第8話【異世界少年と闇取引】
「そこ行くお兄さん方」
夕飯はどこで食べようか、という話をしている最中だったショウたち3人は、美人な狐のお姉さんに呼び止められた。
紅色の着物を身につけた彼女は、黄金色の狐耳をピッコピッコと揺らしながら妖艶に微笑む。別に彼女がどれほど妖艶に微笑んだとしても、ショウの心には一切響かない。
美人な狐耳のお姉さんは「夕飯にお困りかい?」と問いかけ、
「だったらウチで食べて行ってくれよ。高級料亭だから観光客も敬遠しちまうのさ」
「高級料亭だったらお金がかかるじゃんねぇ。男3人旅にそんな余裕資金はありませぇん」
エドワードは『高級料亭』という単語に反応して、断固拒否の姿勢を示す。
さすがにショウも高級料亭がどのような値段になるのか想像できるし、ハルアも馴染みのない高級料亭なるレストランに警戒心を抱いているようだった。ショウには何の危険もないのだが、わざわざショウの前に立ち塞がって守る姿勢を見せてくれる。
ところが、狐耳のお姉さんは「そういやアンタら」と何かに気づき、
「招待券でやってきたお客だろう? ウチの店は招待券でやってきたお客に特典をつけているのさ」
「それはどんなのぉ?」
「料理代金5割引き……いいや」
狐耳のお姉さんは両手の指を合わせて7本立てて、
「7割引きでどうだい?」
「いいねぇ」
「7割引きは大きいね!!」
「太っ腹だ」
給料7割減額は何度も聞いたが、食事代金7割引きは高級料亭も太っ腹なことをするものだ。いいお料理をお手軽なお値段でいただけるのはありがたい。
というか、招待券にはそんな特典もついてくるのか。ショウは懐に潜ませた招待券を確認するのだが、そのような記述は一切見当たらない。店側の独自方針なのかもしれない。
すっかり高級料亭で食事をすることに決めてしまったエドワードとハルアに異論を唱えることも出来ず、かと言って頭ごなしに信用しない訳にはいかないのでショウも彼らについて行くことにした。
☆
高級料亭の名前は『狐のお宿』だった。既視感があるのは何故だろう。
「こちらを使っとくれ」
狐のお姉さんに案内された部屋は個室で、6畳程度の広さがあった。
部屋の真ん中には掘り炬燵が設置され、机の真ん中には何か器を支える為の土台のようなものが取り付けられている。あれは一体何に使うのだろうか。
ハルアが机に取り付けられた謎の土台に反応し、
「お姉さん、この変な土台は何!?」
「ウチの売りは『すき焼き』なのさ。それは鍋を支える為の土台だよ」
「すき焼き!!」
ハルアが「やったー」と騒ぎ始める。
ショウも驚いていた。この世界にはすき焼きも存在しているのか。
元の世界で聞き覚えはあるけれど食べることは終ぞ叶わなかった高級料理を、まさかこんな場所でいただけるとは夢にも思わなかった。極東地域の料理はたくさんのショウが知っているけれど食べられなかった料理があるのかもしれない。
「じゃあ準備をしてくるから待っているんだよ」
「あい!!」
「はぁい」
「あ、すみません」
ショウは立ち去ろうとする狐のお姉さんを呼び止め、
「お手洗いはどこにありますか?」
「廊下を真っ直ぐ歩いて、突き当たりの角を右に曲がるとあるよ。案内板が出ているから、不安になったらそれを参考にしな」
「ありがとうございます」
丁寧にトイレの場所まで教えてくれた狐耳のお姉さんにお礼を告げ、ショウは早速用事を済ませてしまおうと部屋を出る。
「ショウちゃん、オレも行く!!」
「ハルさん、別にお手洗いに行くだけだからついてこなくても」
「漏れちゃう!!」
「あ、そっちだったか」
ハルアもトイレに用事がある様子だった。ショウの身を案じて護衛目的でついてくる訳ではなかったらしい。
他にも注文できる料理はないものかとお品書きを眺めるエドワードに「ハルさんとお手洗いに行ってきます」と告げれば、彼は「行ってらっしゃーい」と軽く応じた。エドワードなら1人だけ残っていても、そんな大事にはならないだろう。
ショウは部屋を出て、しっかりと部屋の襖を眺める。襖の絵は菫、そして襖の横に掲げられた部屋番号は『205』とある。同じような個室が並んでいるので、しっかり部屋の様子を記憶しておかないと迷ってしまう。
「ショウちゃん、こっちだよ!!」
「ハルさん、他のお客さんにも迷惑がかかってしまうから静かにしよう」
「うん!!!!」
「俺の話を聞いていたか?」
元気いっぱいに頷いたハルアに、ショウは密かに苦笑する。もう慣れたやり取りだ。
「お手洗いは突き当たりを右にっと……」
突き当たりの角を右に曲がれば、天井から『お手洗い』の文字が書かれた札が下げられていた。矢印の先に道が続いているので、おそらくその方向にトイレがあるのだ。
試しに道の先を覗き込んでみると、トイレは確かにあった。だが扉を開けると便器は1つしかなく1人用であることを告げていた。なるほど、そう来るか。
ショウは便器を示し、
「ハルさん、先にいいぞ」
「いいの!?」
「決壊寸前なのだろう? 俺はまだ大丈夫だから、次でいい」
「ありがと、ショウちゃん!!」
ハルアは「神!!」と叫んでショウを抱きしめてから、トイレに駆け込んだ。
それほど我慢していたのであれば言ってほしいものだ。エドワードも生理現象を咎めるほど鬼ではないので、今度からは我慢しないでほしい。
ハルアが用事を済ませている間、ショウはちょっと暇を持て余していた。廊下は全体的に薄暗く、襖の隙間から部屋の光が漏れ出ている状態である。賑やかな笑い声まで聞こえてくるので、どこかで宴会でもやっているのだろう。
「ん?」
何故かやたら襖が開いている部屋を発見した。覗いてくれと言わんばかりの隙間である。
「不用心だな」
善意でショウは襖を閉めてやろうと部屋に近づく。
部屋の前に立ち、襖に手を伸ばす。
ほんの少しだけ力を込めれば襖はすぐに閉ざされるのだが、その手を止めたのは部屋の中で交わされている会話が原因だった。
「――招待券を使ってきた連中、もうそろそろ食べ頃か?」
「――そうだな。あの背の高い男なんて肉がしっかりしてそうだし、若い男は身が締まってそうだ」
招待券、背の高い男、若い男。
招待券を使ってやってきたのは、ショウたち3人だ。そして背の高い男はエドワードで、若い男はハルアのことを示しているのだろう。
会話の内容は明らかにショウたち3人を示すことで、調理方法を相談している最中の模様だった。「背の高い男は肉を削いで焼き肉に、若い男は刺身がいいのでは?」「いやいや、背の高い男はぶつ切りにして鍋で煮よう。骨が太いからいい出汁が取れそうだ」と不穏な相談話をしていた。
「そういえば、最後の1人はどうする?」
「あの男か女か分からん奴か」
「顔が可愛いから遊郭に売り飛ばそう」
「そうだな、遊郭に売り飛ばしてしまおう。きっと可愛がってもらえるさ」
サァ、とショウの顔から血の気が失せる。
最後の1人とは、自分のことだ。しかもエドワードとハルアのような肉がない影響で、この身を遊郭に売り飛ばそうと画策されている。
そんなの嫌だ。誰とも知らない相手に媚を売るのも嫌だし、夜を共にするのも御免である。そういうことは全て最高の旦那様であるユフィーリアと一緒にしたい。
襖の前で立ち尽くし、ガタガタと震えるショウの肩を背後からポンと誰かが叩いた。
「ひいッ!?」
「あ、ごめんね。驚かせちゃった?」
肩を叩いたのはトイレで用事を済ませたハルアだった。驚いたショウにキョトンとした表情で首を傾げ、
「どうしたの?」
「いや、あの……ハルさんどうしよう……」
「ん?」
泣きそうな表情でハルアの着ている浴衣の袖を頼りなく掴むショウは、
「俺は遊郭に売られてしまうかもしれない……」
「え? どゆこと?」
「実は……」
隙間から漏れてくる話の内容を指で示したショウは、声を潜めて「まずは部屋の様子を確認してからだ」と言う。
どんな相手がそんな話をしているのか気になったのだ。
命知らずだとは思うだろうが、それでも気になるものは気になる。いざとなれば冥砲ルナ・フェルノでズドンだ。
隙間から部屋の様子を窺うショウとハルアは、
「若い男の刺身はどうする? 臓器は?」
「肝吸いなんてどうだ?」
「ああ確かにいいな。それならば半分ほど蒲焼にしてくれないだろうか?」
ショウを遊郭に売り飛ばし、エドワードとハルアを美味しく料理して食べようと画策しているのは2匹の狐だった。
しかもただの狐ではない。人間の言葉を流暢に話し、黄金色のもふもふとした毛皮が特徴的な二足歩行する狐だったのだ。しかもご丁寧なことに人間の着物、しかも男性用を身につけている。
酒を片手に話しているのか、狐の頬はやや赤らんでいた。徳利に清酒を注ぎ入れ、左右に裂けた口の中に酒をガバガバと投入していく。「げぇふ」と下品にげっぷまでしていた。
明らかに人外なので、食われるという話が明確になってきた。ショウも本格的に遊郭へ売り飛ばされるかもしれない。
「え、オレ食われんの? 美味しくお刺身で?」
「エドさんはぶつ切りにされて煮込まれてしまうかもしれない……」
「やばくね?」
「ああ」
この話が本当ならば、急いでエドワードのところに戻らなければならない。そしてこの話を聞かせなければ。
ショウとハルアは互いに顔を見合わせ、それから急いで部屋の前を離れようとした。
しかし相手にはショウとハルアの存在が分かっていたのか、部屋から離れた途端に襖がゆっくりと開いていく。そこから顔を覗かせた狐2匹が、今まさに逃げようとしていたショウとハルアを見つける。
「そこにいるのはァ」
「だーれーだー……」
まずい、売られるし食われる!!
「逃げるよショウちゃん!!」
ハルアに手を取られ、ショウは引き摺られるようにして廊下を駆け出す。
「待てえ!!」
「待てえ!!」
2匹の狐も逃げるショウとハルアを追いかけてきた。
あの狐に捕まればショウは遊郭に売却され、エドワードとハルアは美味しく調理されて食べられてしまう。ハルアだって死にたくないし、ショウだって遊郭に売られてあんなことやこんなことをする羽目になりたくない。
廊下を突っ走り、菫の絵が描かれた襖を叩き開けてショウとハルアは部屋に飛び込んだ。部屋にはちょうど酒を傾けている最中だったエドワードが驚いた表情をこちらに向けている。
「ど、どうしたのぉ? いきなり飛び込んできてぇ」
「助けてエド!!」
「助けてくださいエドさん!!」
ショウとハルアはエドワードに引っ付くと、
「食われる!!」
「売られる!!」
「何の話ぃ?」
眉根を寄せるエドワードに、ショウとハルアは慌てながらも事情を説明するのだった。
《登場人物》
【ショウ】肉がないから遊廓に売られるかもしれない。
【ハルア】若い肉で身が引き締まっているからお刺身として美味しくいただかれるかもしれない。
【エドワード】こんな闇取引の内容を知らない。ぶつ切りにされて煮込まれるかもしれない。