第5話【問題用務員と花婿の意思】
結婚式当日がついに到来した。
「フレデリック様、本当にご結婚なさるおつもりですか?」
従者の男が、椅子に腰掛ける美男子に問いかける。
整髪剤を使って後頭部に撫で付けられた豊かな金髪、穏やかな光を湛えた青色の瞳。スッと通った鼻梁と形の整った唇は、世の中の女性を虜にして止まない魅力がある。
さながらおとぎ話から飛び出してきた美貌を誇る彼は、性格も非常に温厚で国民たちの支持も厚い。将来は国王の座を約束された、まさに非の打ち所がない完璧な王子様だ。
フレデリック・フォン・エルディン・オルトラレス――西側諸国でも規模の大きな『オルトラ王国』の第一王子である。しあわせの花嫁と呼ばれる儀式に選ばれた幸運な花婿で、結婚式をぶち壊される運命にあるとは知らない。
「そうとも」
フレデリックは従者の男に振り返ることなく、自分の意思を告げた。
「私は今日、エリザベス・フランソワ・アル・アマゾネイシス王女と結婚する」
そう、彼こそがあのゴリラ姫の結婚相手だった。
というか、彼がゴリラ姫に結婚を申し込んだのだ。相手が断ろうと、正式に国が接近禁止令を出しても、諦めずに結婚を申し込んで見事にゴールインを果たしたのだ。執念とは恐ろしいものである。
従者の男は納得していない様子で、
「お父上様も、国民も、全員が納得しておられない結婚ですが」
「何度も言っているだろう」
フレデリックは従者の男を不機嫌そうに睨みつけ、
「私は、駆け落ちをしてでもエリザベス王女との結婚を望む。そう決めたのだ」
「恐れながら申し上げます、フレデリック殿下。貴方はエリザベス王女に騙されています、魅了魔法でもかけられているのでしょう。どうか冷静になってお考え直しを」
「黙れ」
まだ結婚式を否定する従者に厳しい口調で応じるフレデリックは、
「もういい、下がれ」
「殿下、お考え直しを」
「下がれと言っている!!」
何を言っても無駄だと理解したらしい従者の男は、恭しげに頭を下げて「失礼いたします」と挨拶を残して退室した。
「全く、どうして誰もエリザベス王女の魅力に気がつかない。彼女ほど魅力的な女性はいないのに」
フレデリックは苛立たしげに呟く。
エリザベス王女に求婚してから、周囲の人間が冷たくなった気がする。エリザベス王女の属する国『アマゾネス王国』は、南側諸国の中でも歴史のある大きな国だ。国民も明るく陽気な性格をしており、フレデリックとエリザベス王女の結婚を心の底から祝福してくれていた。
分かっていないのはフレデリック側の王国だけだ。申し分ない身分を持ち、品性の高さも窺えるのに、見た目がゴリラだからという差別的な理由で結婚式を否定的に捉えるのだ。誰も彼も「幸せになれない」と口々に言うのだ。
フレデリックは駆け落ちをしてでも、エリザベス王女と幸せになりたい。彼女となら暖かな家庭を築け、王族としての役割も果たせる。自分の故郷で認められないのであれば、エリザベス王女の故郷である『アマゾネス王国』に婿入りするのも吝かではない。
――――コンコンコン、と控えめなノックがフレデリックの控え室に響き渡った。
「誰だ?」
顔を上げたフレデリックは、身体ごと扉に向けて応じる。
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、真っ黒な集団だった。
人数は5人、誰も彼も頭巾や薄布で顔を隠している。特に薄布で顔を隠した2名は、頼りない薄布で顔を覆っているにも関わらず正確な顔立ちが認識できない。
気味の悪い出立ちだが、結婚式などの祝いの場に於いて必要とされる人物だ。
「第七席【世界終焉】様……!?」
フレデリックの驚愕に満ちた声が、控え室に落ちた。
☆
「下がれと言っている!!」
壁越しに花婿の怒声が聞こえてきた。
今までの会話の流れを控え室の外で聞いていたが、従者がゴリラ花嫁との結婚を思い直すように何度も忠告して麗しのフレデリック殿下がとうとう声を荒げる事態になったのだ。誰だってしつこくされれば怒る。
控え室の外で待機していた問題児たちは、王子様が声を荒げる瞬間を目の当たりにして恐怖に震え出した。
「え、怖……」
「怒り狂ってんだけどぉ」
「追い出されないかな!?」
「心配になってきたワ♪」
「ぴえ……」
「ショウ坊、平気だ。怒られたのはアタシらじゃねえから」
王子様による怒声を聞いてしまったショウは、自分が怒られているものだと錯覚して赤い瞳に涙が浮かんでしまう。小刻みにプルプルと震え出した可愛い嫁を抱き寄せれば、すぐに彼はユフィーリアの肩口に顔を埋めて深呼吸をし始めた。
もう嫁の謎行動には慣れたものである。何が楽しくてこんな馬鹿げた行動をしているのか不明だが、とりあえず嫁が楽しいのであればユフィーリアは好きにさせておこうと決めたのだ。ちょっとくすぐったい。
王子様の怒声が響き渡った数秒後に、従者が沈痛な面持ちで控え室から出てくる。控え室の側で待機していたユフィーリアたち問題児に気がつくと、控え室にいる王子様に聞こえないような声量で厳しく命令してくる。
「貴方がたがヴァラール魔法学院の問題児ですか。くれぐれもよろしくお願いしますよ」
「いやー、時と場合によりますねェ。上手く運ぶ場合と失敗する場合があるんでェ」
「結婚式が成功すれば、我が国の品格が失墜します。くれぐれも、くれぐれもよろしく頼みましたよ」
従者の男は問題児に強い口調で告げ、何やらブツブツと呟きながらどこかに歩き去った。
問題児が結婚式のぶち壊し作戦に失敗すれば、責任を問答無用でヴァラール魔法学院に押し付けてくる魂胆なのだろう。下衆な考えが透けて見える。
だが残念ながら、問題児の方が上手だった。自分の立場と発言力を最大限に活用し、なおかつ文句も言えない結婚式円満成功作戦が目下で進行中である。あんな命令が問題児に通用すると思わないでほしい。
ユフィーリアは従者が立ち去ったことを確認し、周辺に他の誰かがいないこともしっかり確かめる。
「誰もいねえな?」
「いないよぉ」
「いないね!!」
「いないワ♪」
「大丈夫だ」
5人の意見を完全に一致させたところで、いざ変身である。
「他人の不幸は?」
「「「「蜜の味!!」」」」
合図と共にユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りし、アイゼルネとショウはそれぞれヘッドドレスと冠を頭に乗せる。
すると、ユフィーリアの着ていた袖のない外套が変形し、きちんと袖が出現して剥き出しになった肩を覆い隠す。裾も足首まで届くほど伸び、背後から現れた頭巾がユフィーリアの頭部を完全に覆って完了である。
ヴァラール魔法学院を騒がせる問題児から、世界に終わりを与える無貌の死神【世界終焉】へと華麗な変身を遂げた。完全に真逆の存在である。問題児が結婚式を失敗させれば国際問題に発展しかねないが、七魔法王が第七席【世界終焉】が結婚式を成功させれば歴史的瞬間になるのだ。
ユフィーリアが第七席【世界終焉】として君臨すると同時に、従僕の4人も変身を完了させていた。エドワードとハルアはユフィーリアと同じく外套の頭巾を目深に被り、アイゼルネは地味なワンピース姿、ショウは花嫁らしい黒いドレス姿である。
「お前らは喋るなよ。動きはアタシの真似をしてろ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「了解した」
「よし行くぞ」
ユフィーリアは控え室の扉を叩く。
コンコンコンと乾いた音が落ち、そのあとに「どうぞ」と呼びかけられた。
門前払いをされずに済みそうだが、立ち振る舞いで追い出されかねない。ここは慎重に物事を進めた方がよさそうだ。
「…………」
無言で扉を開け、控え室に足を踏み入れる。
広々とした控え室には、綺麗に着飾った王子様が驚愕の表情で「第七席【世界終焉】様……!?」と言う。ユフィーリアの七魔法王としての威厳は健在だ。
ユフィーリアは恭しげにフレデリック王子へ頭を下げると同時に、とある魔法を発動させる。普段なら伝心魔法と呼ばれる相手に自分の伝えたい言葉を魔法で叩き込む難易度の高い魔法を用いていたのだが、性別を隠した状態で会話をする方法などいくらでも存在する。
すなわち、声を変えればいいだけの話だ。
「フレデリック殿下、此度はご結婚おめでとうございます」
ユフィーリアの声は女性らしく凛とした響きのあるものではなく、中性的で感情の読めない平坦なものとなって紡がれた。
「喋った……!?」
フレデリック王子はさらに驚愕する。確かに今まで喋らないことで有名な第七席【世界終焉】が、唐突に流暢な言葉を使い始めたら混乱する。
「我々は、貴殿の意思確認の為にやって参りました」
「意思確認?」
不思議そうに首を傾げるフレデリックを確認してから、ユフィーリアは重要な質問を投げかける。
「フレデリック殿下、アマゾネス王国のエリザベス王女とご結婚する意思は本当にございますか?」
「…………どういう意味ですか?」
怪訝な表情を見せるフレデリックに、ユフィーリアはさらに言葉を続けた。
「我々は殿下が、冗談や面白半分でエリザベス王女に求婚されたのではないかと憂いております。ご自分の容姿に自信を持たれるあまり、求婚を断られたのが悔しくてしつこく結婚を迫ったのではないか、と」
「そんなことはありません!!」
フレデリックは即座に否定してきた。
「確かに周りから見れば、エリザベス王女は珍妙な姿として映るでしょう。ですが私は、彼女を見た目で判断した訳ではありません。溢れ出る品性と慈悲深い心――彼女の内面性に惹かれたのです!!」
堂々と言ってくる辺り、その意思は紛れもなく本物のようだ。
そうでなくては困る。ユフィーリアたちは結婚式を成功させようとしているのだ。打算とか冗談とか自分の名誉を向上させるとか、そんな意思が1欠片でも見つかればこの場で拳が飛んでいるところだった。
嘘偽りの愛がなければ、それでいい。作戦は続行だ。
「貴殿の意思は確かに受け取りました」
内心でほくそ笑みながら、ユフィーリアは言う。
「貴殿の意思を尊重し、結婚を心から祝福します」
最後に、第七席【世界終焉】としてお決まりの言葉で締めた。
「貴殿に終わりの加護があらんことを」
さあ、次に必要なことは花嫁の意思確認だ。
最高の結婚式を演出してやるには、双方の意思をしっかり聞き届ける必要がある。勝手に盛り上がると離婚された時に「じゃあやらなきゃよかったわ」と後悔する羽目になるのだ。
結婚式を成功させた方が面白そうだから、という欲望に塗れた意思で祝福されていることを知らず、フレデリック王子は感動のあまり涙を瞳に浮かべるのだった。本当にそんな綺麗な感情で結婚式を祝福している訳ではない、断じてない。
《登場人物》
【ユフィーリア】至極真っ当に花婿と対応しているけれど、本当は内心で物凄くゲラゲラ笑っている。声を変える魔法をかけた影響で、声が震えるのを誤魔化せた。
【エドワード】ユフィーリアの後ろで黙っていたけど、本当はゲラゲラ笑っている。真面目にゴリラと結婚したいと思ってんのか。
【ハルア】あのゴリラってこのイケメンが言うような気品あるお姫様なのかなぁ、と思っている。
【アイゼルネ】本当は物凄く笑いたかったが、持ち前の鍛えられた表情筋のおかげで笑わなかった。
【ショウ】現実で美女と野獣的な展開はあるんだな、と思った。王子様って目ん玉どうなってんだろう。
【フレデリック】ゴリラと結婚することを決めたイケメン王子様。国家の支持率はガタ落ちしたし、何なら女性の国民が悲鳴を上げたのは言うまでもない。