第2話【学院長と終わりの女神】
「昔々、北の大地で最も大きな『エンデュミオン』という王国があった」
学院長室の床に展開された複雑な魔法陣が一層強く輝くと、半透明な王国が浮かび上がる。
規模はなかなかの大きさだと言えよう。周囲を雪が降り積もった山脈に囲まれ、王国の中心には巨大な教会が据えられている。その荘厳な教会は一目で重要な施設であることが判断できる。
蒼穹を穿つかのように伸びた尖塔には逆十字が掲げられ、教会の全ての窓には銀髪碧眼の女性が描かれた硝子絵図が嵌め込まれていた。正統な十字架ではなく逆十字を掲げるあたり、少々特殊な神を信仰していることは予想できた。
半透明な王国の出現に驚くショウは、
「え、何ですかこれ?」
「僕の知り得るユフィーリアの過去を、物語みたいに再編した魔法さ。もちろん触れないし、触れたところで過去に影響はしないよ」
ショウから怪しむような視線が送られるが、やはり半透明な国には興味があるのか恐る恐る教会の逆十字を指先で突いていた。「触れない……」と本当に触れないことを確かめている様子だった。
「まずは前提を教えようか」
「前提?」
「昔はね、人々も神様を認識できたんだよ。人々は神々を崇拝して供物を捧げ、神々はその信仰心に応えて人々を守護してきた。そんな持ちつ持たれつの関係性が築けていたんだ」
現在ではすっかり霊魂のみの存在となり果て、傍観主義を決め込むようになってしまった薄情な連中だが、当時は多くの神様が地上に降りて信仰の対象とされていた。今を生きる若者からすれば考えられない事象である。
神々の身体は非常に頑丈で、常軌を逸した生命力と魔力を有する。世界が存続する限りは生きていけるし、どんなに大規模な魔法でもたった1柱だけで完結できてしまうほど強力な個体だったのだ。現代人からすれば喉から手が出るほどほしい逸材である。
加えて魔法の適正も高いので、弱い魔法を使っても出力が高くなりすぎてしまうのだ。ちょっと焚き火をしようと思ったら山火事を起こした、という神話もあるぐらいである。
「さて、話を戻そう。このエンデュミオンという王国には、1柱の女神様が祀られていた」
場面が切り替わり、1人の女性が半透明の状態でショウとグローリアの前に出現する。
引き摺るほど裾の長い真っ黒なドレス。王冠のような突起物を頭頂部に据え、垂れ落ちた薄布が顔全体を覆い隠す。
薄布の下に隠された顔立ちは、さながら高級人形を想起させる飛び抜けた美しさを持っていた。透き通るような銀の髪が背中を流れ、宝石の如き気品溢れる青色の双眸には憂いの光を湛える。
ヴァラール魔法学院の問題児筆頭、ユフィーリア・エイクトベルがそこにいた。
「ユフィーリア……?」
「彼女の名前はエンデ、世界の終わりを司る女神様さ」
ゾッとするような無表情のまま佇む銀髪碧眼の女神様を眺めるグローリアは、
「エンデは七魔法王の第七席【世界終焉】の前身と言われているんだ。まあ確かにそうなんだけどね」
世界を終わりに導く存在である第七席【世界終焉】と、終わりの女神エンデはしばしば同一視されている。というかエンデと【世界終焉】はどちらも同じ存在なのだから、人類は随分と察しがいいと言えよう。
中には「終わりの女神エンデの加護を、第七席【世界終焉】が受けているんだ」と主張する輩もいるのだが、エンデ本人が第七席【世界終焉】なので加護もクソもない。どちらも世界を終わらせる存在であり、どう解釈するのかは本人たちの自由だが、少なくとも真実はこの通りである。
じっと終わりの女神エンデを見つめるショウは、
「……綺麗なだけで生きている気配がしない、やり直し」
「いや、やり直しとかないから。事実に基づいているからね、彼女の容姿は」
「気に食わないんで次に行ってもらっていいですか?」
「ええ……」
いつもは銀髪碧眼の魔女にご執心な彼だが、見た目が大人しいだけで気に食わないとかあるのだろうか。
不機嫌そうな表情で終わりの女神エンデを睨みつけるショウを横目に、グローリアはとりあえず次の場面へ進むことにした。
次の場面は多くの人間が終わりの女神エンデの前に平伏している光景である。一般人やボロボロの衣服を身につけた貧民は想像できるが、王国を取りまとめる存在である王様さえ女神の前で傅いているのだ。
それもそのはず、神様は王様よりも強い権能を持っている。特に終わりの女神エンデの権能は他の神々と一線を画しており、彼女の権能にあやかろうとする人間は大勢いた。
「彼女は縁切りや破滅などを司るんだ。だから『あの国を滅ぼしてほしい』とか『あの人間が嫌いだから殺してほしい』などの願いを、彼女は願われるままに叶えていたんだよ」
強い女神の加護を受け、エンデュミオン王国は一強を極めた。
女神に願えば、どんな国も滅ぼして従えることが出来る。どんな人間も平伏させることが出来る。女神を信仰すると同時に、エンデュミオン王国の民はどんどん調子に乗っていった。
信仰して、供物を捧げれば、女神が気に食わない国や人間を退けてくれる。他の国はエンデュミオン王国に媚び諂うようになり、逆らう人間は誰1人としていなくなった。
――女神本人がおかしくなるまでは。
「願えば叶える、対価が支払われればきちんと機能する。それが終わりの女神エンデだったんだ。冷徹で無表情、感情の起伏なんて存在しない彼女だったんだけど、いつしか壊れていったんだ」
黒いドレスを身につけた銀髪碧眼の女性が、苦しそうに蹲っている場面に移行する。
エンデュミオン王国の民が抱える黒い願いが、ついに終わりの女神エンデを狂わせたのだ。
重くのしかかる「滅ぼせ」「殺せ」という邪悪な願いの数々。他者の滅びを望み、自分たちの王国がより繁栄することをエンデュミオン王国の民は終わりの女神エンデに強要した。対価である供物を捧げればどうせ願いは叶う、などと安易に思いながら。
黒い願いに押し潰されそうになる終わりの女神エンデへ、グローリアは憐憫の視線を寄越す。
「本当に、何でこんなに苦しむまで叶えちゃったかな」
「調子に乗らせるからいけないのでは?」
「君は辛辣だね」
「供物に人間の命ぐらいは要求してもよかったんじゃないですかね。国を滅ぼすなら100人単位で人身御供を寄越せぐらいは言えるでしょう、神様なんだから」
「いや本当に辛辣だなぁ」
しれっとそんな意見を平然と述べるショウに、グローリアは苦笑した。
「さて、そんな女神の前に1人の男性が現れる」
「はあ」
場面が再び切り替わり、苦しそうに呻く終わりの女神エンデに手を差し伸べる男性が出現した。
ボサボサの黒い髪、黒曜石を思わせる双眸。精悍な顔立ちに快活な笑みを浮かべ、真っ直ぐに終わりの女神エンデに向かって手を差し出している。
年齢は20代後半か、多く見積もっても30代ぐらいだろう。男性の平均よりも身長は高く、身体は鍛えられているのか真っ黒な外套の下から覗く肉体は逞しい。
「その男は、とある魔法使い一族の長男坊だった。次期当主になるのも夢ではないと言われ、本人もその意思があって魔法を学ぶ旅をしている最中だったらしい」
彼は豊富な魔法の知識を有し、星の数ほどある様々な魔法をさながら手足の如く操ることが出来る魔法の大天才だった。
「特に得意だった魔法は氷の魔法。でも使いすぎた影響で、身体に冷気が溜まる『冷感体質』という体質になってしまったんだ」
身体に冷気を溜めない対策として、彼は雪の結晶が刻まれた煙管で身体に溜まった冷気を吸い上げることで体温を一定に保っていた。
「戦い方はちょっと特殊で、巨大な鋏を分割して双剣に見立てて戦うんだ。魔法使いの一族なのに身体強化系の魔法を使わないでも運動神経が抜群で、暴走した魔法動物とかに襲われても平気だった」
雪の結晶が刻まれた愛用の煙管を銀製の鋏に変形させ、それを双剣のようにして戦うことが彼の中で常識だった。
「彼の名前は、ユフィーリア・エイクトベル。今はもう取り潰しとなってしまった名門魔法使い一族『エイクトベル家』の次期当主にして、一族で最も強いと言われた魔法の大天才だよ」
星の数ほど存在する魔法を自由自在に使いこなす才能も、豊富な魔法の知識も、魔法に関する事象に貪欲な部分も、雪の結晶が刻まれた煙管で冷気を吸い上げるところも、鋏を双剣にして戦う姿も、何もかもが銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルと似通っている。相違があるのは姿と性別ぐらいだ。
黒髪黒眼の男を見つめたまま石像よろしく固まるショウに、グローリアは真実を告げる。
これは決して嘘ではない。夢でもない。本当に起きた現実での話であり、目の前の男の名前は紛れもなく本物であるということを。
「ユフィーリアはね、本来は男性なんだよ。彼女はもう、自分の本当の性別すら覚えていないみたいだけど」
《登場人物》
【グローリア】問題児の過去を知る唯一の人物。もちろん実際に見てきたから話せることである。
【ショウ】これから愛する旦那様の過去を知る人物。終わりの女神? 誰だか知らないけどお前はお呼びではない。たとえユフィーリアに姿が似ていても、だ。
【終わりの女神エンデ】世界の終わりを司る女神。銀髪碧眼の美しい容姿を誇るが、感情の起伏に乏しく笑わないことで有名。
【ユフィーリア】エイクトベル家の長男にして次期当主。家は身体能力が高い戦闘に特化した魔法使いを多く輩出し、当時は歴代最強の呼び声が高かった。