第4話【問題用務員と眼鏡作成の経緯】
物体記憶時間遡行魔法という早口言葉に使われそうな魔法が展開され、荒れ果てた用務員室に3つの人影が出現する。
彼らの周りには大量の酒瓶が転がっていた。どれもこれも購買部で購入した覚えのある代物である。
給料日が到来したので購買部で大量に酒を買い込んで、用務員室で酒盛りをしていたのだ。何となくではあるが、ここまでなら記憶にある。ただし話の内容までは覚えていないのだが。
魔法によって再生される過去のユフィーリアが硝子杯に注がれた酒を一気に飲み干して、
『――ショウ坊の風呂って覗き見しちゃダメかな』
何言ってんだろう、この馬鹿。
『覗きは犯罪じゃんねぇ』
『合意があればよくねえか?』
『合意も何も、ユーリがショウちゃんに頼めばその場で脱ぐよぉ。色々と』
手酌で硝子杯に酒を注ぎ入れるエドワードが、
『大体、何でお風呂なのぉ?』
『火照って赤みが差したショウ坊の肌とかえっちじゃん?』
『綺麗な女の人で再生すれば確かに同意できるけどねぇ』
酔っ払いによる馬鹿な会話に目も当てられない。今すぐ耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。
実際、エドワードは「こんな会話してたのぉ……」と頭を抱え、一緒に酒を飲んでいたアイゼルネは「おねーさん、どうしてこんな馬鹿な会話を笑って聞いていたのかしラ♪」などと首を傾げている。疑問もクソもない、酔っ払っていたのだから仕方がない。
新たな酒瓶の栓を開ける過去のユフィーリアは、
『あ、そうだ』
『何よぉ』
『眼鏡を作ればよくねえ? ほら、人間が全裸に見える魔法をかけて』
そんなことを言っているが、動機は『最愛の嫁の裸を合法的に見たい』という下心満載なものである。過去に戻れるなら自分をぶん殴ってやりたい。
『また魔法薬を調合するのぉ?』
『んにゃ、こうなると呪術の類になるかな。何かそういうのあった気がする』
『用務員室の本棚には呪術系の魔導書が少ないわネ♪』
硝子杯に注いだ葡萄酒を傾けるアイゼルネが、どこな酔っ払ったような雰囲気のある声で言う。随分と酒を飲んでいたのか、彼女の周辺には葡萄酒の空き瓶が数本ほど転がっていた。
『やっぱり魔導書図書館にある魔導書がいいのかしラ♪』
『魔導書図書館なら呪術系の魔導書も大量に置いてあるだろ』
ふらふらと頭を揺らすユフィーリアが握ったものは、いつも魔法を使う際に杖の代わりとして用いる雪の結晶が刻まれた煙管だ。
それを2度ほどくるくると円を描くように回せば、ドサドサと大量の魔導書が用務員室の床に落ちてくる。初級から上級の呪術系魔導書で、古いものから新しいものまで多岐に渡る。
転送魔法によって用務員室に無断で召喚された魔導書を手に取ったユフィーリアは、
『読めない……』
『え、老眼?』
『ユーリってば老眼なノ♪』
『失礼な奴だな、老眼じゃねえよ。目が霞んでる……』
ぐしぐしと目元を擦るユフィーリアだが、それがおそらく酒精が原因とは夢にも思っていないらしい。
酔っ払いながらも魔導書を懸命に読み解く過去のユフィーリアは、唐突に立ち上がるなり自分の事務机に歩み寄った。引き出しをガタガタと開けたり閉めたりを繰り返して、何かを取り出してくる。
銀縁の眼鏡だ。本を読む際にたまにかけるのだが、何の変哲もない普通の眼鏡である。最近では使わなくなって久しい。
ユフィーリアは酒が並々と注がれた硝子杯を揺らすエドワードに、銀縁眼鏡を手渡す。
『くれるのぉ?』
『試しにその眼鏡へ呪いをかける。外れたらやべえから持ってろ』
『え、外れるとかあるのぉ? 止めてよユーリ、お前さんノーコンなんだからぁ』
『大丈夫、大丈夫。魔法を外したことねえから』
ユフィーリアは多くの魔導書を広げて、それらを『んー』と吟味する。広げられた頁には見るものを変化させる形式の呪文ばかりだが、その呪文が長すぎた。とてもではないが、酔っ払いが唱えられる量の呪文を超えている。
何が大丈夫なのだろうか。過去の自分は酔っ払いながらも呪術を成功させる術を持っていたのか。もう酒を飲みながら馬鹿な発想はしないと心に誓うが、記憶さえも失うぐらいだから何をするか分かったものではない。
やけに真剣な目つきでエドワードの持つ銀縁眼鏡と向き合うユフィーリアは、
『――んー、むにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃむにゃむにゃ』
呂律が回っていなかった。完璧に「むにゃ」しか言ってねえ。
しかし呪術は呂律の回っていない馬鹿な呪文でも発動したのか、紫色を帯びた煙みたいなものが銀縁眼鏡に纏わりつく。煙は銀縁眼鏡に吸い込まれていき、邪悪な空気みたいなものを纏っていたが、やがて何事もなかったかのように消える。
エドワードから呪術を付与された銀縁眼鏡を受け取り、試しにユフィーリアは眼鏡を覗き込んでみた。さて、あの呂律の回っていない阿呆な呪文でも呪術は成功しているのだろうか。
『お、凄え』
『何がぁ?』
『エドが全裸に見える』
どうやら成功してしまったらしい。
『うははははは凄えなこの眼鏡!!』
『えー、俺ちゃんも見たぁい』
『次はおねーさんネ♪』
『おういいぞ、見ろ見ろアタシのダイナマイトボディ』
銀縁眼鏡を代わる代わる覗き込んで、その呪いの効果を確かめる酔っ払いども。かろうじて眼鏡はかけていないので、1度装備したら2度と外せないというオチを迎えていない。
下品にゲラゲラと笑いながら人間が全裸に見える呪いの眼鏡を開発してしまった酔っ払いどもは、眼鏡の効果をしっかりと堪能する。3人で使い回して全裸になっていることを確認し、涙が出るほどひっくり返って笑っていた。何が楽しいのだろうか。
それからユフィーリアはとんでもない方向に舵を切ってしまった。
『あ、これ全校生徒と全教職員に配ってやろうぜ。みんな見たいだろ、全裸』
『いいねぇ』
『素敵だワ♪』
『いやー、アタシってば世界で1番優しい魔女だな!! もう溢れ出る優しさに世界中の人間が平伏してもおかしくねえわ!!』
酔いも相当回っているのかゲラゲラと笑いながら、ユフィーリアは錬金術の魔導書を本棚から引っ張り出す。物を増殖させる魔法は錬金術が最も適している。
雪の結晶が刻まれた煙管を指揮者のようにツイと動かし、召喚したのは魔法役の調合に使われる大釜である。そこに先程の呪われた眼鏡をぶち込んだユフィーリアは、錬金術を駆使して同じような眼鏡を量産していった。
大釜から溢れ出てくる大量の銀縁眼鏡を楽しそうに拾い集める酔っ払いどもは、
『じゃあお届けするか♪』
『俺ちゃんはマスターキーやるねぇ♪』
『みんなの反応が楽しみだワ♪』
大量の眼鏡を抱えた馬鹿野郎どもが用務員室を飛び出したところで、物体記憶時間遡行魔法は終了した。
「…………」
学院長からの冷ややかな視線が突き刺さる。何故か見た目は骨格標本なのに、ポッカリと開いた眼窩から放たれる威圧感が凄い。
「何か、言い訳は?」
「特に」
「何もぉ」
「ないですネ♪」
「そうか、そうか。君たちはそんな性格だろうと思ったよ、この馬鹿」
グローリアは深々とため息を吐き、
「マスターキーって、あれか。朝に扉が壊されていた理由はそれか」
「多分な、学院長室の施錠魔法って意外と複雑だから面倒でエドにぶっ壊してもらったんだと思う」
「本当にお馬鹿!! 考えられないほどお馬鹿!!」
「エド、言われてんぞ」
「君に言ってんだよ、ユフィーリア!!」
グローリアの金切り声が鼓膜に突き刺さり、ユフィーリアは明後日の方向を見上げる。
失われた記憶の全貌は分かった。下心満載の問題行動で、この呪われた銀縁眼鏡が開発されたことも理解できた。
不純すぎる動機にユフィーリアは頭を抱えざるを得なかった。何が「ショウ坊の裸を合法的に見る方法」だ。絶対にドン引きされるに決まっている。好感度の急降下は待ったなしだ。
「えーと、あの、ショウさん? ちょっとよろしいです?」
「…………何だ?」
物体記憶時間遡行魔法によって下心を暴露されたユフィーリアは、最愛の嫁であるショウに言い訳を述べる。
「あ、あのー、その、出来ればぁ、えっとですね……」
「ユフィーリア」
「はいそのすみません完全に下心です変態です気持ち悪がらないでくださいお願いします」
秒速の土下座を披露したユフィーリアだが、ショウの次の言葉で思考回路が停止しかけた。
「言ってくれればいつでも脱ぐぞ?」
「…………はえ?」
「言ってくれれば、俺はいつでもユフィーリアの為に脱ぐぞ?」
土下座をするユフィーリアの頭にポンと手を置いたショウは、
「脱がせるからにはどういうことをするのか、理解しているだろう?」
「え、あのショウさん、まだ早いんじゃないですかね? そのほら、成人してないですし? 出会ってまだそんな時間も経過していないっていうか婚前交渉はさすがに親父さんも許してくれないっていうか」
「何を言っているんだ、ユフィーリア」
上から降ってくるショウの声は非常に穏やかだ。今が骨格標本みたいな状態でなかったら、きっと惚れ惚れするほど綺麗な笑顔を浮かべていたことだろう。最愛の嫁の笑顔が妙に怖い。
「俺は経験があるぞ、数え切れないほどに」
そうだった、ショウは元の世界で性的虐待も受けていたことをすっかり忘れていた。
「はいはい、ショウ君。ユフィーリアと朝からイチャイチャするのは夫婦として素敵な時間だと思うけど、犯人に責任を取らせなきゃいけないから連れて行くね」
「え?」
最愛の嫁めがけて土下座の真っ最中だったユフィーリアの首根っこを、グローリアが問答無用で掴んできた。手つきに容赦はなく、そのままずるずると引き摺られていく。
犯人に責任を取らせるということは、責任を持って呪われた眼鏡を回収しろということだろうか。それを今の時間からやる?
グローリアに引き摺られるユフィーリアは、
「あのー、グローリア」
「何かな?」
「それって朝飯食ってからじゃ……」
「ダメ」
「デスヨネー畜生この野郎」
ユフィーリアは「横暴だぁ!!」と叫びながら、グローリアにずるずると引き摺られて用務員室から連れ出されるのだった。
横暴も何も、今回ばかりはユフィーリアたち問題児が完全に悪い。そんな邪悪なものを面白半分で生み出しておきながら、回収しないのはあれである。
呪われた眼鏡を回収する為に『絶死の魔眼』の使用を強制させられることになったユフィーリアは、もう酔っ払うほど飲まないと強く心に誓うのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】完全に下心からトンチキ呪いの眼鏡を作成してしまった魔法の天才。酔っ払っていても呪術と錬金術を成功させるほどの腕前。
【エドワード】酔っ払っていたので正常な判断が出来ず、マスターキーとして魔法で施錠された扉を次々と破壊した。
【アイゼルネ】部屋に侵入したことがバレない為に幻惑魔法を使って寝ている全校生徒・全教職員から気配を消した。酔っ払っていても幻惑魔法は達人の域。
【ショウ】ユフィーリアの下心さえも愛せる完全無欠のお嫁様。ただし全裸を望むならどうなるか分かるだろう?
【ハルア】日増しに後輩が上司を掌握しているように見えて怖いが、まあ可愛い後輩なので大丈夫だろう。今回は1番の蚊帳の外。
【グローリア】完全に被害者な学院長。朝から見たくもないブツを見てしまったし、自分には何の利益もない。ただ「むにゃむにゃ」だけで呪術を成功させたユフィーリアの腕前には驚いた。
【スカイ】コイツら本当にエロトラップダンジョンに放り込んでやろうかな。