第6話【問題用務員と花嫁の意思】
「私が結婚なんて無理よ」
鏡の前で身支度をする花嫁――エリザベス・フランソワ・アル・アマゾネイシスは、沈んだ表情で否定的な言葉を口にする。
純白の花嫁衣装に身を包んではいるものの、エリザベスの容姿は非常に個性的だ。端的に言えばゴリラである。
つぶらな黒曜石の双眸と彫りの深い顔立ち、全体的に毛深くて体格も筋肉質だ。豪華な花嫁衣装の胸元はパツパツではち切れそうな予感があり、太い腕は木の幹と同等の立派さを誇る。花嫁衣装を身につけたゴリラなどお笑いの種だ。
動物に何の芸をさせているのか、と憤る人間も出てくるほどの立派なゴリラである。残念ながらエリザベスは人間だ。ゴリラに見えても心は人間なのだ。
「そんなことはないわ。フレデリック王子だって、貴女のことを心から愛しているに決まっているもの」
「お姉様に私の気持ちなんて分からないわ!!」
エリザベスを励ますような言葉を述べたのは、彼女の姉であるアイリーナである。
彼女もまたエリザベスのようにゴリラ――ではなく、普通の人間だ。いいや、容姿だけで言えばかなり美しい部類に入る。明るい栗色の髪の毛はふわふわと緩やかに波打ち、新緑の如き色鮮やかな緑色の瞳はエリザベスを心から心配するような光が宿されている。
妹の逞しい肩を撫でるアイリーナは、
「エリィ、ああ私の可愛い妹。そんなに悲しい顔をしないで。貴女は絶対に幸せになれるわ。だって私の自慢の妹だもの」
「綺麗なお姉様には何も分からないわ」
エリザベスは鋭い眼差しで姉のアイリーナを睨みつけると、
「出て行って」
「エリィ……」
「どうせお姉様も、フレデリック様も、この結婚式で私を嘲笑うのでしょう。せいぜい道化を演じて、みんなに笑ってもらうわ」
最後まで結婚に否定的な妹に悲しげな視線を送るアイリーナは、それ以上は何も言えずに「また呼びに来るわ」と言い残して控え室から立ち去る。
西側諸国でも特に人気の高いフレデリック王子から求婚をされた時は、何の冗談だろうかと思ったほどだ。エリザベスの容姿がゴリラだから、面白半分で結婚を申し込んだのだろうと邪推してしまった。
最初の求婚を断ってから、フレデリック王子による求愛行動が凄まじかった。毎日のように手紙を送り、3日に1度は抱え切れないほどの花束を送り、2週間に1度は花束と綺麗な贈り物を携えてエリザベスの元を訪れてくるのだ。王国を通じて接近禁止令を出しても諦めず、時には身分を偽ってまでエリザベスに会いに来た。
次第に、エリザベスはそんなフレデリック王子に絆されていった。どれほど遠ざけても、どれほど断っても、フレデリック王子は「明日ならきっと」とエリザベスだけに愛の言葉を送ってきたのだから絆されない訳がなかった。
「ごめんなさい、フレデリック様……私、やっぱり自信がないわ……」
姫君たちの間でもフレデリックは人気が高い。
おとぎ話に出てくる王子様のように整った美貌と優雅な態度、誰にでも優しく他人を否定するような言葉は一切使わない。使用人にも高圧的な態度を取ることはなく、慈愛と気品に溢れた素晴らしい王子様だ。
だからこそ、ゴリラの姿をしたエリザベスでは不釣り合いなのだ。こんな結婚式、失敗するに決まっている。
「…………?」
コンコンコン、と乾いた音がエリザベスの使う控え室に落ちた。
「どうぞ、お入りください」
努めてエリザベスは笑顔で対応する。ゴリラが笑顔なんて不細工極まりないが、王族である以上は笑顔で接しなければならないと教えられているのだ。
無言で扉が開けられ、ノックした人物が控え室に足を踏み入れてきた。
頭の先から爪先まで黒色に統一された不気味な集団だ。5名のうち2名はドレス姿で顔全体を黒い薄布に覆っているものの、上手くその顔が判別できない奇妙さが醸し出されている。結婚式の場に相応しくない相手だ。
しかし、エリザベスはその集団を知っている。頭の先から爪先まで黒で統一したその人物は、世界に終わりを与えると同時に変革の加護を司る無貌の死神。
「第七席【世界終焉】様……!!」
エリザベスの口から、自然とその言葉が出ていた。
☆
花嫁の控え室からとんでもなく綺麗な女性が出てきた。
「え、凄え美人」
ユフィーリアは思わず、第七席【世界終焉】の状態で素の声を出してしまった。
あらかじめ確認していた花嫁の姿は、まさにゴリラと言わんばかりの醜い容姿であった。花婿側の親族はおろか国民からも否定される酷い見た目をしていたと記憶にあるが、控え室から出てきた女性は誰もが振り返るほど綺麗だ。
明るい栗色の髪の毛と色鮮やかな緑色の双眸、柔和な顔立ちには悲痛の表情を浮かべている。薄い緑色のドレスを身につけているので、花嫁の親族か何かか。
「新婦友人とかじゃないよねぇ?」
「ちょっと話を聞いてみるか」
ユフィーリアはフレデリックのところでも使った声を変える魔法を発動させ、
「失礼致します、お話よろしいでしょうか」
「ッ、第七席様……!?」
女性はユフィーリアたちの姿を認識すると、深々とお辞儀をした。
「失礼いたしました。私はアマゾネス王国の第一王女、アイリーナと申します」
「此度の儀式に選ばれた花嫁の姉君ですか?」
「はい、その通りです」
やはりあのゴリラ花嫁の親族で間違いなかったか。
そうなると、おかしな話である。花嫁である第二王女は両親のどちらかがゴリラかと問いたくなるほどゴリラ顔なのに、第一王女は綺麗な顔立ちをしているのだ。万人から愛されそうな容姿と言えよう。
黙るユフィーリアたちを不審に思ったのか、第一王女のアイリーナが「あの」と口を開く。
「第七席様は、妹の結婚式をなかったことにするおつもりですか」
「そのようなことをするつもりは毛頭ありません」
結婚式をぶち壊すなど本来の目的を遂行するはずがなかった。当然である。
「妹君に終わりの加護があらんことを」
「ありがとうございます、第七席様」
アイリーナは深々と頭を下げたままお礼を述べた。
足早に新婦姉が立ち去る姿を確認してから、ユフィーリアはゴリラ花嫁の待つ控え室の扉を叩く。
ノックの音が廊下に落ちて数秒後、フレデリックの時と同じように「どうぞ、お入りください」と呼びかけられる。意外と可愛い声だった。
「…………」
無言で扉を開ければ、そこにはゴリラがいた。否定の仕様がないほどの立派なゴリラが、花嫁衣装である純白のドレスに身を包んでいた。
これだけでも十分な破壊力である。腹筋に力を込めて笑いを封印するが、早く用件を済まさなければ危ない。現にエドワードとハルアがプルプルと震え出していた。
ユフィーリアは花嫁ゴリラに頭を下げ、
「此度はご結婚おめでとうございます」
「感謝いたします。貴殿のような偉大なるお方に祝福されるとは光栄です」
花嫁ゴリラことエリザベス王女は、ドレスのスカートを優雅に摘んでお辞儀をした。流麗なお辞儀の仕方は見た目がゴリラであっても綺麗なものだった。
第二王女らしく、ちゃんと教養がある様子である。言葉遣いも申し分ない。容姿を抜きにすればフレデリック王子の結婚相手に相応しい気品溢れる姫君と言えようか。やはり何度見てもゴリラだけど。
ユフィーリアはなるべくゴリラ花嫁と視線を合わせないようにしながら、
「貴殿にフレデリック王子と結婚する意思はありますか?」
「え……」
エリザベス王女は瞳を伏せると、
「私のような醜いゴリラが、フレデリック王子のお相手として相応しいか自信がありません。本当に、結婚式を迎えてもよろしいのかと」
「容姿さえ抜きにすれば、貴殿は結婚に応じましたか?」
「そんな、私以上に優秀な姫君はたくさんいます。お姉様も女王の座を引き継ぐに相応しい王女で」
「うるせえな、そんなクソつまんねえことは聞きたくねえんだよこっちは」
「ッ、も、申し訳ございません!!」
さすがに後ろ向きな発言が多かったので、思わず本音がいつもの口調で出てしまった。第七席【世界終焉】に叱責されたエリザベス王女は、慌てた様子で謝罪してくる。
ユフィーリアは思わず「やっちまった」と頭巾の下で顔を顰めた。
本当に何も考えていない発言だった。ただ、あまりにもエリザベス王女の自己評価が低いのでつい汚い口調を使ってしまった。声を変える魔法を使用していなければ、即座にバレるような発言である。
取り繕うように咳払いをしたユフィーリアは、
「フレデリック殿下の意思は本物であり、貴殿を心の底から愛しています。そんな真っ直ぐに思ってくれるフレデリック殿下の心を、貴殿は容姿を理由に踏み躙るのですか?」
フレデリック王子は、エリザベス王女がゴリラであっても諦めずに求婚したのだ。容姿など関係なく、彼は間違いなくエリザベス王女を好いている。
ここで退けば、他の連中の思う壺だ。ユフィーリアたち問題児は、心の底から結婚式の成功を祈っている。その為にこうして意思確認をしているのだ。
エリザベスは「……私も」と口を開き、
「私も、フレデリック様を愛しています。結婚を申し込まれた時は、どんなに喜ばしかったことか……でもッ!!」
黒曜石の双眸に花嫁として似つかわしくない涙を浮かべるエリザベスは、
「私は、このように醜いゴリラなのです。お父様もお母様も、お姉様も、妹や弟たちも、親族は全員綺麗な顔立ちをしているのに……どうして私だけゴリラなのでしょう……!!」
「その言葉を待っていました」
容姿が回避できないようなゴリラであっても、そこに愛があるのであれば結婚式成功は約束されたものだ。あとの障害は互いの容姿だけである。
エリザベスが気にしているのは自分の見た目がゴリラなことだけで、フレデリックへの愛は確かに存在しているのだ。容姿がちゃんとしていれば結婚を引き受けることだろう。
居住まいを正したユフィーリアは、
「貴殿は愛する人物と結ばれるべきです。そしてこの結婚式で、必ず貴殿は幸せを掴めます。第七席【世界終焉】の名に誓い、宣言しましょう」
容姿など関係ない。
ユフィーリアたち問題児は、結婚式を成功させるのだ。その方が絶対に面白いことになるし、花嫁も花婿も過去に『しあわせの花嫁』の儀式で結婚式を挙げた王族たちと同じように幸せにならなければならない。
彼らの運勢は占星術で最高の結果を叩き出した。幸せは約束されたようなものだ。
「貴殿に、終わりの加護があらんことを」
――さあ、恒久に続くつまらないしきたりに変革をもたらそう。
《登場人物》
【ユフィーリア】平然と話しているが、実は死ぬほど笑いを堪えていた。だってゴリラがウェディングドレスを着てるんだもの。
【エドワード】後ろに控えているものの、実は笑い声が出ないように口の内側を噛んで耐えていた。このあと口の中が流血沙汰になった。
【ハルア】事前に口の中へ手巾を詰め込まれていたので喋れなかった。
【アイゼルネ】ゴリラ花嫁をまともに見れなかった。まともに見ようものなら絶対に笑う。
【ショウ】思った以上にゴリラがゴリラで花嫁だったので、笑いが来るより先に驚いている。
【エリザベス】ゴリラ花嫁。見た目は完全にゴリラだが、王女として教育を施されたおかげで高い品性を持ち合わせるゴリラとなった。親兄弟は全て美人なのに、何故か自分だけゴリラなのがコンプレックス。