第2話【問題用務員と花婿と花嫁】
「へえ」
冊子を開いたユフィーリアは、思わずそんな声を漏らしてしまった。
花婿は、なかなか整った顔立ちの男性である。豊かな金色の髪と穏やかな光を湛える青い瞳、スッと通った鼻梁と形の良い唇、皺や染みなどが存在しない淡雪のような肌と美丈夫の条件が余すところなく揃えられていた。
確かにおとぎ話から飛び出してきたかのような格好よさがある。写真の横に添えられた情報では西側諸国の大きな国の第一王子として名前を連ねる人物らしい。人望もあり、国民からの支持も高く、将来有望な国王になるだろうと囁かれている。
そんな生粋の王子様に求婚されるとは、彼の花嫁になる第二王女様はさぞ幸せなことだろう。飛び上がるほど喜んだかもしれない。
「なかなか格好いいじゃねえの」
「確かにねぇ」
「そうだね!!」
「あら素敵♪」
「…………」
写真をエドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウにも見せてやるのだが、何故かショウは浮かない顔である。忌々しげに花婿の顔を眺めている。
「ユフィーリアは、こういう格好良くて背の高い男性が好きなのか?」
「アタシの好みは、アタシの為に毎日メイド服を着てくれてアタシの為に尽くしてくれる可愛いお嫁さんかな」
「ぴゃあ」
素直な感想を述べたところ、可愛いお嫁さんが顔を真っ赤にして蹲ってしまった。頼れる先輩用務員を一生懸命演じているハルアが、丸められたショウの背中をゴシゴシと擦って慰めている。彼は多分撫でているつもりなのだろうが、摩擦で火が出そうな勢いで擦っている。
あれは本当に大丈夫なのだろうか。ショウはハルアによる全力背中ゴシゴシを甘んじて受け入れているし、そろそろ本気で背中から火が出そうな予感があるのは何故だろう。ショウのメイド服には耐火性の加護も盛り込んであるのだが――あ、煙が出始めた。
ユフィーリアは雪の結晶を一振りし、ハルアの頭頂部に氷塊を叩き落とす。ショウの背中全力ナデナデ攻撃は強制終了させ、馬鹿を地面へ沈めることに成功した。
「……? なんか焦げ臭い」
「ショウ坊、一応背中は冷やしておこうな」
「え?」
魔法でショウの背中を冷やしてやり、心配だったので回復魔法も重ねがけする。「……背中の方から焦げ臭さが……」とショウは呟いていたが、まさか自分の背中を擦られすぎて火が出そうになっていたとは夢にも思うまい。ユフィーリアだって思わなかった。
さて、気を取り直して花嫁の写真である。
グローリアから渡された赤い冊子を手にしたユフィーリアは、イケメン王子様に熱烈な求婚をされた花嫁を確認する。あれほど麗しい王子様に惚れられたのだ、花嫁となる第二王女様もさぞ美しいことだろう。
「…………」
ゴリラだった。
「…………」
上から見ても、下から見ても、横から見てもゴリラだった。
「…………」
綺麗な桃色のドレスを着て、椅子に座って優雅に微笑んでいても、ゴリラはゴリラだった。
「……………………ふぅ」
パタン、とユフィーリアは赤い冊子を閉ざす。
ちょっと疲れているのかもしれない。あれほど格好いい王子様のお相手がゴリラに見えるなんて、ユフィーリアの眼球も疲労によっておかしくなってしまったのだろうか。
目頭を軽く揉み込んで、大きく深呼吸をしてみる。その行動でだいぶ肩の力が抜けた気がする。
よし、再び花嫁の写真とご対面である。どれほど綺麗な花嫁なのだろうか、楽しみだ。
「…………」
やっぱりゴリラだった。
「…………」
冊子を閉じて、開いてみても、やっぱりゴリラだった。
「…………」
窓の外を眺めて「今日はいい天気だな、雨も珍しく降ってないな」と思ってみたりしちゃったが、改めて写真を確認してもゴリラだった。
「どうしたのぉ、ユーリ」
「花嫁さんが綺麗すぎた!?」
「早く見せてほしいワ♪」
「あれほど格好いい王子様が見初めたのだから、とても綺麗な花嫁さんなのだろう?」
ワクワクとした感じでユフィーリアに詰め寄ってくるエドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウに見せるのは心苦しい花嫁の写真なのだが、とりあえず見せてやることにした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
花嫁の写真ではなく、ゴリラの写真を見せつけられて4人が石像のように固まる。
エドワードは目元を擦り、ハルアは瞬きを繰り返し、アイゼルネは驚きのあまり紅茶の準備をしようと持ち出した薬缶を取り落として叩き割り、ショウは本棚から動物図鑑を取り出していた。
動物図鑑で確認した頁には、ゴリラの写真が掲載されていた。花嫁の写真とは違って、動物図鑑のゴリラの写真は動いて回っている。類稀な怪力を持つ魔法動物『パワークラッシュゴリゴリラ』と写真を見比べていたが、どう頑張って見ても綺麗な花嫁ではなく花嫁ゴリラである。
ユフィーリアは花嫁の写真を掲げ、
「はい、お前ら。これが何に見える?」
それに対する彼らの返答は、
「ゴリラだねぇ」
「ゴリラにしか見えない!!」
「どう見てもゴリラだワ♪」
「この写真と何が違うのか分からないほどゴリラだ……」
わざわざ動物図鑑のパワークラッシュゴリゴリラの頁を見せながら言うショウに、ユフィーリアは「そっかァ」と応じる。
これでもう分かっただろう、花嫁はゴリラなのだ。もうどう頑張ってもゴリラなのだ。「ゴリラの獣人かな?」と確認してみるけれど、不思議なことにゴリラと見せかけて人間だと説明書きがあったので人間であることは間違いないようだ。
そういえば、世の中にはゴリラに見えるけれど立派な人間である存在がいくつか確認されている。ヴァラール魔法学院にも生徒として在籍している気がした。闘技場の行事で戦ったような記憶がある。
ユフィーリアは赤い冊子をそっと閉じると、
「はい、せぇの」
次の瞬間、用務員室に爆笑の嵐が巻き起こった。
「だーははははははははははははははははははは!!」
「ぶわははははははははははははははははははは!!」
「げはははははははははははははははははははは!!」
「おほほほほほほほほーほほほほはほほほほほホ♪」
「ふ、ふふふッ、あははははははははははははは!!」
問題児全員、腹を抱えて笑い転げた。
ユフィーリアは笑いすぎて過呼吸を引き起こし、エドワードは爆笑のあまり痙攣し始め、ハルアは笑い転げた末に机と正面衝突を果たして頭にたんこぶを作り、アイゼルネは膝から崩れ落ち、ショウは気絶寸前に至ってしまった。
もう地獄絵図である。完全に用務員室は終わった。もうダメだ、何もかも。
「こ、これは、これは確かに国民から認められねえだろ。ゴリラだもん、ゴリラ」
「確かにねぇ、花嫁さんには申し訳ないけどねぇ」
国民からの支持も高い麗しの王子様が見初めた第二王女とやらが、こんなゴリラみたいな顔面と屈強な肉体美を持つ性別が本当に女性なのか疑わしい存在だったら拒否反応を起こす。むしろ、反乱まで行かなかったのが幸いだ。
王子様は本当にこんな花嫁に惚れたのだろうか。いいや王子様から熱烈な求婚を受けたのだから、おそらく彼の心は本物のはずだ。頭の中身はだいぶおかしなことになっているが。
もう花嫁ゴリラに王子様がお熱であれば、問題児の問題行動を使ってでもいいから破局させたいと思うだろう。結婚式を中止に出来れば御の字だ。
「ユーリ、これどうするのぉ?」
「結婚式はぶっ壊すの!?」
エドワードとハルアに問われ、ユフィーリアは「決まってんだろ」と当然の如く答えた。
「この結婚式、成功させるしかねえだろ!!」
そう、彼らは生粋の問題児である。物事を『面白い』か『面白くない』かで判断する馬鹿野郎の集まりだ。
当たり前だが、結婚式など潰れて――いいや潰して当然と思うのが本来の問題児だ。誰が他人の幸せな姿を眺めて自分も幸せになるだろうか。「お前なんぞ不幸のどん底に落ちろ!!」と願うのが問題児である。
ただし、何事も例外は存在する。今がその時だ。周囲に結婚式の中止を求められるのであれば、問題児として行動するのは結婚式の成功だ。
「だよねぇ!!」
「それでこそユーリだよ!!」
「この旦那さんとお嫁さんは幸せにしてあげないとネ♪」
「素敵な結婚式にしてあげよう」
愛すべき問題児の仲間たちも結婚式の成功を望んでいた。
だってもう成功させるしかないではないか。『しあわせの花嫁』に選ばれた花婿と花嫁は必ず幸せになるのだから、不幸な結婚式にしてやるのは可哀想である。
何だかもう考えただけで楽しくなってきちゃった。正座で説教は免れないだろうが、そんなのは問題児の日常茶飯事である。問題児断罪イベントぐらいこなしてやる覚悟は出来ていた。
「お前ら、早速結婚式の準備だ。まずは購買部でバナナを買ってこい、バナナ」
「行ってくる!!」
「俺も行こう」
勢いよく用務員室を飛び出したハルアと、元気よく飛び出した先輩用務員をショウが追いかけていく。彼らに任せればいいバナナが手に入りそうだ。
「アイゼ、花婿と花嫁の情報について調べておいてくれ」
「任せてちょうだイ♪」
「エドはアタシと魔法薬学実践室に忍び込むぞ。魔法薬の調合をしてやらねえとな」
「いいよぉ。何の魔法薬を作るのぉ?」
「ゴリラ化変身薬」
花婿が麗しの王子様であれば、花嫁に合わせてゴリラにしてやるのがいいだろう。まあ相手はゴリラに見える人間なのでちょっとした微調整は必要になってくるが、魔法の大天才と名高いユフィーリアであれば問題なくこなせる。
王子様もお姫様も幸せにしてやればいい。他の連中は知らない。怒るなら勝手に怒って、喧嘩を売ってくるのであれば返り討ちにしてやろう。
ユフィーリアはエドワードを伴って魔法薬学実践室に向かう道すがら、あることを思い出した。
「そういや、第七席【世界終焉】として出席しなきゃいけねえんだよな」
「そうだねぇ」
「多分、お前らも出席しなきゃいけねえんだよな」
エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウの4人は問題児の仲間である以前にユフィーリアの従僕である。ちゃんと契約も交わしたので、彼らも従僕として第七席【世界終焉】が出席する式典に参加しなければならないのだ。
そうなってくると、必要になってくるものがある。第七席【世界終焉】の従僕として必須の礼装だ。
ユフィーリアは「被服室にも行かなきゃな」と言い、
「面隠しの薄布を作らなきゃ」
「それって何よぉ?」
「まあ作ってみてからのお楽しみだな」
結婚式出席に必要な礼装の意匠を頭の中で描きながら、ユフィーリアはまず魔法薬学実践室に向かうのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】リアル美女と野獣ならぬイケメンとゴリラを目の当たりにして腹筋が死んだ魔女。見た目に反して笑い方は下品。
【エドワード】イケメン王子とゴリラ花嫁の結婚式を想像して腹筋が崩壊した。笑い声は大きい方。
【ハルア】イケメンがゴリラに求婚するとんでもねえ世界を目の当たりにして腹筋が終わった。笑うと何故か怪我が増える。笑い転げるからである。
【アイゼルネ】イケメン王子とゴリラ花嫁の結婚式を成功させようと目論む南瓜頭の娼婦。笑うと貴族ばりの高笑いを披露する。
【ショウ】初めての結婚式、初めての儀式参加なのに、何故か初っ端からゴリラと人間の結婚式を見せられることになった異世界出身の少年。笑い方は年相応。