第4話【学院長と異世界少年の真実】
「1人で帰れる?」
「問題ないです」
白く歪んだ三日月――冥砲ルナ・フェルノに腰掛けるショウは、グローリアの心配をよそに自信ありげに答えた。
「不審者がいたら冥砲ルナ・フェルノで焼きます」
「……程々にね」
冥砲ルナ・フェルノがあれば彼の貞操は問題ないだろうが、見つかった場合の不審者の命が心配だ。冥砲ルナ・フェルノで焼き尽くされた時、死者蘇生魔法を適用する以前の問題となってしまう。
「ねえショウ君」
「はい」
「将来的に、君はユフィーリアの子供を産みたい?」
「ぶッ」
率直な質問をぶつけたら、ショウが噴き出した。
人間の魂を宿しているとはいえ、ユフィーリアは神々の身体を持つ絶対優位種だ。しかも超強力な終わりの女神エンデの肉体である。
ショウが望めば、おそらくそういう展開にはなるだろう。これはグローリアが首を突っ込む話題ではなく、ショウとユフィーリアの間で解決すべき問題だ。余計な詮索はなしにしよう。
詮索はしないが、一般的な忠告だけは許してほしい。
「これは君だけが望むんじゃない、ユフィーリアとちゃんと話し合って決めるんだよ。彼女は意外と真面目だから、きちんと取り合ってくれるはずだよ」
「えっと」
「男体妊娠や出産は今でこそ技術も進歩してきたし、命を落とすような危険性は格段に少なくなっている。その辺りは安心していいよ」
「その」
「それと、ちゃんと周りも巻き込んでね。ハルア君やエドワード君は同性として補助してくれるだろうし、君のお父さんにも相談するんだよ。色々と相談して話し合ってから、計画的に実行してね」
「あの、何でそんなに親身に忠告してくれるんですか?」
訝しげな視線を寄越してくるショウに、グローリアは変わらず朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「君たち問題児には困っているけれど、愛を邪魔するような嫌な性格はしていないよ。喜ばしいことにはどんな相手であれ、祝福するさ」
「そうですか」
ショウは「おやすみなさい」と挨拶を残して、冥砲ルナ・フェルノを滑らせる。夜の闇に沈む廊下を静かに移動する冥砲ルナ・フェルノに乗って、異世界出身の少年は根城へ戻っていった。
遠ざかっていくショウの背中を見送って、グローリアは学院長室の扉を閉める。
扉の前に誰もいないことを確認し、学院長室内にも存在しないことを確かめる。この場にはグローリアだけしかいない。魔法で盗聴されているような気配もない。
「ごめんね、ショウ君。僕は君に嘘を吐いたよ」
――実は、終わりの女神エンデの魂は消滅していない。
よく考えれば分かることだが、終わりの女神エンデの魂がこの世から消去されれば存在そのものも消えてなくなる。誰も終わりの女神エンデについて覚えていないし、最初から存在していないことになってしまうのだ。
ところが、終わりの女神エンデは神話上に語られる強い女神として有名である。七魔法王が第七席【世界終焉】と同一視され、魔法神話学を学ぶ生徒にも意外と人気が高い女神様だ。
これには少し絡繰があった。
「――〈再演・名もなき女神の終焉〉――」
グローリアは再び、ショウに披露した時と同じ魔法を発動させる。
北側の大地で最も大きな王国、エンデュミオン。女神の逆鱗に触れたことで地図上から消えた身勝手な王国に翻弄される、旅人のユフィーリアと終わりの女神エンデ。
駆け落ち同然でエンデュミオン王国を立ち去ったユフィーリアとエンデは、ユフィーリアの死によって人間と女神による壮絶な愛の物語は幕を閉じる。愛する男を死なせない為に、終わりの女神エンデは自分の身体にユフィーリアの魂を降ろして自分の魂をこの世から永遠に消し去った。
そのはずである。
「――〈再編・終わりの女神の真実〉――」
グローリアは終わりの女神エンデが、ユフィーリアを想って自分の魂を世界から消去する寸前で別の魔法を重ねがけする。
嘘で覆い隠された過去が再編されていく。
学院長室の中央に浮かび上がる半透明の映像には銀髪碧眼の女神と無残な死に様を晒す男の2人組しかいなかったが、魔法の重ねがけによって第三者が出現する。愛する男の為に自分の身体を譲渡し、魂を消し去ろうと目論む女神の手を、第三者が制した。
『ダメだよ、エンデ。君が消えたら神話がおかしなことになってしまう』
『……貴方は……』
極光色に輝く瞳を、目の前に現れた第三者に向ける終わりの女神エンデ。
第三者の容姿を表現するなら、年若い青年と言うべきだろうか。
烏の濡れ羽色をした髪と朝靄を想起させる紫色の双眸、中性的な顔立ちには朗らかな笑みを浮かべる。不思議な色合いの宝石を使用したループタイと清潔感のある格好は、良家のお坊ちゃんと見えてもいい。
青年は終わりの女神エンデに『初めまして』と挨拶すると、
『僕はグローリア・イーストエンド。始まりの神セイレムの魂と融合した、まあいわゆる神降ろしに成功した人間さ』
『セイレム……聞いたことはある……』
『そうだとも。君の対となる神様と、僕の魂は融合して「グローリア・イーストエンド」という存在が出来上がったのさ』
青年は終わりの女神エンデに手を差し伸べると、
『君は今、危険な状態になっている。君の身体に降ろされたユフィーリア・エイクトベルという男の魂もまた、君の生存を望んでいるようだ』
『そんな……』
『だから君の魂と彼の魂が反発しあって、融合されずに拒否反応が起きているみたいだね。最悪の場合、どっちの魂も弾け飛んで消滅してしまうかも』
『私はユフィーリアさえいればいい……この世界に、ユフィーリアが生きていてさえくれれば!!』
『それなら、君はもう2度とその人に会えなくてもいいのかな?』
『構わない』
肉の器から溢れ出ようとする魂を必死に押しとどめる終わりの女神エンデは、
『ユフィーリアさえいてくれれば……私は、どうなってもいい』
『僕は構うんだよ。君は始まりの神セイレムの対となる存在だから、形だけでも残ってくれないと世界は壊れてしまう』
ポンと終わりの女神エンデの肩を叩いた青年は、
『だから君の魂だけを、どこか別の場所に移動させよう』
そう言って、青年は終わりの女神エンデから光り輝く球体をするりと抜き取った。
光り輝く球体を抜き取られた途端、終わりの女神エンデはその場に倒れ込んでしまう。死んだ訳ではなく呼吸はきちんとしているので、おそらく気絶しているだけだろう。彼女の魂を抜き取ったから、終わりの女神エンデの身体にはユフィーリア・エイクトベルという男の魂が残っているはずだ。
大切そうに光り輝く球体を両手で掬う青年は、そっと魂を虚空に解き放つ。それから浮かび上がっていく球体に手を翳し、
『この世界の記憶があると色々不都合なことがあると思うから、君の魂を浄化して真っ新な状態にしてあげる』
次いで青年は、虚空に大きな円を描いて風穴を開けた。
乱雑な方法だが、異世界転移魔法と同一のものと見ていいだろう。やり方は正しいものと言えないが、今の状況で正しい異世界転移魔法を使えば規模が大きすぎてその前にエンデの魂が消滅してしまう恐れがあった。
青年は光り輝く球体に、空間へ開いた風穴を示す。
『さあ、お行き。この先は君の知り得ない世界が待っているけれど、でもいつか君が戻ってこれるように縁を繋げておこう』
光り輝く球体は少し迷う素振りを見せ、ゆっくりと風穴に吸い込まれていった。
球体の姿が見えなくなったことを確認して、青年は空に開けた風穴を閉ざす。それと同時に足元から呻き声を聞いた。
見れば銀髪碧眼の美しい女性が、ちょうど目を覚ましていた。ぼんやりと色鮮やかな青い瞳で青年を見上げ、不思議そうに瞬きをする。
『あれ……お前誰……』
『やあ、初めまして』
青年は何事もなかったかのような朗らかな笑顔を見せると、
『僕はグローリア・イーストエンド。たまたま通りがかった旅人さ。君はユフィーリア・エイクトベルでいいんだよね?』
『ユフィーリア……? それって俺の名前か……?』
『おっと、君の中でどうやら記憶障害が起きているようだ。君は女性なんだから、そんな乱暴な言葉を使ってはいけないよ』
銀髪碧眼の美しい女性に手を差し伸べた青年は、ニッコリとした笑顔を浮かべて言う。
『さあ行こう、君の新しい人生の始まりを僕は祝福するよ』
そうして、映像は途切れた。
プツリと強制的に解除される魔法。床から消え失せる魔法陣を眺めていたグローリアは、思わず笑っていた。
ああ、本当に何と言うことだろう。異世界へ導いたはずのエンデの魂が、今再びエリシアへ戻ってきたのだ。
「彼女の魂を引き継いだ人間が、まさか君だったとはね。――アズマ・ショウ君」
真っ新な状態にされた終わりの女神エンデの魂は、異世界に渡ったことで変質した。
美しかった銀の髪は夜の闇を想起させる艶やかな黒髪へ、気品溢れる青い瞳は夕焼け空を流し込んだかのような赤色へ変化した。姿形や性別さえ変わっても、彼女の根底にある『愛する者を一途に想い続け、害をなす敵や好意的な人物を排除する強い執着心』は残された。
終わりの女神エンデの魂は引き継がれ、再び愛する男との再会を果たしたのだ。
「お帰りなさい、エンデ。君の帰還を僕は祝福しよう」
白銀の星々が瞬く夜空を見やり、グローリア・イーストエンドは自分の対となる女神の帰還を密かに祝うのだった。
女神と魔法使いの純愛を知る者も、またその真相を知り得る存在も、この世界ではただ1人だけ。
姿形は変わっても、時代が移り変わっても、互いを想って真っ直ぐに愛し続けた女神と魔法使いの純愛は続いていくのだ。
唯一、彼らの愛の秘密を知るグローリアは、
「あはは、また秘密が増えちゃった」
――でも、これ以上に嬉しい秘密なんてないのかもしれない。
《登場人物》
【グローリア】始まりの神セイレムの魂と融合した神降しの成功体。終わりの女神エンデとは対となる存在で、記憶のないユフィーリアに常識等を与えた人物。恩があるはずなのに普段の扱いは脱がされ刺され、悪戯される毎日。
【ショウ】終わりの女神エンデの魂を引き継いだ異世界出身の少年。つまりエリシアには帰るべくして帰ってきた。神造兵器に適合したのも女神の魂の素質を引き継いでいるのが影響だが、本人は全く知らない様子。
【ユフィーリア】最強の女神の肉体と最強の魔法使いの魂を掛け合わせた魔法の天才。真面目にすれば全世界の人類から尊敬される存在なのに、普段のやることなすこと馬鹿ばっかなので残念ながら尊敬されることは今後永遠にない。