第8話【問題用務員と愛の誓い】
「フレデリック王子!?」
「そんな……何てことを……!!」
「七魔法王ともあろうお方が、王子を愚弄なさるおつもりですか!!」
花婿側の批判がユフィーリアへ集中する。
エリザベス王女と対峙するフレデリック王子は、それはもう見事なゴリラと化していた。バナナに仕込んだ魔法薬は成功である。フレデリック王子の為に誂えられた背広もゴリラ化によってパツパツに布地が伸びてしまい、今にもはち切れそうな予感がある。
これぞユフィーリア発案の『花嫁がゴリラなら花婿もゴリラにしちゃえばいいジャン』作戦である。互いに容姿を気にせず好きになったと主張するのであれば、ゴリラの状態でも愛を誓うキスが出来るはずだ。
唐突に花婿がゴリラと化し、本物のゴリラ花嫁であるエリザベス王女は固まっていた。
「王子……?」
「何をしているのです、エリザベス王女よ」
「え?」
ゴリラ花嫁がユフィーリアへと振り返る。お願いだからゴリラの顔を向けないでほしい。
「さあ、誓いのキスを。互いにゴリラとなった今、何を気にすることがありましょうか」
「で、でも」
「それとも王女、貴殿はフレデリック王子の容姿だけを見て好きになったと仰るおつもりですか?」
「ッ」
エリザベス王女は回答に詰まる。
花婿であるフレデリック王子は、エリザベス王女の内面を見て好きになった。王族として必要な高い品性と慈愛の精神に心惹かれたのに、肝心のエリザベス王女はフレデリック王子の端正な顔立ちにしか注目していなかったとすれば愛もクソもない。結婚式を本格的に終焉へ導くしかないだろう。
だが、顔だけで判断しないのであればフレデリック王子がゴリラになっても愛を誓えるはずだ。その為の確認行動である。
「第七席!! フレデリック王子を元の姿に戻せ!!」
「王子を珍妙な獣の姿に変えたことに対する謝罪を!!」
「この蛮行を許してなるものか!!」
先程から花婿側の親族による批判がうるさい。鼓膜を突き破らんばかりに騒ぎ立てるので、ユフィーリアは「はああぁ……」とわざとらしいため息を吐いてしまった。
珍妙な獣とは素晴らしい表現である。素晴らしすぎて反吐が出る。花嫁は以前から珍妙な獣の姿を取っているのに、自分たちの愛する王子がゴリラに変えられた程度で騒ぎ立てるなどおかしすぎる。
というか、敬愛する王子に対して『珍妙な獣』と表現するのは如何なものか。不敬罪に該当しないのだろうか。
「鎮まりなさい!! 七魔法王ともあろうお方が、このような行動を面白半分で起こすものか!!」
ゴリラ化しても王子の威厳は健在だったようで、フレデリック王子の一喝によって騒がしかった教会内が嘘のように静まり返る。
フレデリック王子は、ユフィーリアの行動に何か意味があると思ってくれているようだ。非常にありがたいのでその印象を利用させてもらうことにしよう。
別に『花嫁がゴリラだから花婿もゴリラにしてゴリラ同士の結婚式で面白そう』などと思っていないのだ。意味のないはずだった馬鹿な行動に意味を持たせてしまった。もう言い逃れなんて出来ない状況である。
フレデリック王子はエリザベス王女に向き直り、
「エリザベス王女、私は貴女の内面性に一目惚れしたのです。他人に接する物腰柔らかな姿勢、優雅な立ち振る舞い、気品のある言葉遣い、そして何より国民を想う慈悲深い心に私は惹かれました」
「王子……」
黒曜石の双眸に涙を浮かべるエリザベス王女の手を取ったフレデリック王子は、
「これで分かった。我が国は容姿でしか他人を判断することが出来ない、愚かな国であると。私はそんな差別的意識を持つ国を率いることは出来ない」
フレデリック王子は確かな意思を持って結婚式に参列してくれた親族たちを睨みつけると、堂々とした声で宣言した。
「私はオルトラ王国の王位継承権を返上し、妻のいるアマゾネス王国に婿入りをします。もう故郷の地は踏まない。私は死んだものと思うように国民へお伝え願いたい!!」
これにフレデリック側の親族たちはどよめいた。
王座が確定されていた、非常に優秀な王子が国を去ると決めたのだ。王位継承権第1位であったフレデリック王子が王位継承権を返上すれば第2位である第二王子が繰り上げで王座に収まるだろうが、国民は果たして次期国王となった第二王子についてきてくれるだろうか?
フレデリック王子は、そこまでしてエリザベス王女に心底惚れていたのだ。男気ある王子様である。見た目がおとぎ話から出てきた王子様のように整っていたので、ナヨナヨした優柔不断な奴かと思ったが違ったようだ。
「愚かな私の行動をお許しください、エリザベス王女。ですが、私の愛は本物です。貴女だけを愛しております」
「フレデリック王子……ああ、何てこと……」
ついに涙腺が決壊した花嫁ゴリラ――もといエリザベス王女は、
「愚かな私をお許しください……王子が国を捨て、私の元に来てくれることを喜ぶなんて……こんなに嬉しく思うなんて……何て私は馬鹿なゴリラなのでしょう……」
大きな手のひらをフレデリック王子の毛皮で覆われた頬に添えたエリザベス王女は、ほんの少しだけ背筋を伸ばして愛を誓う。
「愛しています、フレデリック王子」
そうして、フレデリック王子とエリザベス王女が唇を合わせて永遠の愛を誓ったその時だ。
ぼひん、と再び間抜けな爆発音と共に白煙がフレデリック王子を包み込む。
煙の向こうから「また!?」とフレデリック王子の悲鳴じみた声も聞こえてきたが、幸福な物語の定石は『魔女に姿を変えられた王子は、真実の愛のキスによって元の姿に戻る』ことである。面白そうだったので、その定石を盛り込んでみただけだ。
すなわち、
「戻った……?」
白い煙から現れたフレデリック王子の姿は、元の端正な顔立ちに戻っていた。こうもあっさりゴリラ化が解けてしまったのでつまらない限りである。
エリザベス王女は、感極まってフレデリック王子に抱きついた。危険な膂力を持つゴリラに抱きつかれれば人間であるフレデリック王子はたちまち冥府に旅立ってしまうことになるだろうが、何か奇跡的に「エリザベス王女、痛いですよ」などと涼やかに笑っていた。笑えるほどの余裕があるのは驚きだ。
花婿側の参列者は唖然と固まったままで、逆に花嫁側の参列者は万歳三唱である。エリザベス王女の両親や姉、他の弟妹たちや親戚は揃いも揃って嬉し涙を流しながら喜んでいる。
「エリィ!!」
「お姉様!!」
参列者の席から感動のあまり飛び出してきた姉のアイリーナが、大粒の涙を流しながらゴリラ花嫁のエリザベス王女に抱きついた。
「よかった、本当によかったわエリィ。フレデリック王子という最高の旦那様に出会えて本当によかったわ。幸せになってね、うんと幸せになるのよ」
「ええ、ええ!! ありがとう、お姉様。私、幸せになるわ。うんと幸せにしてもらうわ!!」
姉妹で熱い抱擁を交わすが、見ているユフィーリアはゴリラが美女を物理的に抱き潰すのではないかと心配だった。結婚式という祝いの場所で凄惨な殺人事件が起きかねない。
これは早々に話題を変えた方がよさそうだ。あとはもう仕上げにかかるだけだが、さて会場全体の反応が楽しみだ。
ユフィーリアは声を変える魔法が発動中のままであることを確認してから、
「王女よ、フレデリック王子の愛は確かに伝わりましたか?」
「ええ、第七席様」
喜びのあまり震える声で、エリザベス王女は応じる。
「私は愚かでした。自分の容姿が醜いからと後ろ向きな発言ばかりで、全然周りと向き合おうとしていませんでした。フレデリック王子の真っ直ぐな愛を受け、私はようやく自分のゴリラ顔と向き合える気がします」
「貴殿の思う幸せを掴むことが出来て喜ばしく思います」
ユフィーリアは「それでは最後に」と言葉を続け、
「私から1つ、貴殿に終焉をお贈りいたします」
「え――」
懐から取り出したのは、雪の形をした螺子が特徴的な銀製の鋏だ。距離が近いので身の丈を超すほどの巨大化はさせず、ただ目的の糸を切断する。
終焉とは決して悪い意味合いを持たない。
古い過去と別れを告げ、新たな未来へ歩き出す。終わりは新しい明日の始まりだ。それはまさに、変革の未来と言えよう。
「ご自分の容姿を理由にして、後ろ向きな発言はもうお止めなさい」
ユフィーリアは絶死の魔眼を発動し、エリザベス王女から伸びる黒い糸に鋏を向けた。
「――貴殿は十分に、お美しいのだから」
――シャキン。
金属の擦れる音がして、エリザベス王女から伸びていた黒い糸が断ち切られる。
次の瞬間、ゴリラ花嫁だったエリザベスに変化が起きた。
真っ黒な毛皮で覆われた肌は淡雪の如きシミや皺などがない白い肌へ、つぶらな双眸は二重瞼が綺麗な瞳へ変わる。ゴリラのような見た目は誰もが振り返るほどの絶世な美貌へ変化を遂げ、豊かな栗色の髪が花嫁の背中を流れる。屈強な肉体は、純白の花嫁衣装がよく似合う華奢で綺麗な女性らしい肢体へ早変わりだ。
そこに立っていたのは花嫁の格好をした珍妙なゴリラではなく、美しい王女の姿を取り戻したエリザベスだった。
「「「「「――――ええええええええええええええええ!?!!」」」」」
その場にいた花嫁側の参列者以外の人間が、花嫁の変貌ぶりを目の当たりにして叫ぶ。
劇的な進化を遂げたエリザベス王女もまた、自分の変わりように驚きを露わにしていた。黒曜石の瞳を丸くして、毛深くなくなった自分の手のひらを眺めながら「え……?」と状況に追いついていない様子である。
唯一、違う反応を見せたのがエリザベス王女の姉であるアイリーナだ。彼女は唖然とした様子の妹を強く抱きしめると、
「戻ったわ!!」
「お姉様?」
「お父様、お母様!! エリィが元の姿に戻ったわ!!」
はしゃぐアイリーナに、エリザベス王女の両親もまた涙を流して喜んでいた。
「エリザベスが元に戻ったわ!!」
「王国の魔女や魔法使いでは解けぬ呪いだったのに、第七席様が娘の呪いを解いてくれたんだ!!」
もう花嫁側の参列者はお祭り騒ぎ状態である。まだ儀式の最中だというのに、参列席から飛び出して花嫁と花婿を囲い始めてしまった。陽気な性格の人間が多い国だと話に聞いていたが、まさか結婚式の最中に歌って踊り始めるとは完全に想定外だ。
この状況に置いてけぼりなのは、儀式進行を担う第一席【世界創生】やその他七魔法王と、花婿側の参列者ぐらいである。ユフィーリアたち問題児はもちろん、エリザベス王女の抱える事情など把握済みだ。
把握済みだからこそ、最後の最後で爆弾を投下である。オルトラ王国も馬鹿なことをしたものだ。優秀な王子と可憐な姫君の両方を逃がしてしまうのだから。
「残念でしたね、王子様は綺麗なお姫様のところに婿入りを果たしましたよ」
顔を真っ赤にするオルトラ王国関係者に、ユフィーリアは努めて淡々とした事実を教えてあげた。自分たちがどれほど重要な人物を取り逃したのか身を以て知ったのか、花婿側の参列者から批判の声は上がらなかった。
上がらなかったが、七魔法王からの批判は上がった。
当然である。情報共有をしていれば、結婚式の中止を問題児に命じなかった。
「第七席、どういうこと?」
「…………」
ジト目で睨みつけてくる第一席【世界創生】のグローリアに、ユフィーリアはそのままの口調で言ってのけた。
「この可能性を予見できなかったお前が馬鹿」
「やっぱり君は喋らないで。七魔法王の品位が地に落ちる」
「ばーかばーか、第一席のあんぽんたーん!!」
「こら第七席!! 君って奴は!!!!」
グローリアの説教を背後で聞きながら、第七席【世界終焉】ユフィーリア・エイクトベルは4人の従僕を引き連れてエテルニタ教会から逃げ出した。
《登場人物》
【ユフィーリア】花婿もイケゴリラに変えた馬鹿野郎だが、ちょっと色々と申し訳なかったので最終的に王女様にかけられた呪いを解いてハッピーエンドに導いた。
【エドワード】王女様の姉が美人なんだからゴリラも美人になるわねぇ、そりゃねぇ。
【ハルア】ゴリラが羽化して人間になるのかとショウに問うたところ、人間の進化の歴史についてお勉強させられた。
【アイゼルネ】花嫁姿の王女様が美人なので、お色直しはお化粧を任せてもらえないかしらと思っている。
【ショウ】ゴリラ化の呪いまで解いてしまうとはさすがユフィーリア、と思っている。あとで口に出して言う。
【フレデリック】オルトラ王国元第一王子。エリザベスに婿入りしたので第二王女の婿となった。国を捨てる覚悟でエリザベスに求婚したし、もちろんエリザベスの内面性と高い品性に惚れ込んだ。
【エリザベス】過去にとある魔女の嫉妬によってゴリラになってしまう呪いをかけられたアマゾネス王国の第二王女。ゴリラになっても王女らしくいようと勉強を頑張って品性などを身につけた結果、この度イケメン王子とゴールイン。ついでにゴリラの呪いも解いてもらえて幸せ。