第3話【異世界少年と湯煙温泉郷】
ババ抜きで喧嘩をするのはこれで何度目だろうか。
「ズルして勝つのは楽しいか!?!!」
「ハルちゃんの表情に出るのが悪いんじゃんねぇ!!」
互いの胸倉を掴み合って取っ組み合いの喧嘩をするエドワードとハルアを、ショウは空茶『雨』を静かに啜りながら眺めていた。
もうすぐ目的地である湯煙温泉郷に到着する頃合いだ。先程、車内全体に魔法の放送が届けられて「間もなく湯煙温泉郷」と聞こえたのだ。
それまで和やかにババ抜きをしている最中で、到着する前に勝負が着きそうだとは予想していたのだ。ずっとエドワードが優勢で、残りの手札が少なくなった時にハルアが手札を投げ捨てなければエドワードが2位で勝ち抜けできた。
ちなみにショウはずっと1位通過である。ババ抜きは割と強い方だと自負している。
「責任転嫁してんじゃないよぉ、悔しかったら表情筋を鍛えて出直してきなぁ!!」
「イダダダダダダダダダダ」
エドワードのアイアンクローが華麗に決まり、ババ抜き2位決定戦は暴力によって締められた。
ハルアは「チクショー!!」と叫ぶなり、唐突にショウへ抱きついてくる。硝子杯の中に注がれた空茶の残りが少なかったから衝撃に耐えられたが、これで中身が満杯だったら絶対に溢れていたと思う。
おいおいと泣く演技をするハルアは、投げ出されたトランプを片付けるエドワードを指差して訴えてきた。負けて悔しいのは分かるが、鼓膜を破るような真似はちょっと遠慮してほしかった。
「酷えよショウちゃん、エドが虐めてくるんだよ!?」
「ハルさん、俺と一緒にババ抜きを練習しよう。そうすればエドワードさんにもきっと勝てるから」
「うん、頑張る!!」
簡単な先輩である。
ちらりとエドワードへ視線を投げれば、彼はグッと静かに親指を立ててきた。「その調子で丸め込んでおいてぇ」ということだろうか。
ポンポンと抱きついてくるハルアの背中を撫でるショウは、
「ハルさん、もうすぐ湯煙温泉郷に到着するから片付けよう」
「もう着くの!?」
「魔法列車の速度も落ちてるしぃ――あ、ちょうど着いたねぇ」
窓の外を流れる景色がピタリと止まり、どこかの駅舎に滑り込んだことを告げていた。駅構内には割と人の存在があり、大量の紙袋を抱えて魔法列車の到着を待っている様子だ。
駅構内に設置された数多の売店では、饅頭や弁当などの食料品が大量に販売されていた。駅へ降り立った観光客は売店にフラフラと吸い寄せられ、そして店主の口車に乗せられて本格的な観光前にお土産の購入を済ませてしまっていた。あの大量の荷物を持って移動する羽目になるとは、観光客も気をつけなければならない。
賑やかな声が窓越しに聞こえてくる魔法列車内に、到着を告げる放送が届いた。
『湯煙温泉郷、湯煙温泉郷でございます。お降りの際はお忘れ物にご注意ください』
エドワードはトランプをハルアに突き返すと、
「じゃあ行こうねぇ。人が多いからはぐれないようにしてねぇ」
「はい」
「分かった!!」
「ハルちゃんはショウちゃんが誘拐されないように手を繋いであげててねぇ」
「そ、そんなことしなくても大丈夫ですよ」
「ショウちゃん可愛いから連れてかれないようにしなきゃね!!」
ギュッと意外に優しく手を握られて、ショウはハルアに手を引かれて魔法列車の個室を飛び出した。
☆
硫黄の香りが漂う湯煙温泉郷の駅を通過すれば、目の前に広がっていたのは櫓などが特徴の城門だった。
立派な瓦屋根を2本の柱が支え、大勢の観光客が城門を潜ってその向こうに広がる湯煙温泉郷に足を踏み入れていく。温泉のものらしい湯気がそこかしこで揺れており、肌に触れる空気もどこか熱が篭っていた。
城門のすぐ側には着物を身につけた湯煙温泉郷の従業員が、観光客を湯煙温泉郷へと誘導していた。「押さずに歩いてください」「急がないでください」「並んでください」などの指示が聞こえてくる。
「狐の耳が生えてるねぇ」
「作り物でしょうか?」
「あれは本物だと思うねぇ」
人混みから頭が2つ分ぐらい飛び出たエドワードが、列整理に精を出す従業員たちを観察しながら言う。
従業員たちの頭には狐の耳が、尻には狐の尻尾がそれぞれ揺れている。時折、ピコピコと揺れているのでおそらく本物だろう。ショウも猫耳メイド服を着る際はピコピコと揺れ動く猫の耳と猫の尻尾を装着するが、あれは本物に限りなく近づけた偽物である。
あの従業員たちの狐耳や狐の尻尾は、どうやら作り物ではなく本物らしい。狐は人間に化けると聞いたが、中途半端に人間へ化けているのだろうか。世の中にはケモミミが好きと言う人間もいることだし、可能性はなくもないだろう。
「城門を潜りましたら受付をお願いいたします」
「受付で浴衣を受け取り、更衣室でお着替えください」
「領内では浴衣の着用をお願いいたします」
「貴重品は各自で管理をお願いいたします」
従業員たちはしきりに観光客へそう呼びかけており、案内もバッチリの様子だ。
それにしても、湯煙温泉郷では浴衣を着用する必要があるのか。今日はそこまでお洒落をしておらず、お風呂に入ることを前提としているので化粧も薄めだ。浴衣に着替えるなら簡素な服装でもよかったかもしれない。
これも温泉郷の醍醐味なのだろう。何だかワクワクしてきた。
「あ、もうすぐ受付だねぇ」
「本当ですか?」
「見えない!!」
「仕方がないねぇ。ハルちゃんとショウちゃんはそんなに大きくないもんねぇ」
人混みに埋もれているせいで前が見えず、周囲の観光客より身長が高いエドワードに周囲の景色の様子を知らせてもらってばかりだ。
ショウも腕の形をした炎――炎腕の補佐があれば、あとどれほどで受付に到着できるか見れるのだが、この周囲に人がたくさんいる状況で炎腕をわさわさと生やせば大混乱に陥ってしまう。さすがに観光客へ迷惑をかけるのは止めたい。
ハルアが「嫌味かこの野郎!!」と文句を垂れながらエドワードの脛をゲシゲシと蹴飛ばし、
「オレ、今日から毎日牛乳を飲んでエドの身長を抜かすから!! 1年後を想像して震えな!!」
「ハルちゃん、お前さんの身長は俺ちゃんと出会った頃から変わらないじゃんねぇ。牛乳飲んでも無駄だから諦めなさいよぉ」
「じゃあエドが寝てる隙に足を切り落として付け替える!!」
「俺ちゃんもお前さんもお人形さんじゃないんだよねぇ。何で部品単位で身体の取り外しが出来ると思ってんのよぉ、馬鹿じゃないのぉ?」
飛びついてこようとするハルアの頭を押さえつけるエドワードは、心の底から呆れたようにため息を吐いていた。
「お次の方、どうぞ」
「あ、はぁい」
「足を寄越せ!!」
「ハルさん、もう受付だから落ち着こう。俺も一緒に牛乳を飲むから」
「うん、一緒に頑張ろうね!!」
先程まで「足を寄越せ!!」と喚いていたハルアが、ショウの一言で驚くほど大人しくなった。頼れる先輩と出会って3ヶ月余り、彼の扱い方が何となく理解できるようになってきた。
受付は、さながら銭湯の番台を想起させる造りとなっていた。
金銭のやり取りをする木の受け皿や算盤が乱雑に置かれ、広げられた台帳には来訪客の人数が達筆で書き込まれている。受付の席に座る女性の背後には背の高い棚が設置され、棚には大量の衣類が詰め込まれていた。おそらく、あれが受付をした際に受け取る浴衣なのだろう。
受付の女性は銀縁眼鏡を掛け直し、怜悧な印象を受ける切長の眼差しをショウたちに向けた。
「男性2名、女性1名でお間違いないでしょうか?」
「男性3名でぇ、これって使えますぅ?」
「拝見します」
エドワードが取り出した招待券を受け取り、受付の女性は招待券の端を鋏で切り落としてから「こちら、退館まで各自保管をお願いいたします」と返却してきた。
「男性が……3名ですか? 本当に?」
「そうでぇす」
「その方は女性ではないのですか?」
受付の女性が混乱した様子でショウを示してくる。
ショウは女装をしているので、ちゃんと女性に見えてしまっているのだ。いつもの癖で女装をしてしまったが、これが仇となってしまった。ちゃんと男性用の格好をしてくればよかったと少し後悔する。
受付の女性が怪しむようにショウを頭のてっぺんから爪先までジロジロと観察し、それから「そこの貴方」と呼びかけてくる。
「本当に男性ですか?」
「すみません、女装をしているけど男です」
申し訳なさでいっぱいになりながら受付の女性に男性であることを訴えれば、彼女は「あ、本当に男性ですね」と納得した。
「最近では身長の高い女性もいらっしゃいますので、勘違いしてしまい大変申し訳ございません。男性3名でよろしいですね?」
「あの、女装してても別に何とも思わないのですか?」
「汚い女装は見たくありませんが、貴方はとても似合っていらっしゃいますので。世の中には様々な人間が存在しますから、湯煙温泉郷でも『性別不詳の湯』を設けております。男性でも心は女性、女性でも心は男性という方も少なくないですから」
あちらです、と受付の女性が指差した先には『その他の性別の方』とある。「内部でも細分化されておりますので、係員にお申し付けください」と受付の女性はさらに言葉を続けた。
「領内を歩くには浴衣の着用が必須ですが、女性用の浴衣を着用されますか?」
「いえ男性用でお願いします」
「かしこまりました」
受付の女性は棚から紺色の浴衣を3着ほど取り出すと、代表であるエドワードに布の山を手渡した。
「貴重品の管理は各自でお願いします。なくされた場合、当方では一切の責任を負いかねます」
「はぁい」
「はい!!」
「分かりました」
「それではいってらっしゃいませ」
受付も無事に済み、受付の女性に見送られてショウたちは更衣室に向かう。
「これで女性用の更衣室に叩き込まれたらどうしようかと思っちゃったよぉ」
「そうなったら出られませんね。警備の人に捕まってしまいます」
「オレが警備の人をぶちのめしておくから大丈夫だよ!!」
「何も大丈夫ではないのだが……」
そんな軽いやり取りを繰り広げながら、ショウたちは男性用更衣室を示す濃紺の暖簾を潜るのだった。
「そういえばぁ、俺ちゃん浴衣を着たことないんだけどぉ。ちゃんと着れるかねぇ?」
「オレも着たことねえや!!」
「あはは……俺が着付けをしますから大丈夫ですよ」
男性用更衣室を利用できてよかったかもしれない。
おそらく簡易的な浴衣だろうが、浴衣が初体験のエドワードとハルアは苦労するに違いない。エドワードはともかく、ハルアは下着1枚で更衣室を飛び出しそうだ。この中で唯一、着付けの知識があるのはショウだけだろう。
苦笑するショウは、密かにある人物へ感謝の言葉を述べた。
(父さん、俺に着付けを教えてくれてありがとう)
和服を普段着とする実父から浴衣の着用方法を学んでおいてよかった、とショウは心の底から思うのだった。
《登場人物》
【ショウ】トランプゲームではババ抜きが得意。表情に出ないので本当にババを持っているのか分からない。
【エドワード】トランプゲームでは大富豪が得意。独特のルールを余すところなく利用してくる。
【ハルア】トランプゲームではスピードが得意。もうカードを置く手が見えない。