、いない」
居住区画にも人の気配はなかった。
深夜なのでユフィーリアやエドワード、アイゼルネ辺りが晩酌をしているかと思ったが、今日は晩酌をする日ではなかったようだ。それもそうか、昨日の今日で相手が骨格標本として見えてしまうクソ眼鏡を作り上げてしまったから、それに懲りたのだろう。
ペタペタとスリッパを鳴らし、ショウは寝室に戻る。
「むにゃー」
「すぴー」
「エド待って、そのゼリーの噴水はオレのだってぇ……むにゃむにゃ」
「――――」
並べられた天蓋付きベッドを占領するユフィーリアたちの寝言やいびきが寝室中を埋め尽くしており、誰もショウが学院長室から戻ってきたことに勘付いている様子はない。
これでもし、ユフィーリアに学院長室を訪れていたことがバレればちょっと怒られるかもしれない。異世界出身であることを理由に魔法の実験に使われるのではないかと懸念している彼女は、ショウと学院長のグローリア・イーストエンドが2人きりになることを警戒しているのだ。
それに、学院長から「ユフィーリアの過去については他言無用」と言い付けられている。絶対に言うものか。
「…………」
自分のベッドに戻ろうとしたショウだが、ふとユフィーリアが眠っている天蓋付きベッドへ視線をやる。
カーテンが閉め切られている天蓋付きベッドは、ユフィーリアの姿を完全に覆い隠している。薄い布の向こう側から規則正しい寝息が聞こえてくるので、まだ夢の世界から帰ってきていない。
何が気になった訳ではないが、自然と吸い寄せられるようにユフィーリアの眠る天蓋付きベッドに歩み寄る。カーテンをそっと捲れば、薄暗く狭い空間の中にある立派なベッドに銀髪の美しい女性が布団にくるまっていた。
純銀の髪がシーツの上に散らばり、閉ざされた瞼を縁取るのは銀色の睫毛。桜色の唇から寝息が漏れ、黒い部屋着から伸びる華奢な手足が小さく折り畳まれて縮こまった状態で眠っていた。ベッドは広いのだから縮こまる必要などないのに、まるで猫のように丸まって眠る姿勢が癖になっているようだ。
(女神様で、男の人で、処刑されて)
学院長室で見た、ユフィーリアの過去が脳内で再生される。
世界を終わりに導く女神、エンデとして数々の黒い願いを叶えてきた。その願いに押し潰されそうになった時に、ユフィーリア・エイクトベルという男性と出会って恋に落ちた。
愛する男を奪われ、拷問され、処刑されて、終わりの女神エンデの怒りは妥当なものだろう。今のユフィーリアが害されるようなことがあれば、ショウだってどれほど怒っても物足りない。
エンデの気持ちも理解できるのだ。ユフィーリアは魅力的な存在だからたくさんの人が寄ってくると嫉妬してしまうし、ユフィーリアの望むことは全て叶えたいと思ってしまう。
「ん……」
すると、ユフィーリアが僅かに身動ぎをして、閉ざされていたはずの瞼を持ち上げる。眠気を孕んだ青い瞳でショウを見上げると、
「ショウ坊……? どうした?」
「…………少し夢見が悪くて」
「そっか……」
夢見が悪いと嘘を吐いてしまったが、ユフィーリアは簡単に信じてくれた。それからちょっとベッドの上に隙間を開けると、ぽんぽんとベッドを叩いて主張してくる。
「ほら、おいで……抱っこしてあげるから」
「……ありがとう、ユフィーリア。起こしてごめんなさい」
「気にすんな……」
遠慮なくユフィーリアの隣に身体を横たえれば、真っ黒な長手袋で覆われた両手がショウの身体を抱き寄せる。悪夢を見たと嘘を吐いたことに罪悪感を覚えたが、背中を撫でてくれる手の感覚が心地よくて睡魔がすぐにやってくる。
ひんやりと冷たい彼女の身体に縋り付けば、上から「おやすみ」という言葉と共につむじへ唇が触れられる。それからまた規則正しい寝息が聞こえてきた。
ショウはユフィーリアの華奢な身体を抱きしめると、
(ユフィーリア、俺は貴女を1人にしない)
だから、
(――――今度こそ、離すものか)
睡魔に襲われた思考回路では『おかしい』と気づけず、ショウは意識を手放した。
その日、夢を見た。
目の前には黒髪黒眼の男がいて、互いにカップを傾けている。
とても穏やかな時間だった。男の淹れたお茶に「美味しい」と感想を告げれば、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「可愛い嫁にそう言われちゃ、ちょっと頑張った甲斐はあるな」
男に「頑張った?」と問いかけると、少し恥ずかそうに頬を指先で引っ掻く。
「生まれてこの方、魔法しか勉強してこなかったからな。でも、どうせなら美味いお茶を飲んでほしくて淹れ方を勉強してみた。極めるのはまだ時間がかかりそうだけどな」
苦笑する男に「でも美味しい」と伝えると、
「明日はもっと美味しく淹れるよ」
そんな他愛のない約束に、小さな幸せを感じていた。
彼とまた一緒に過ごせる平和な明日があることを、こんなに望んだ日はないだろう。明日が待ち遠しいと感じるなんて絶対に有り得なかったはずなのに。
この先、男と過ごせる時間は短い。彼は人間で、自分は女神だ。神様と人間では寿命が決定的に違ってくるので、この1日を大切にしなければならない。
――彼が死んだ暁には、自分も彼のあとを追いかけるのもいいだろう。
「エンデ」
男が伸ばしてきた手のひらに頬を寄せれば、彼は愛おしそうに笑いながら言った。
「愛しているよ、ずっと」
男に「本当に?」と問えば、彼は声を押し殺して答える。
「魔法使いってのは、案外一途なんだぜ。魂が巡っても、必ず見つけ出してまた好きになるよ」
ああ、それなら待ってみるのも悪くはないのかもしれない。
姿形が変わったとしても、魂はきっと覚えている。
巡り巡って再び会えた時、またこの男――ユフィーリア・エイクトベルに恋をするのだ。ずっとずっと、この先もずっと、世界が続く限り永遠に。
「私も愛しているわ、ユフィーリア」
世界で最も愛おしい魔法使いへ応じるように、終わりの女神は呪いにも似た愛の言葉を囁いた。
(――――絶対に、貴女を離さない)
《登場人物》
【ショウ】ユフィーリアを愛して止まない異世界出身の少年。自分自身はユフィーリアの為に存在し、ユフィーリアの害になるものを排除するという考えが刷り込まれている。元の世界ではそんな感情を抱く存在はいなかった。
【ユフィーリア】魔法の天才にしてヴァラール魔法学院の問題児筆頭。最愛の嫁を抱きしめながら眠るのは最高だぜ。心の底から「好きだ」と言えるような人物はいなかった。
【終わりの女神エンデ】ヤンデレの化身にして世界を終わりに導く女神様。魂が浄化されてもユフィーリアの存在を覚えていた。「今度こそ離すものか」と決意する。
【ユフィーリア】エイクトベル家次期当主にして魔法の天才だった男。魔法の勉強しかしてこなかったのでお茶を淹れるのは経験があまりない。肉の器が変わっても、記憶喪失になっても、エンデの魂には反応した。