第9話【問題用務員と夜の結婚式】
ヴァラール魔法学院の大食堂を貸し切った披露宴は、まさにお祭り騒ぎと表現するのが最適だ。
花婿側の参列者は軒並み葬式の如く沈んだ面持ちだが、花嫁側の参列者は酒盃を掲げて飲めや歌えやの大騒ぎである。酒宴が大好きな第五席【世界防衛】の席に座る八雲夕凪も喜んで混ざるものだから、収拾がつかなくなって大変だ。
様々な種類の料理が並び、酒樽も大量に開け、結婚式の関係者は「今日は無礼講だ!!」などと叫びながら赤ら顔で酒盃を傾ける。無礼講もクソもない。仮にも王族の関係者なのだから、もう少し品のある飲み方が出来ないものだろうか。
賑やかすぎる披露宴会場の片隅で麦酒をチビチビと消費するユフィーリアは、
「今すぐ逃げたい」
「その気持ち分かるよぉ」
隣で同じく麦酒が並々と注がれた硝子杯を傾けるエドワードが、ユフィーリアの意見に賛同した。
エリザベス王女のゴリラになる呪いを解いた功労者ということで、第七席【世界終焉】であるユフィーリアも披露宴会場に引っ張り込まれたのだ。大量の酒を勧められたのは嬉しいことだが、いつボロが出るか分からない緊張感を漂わせながら飲む酒はあまり美味しくない。
出来れば今すぐこの場所から離脱したかった。そして第七席【世界終焉】の格好を着替えてから披露宴会場に突撃し、美味しくお酒を飲みたいところである。今の状況は苦行でしかない。
空っぽになった硝子杯を揺らすエドワードは、麦酒の大瓶から硝子杯に中身を注ぎ入れながら問いかけてくる。
「そういえばユーリさぁ」
「何だよ」
「よく王女様が呪われてたって分かったねぇ。生まれてからゴリラじゃなかったんだねぇ」
「アイゼに情報収集を頼んだからな」
アイゼルネの高い情報収集能力によって、エリザベス王女が何故ゴリラになる呪いをかけられたのか理解できた。
彼女はあまりに愛らしく、あまりに美しい王女に成長することを予見され、その美貌に嫉妬した悪い魔女が王女にゴリラとなる呪いをかけたのだ。執念深い呪いは高名な魔女や魔法使いでも解除できなかった代物だが、この度ユフィーリアが簡単に解いてしまった。魔法の天才と名高いユフィーリアの手にかかれば、この程度の解呪など朝飯前だ。
麦酒を飲み干して空っぽになった硝子杯を置いたユフィーリアは、
「このままだと吐くから、ちょっと外の風に当たってくるわ」
「廊下で吐かないでよねぇ、ユーリ。今の格好を考えてよぉ」
「おう、だからしばらく第七席のフリして座っててくれ」
「俺ちゃんは生贄なのぉ!?」
背中に投げつけられるエドワードの悲鳴を無視し、ユフィーリアは披露宴会場からひっそりと離脱した。
☆
少し飲み過ぎた影響で、足元が覚束ない。
「おえッ、気持ち悪い……」
今日は様々な酒を飲まされたからか、酔いが早い気がする。
なおかつ、第七席【世界終焉】の仕事は疲れるのだ。やはりいつものように、問題児としてヴァラール魔法学院を騒がせていた方が性に合っている。第七席【世界終焉】の仮面は、誰に背負ってもらっても重いものだ。
夜の帳が下りた静かな廊下を彷徨うユフィーリアは、
「お、あったあった」
どこまで歩いてきたのか覚えていないが、とりあえず外へ繋がる扉を発見できた。
観音開き式の扉は施錠されておらず、軽く押しただけで開かれる。キィと蝶番の軋む音が耳朶に触れ、扉の隙間から冷たい夜の風が吹き付けた。
目が覚めるような冷たい風のおかげで、酔いも少しばかり覚めたようだ。脳味噌が徐々に鮮明さを取り戻し、この場所がどこなのか判断できるようになる。
夜の闇に浮かぶ白い教会と、森に囲まれた湖に浮かぶ純白の花の群れ。陸地と教会を結ぶ真っ白な桟橋は、どこか幻想的な雰囲気を纏って伸びていた。
「エテルニタ教会かよ……こんなところに用事なんてねえよ……」
ユフィーリアはげんなりと呟く。
エリシアで最も神聖な教会――エテルニタ教会。
問題児であるユフィーリアから見れば、何の面白味もない場所である。ただ真っ白な建物と真っ白な花が咲き誇るだけの、清純な色に統一されたつまらない空間だ。普段は厳重に施錠されているものの、魅力的な場所ではないので放置していた。
こんな場所に用事なんてない。別の場所に移動しようと踵を返すが、
「…………?」
ユフィーリアは夜の闇に浮かぶエテルニタ教会に振り返った。
教会の扉が開いているのだ。観音開き式の扉が僅かに開いており、誰かが教会にいることを示している。
こんな教会を訪れる人物など想像できない。聖職者である第六席【世界治癒】のリリアンティア・ブリッツオールが夜のお祈りにでもやってきたのかと考えるが、彼女は披露宴会場にて花嫁のエリザベス王女と談笑していた記憶がある。ユフィーリアより先にエテルニタ教会へやってくることが出来るだろうか。
「ええー……誰だよ……」
もし不審人物であれば、間違いなくユフィーリアに疑いがかけられる。何故ならユフィーリアは問題児だ、何かにつけて犯人扱いされるのが日常茶飯事である。
せっかくの祝いの空気をぶち壊すような真似は回避したいところだ。教会に忍び込んだ馬鹿野郎に説教をして、自分自身が悪くないことを証明しなければならない。
ユフィーリアは深々とため息を吐き、
「おーい、誰が教会でお祈り中だ? それとも今日の結婚式を真似でもしてんのか?」
適当な声をかけながら桟橋を渡り、ユフィーリアは半開きとなったエテルニタ教会の扉を開く。
明かりの落ちた教会内は静まり返っており、窓から差し込む青白い月明かりが照らし出す。誰も座っていない長椅子が等間隔に並び、花嫁が歩く為の花道が祭壇に向けて伸びている。
名もなき女神の石膏像が掲げられた祭壇の前で、真っ黒なドレスに身を包んだ花嫁が立ち尽くしていた。高い位置に嵌め込まれた硝子絵図をじっと見上げていたが、ユフィーリアの存在に気づいて鷹揚とした態度で振り返る。
面隠しの薄布を取り払い、真っ黒な花嫁衣装を着たその人物は「ユフィーリア?」と名前を呼んできた。
「ショウ坊、こんなところで何してんだよ」
「ユフィーリアこそ、今は披露宴の真っ最中では?」
エテルニタ教会への侵入者は、ユフィーリアの最愛の嫁であるショウだった。夜の闇にも負けない赤い瞳が不思議そうに瞬いている。
「酒の飲み過ぎで夜風に当たろうかと思ってな。ちょうどここまで来たところで、教会の扉が開いてたから濡れ衣を着せられる前に犯人を捕まえようかと」
「ユフィーリアらしいな」
ショウは小さく笑った。その笑顔は本日の花嫁であるエリザベスさえも凌ぐ可愛さだった。
「で? アタシの可愛いお嫁さんは、教会にやってきて何してたんだ?」
「……今日の新郎新婦は、とても幸せそうだったなと」
ショウは祭壇に掲げられた女神の石膏像を見上げると、
「俺もいつか、あのような結婚式を挙げられるだろうか」
「あれ、もしかして結婚式すら挙げられない甲斐性なしって思われてる?」
「そんなことはない。ただ――」
ショウは心配そうに瞳を伏せると、
「貴女に嫌われたり、飽きられたりするのが嫌だ……お別れになるような未来は嫌だと思って」
「ショウ坊」
ユフィーリアは祭壇の前に佇むショウに、大股で歩み寄った。
将来を憂うショウの姿も可愛いものだが、少し聞き捨てならない言葉が出てきた。嫌ったり、飽きたり、浮気をするなど以ての外である。
普段こそ「可愛い」と言ってばかりだが、ショウのことを好きだからこそ心の底から可愛いと感じるのだ。たとえ彼が呪いでゴリラになろうとも、ユフィーリアはショウが相手ならゴリラでも「可愛い」と全力で褒める所存だ。
驚くショウを抱き寄せたユフィーリアは、
「心外だな、アタシがお前以外を嫁に選ぶと本気で思ってる?」
「貴女はとても魅力的な人だから、きっと俺よりも素敵なお嫁さんが現れるんじゃないかって」
「じゃあショウ坊、アタシがお前以外に目移りしたらどうするんだよ」
「え……」
ショウは「それは……」と少し言い淀み、
「ユフィーリアに知られないように山へ埋めるか……それとも湖に沈めるか……バラバラにして家畜の餌にするか……」
「目移りするどころの選択肢じゃねえのはご存じ?」
可能性は虚数の彼方だが、ユフィーリアが浮気をすれば浮気相手が死亡する未来が確定である。しかもご丁寧にも死体の処理方法まで選択肢いっぱいだ。
しかし、何を心配することがあるだろうか。
逆にユフィーリアが心配である。ショウはこれほど可愛く素直な人間なのだから、彼を好きになる人物は大勢いる。今も『学院の天使』と密かに呼ばれているぐらいなのだ、ユフィーリアよりいい男に迫られでもしたらコロッと乗り換えれてしまうかもしれない。
「アタシだって『こんな問題行動ばかりする馬鹿野郎に付き合っていられない』と愛想尽かされるか心配で心配で」
「絶対にない」
ショウは真剣な表情で断言した。
「俺はユフィーリアが好きだ。心の底から愛している。貴女以外に必要じゃないし、俺には貴女がいてさえくれれば他には何もいらない」
「うーん、熱烈なお言葉」
狂おしいほど熱烈な愛の言葉に、ユフィーリアは苦笑する。
「ショウ坊、アタシはお前のことが好きだ。世界で誰よりも愛してる」
「俺もだ、ユフィーリア」
「だから『嫌われるかもしれない』とか『飽きられるかもしれない』とか、面白くねえ考えはもう止めろ。どんなことがあっても嫌いになったり、飽きたりしねえから」
「…………うん」
安堵したように微笑むショウの頬に手を添え、ユフィーリアはそっと唇を近づける。キスの気配を感じ取ったショウもまた、瞳を閉じて受け入れ態勢を整えた。
徐々に唇が近づき、吐息が触れ合う距離まで詰めた。あとは唇を触れさせ合うだけである。
それなのに、2人の愛を誓うキスの邪魔をする馬鹿野郎どもがいた。
「あ」
――何か聞き慣れた馬鹿野郎の声が鼓膜を揺らした。
「ちょ、ハルちゃん何で声出すのぉ」
「だってちゅーするから」
「あと少しだけ我慢しましょうネ♪」
どうやら馬鹿どもによるデバガメらしい。
「ユフィーリアも『好きだ』とか『愛してる』だなんて言うんだね」
「ウッヒョー、ヤンデレ最高ッスわ性癖に刺さるゥ」
「あらあらまあまあ、いつも図書館からエロ本を借りパクしていた人とは思えない純愛な一幕ですの」
「いけ、そこだ、やれ、ブチュッとやれブチュッと。ついでに舌も入れてしまえ」
「ほほーう、これはいいネタが見れたモンじゃのう」
「はわわわわ、きょ、教会で何を、いえ別にこういうことに興味がない訳では、おお神よ身共の不埒な愚行をお許しください」
その馬鹿どもが増えやがった。
「…………」
「ユフィーリア?」
キスの受け入れ態勢万全の状態だったショウは、首を傾げてユフィーリアの名前を呼ぶ。いつまで待ってもちゅーが来ない故の可愛い行動だった。
ユフィーリアは、いつのまにか閉ざされていたエテルニタ教会の扉に視線をやる。
ほんの僅かに開いた隙間から、いくつもの眼球が見え隠れしていた。デバガメどもが積み木のように重ねられて、教会での神聖な愛を誓う行動を覗き見している様子だった。揃いも揃っていい度胸である。
「ショウ坊、5秒待てるか?」
「?」
不思議そうに瞳を瞬かせるショウに、ユフィーリアはツイと指を空中に滑らせた。
その動きに合わせて、エテルニタ教会の扉が開かれた。
扉が強制的に開かれたことで、隠れていたデバガメどもが一斉に教会へ雪崩れ込んでくる。唐突に扉が開いた原因とユフィーリアの冷たい視線を受けて、デバガメ行為をしていたエドワード、ハルア、アイゼルネの3人と七魔法王どもは揃って愛想笑いで誤魔化し始めた。
「え、全員!? な、何をして」
「ショウ坊」
デバガメの存在に驚くショウに、ユフィーリアは流れるような動作で彼の唇を奪った。
実の父親や先輩用務員たちが見ている場所で、堂々としたキスである。
そっと唇を離せば、ショウの白い肌は茹蛸のように赤く染まっていた。ふるふると肩を震わせる可愛い嫁に、ユフィーリアは茶目っ気たっぷりに舌を出しながら言う。
「悪いな、アタシはデバガメされるなら堂々と見せつける性格なんだわ」
――次の瞬間、ショウからの照れ隠しでユフィーリアの綺麗な顔面に拳が突き刺さった。後悔はもちろんしていない。
《登場人物》
【ユフィーリア】デバガメされるなら見せつける派。自分自身はデバガメしちゃうし、何だったらネタとしてしばらく強請る。
【エドワード】何か上司のラヴシーンによく出くわすが、今回は完全に自分で意思を持ってデバガメしに行った。
【ハルア】1番デバガメに向いていない人物。声を出してバレちゃうし、静かに出来ないから最後まで見られない。
【アイゼルネ】デバガメを喜んでしちゃう。元娼婦なので噂話など大好き。
【ショウ】ユフィーリアとのラヴシーンを覗き見されて恥ずかしさのあまり拳が出た。他人の場合だったらデバガメしちゃうし、しばらくの間ニヤニヤした目で見ちゃう。
【グローリア】あの問題児筆頭が、まさか嫁の前ではあんなにデレデレになるのが意外だった。今回のデバガメの言い出しっぺ。
【スカイ】ショウのヤンデレ成分が見れたので満足。
【ルージュ】普段からエロ本を借りパクする問題児筆頭が、まさか嫁の前では猫を被っているだなんて意外である。
【キクガ】愛する息子が愛した相手はもう自分の子供と思っているグレートファーザー。そのままえっちぃこともしていいと思っている。
【八雲夕凪】2人のやり取りは甘酸っぱくて初々しいと思っている。
【リリアンティア】覗き見行為はいけないことと理解しているが、それでも気になって止まらない。年頃の女の子みたいである。