第7話【問題用務員と誓いのバナナ】
たたたたーん、と入場曲が荘厳なエテルニタ教会内に響き渡る。
観音開き式の扉が開かれ、薄布で顔を覆い隠したゴリラ花嫁が入場する。
真っ赤な絨毯が敷かれた花道を、荘厳な音楽に合わせてゆっくりと歩くゴリラ花嫁。花道の両脇に等間隔で設置された長椅子には花婿と花嫁の親族がそれぞれ座り、祭壇に向かって歩き出す花嫁の行く末を見守っている。
エテルニタ教会の外から会場内を覗き込む問題児たちは、
「うわぁ……花婿側の参列者、誰1人笑ってないんだけどぉ」
「これだけ冷ややかな視線が揃うと花嫁も居た堪れねえだろ」
底冷えのするような視線を可愛くもなければ綺麗でもないゴリラ花嫁に向ける花婿側の参列者に、エドワードがドン引きしたような声で言う。
花婿側からすれば望まぬ結婚式だ。西側諸国でも特に人気が高く国民からの人望も厚い第一王子の嫁が、まさかこんなゴリラを選ぶとは誰が想定するだろうか。ユフィーリアだって想定外である。
ただ、花婿はゴリラ花嫁にぞっこんラヴだ。いくら品性と教養があっても、おとぎ話から飛び出してきたかのような美しい王子様の隣には目を疑うほど凄まじいゴリラが並ぶのだ。美女と野獣ならぬ美男子とゴリラである。
徐々に祭壇へ近づく花嫁を見守るショウは、
「ところでユフィーリア、出番はまだなのか?」
「まだだな。花嫁が祭壇に到着してから」
「具体的には何をするんだ?」
「見てりゃ分かるよ」
コソコソと会話をしているうちに、花嫁がようやく祭壇に到着した。
祭壇に立つのは純白の長衣を身につけた第一席【世界創生】グローリア・イーストエンドである。頑丈な鎖で雁字搦めに縛り付けられた魔導書を祭壇に置き、美しく着飾った花婿と花嫁の両方に視線を巡らせる。
彼の紫眼には職務を全うしなければならないという使命感と、イケメン王子とゴリラ花嫁の結婚式を祝福しなければならないのかという呆れが綯い交ぜになっていた。本当はあの場所に立ちたくないのだろう。ユフィーリアもあの場所に立っていたら、絶対に笑う自信がある。
グローリアは軽く咳払いをすると、右手を少しだけ持ち上げた。その合図で教会内に響き渡っていた荘厳な音楽がピタリと止む。
「えー、それでは只今より『しあわせの花嫁』の儀式を執り行います」
決まった通りの儀式進行役を担うグローリアは、
「まずは第七席による断縁の儀からです」
早速お役目が回ってきたようだ。
ユフィーリアは「行ってくる」と軽い調子で告げ、結婚式場に足を踏み入れた。
新郎新婦、それから両家の親族が見守る中でユフィーリアは軽く右腕を持ち上げる。真っ黒な手袋で覆われた右手にはいつのまにか銀製の鋏が握られており、それを軽く振るだけで文房具程度の大きさだった鋏が身の丈を超えるほど巨大化する。
周囲の人間が驚愕に瞳を見開く中、ユフィーリアは胸中で呪文を唱えた。
(『絶死』――魔眼起動)
すると、ユフィーリアの視界に今まで見えなかったものが見え始める。
糸だ。
赤や青、緑、黄色、白色、黒色など色とりどりの糸がユフィーリアの視界を埋め尽くす。人と人の間を繋ぐ赤い糸や青い糸、その当人を構成する緑色の糸や紫色の糸、建物や祭壇に掲げられた女神像に至るまで様々な糸が縦横無尽に伸びていた。
ユフィーリアも魔女や魔法使いの間では数少ない魔眼持ち――しかもその魔眼は極めて特殊な魔眼である。エリシアを探しても、ユフィーリア以外に持ち合わせる人物は存在しない。
その名も『絶死の魔眼』――その能力は、あらゆる物事を糸として可視化する魔眼だ。
魔力や当人が持つ能力、呪い、過去や記憶、感情に至るまで全ての事象を糸として認識することが出来る。その糸を断ち切ることによって一時的にその切断した糸の持つ特性を奪うことが可能で、魔力の糸を切断すれば魔法を使えなく出来るし、呪いなどの負の糸を断ち切ることで呪いを解くことも出来るのだ。
当人を構成する糸を全て切断することで、この世から永遠に消し去る『終焉』となる。ユフィーリアが第七席【世界終焉】の責務を負う時は、必ずこの魔眼を使うのだ。
(えーと、花嫁と花婿の糸はっと)
魔眼の精度を少しばかり上昇させ、可視化する糸を限定する。
視界を埋め尽くしていた色とりどりの糸が見えなくなり、代わりに花嫁と花婿の足元に伸びる茶色い糸が強調される。
この茶色い糸が古い過去を示すのだ。結婚式では新たな生活の第1歩を踏み出すので、この錆びたような色合いの糸を断ち切って過去を振り返らないようにする必要がある。
身の丈を超す銀製の鋏を振り上げたユフィーリアは、
「――――ッ」
新郎新婦の足元から伸びる茶色い糸を切断した。
――シャキン。
金属の擦れる音が耳朶に触れる。
茶色い糸が切断され、同時にフッと空中に解けて消えた。
これで過去の断絶が完了である。身の丈を超える鋏を元の文房具程度の大きさに縮めて、ユフィーリアは終了を告げるようにその場で頭を下げた。
「過去の縁は断ち切られました。続いて、誓約の儀に移ります」
グローリアの視線に「早く結婚式をぶち壊して」という感情が乗せられてくるが、ユフィーリアは知らんぷりを貫いた。吹ける状況だったら口笛でも吹いていたかもしれない。
結婚式をぶち壊すつもりは最初からないのだ。非常に残念だが、結婚式の破壊を依頼してきたグローリアの敗因である。
問題児の思惑など知らず、グローリアは淡々と結婚式の進行を続ける。
「夫、フレデリック・フォン・エルディン・オルトラレスは病める時も健やかなる時も、死が2人を分つ時まで妻のエリザベス・フランソワ・アル・アマゾネイシスと永遠の愛を誓いますか?」
「誓います」
花婿であるフレデリック王子は、迷いなく答えていた。
それと同時に、フレデリック王子側からの「ああ……」「何故ですか王子……」などと言った絶望に満ちた声が上がる。手塩にかけて育てた王子がゴリラに永遠の愛を誓ってしまうなんて、彼らも可哀想なものだ。
続いてグローリアは花嫁に視線をやり、
「妻、エリザベス・フランソワ・アル・アマゾネイシスは病める時も健やかなる時も、死が2人を分つ時まで夫のフレデリック・フォン・エルディン・オルトラレスと永遠の愛を誓いますか?」
「…………誓います」
花嫁たるエリザベス王女は、少し躊躇いがちに答えた。まだ自分の容姿を引き摺っているのだろう。それとも、フレデリック王子側から絶望に満ちた声が上がったから、彼女の柔らかな部分が傷ついてしまったか。
今にも花嫁が逃げ出さないか心配だったが、結婚式は着々と進行していく。
とうとう夫婦で重要な儀式――指輪の交換に至った。第六席【世界治癒】リリアンティア・ブリッツオールが箱の乗せられた台座を抱えて新郎新婦に歩み寄り、2人に台座へ乗せられた箱を示す。
「それでは双方、指輪の交換を」
――この時を待っていた。
「――――!!」
ユフィーリアは強く踏み込み、箱が乗せられた台座を掲げるリリアンティアに肉薄する。
彼女の驚いた表情が、頭巾の下でもよく確認できた。頭部を覆う真っ白な頭巾が風圧で揺れ、生命の息吹を感じさせる緑色の瞳が驚きで見開かれる。
唖然と立ち尽くすリリアンティアの持った指輪の台座めがけて、ユフィーリアは右腕を振り抜いた。指輪が収められた箱ごと台座が吹き飛ばされ、教会の隅に転がる。
「第七席ッ!?」
「何をして!!」
「まさか結婚式の終焉を!?」
参列者も含め、誰もがユフィーリアの意味不明な行動に驚愕していた。
もちろん、結婚式を破壊する為に指輪を払い捨てた訳ではない。
むしろその逆で、結婚式を成功させる為に指輪を払い捨てたのだ。させるのは指輪の交換ではなく、新たな夫婦となるフレデリック王子とエリザベス王女の愛の深さを確かめる為の行動である。
ユフィーリアは式場の外側に待機している4人の従僕に手招きをし、
「我が従僕たちよ、持ってきなさい」
声を変える魔法を使用しているので、ユフィーリアが紡いだ声は感情の読み取れない平坦なものとして式場内に響き渡る。
参列者が「第七席が喋った!?」「前代未聞だ……」などとさらに驚いているうちに、エドワードたち4人の従僕が花道を堂々と突き進んでユフィーリアに歩み寄ってきた。
そのうちの1人、ドレス姿のショウがフレデリック王子とエリザベス王女の前に台座へ乗せられたそれを突き出す。
――どこにでも売られている、バナナだ。
「フレデリック王子、エリザベス王女よ。指輪の交換は儀式の進行に相応しくありません。現在の主流は『バナナの食べさせ合い』であります」
自分で言っていておかしなものだが、そんな主流など聞いたことない。
「青いリボンが巻かれたバナナを新郎に、赤いリボンが巻かれたバナナを新婦に食べさせてください。そうすることで、永遠の愛を誓うことになります」
参列者たちは「そんな話あったか?」「聞いたことない」と口々に言い出す。もちろん嘘だ、バナナを食べて永遠の愛が誓えるなんて真っ赤な嘘である。
さすがに花嫁も花婿も、簡単にバナナへ手を出そうとはしなかった。それもそうだ、バナナを食べさせ合って永遠の愛を誓うなんて馬鹿みたいな嘘を信じるはずもない。
台座へ乗せられたバナナに疑惑の眼差しを送る新郎新婦だが、その嘘を信じ込ませる行動が起きた。結婚式の破壊を望む第一席【世界創生】グローリア・イーストエンドが後押しをしたのだ。
「花婿、それから花嫁よ。第七席の言葉は真実です」
「え」
「え?」
「現在の主流は互いにバナナを食べさせ合うこと――古の風習に囚われていた私の誤りです。さあ、儀式を」
第七席のみならず第一席までそんなことを言い出せば、もう従う他はない。
フレデリック王子も、エリザベス王女も、躊躇いがちに台座のバナナを手に取った。覚束ない指遣いで黄色いバナナの皮を剥いていくと、まずは新郎が赤いリボンの巻かれたバナナを新婦に差し出す。
ゴリラの顔面を覆い隠す薄布を持ち上げ、エリザベス王女は少し恥ずかしそうにバナナへ食らいついた。別に特別なバナナではなく、ただ購買部で仕入れた普通のバナナだが。
それからエリザベス王女が青いリボンの巻かれたバナナをフレデリック王子に差し出し、
「いただきます」
お行儀よくそんなことを言ってから、フレデリック王子はバナナへ食らいついた。
「――――? 何か変な味が」
フレデリック王子が味に疑問を持ったその瞬間だ。
ぼひん、と。
間抜けな爆発と共に、フレデリック王子を白い煙が包み込む。
「王子!!」
「フレデリック王子!!」
花婿側の参列者が次々と王子の身を案じて席を立ち、そして全員してその動きを止めた。
「げほ、げほッ。な、何だったんだ……?」
白い煙の中から現れたフレデリックの姿は、何とエリザベス王女と同じ醜いゴリラと化していた。
《登場人物》
【ユフィーリア】結婚式ではバナナよりも指輪をちゃんと渡したい魔女。お嫁さんに渡すなら珍しい宝石を使った指輪を渡したい。
【エドワード】結婚式ではバナナよりも指輪を渡したい従僕1号。将来のお嫁さんに渡すなら一般的にダイヤモンドがいいな。
【ハルア】このあと本気で『結婚式では互いにバナナを食わすことが当たり前』という嘘を信じて、ショウに引っ叩かれる。
【アイゼルネ】結婚式ではバナナの食べさせ合いよりも南瓜のハリボテ交換がいいなと思っている。
【ショウ】ユフィーリアから貰う指輪だったら小手みたいな鋭利な指輪でも嬉しい。
【グローリア】問題児が結婚式を壊す為に動いたと勘違いして、バナナの食べさせ合いを推奨した馬鹿。彼らの思惑に全く気づいていない。
【リリアンティア】ただ指輪を持ってきただけなのに、第七席の暴力を目の当たりにして固まってしまった。何が起きたのか分からない。