第3話【学院長と女神の最期】
「驚いたかな?」
石像のように固まるショウに、グローリアは問いかける。
思考停止状態に陥るのも無理はない。彼が知っているユフィーリア・エイクトベルとは、銀髪碧眼の美しい女性なのだ。自他共に認める魔法の大天才で、物事を『面白い』か『面白くない』かで判断する名門魔法学校を騒がせる問題児筆頭である。こんな逞しい男性ではない。
心から愛した魔女が、まさか元々男性だったとは誰が想定するだろうか。現在は女性だったとしても、真実を知ってしまえば今まで通りに愛せることなんて出来やしない。
グローリアの問いかけに反応を見せないショウだったが、
「ありがとうございます」
何故かその場でお礼の言葉を述べたと思えば、黒髪黒眼の男性めがけて拝み始めた。
「…………ショウ君?」
「今も昔も変わらず格好いい。ぶっ壊れた女神に手を差し伸べる優しさも持ち合わせているとは、さすが俺の自慢の旦那様だ。一生見ていられる」
「ええー……」
両手を合わせて崇拝する神を前にした信者のような態度を見せるショウに、グローリアの方がドン引きした。
大層な啖呵を切っていたと思ったのだが、本当に性別すら意にも介さないとは想定外である。普通なら接し方を変えてもいいはずだが、ショウには関係なかったようだ。
むしろユフィーリア・エイクトベルが男性だろうが女性だろうが、凄まじい病み具合を孕んだ愛情を向けている。彼の愛は間違いなく本物だ。「どんな過去を抱えていようと愛する」という言葉は嘘偽りがないと見ていいだろう。
「えーと、次に進んでいい?」
「ユフィーリアの格好いい話ですか?」
「いや、あの、終わりの女神エンデと駆け落ちするところなんだけど」
ショウから「チッ」と忌々しげな舌打ちが聞こえてきた。
「あの見るからにお人形みたいな女神と駆け落ちですか。目の前にいたら冥砲ルナ・フェルノの餌食にしてやったのに……」
「女神相手に何て発言をするのかな、君は」
「邪悪な願いに押し潰されそうなら俺がこの手で引導を渡してやります。その方がユフィーリアの手を煩わせないで済む」
「話を続けるね」
これ以上聞いているとショウに八つ当たりされそうだったので、グローリアは強制的に場面を展開させた。
ユフィーリアと終わりの女神エンデがエンデュミオン王国から逃げ出し、彼らは身分を隠しながら放蕩した。その旅路で彼らの間に愛が芽生えるのも時間の問題だった。
初めて対等に接し、真っ直ぐに愛してくれるユフィーリアのことを終わりの女神エンデは心の底から好きになった。無表情で感情の起伏が少ないはずの冷徹な女神様が、ユフィーリアにだけは笑顔を向けるようになったのだ。
ここから、終わりの女神エンデは執着心の強い女神だったことが判明している。嫉妬深く、ユフィーリアに害を成す人物やユフィーリアに好意を抱く女性を悉く邪魔したのだ。どこかで覚えのある病み具合を見せる女神様である。
「一方で、終わりの女神エンデがいなくなったことでエンデュミオン王国は窮地に陥った」
今まで願えばエンデュミオン王国に仇をなす存在を退けてくれていた絶対的存在である終わりの女神エンデを失い、エンデュミオン王国の立場は悪くなった。ここぞとばかりに周辺各国が攻めてきて、領土を削られていったのだ。
エンデュミオン王国は総力を上げて終わりの女神エンデを連れ戻そうと躍起になるが、終わりの女神エンデはユフィーリア・エイクトベルというどこぞの馬の骨とも知れない男にご執心である。当然ながら、エンデがエンデュミオン王国に戻るはずがなかった。
だからこそ、
「女神を誑かした大罪人として、ユフィーリアはエンデュミオン王国に捕まってしまうんだ。それから数々の拷問を受けたあと、処刑されてしまう」
終わりの女神エンデが沐浴をしている隙を突かれ、ユフィーリアはエンデュミオン王国へ連行されたのちに処刑されてしまった。
エンデュミオン王国からすれば、信奉している女神を勝手に連れ攫った大罪人である。しかも女神を誑かし、その寵愛を独り占めしようものなら烈火の如く怒りを爆発させる。処刑という最終結論に至るのは当然のことだ。
しかし、終わりの女神エンデは許さなかった。女神にとって、信奉者よりも愛する男の方が大事だったのだ。
「ユフィーリアを処刑されたエンデは、怒り狂ってエンデュミオン王国に関連する全ての情報をこの世から消し去ったんだ」
「消し去った?」
「地図上から存在をなくしたことを始め、国民や王族、エンデュミオン王国が発祥となる文化やエンデュミオン王国を故郷とする人々まで全部だよ」
怒り狂った銀髪碧眼の女神が、土下座で許しを乞う信者たちを次から次へと消していく。国の存在も、民の存在も、記録も何もかもを消し去ってしまった。老人も子供も男も女も貴族も貧民も、分け隔てなく全部を消去したのだ。
そうして名もなき王国と成り果てたところで、終わりの女神エンデはようやく神の権能を振るう暴虐行為を止めた。愛する男を殺した国に関する全ての情報を消して我に返ったエンデがやったことは、死んでしまった愛する男――ユフィーリア・エイクトベルの蘇生である。
だが、これには問題があった。
「死者蘇生魔法を使うには、死体の損耗率を3割未満に止めなければ適用されないんだ。処刑されてしまったユフィーリアの死体はズタズタになっていて、もう生き返らせるどころの話ではなかったんだよね」
「殺します」
「もう死んでるんだよ」
死んだ魚のような目で展開されていくユフィーリアの過去映像を眺めていたショウに、グローリアは静かに指摘した。このままだと映像を相手に冥砲ルナ・フェルノをぶっ放しかねない。
「そこで、エンデは考えた」
愛する男の亡骸を抱く銀髪碧眼の女神は、《《男の魂を自分の身体に降ろすことに決めたのだ》》。
「神降ろしって魔法の儀式は、今でもあるよ。霊魂と成り果てた神様を人間の身体に降ろす技術だね。そうすることで強い魔法を使えたり、神様の権能を借りることが出来たりするんだよ」
「今回の場合は逆ですね」
「そう、神様の身体に人間の魂を降ろすことにしたんだよ」
グローリアは「ここでちょっとお勉強だよ」と続け、
「神様であっても、人間であっても、肉の器に収まる魂は1つだけって設計されているんだ。2つの魂を1つの肉の器で管理することは絶対にあり得ない。いくら神様の身体が頑丈とはいえ、溢れ出てしまうからね」
「じゃあ、この女神がやろうとしていることは」
「間違いなく失敗するよ」
グローリアの言葉通り、終わりの女神エンデはユフィーリアの彷徨える魂を自分の身体に降ろした途端に苦しみ始めた。
身体を折り曲げ、耐え難いほどの喘鳴に苦しむ。痛いのか、息が出来なくて苦しいのか分からないが、青い瞳から大粒の涙を零しながら彼女は額に手を当てた。
ぜえ、はあ、と苦しむ彼女は、空を仰ぎながら唇を開く。そこで初めて、この物語に音声がついた。
『絶死の魔眼、私を消して』
女神は、自分が消えることを選んだ。
『私が消えれば、この人が私の身体に残る。この人が、もっと生きることが出来る』
女神が望んだのは、愛する男の幸せな未来だ。
『私はもう貴方の隣を歩けないけれど、貴方を抱きしめることも出来なくなるけれど、でも――』
消えることに対する恐怖心を押し殺し、大粒の涙を流す彼女の双眸が極光色に染まっていく。あらゆる事象を糸として認識できる魔眼――絶死の魔眼を発動し、終わりの女神エンデは虚空に手を伸ばした。
その先にあるのは、自分を構成する糸だろう。これは彼女にしか見えない光景だ。
最後に、エンデは笑いながら告げた。
『私を助けてくれた貴方を、どうか、助けさせて』
そうして、
――ばつんッ。
糸を引き千切るような音がして、終わりの女神エンデは倒れ込んだ。
「…………消えたんですか」
「うん」
ショウの質問に対して静かに答えたグローリアは、
「でも、ここでエンデの思いもよらない事件が起きてしまうんだ」
「事件が?」
「ユフィーリアの魂を身体に降ろした際、ほんの僅かにエンデの魂と融合している箇所があったんだ。その部分を無理やり引き千切るようにしてエンデの魂が消え去ったから、彼の記憶に影響が出てしまう」
つまり、
『い、てぇ。――ん、あれ? どこだここ』
銀髪碧眼の女がゆっくりと起き上がり、膝の上に転がる死体を見下ろして首を傾げる。
『うわ、誰だよコイツ。酷え死に方だな……』
口調そのものは男性を思わせる乱暴なもので、立ち振る舞いもどこか男らしい。膝の上で転がっていた男の死体を適当な場所に埋めた銀髪碧眼の女は、周囲を見渡して雪の結晶が刻まれた煙管を発見する。
薄汚れたそれの土を払い落として、鼻歌混じりに咥える。白い煙を遊ぶように燻らせる姿は、普段から見慣れた銀髪碧眼の魔女の姿と酷似していた。
グローリアは映像を消しながら、
「こうして、銀髪碧眼の天才魔女ことユフィーリア・エイクトベルが爆誕したのでした。めでたしめでたし」
「悲しい過去ですね」
ショウは赤い瞳を伏せ、
「でも、俺も同じことをすると思います」
「どうして?」
「好きな人に幸せになってもらいたいのは、誰だって同じです。ユフィーリアが理不尽に死んで、もう生き返らないってなったら、俺もきっとユフィーリアの魂をこの身体に降ろすでしょうね」
グローリアへ向き直ったショウは、
「最後にいいですか?」
「何かな?」
「出来れば終わりの女神エンデとやらの映像を出してもらいたいのですが」
「?」
意味不明なお願いをされ、グローリアはとりあえず言われるがままに終わりの女神エンデの姿を魔法で投影する。
浮かび上がる銀髪碧眼の女神様に、異世界からやってきた美少年がやったことは予想していなかったことである。
中指を立てて、過去の女となった女神様に口汚く罵る。
「ざまあみろ、貴女は所詮ユフィーリアの過去の女でしかない。俺がユフィーリアのことを幸せにするから、どこか知らない場所で指を咥えて見ているといい!!」
あははははははは、と自慢げに笑うショウに、グローリアはやれやれと肩を竦めた。
「君ならそう言うと思った」
《登場人物》
【グローリア】終わりの女神の最期と問題児誕生の秘密を知る魔法使い。終わりの女神エンデが消し去ったにも関わらずエンデュミオン王国について覚えていた理由は、女神の終焉が適用されないから。
【ショウ】最愛の旦那様の正体を知っても病み具合溢れる愛情を向ける異世界出身の少年。ユフィーリアはどんな姿になっても好きだが、同担拒否。終わりの女神エンデは過去の女なので敵ではない。
【終わりの女神エンデ】世界の終わりを司る女神。最愛の旦那様をエンデュミオン王国によって殺害され、暴走して国を消し飛ばした。嫉妬深く、また執着心が強い女神と称され、俗に言う「ヤンデレ女神」と名高い。
【ユフィーリア】エイクトベル家次期当主にして一族最強の魔法使い。終わりの女神エンデに強い執着心を向けられてはいたものの、飄々とした態度で躱す。女神のことは一途に愛していたし、彼女以外の女など考えたこともない。