第9話【異世界少年と黒幕の正体】
「ええー、そんなことがあったのぉ?」
ショウとハルアから事の顛末を聞いたエドワードは、すっかり酔いも覚めたのか真剣な表情で「大変じゃんねぇ」と言う。
「じゃあこんな場所でのんびりご飯の到着を待っていたらダメじゃんねぇ」
「エドも逃げよう!!」
ハルアがエドワードの腕を掴んでグイグイと引っ張る。
ショウもハルアの意見に賛成だ。高級料亭で豪華な食事は叶わないだろうが、命には変えられない。また湯煙温泉郷を訪れた際に、食べる機会があれば挑戦すればいいだけの話だ。
今は命を狙う狐どもから逃げなければならない。高級料亭から――いいや、もしかしたら湯煙温泉郷からも脱出しなければならないかもしれない。今の時間帯から魔法列車に飛び乗って逃げ切ることが出来るだろうか。
その時だ。
「失礼致します、お食事のご用意が整いました」
ショウの口から「ひッ」と甲高い悲鳴が漏れた。
閉ざされた襖の向こうから、食事を運んできた女性店員の声が聞こえてきたのだ。相手は食事の用意が出来たから呼びかけただけで、怖がる要素はどこにもない。
もしかして、先程の狐たちは部屋に撤収してしまったのか。ショウたちが呑気に食事をしている隙に美味しくいただくつもりなのか?
スッと音もなく襖が開かれる。朗らかな笑みを湛えた狐耳が特徴的な女性店員は、
「今宵のお食事はイキのいいお肉が手に入りそうですねェ……?」
大太刀かと見紛うほど立派な刺身包丁を掲げていた。
嫌な予感的中である。やはり高級料亭が全体的に関わっていたのだ。
あの闇取引の現場は、招待券で入場してきたお客を食らう為の話し合いだったのだ。そして今回、招待券で入場したショウたちがその対象に選ばれてしまった訳である。
何ということでしょう、高級料亭が売りにしている『すき焼き』は人肉で出来ているのか。
「ショウちゃん、ハルちゃん」
エドワードは近くにあった机を引っ掴み、
「急いで逃げるよぉ」
「えっとお酒の代金は?」
「ショウちゃん、そんなことを気にしている場合じゃないじゃんねぇ」
エドワードは「よっこいせぇ!!」と重たい机を片手だけで持ち上げた。
確か、この掘り炬燵式の机は床と一体化していたはずである。それを床から引き千切るほどの剛腕は彫像の如き綺麗な肉体美だからなせる技だろうか。
立派な刺身包丁を片手に立ち尽くす狐耳の女性店員が「あ、あのこれ」とやや震えた声音で何かを訴えるが、エドワードは構わず机をぶん投げた。
「おンらあ!! 飛んでけぇ!!」
投擲された机は確かに刺身包丁を構えた女性店員めがけて飛んでいったが、女性店員が「きゃああ!!」と甲高い悲鳴を上げて回避したことで向かい側にあった部屋に突っ込んだ。襖が吹き飛び、向かい側の部屋は悲惨な結末を迎える。利用客がいなかったことが幸いだろう。
エドワードはショウとハルアを小脇に抱えると、行手を阻む襖を蹴飛ばして破壊する。今まで酒を飲んでいた人間とは思えない瞬発力で部屋を飛び出すと、廊下を風のような速さで駆け抜ける。
あまり抱えられることはなかったのだが、意外と安定感がある運び方である。普段からアイゼルネを抱えて走り回っている影響か、他人を運搬する技術に長けているのだろうか。
2段飛ばしで階段を駆け下り、精算台の横を素通りする3人だったが、
「え」
「あらまあ」
「嘘でしょ!?」
高級料亭から飛び出したショウたち3人を迎えたのは、大勢の狐耳を生やした湯煙温泉郷の従業員たちだった。
彼らもショウたちを美味しく料理するつもりだったのか、虫取り用の網やフライパンなどの調理器具を片手に高級料亭の前で集合していた。予想以上に早くショウたちが料亭を飛び出してしまったので、食べる為の作戦が台無しとなってしまったのだ。
見渡す限り、湯煙温泉郷の従業員に囲まれているので簡単に脱出は出来ない。冥砲ルナ・フェルノでエドワードとハルアを乗せて、空を飛んで逃げるしかないだろうか。
「ショウちゃん、魔フォーンの準備だけしといてくれるぅ?」
「え、エドさん何をするつもりですか……?」
地面に下ろされたショウは、エドワードを見上げて問いかける。
エドワードは銀灰色の双眸で湯煙温泉郷の従業員たちを見回し、浴衣の袖を捲り上げる。「ハルちゃんはショウちゃんのことをしっかり守ってあげるんだよぉ」などといつもの間伸びした緊張感のない口調で言うが、見上げた広い背中から感じられる雰囲気は只事ではなかった。
彼が前に進み出ると、調理器具を片手に取り囲んでくる湯煙温泉郷の従業員たちが距離を取った。従業員たちはどこか怯えた眼差しでエドワードを見据えている。
残念ながら、湯煙温泉郷の従業員は最悪の相手を敵に回してしまった。唯一無二の魔女・魔法使い養成機関にて問題児と名高いショウたちを食おうと画策するのが、そもそもの間違いなのだ。
「どこの誰だか知らないけどねぇ」
エドワードはゴキゴキと指の骨を鳴らしながら、
「俺ちゃんたちを食おうってンなら覚悟は出来てんだろうなァ狐畜生どもが!!」
湯煙温泉郷の従業員を相手にエドワードが吠えると、
「止めよ止めよ!! お主ら、従業員に何をするつもりなのじゃ。単なる冗談じゃろうに!!」
聞き覚えのある声が、ショウの耳朶に触れた。
完全に戦意喪失した湯煙温泉郷の従業員たちを掻き分け、真っ白な狐がショウたちの前に姿を現す。
雪のように綺麗な毛皮とふさふさの狐尻尾が9本、薄紅色の瞳の周りには赤い隈取りが施されている。白衣と黒い袴を身につけた巫女の格好をした9尾の狐は、ショウたちの知り合いだった。
ヴァラール魔法学院にて植物園の管理人を務める狐、八雲夕凪である。
「全くお主らと来たら……ゆり殿と同じぐらいに野蛮じゃのぅ」
「何で八雲のお爺ちゃんがここにいるのぉ?」
拳を握るエドワードが問いかければ、八雲夕凪は「決まっとるじゃろ」とあっけらかんとした調子で答える。
「この湯煙温泉郷は儂が管理する領土じゃもん。招待券を購買部に景品として提示したのも儂のおかげじゃ」
八雲夕凪は「人気観光地に生徒を招待するとは、儂も太っ腹じゃ」と自分の行いに満足している様子だった。
「きゃンわいい女子が招待券でやってくるかと思えば、来たのはクソみたいにむさ苦しい男連中ばかりじゃ。どうせじゃから、ちょっと脅かしてやろうと思っただけなのじゃ」
「…………」
「…………」
「…………」
「あ、しょう殿は可愛いから許したんじゃがの。遊郭に売り飛ばすというのは冗談で儂のところにご招待しようと思ったのにのぅ、襖は蹴破られるし備品は壊されるし散々じゃ」
八雲夕凪は「よよよ」と真っ白な袖で目元を拭う仕草をするが、ショウたち3人からは冷ややかな視線が投げかけられた。
本気で怖かったのだ。遊郭に売り飛ばされて死ぬまで強制労働をさせられるのか、と割と本気で絶望していたのだ。エドワードとハルアは美味しくいただかれてしまうのかと思っていたのだ。
それが結局、全部冗談だった。性格の悪い八雲夕凪が仕組んだクソみたいな三文芝居だったのだ。
ショウはスッと右手を掲げる。歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノを出現させ、ごうごうと燃え盛る炎を束ねて矢として番える。ハルアとエドワードも拳を握っていた。
「「「死ねクソジジイ!!!!」」」
3人の怒号が、星が瞬き始めた夜空に響き渡った。
☆
他人の金で食べるすき焼きは格別である。
「美味い!!」
大量の高級肉を頬張り、ハルアが手放しで絶賛する。
鉄鍋でグツグツと煮込まれたすき焼きは、肉とその他の割合が計算され尽くしていた。すき焼きのタレが染み込んだ豆腐や白滝、長時間に渡って煮込まれた影響でトロトロに蕩けた葱や肉厚なキノコ類が綺麗に鍋の中に配置されている。さすが高級料亭が提供するすき焼きである。
使われている食材はどれもお値段が張るものばかりなのか、そのままでも十分に美味しい。特にお肉は絶品である。口の中に入れた瞬間に溶けて消えたぐらいだ。
甘辛いタレが染み込んだお肉を口に運ぶショウは、思わず頬が緩んでしまう。それぐらいに美味しかった。
「このお肉美味しい……」
「こっちのお刺身も美味しいよぉ」
グツグツと煮込まれるすき焼きの隣では、木製の船に盛られた豊富な種類の刺身が待機していた。器となっている船が机からはみ出してしまっている。温くならないようにと氷の上に広げられた刺身は、どれもこれも艶があって美味しそうだった。
箸で器用に刺身を取り皿に運ぶエドワードは、ワサビ醤油に取り皿へ移した刺身を浸して口に運ぶ。「んー美味しいねぇ」と刺身の美味しさに顔を綻ばせる。
彼のすぐ側には麦酒の硝子瓶が大量に転がっており、かなりの酒精を摂取していた。エドワードの頬は赤らんでいるものの、元より酒は強い方なのか泥酔するところまで至っていない。ほわほわと素敵な気分で、今度はすき焼きの鍋に箸を伸ばしていた。
「許しておくれぇ、許しておくれぇ」
部屋の隅に簀巻きの状態にして転がした八雲夕凪が、シクシクと涙を流しながら許しを乞うてきた。
「この店はただでさえ高いんじゃ、大量に飲み食いされれば儂の財布が破産してしまうんじゃぁぁ」
「知らなぁい」
「知らね!!」
「知りません」
エドワード、ハルア、ショウの3人はバッサリと八雲夕凪の懇願を切り捨てる。
この豪勢な食事は、全て八雲夕凪の財布から捻出されたものだ。今までの笑えない冗談に巻き込んでくれたお詫びに、食べるのを断念したすき焼きを八雲夕凪の奢りで食べさせてもらうという約束を半ば無理やり脅して取り付けた次第である。
八雲夕凪の財布が破産しようが何だろうが関係ない。ユフィーリア経由で彼の妻である樟葉に通報しないだけマシだと思っていただきたい。
焼肉のタレが染み込んで茶色くなった豆腐を箸で切り分け、小さくしてからショウは口に運ぶ。舌の上で甘辛いタレの味が広がり、ふわふわの豆腐の食感が相性抜群だった。
「豆腐も美味しい……ふわふわだ……」
「ショウちゃんお肉もっと食べなよ!! あのクソ狐の金だから、いくら食べてもオレらの懐は痛まないよ!!」
「あ、あ」
ショウが何か言うより先に、大量のお肉がショウの取り分として器に盛り込まれてしまう。目の前に肉の山が形成されてしまった。胃の許容量は大丈夫だろうか、と自分の腹が心配になってしまう。
「こんな豪華なご飯が食べられるなんてぇ、男3人旅も悪くないねぇ」
「肉美味え!!」
「お刺身も美味しい」
美味しい夕飯に舌鼓を打ち、ズッコケ男3人旅は平和的に終幕したのだった。
《登場人物》
【ショウ】元の世界では食べることが叶わなかったすき焼きを初体験。異世界にやってきて太るような食事が出来るようになって幸せである。今度はお寿司が食べてみたい。
【エドワード】肉料理系は全部美味しいと思っているのだが、やはり食の殿堂『極東』の肉料理は味が繊細で格別である。好き嫌いは特にないが、チョコレートは苦手。
【ハルア】すき焼きで肉ばっかり食って怒られる系お子ちゃまかと思いきや、しっかり後輩の食事事情も面倒を見る先輩。肉の盛りすぎ? そんなの知るか!
【八雲夕凪】ヴァラール魔法学院では植物園の管理人を務める九尾の狐。性格が狡猾だが、問題児に喧嘩を売ってはやり返されている。今回の湯煙温泉郷も実は従業員経由で監視をしていたのだが、あっさりバレてボコボコにされて財布も破産させられた。