第1話【問題用務員としあわせの花嫁】
しあわせの花嫁、と呼ばれる儀式がある。
毎年6月になると、王族同士の結婚式が立て続けに執り行われる。6月に結婚式を挙げた夫婦は幸せになれると言い伝えられており、良好な夫婦仲を築けるように嘘か誠か不明な伝承にあやかるのだ。
幸せな結婚式を予定している王子様とお姫様たちを占い、今年最高の運勢を叩き出した夫婦を七魔法王で祝福するのが『しあわせの花嫁』と呼ばれる儀式の内容だ。各国の王族はこの結婚式に選ばれるのが栄誉あることと言われており、儀式に選ばれた花嫁と花婿は必ず幸せになれると噂まである始末だ。
その七魔法王に注目してほしいのだが、この名門魔法学校『ヴァラール魔法学院』を毎度の如くお騒がせさせる問題用務員どもも関係していた。
「ユフィーリア、結婚式だよ!!」
用務員室の扉をイキイキと開け放ち、弾んだ声でそんな浮かれたことを言い放つのはヴァラール魔法学院の学院長であるグローリア・イーストエンドだ。
烏の濡れ羽色をした長い髪を簪で纏めて、朝靄を想起させる色鮮やかな紫色の双眸には希望の光が宿されている。清潔感のある襯衣や洋袴は装飾品の数が少なく、おおよそ学院長らしくない格好である。
不思議な色合いの宝石をあしらったループタイを揺らすグローリアは、
「結婚式は素晴らしいよね。花婿さんと花嫁さんが幸せそうでさ、それを祝福できるのが僕も嬉しいよ」
「帰れ」
用務員室の主である銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは雪の結晶が刻まれた煙管を咥えたまま、冷たい退室命令を放つ。
宝石の如き気品のある青い瞳は、手元に広げられた魔導書に注がれたままだ。題名は『礼装型ウェディングドレスの作成方法〜これで貴女も幸せな花嫁さんに変身〜』である。
表紙には純白のドレスを身につけて微笑む女性が飾り、可愛らしい花束と薄布が花嫁役である彼女を彩る。いかにも幸せそうな花嫁だ。残念ながら相手である花婿まで表紙にはいないが。
黙々と頁を捲るユフィーリアは、
「帰れ」
「2度も言う必要はなくない?」
グローリアは不満げに唇を尖らせ、
「ユフィーリア、君は第七席【世界終焉】なんだから結婚式には必ず出席してもらわなきゃ困るんだよ」
「けッ」
魔導書を読みながら顔を顰めるユフィーリア。
七魔法王が第七席【世界終焉】であるユフィーリアは、実は縁起がいい存在である。世界を終わらせる無貌の死神として恐れられる反面、古い過去を断ち切って新たな未来に踏み出す加護を与えると有名なのだ。もう尾鰭も背鰭も生えて噂が優雅に泳ぎ回っている。
そんな訳で、ユフィーリアは毎年のように出たくもない結婚式に出席を強要されていた。第七席【世界終焉】なのでお得意の軽口で冷やかすことも出来ないし、心の底から幸せそうな花婿と花嫁を見ているとサブイボが出る。
基本的に『他人の不幸は蜜の味』というスタンスを掲げるユフィーリアにとって、結婚式などという幸せたっぷりな行事は鬼門だ。
「おい、エド。塩撒け、塩。腐れ学院長が砂糖を滝のように吐く話を持ち込んできやがったぞ」
「岩塩ならあるけどぉ、投げつけていいのぉ?」
居住区画で日課の筋トレ中だった筋骨隆々の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは、その大きな手のひらで握り込めるほどの岩塩を持って用務員室に顔を覗かせた。
ユフィーリアの「塩を撒け」という命令に対し、岩塩で返すとはさすが問題児として過ごす時間が長かったエドワードである。鍛えられた肉体から投げつけられる岩塩の威力は如何程か。
グローリアは「や、止めてよ」と岩塩を構えたエドワードに要求し、
「そんなものを投げつけられたら、僕だって死んじゃうでしょ」
「ちょうどいいな。冥府の法廷で親父さんに出会ったらよろしく言っておいてくれよ」
「嫌だよふざけんな!!」
必死の抵抗を見せるグローリアは、
「いいじゃないか、結婚式。花嫁さんと花婿さんを一緒にお祝いしてあげようよ」
「絶対に嫌だ。退屈すぎて砂糖を吐くぜオエエエエ」
「うわ本当に砂糖を吐いた、どういう状況!?」
幸せな結婚式の様子を想像しただけで、ユフィーリアは砂糖を口から吐き出してしまった。ちょっとした転送魔法の応用である。種明かしは面倒なのでやらない。
結婚式など退屈で仕方がないのだ。そんなものに参加して問題児であるユフィーリアに何の得がある。
毎度のように思うことは「この結婚式をぶち壊したら爽快だろうな」という問題児根性だ。花嫁と花婿の間を引き裂くような事件を起こしてみたいものだ。
「そうだ、グローリア。ちょっと実験台になってくれよ。今からウェディングドレスを仕立てるから、それを着て『しあわせの花嫁』の結婚式をぶち壊してくれ」
「何で僕がドレスを着る方なの!? 普通に考えたら君じゃないの!?」
「アタシが着たら面白みがねえだろ!?」
「結婚式にまで面白さを求めないでよ!!」
金切り声でユフィーリアの冗談へ叫び返すグローリアだったが、
「――――学院長、ユフィーリアと結婚するおつもりですか? 冥府の法廷でお話します?」
「ぴッ」
ひたり、とグローリアの首元に背後から白魚のような指先が絡みつく。
艶やかな黒髪を桃色のリボンが特徴的なモブキャップに押し込み、感情の読み取れない赤い双眸がグローリアの顔を覗き込む。ゾッとするほど整った儚げな印象のある顔立ちには無の表情がそのまま乗せられ、さながら学院長に取り憑いた怨念かと見紛う。
雪の結晶が随所に刺繍された可愛らしく清楚なメイド服に身を包み、胸元では簡素なリボンタイが揺れている。古き良きメイドさんである。清純さが売りのはずが、今では泣く子も裸足で逃げ出すほどの恐ろしい形相で学院長をじっと見つめている。
清楚なメイド服姿の女装少年――アズマ・ショウはグローリアの首を少しずつ絞めながら、
「貴方にユフィーリアは似合いませんよ。ユフィーリアに相応しいお嫁さんは俺です。俺以外にいません。諦めてください」
「ショウ君、僕はユフィーリアと結婚するなんて話をしていないんだ。ユフィーリアに結婚式へ参加してほしいだけなんだよ」
「そうでしたか。大変失礼しました」
するりとグローリアの首から指を離したショウは、
「あ、ユフィーリアのことを好きになったら殺しますね」
「好きにならないよ、こんな頭のおかしな問題児なんて!?」
「ユフィーリアを好きにならないなんて殺します」
「僕はどう答えれば正解だったのかなあ!?」
可愛い嫁の理不尽な言動に翻弄されるグローリアが面白くて、ユフィーリアは「クッソ面白い」と指差しながらゲラゲラと笑っていた。まるで他人事である。実際、本当に他人事である。
「購買部から帰ってきたら面白い話をしているわネ♪」
「何の話!?」
「おう、お帰り」
「お帰りぃ」
ショウと一緒に購買部へ出かけていた南瓜頭の娼婦――アイゼルネと暴走機関車野郎と有名なハルア・アナスタシスが話に首を突っ込んできた。彼らの瞳は期待に満ちており、楽しそうな予感しかしていないのだろう。
楽しそうもクソもない。グローリアが結婚式の出席を今年も強要してきただけである。そしてユフィーリアがいつものように駄々を捏ねているだけだ。
雪の結晶が刻まれた煙管を器用に口の端で揺らすユフィーリアは、
「『しあわせの花嫁』の儀式に出席しろって」
「あら、今年もなのネ♪」
アイゼルネが納得したようにポンと手を叩くと、
「今年はちょっと違うよ」
それまでショウに理不尽な言葉の暴力を受けていたグローリアが、アイゼルネの言葉を少しだけ否定した。
「今年は問題児である君たちの腕前を見込んで頼みがあるんだ」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないでしょ」
即答でグローリアの頼みを断ったユフィーリアだが、グローリアは拒否の言葉を一蹴してくる。
「今年の『しあわせの花嫁』は、ちょっとした事情があってね。花婿さんの方が花嫁さんに猛烈な求婚をして、結婚に漕ぎ着けたんだよ」
「執念深いな」
グローリアの言う『事情』とやらを聞いて、ユフィーリアは端的な感想を述べた。
王族とは妙に執念深い部分がある。運命の相手を見つけたら、その相手が頷くまで求婚してくる頑強な精神力を持ち合わせているのだ。さすが国を率いるだけある。
今回の件もそんな感じで結婚式に漕ぎ着けたようだ。世の中には恐ろしい出来事が待ち受けているものである。
「ただね、その花婿さんの国が花嫁さんを受け入れられなくて」
「何だよ。やんごとなき身分ってか?」
「ちゃんとした王族さ。第二王女だよ」
「へえ、ちゃんとした身分だな」
第二王女であれば王族に嫁ぐ身分としては申し分ない。別に受け入れられないという訳ではないだろう。
もしかして、第二王女は妾腹なのだろうか。正式な血筋ではなく、側室から生まれたが故に国から受け入れられないというありきたりな内容か。何とも泥沼である。
グローリアは「そこで」と続け、
「君たち問題児には『しあわせの花嫁』の儀式をぶち壊してほしいんだ」
「中止にすればいいだろ。はい解決」
「簡単に中止を言い渡せる訳ないでしょ。もう決まっちゃったんだから」
ユフィーリアは「ふむ」と考える。
いつもは自発的に起こす問題行動だが、学院長直々に問題行動を求められるとは想定外である。こんなことあるだろうか。
それに、いつも「ぶっ壊してやりてえ」と考えていた儀式を正式にぶち壊せるのだ。この話に乗らない手はない。
「分かった、まあ出来る限りで対応してやるよ」
「助かるよ」
「その代わりに、問題行動の責任をお前に被せるからな」
「ぶち壊せさえすればあとはどうとでもなるし、いいよ」
ユフィーリアは「よし」と拳を握った。これで問題行動はやりたい放題である。どうやって結婚式を壊してやろうか。
パチンとグローリアは指を弾き、赤と青の冊子をどこからか転送する。『しあわせの花嫁』の儀式に選ばれた、幸運な花婿と花嫁の情報だ。
冊子をユフィーリアに押し付けた学院長は、
「じゃあよろしくね」
そんな軽い調子でヴァラール魔法学院創立以来の問題児に問題行動を頼んでから、用務員室を立ち去った。
面倒なことを引き受けてしまったが、前々からぶち壊したいと望んでいた結婚式を破壊できるのだ。幸せそうな花嫁と花婿を破滅に追い込んでやる。
ユフィーリアは花婿の冊子を手に取り、
「さて、問題行動の餌食になる花婿と花嫁はどんな顔なのかなっと」
これから不幸のどん底に叩き落とされる可哀想な花婿と花嫁の顔を拝んでやる為に、ユフィーリアは冊子を開いた。
《登場人物》
【ユフィーリア】結婚式とか無縁かと思いきや、古い過去を捨てる『変革』の加護を与えることから結婚式出席を強要される魔女。幸せを感じる時はショウに膝枕をされている時。
【エドワード】結婚式と無縁な筋肉馬鹿の巨漢。幸せを感じる時は肉料理を食べている時。
【ハルア】結婚式と無縁な暴走機関車野郎。幸せを感じる時はショウに絵本を読んでもらっている時。
【アイゼルネ】結婚式と無縁な南瓜頭の娼婦。幸せを感じる時は用務員みんなの為に紅茶の研究をしている時。
【ショウ】いつかユフィーリアと結婚できる時を夢みる異世界出身の女装メイド少年。幸せを感じる時はユフィーリアに添い寝をしてもらっているお昼寝時間。
【グローリア】縁結びなどを司るので結婚式には出席を強要されるヴァラール魔法学院の学院長。幸せを感じる時は魔法実験に取り組んでいる時。