第5話【異世界少年とさようなら】
回想開始。
『この魔フォーンを使って悪戯って言っても思いつかねえなァ』
『それならこうしてみるのはどうだろうか、俺の世界で有名な怖い話なのだが』
『へえ、話してみろ』
『何回か電話をかけて、位置を報告するだけだ。徐々に目的地まで近づき、最後は対象人物の背後に現れるという話だが』
『面白そうだな、採用』
『名付けて「メリーな問題児」作戦』
『それも採用』
回想終了。
「おい、グローリア。グローリア? いきなり寝てんじゃねえよ、おい」
ショウが提案した作戦は見事に成功し、学院長のグローリア・イーストエンドは白目を剥いて気絶していた。半開きになった口から魂も抜け出ていたかもしれない。
自慢の綺麗な銀髪をボサボサに振り乱し、左眼球が取れかかった特殊な化粧を施し、さらに左右の口が裂けて見えるというこれまた別の特殊な化粧によって美女から怪物に変貌を遂げたユフィーリアは、ガクガクと学院長を揺さぶって起こそうとしていた。幽体離脱しかけているので、おそらく叩き起こすのは無理だろう。
ホラー映画も裸足で逃げ出す凄まじい化け物メイクを施したのは、問題児の中で最も化粧関係に詳しいアイゼルネである。少し説明しただけで完璧に怖い化粧を再現できるとは思わなかった。本人もちょっと楽しそうだった。
あまりの恐怖に気絶してしまった学院長を床に寝かせたユフィーリアは、
「死んだかな」
「明日から副学院長の天下だろうか」
「やったぜ」
「やったな」
ひょっこりと学院長室の内部を覗き込むショウは、ユフィーリアと共に親指を立てて返事をし合った。
まさか『メリーな問題児』作戦がこうも上手くいくとは思わなかった。通信魔法を使った時点ではかなり余裕な雰囲気があったのだが、もしかして強がっていたのだろうか?
そうだとすれば実に滑稽である。この結果なら副学院長のスカイも満足してくれるに違いない。
「しかし、本当に見えていなかったのだろうか。学院長が扉を開けた時はヒヤッとしたが」
「風景に擬態する魔法は幻惑魔法の1つだからな。アイゼにかかればグローリアの目を少し誤魔化すぐらい簡単だよ」
ショウが背後を振り返れば、南瓜頭の妖艶なおねーさんがVサインを見せていた。さすが相手に幻覚を見せることではユフィーリアさえも凌ぐ実力を持ったアイゼルネである。魔法が使える彼女が羨ましい。
彼女の幻惑魔法で学院長室の側に待機していたショウたち問題児は、姿を隠していたのだ。カメレオンのように風景と一体化して透明になった感覚を味わっていたのだが、いつバレるか気が気ではなかった。
まあ結果的に成功したので、良しとしよう。
「じゃあ副学院長のところに行くか」
「ユーリ、その前にお化粧を落としましょうネ♪」
「え、別にいいだろこのままで」
「ダメ♪」
アイゼルネは特殊な化粧で化け物の姿になったままのユフィーリアに、
「エドが怯えてるワ♪」
「あー……」
ユフィーリアの視線が廊下の床に向けられる。つられて、ショウもそちらの方向に視線をやった。
視線の先には頼れる先輩のハルアがいて、彼の足にしがみついてガタガタと震える筋肉質な巨漢の姿があった。いつもはイキイキとした琥珀色の瞳をしたハルアでも、今日この時ばかりは死んだ魚のような目をしていた。本当に光がなくなっている。
怖いものが嫌いなエドワードにとって、今のユフィーリアの格好は直視できないほど悍ましいものだったのだ。これは仕方がない。ショウも「ユフィーリアである」と自分自身に言い聞かせないと悪夢として出てきそうだ。
ユフィーリアは「仕方ねえなァ」と肩を竦め、
「じゃあ、落とすか」
「おねーさんに任せテ♪」
「頼んだ」
とりあえず学院長室を占領して化粧を落とすことにしたユフィーリアは、化粧道具を抱えるアイゼルネと一緒に学院長室へと消えていった。家主であるはずの学院長は気絶した状態のまま廊下へ追い出されていた。
あそこまで特殊な化粧をしていれば時間がかかるだろう。それまで魔フォーンの性能を確認しておくべきだろうか。
副学院長が試作機と言っていた魔フォーンを取り出すと、ショウが着る詰襟の衣嚢からブブブと何かが震える。
「…………」
断続的に震える衣嚢の中身を一瞥したショウは、
「ハルさん」
「どうしたの、ショウちゃん」
「1人になってもいいだろうか。すぐに戻るから」
「うん」
ハルアもショウがやろうとしていることを理解したようで、静かに親指を立てて言ってくる。
「ショウちゃんはオレの大事なコーハイだから心配しないで。ユーリも絶対にショウちゃんを元の世界に戻すようなことはないよ」
「ああ、分かっている」
ショウはしっかり頷いて、そう答えを返した。
こちらが現実で、今までの事件や出来事は全て事実に基づいている。異世界から召喚されたという事実も本物で、ショウは確かにヴァラール魔法学院の用務員として雇用されて、問題児として名を馳せた。
ならば、もう迷うことはない。やるべきことはただ1つだけだ。
「行ってらっしゃい、ショウちゃん。ぶちかましてこい!!」
「ああ、行ってくる」
頼れる先輩に背中を押され、ショウは少しだけ1人になる為に廊下を歩き出した。
☆
衣嚢に押し込んだ携帯電話を取り出せば、画面に表示されていたのは『叔父』の文字と彼の電話番号である。異世界にも電波が届くのかと驚いたものだが、魔法という奇跡がある時点で気付くべきだったのだ。
ショウは少し考えてから、緑色のボタンを指先で触れて通話を開始する。
携帯電話を耳元に添えれば、そこから聞こえてきたのは忌まわしい男の声だ。聞いているだけで悪しき記憶が蘇ってくるものの、不思議と精神は落ち着いている。
「はい」
『ようやく出たな、ショウ。このクソガキが』
電話に出た瞬間、この罵倒である。何故だろう、痛くも痒くもない。
「何ですか、蓮二さん」
『何ですか、じゃねえよ。手間かけさせやがって。もう3週間も学校に行ってねえってどういうことだ』
「ああ、まだそんな時間が経っていなかったんですね」
不思議なものだ。エリシアとショウが住んでいた東京ではかなりの時差があるらしい。もうこちらでは大体3ヶ月ほどの時間が経過しているのに、向こうではまだショウが行方不明になってから3週間しか経過していないのか。
まあ、不老不死が実現するような世界である。時差があったとしても何らおかしくはない。
余裕綽々とした態度が気に食わないのか、電話越しに叔父は苛立ちを露わにする。
『おい、クソガキ。誰が今まで育ててやったと思ってる? 遊んでないでとっとと帰ってこい』
「嫌です」
『あ?』
「嫌ですと言いました」
今までのショウだったら怒られるのが怖くて唯々諾々と従っていた叔父相手に、初めて反抗的な態度を取ってしまった。
罪悪感なんてなかった。むしろ晴れやかな気持ちになったのだ。これも問題児として精神的に鍛えられたいい兆候なのかもしれない。
叔父は低い声で『何つった?』と聞き返してくるので、ショウは学院長を相手にする時と同じような言葉で返す。
「話を聞いていましたか? それとも、早々に難聴になってしまったんでしょうか?」
『テメェ、誰に向かってそんな口を』
「もちろん、育ててくれて感謝はしていますよ。今まで生かしておいてくれてありがとうございます」
実の兄であるショウの父親に抱く歪んだ愛情をぶつける相手がいたことは、叔父にとってこの上なく幸せなことだっただろう。そんな兄の幻想をショウに重ねて、暴力を振って支配し、組み敷いて悦に浸っていたのだから。
もうあの地獄のような日々を送るのは御免だ。虐げられ、尊厳を踏み躙られ、惨めに過ごすのは嫌だ。
だからここで、その縁を断ち切る。
「蓮二さん、俺は幸せなんです。これからもこの場所で幸せになっていきます。貴方のことは忘れますので、どうぞお元気で」
ショウは朗らかに微笑むと、
「こちらには父さんがいますので、保護監督はしていただかなくて結構です。それでは」
叔父が何かを喚いていたが、ショウは問答無用で通話を切断する。
言いたいことは言えた。毒素を全部吐き出してスッキリした気分である。
晴れやかな表情で窓の外を見やれば、ちょうど夕日が水平線の彼方へ沈むところだった。もうすぐ夜が訪れるのだ。静かで、穏やかで、誰にも邪魔をされない夜がやってくる。
「ああ、そういえば」
ふと沈みゆく夕日を眺めながら、ショウは思い返す。
「あの言い方では、俺は死んだと思われているだろうな」
実父であるキクガは、世間一般では死んだとされている。そのおかげでショウは叔父夫婦に引き取られて、10数年に渡って虐待され続けたのだ。
それなのに、叔父へ「こちらには父さんがいる」と言ってしまえば、あの世に電話が繋がったと勘違いされてもおかしくない。今頃、彼は怯えているのだろうか。
まあ、すでに関係のない話である。怯えていようが怖がっていようが、ショウは毛ほども興味はない。
「ショウ坊」
名前を呼ばれ、ショウは振り返った。
そこに立っていたのは銀髪碧眼の最愛の人――ユフィーリア・エイクトベルである。叔父とのやり取りを聞いていたのか、彼女の綺麗な顔は無表情が浮かべられている。
暴言に傷ついていると心配してくれているのだろうか。嫌な言葉は何度も吐かれたが、どれも今のショウを傷つけるまでに至らなかった。そんなものである。
ショウはニッコリと微笑むと、
「どうした、ユフィーリア?」
「終わったか?」
ユフィーリアの問いに対して、ショウは「ああ」と頷いた。
「言い返してやった」
「成長したな、お前も」
「ユフィーリアのおかげだ」
「そっか」
ほんの少しだけ安心したように微笑んだユフィーリアは、
「じゃあ行こうぜ、副学院長に報告してやらねえと」
「ああ」
ショウはそれから自分の手の中に収まる板を見下ろした。
再び、叔父からの電話を受信する前に携帯電話の電源を落とす。これでもう邪魔をする連中はいない。それに、この嫌な記憶が詰め込まれた携帯電話は、ショウにとってもう必要のないものだ。
先を行くユフィーリアの背中に、ショウは呼びかける。
「ユフィーリア」
「ん、どうした?」
「これを」
「?」
ショウはユフィーリアに、自分の携帯電話を渡す。不思議そうな顔で携帯電話を受け取ったユフィーリアは、
「もういらねえのか?」
「ああ、俺には魔フォーンがあるから」
「そっか。じゃあ、アタシが貰っちまうぞ」
「いいぞ」
「煮るなり焼くなり好きにしていいな?」
「お好きにどうぞ」
ユフィーリアは「じゃあ貰おうっと」と言って、携帯電話を懐に押し込んでいた。
あれはもう必要のないものだ。未練はない。他人の手に渡ったことで、ショウは元の世界からの呪縛から解き放たれた。
今はこの魔フォーンがあればいい。ここから、この世界特有の携帯電話の思い出を築いていこう。
胸中で元の世界にいる叔父夫婦にさようならを告げ、ショウはユフィーリアの背中を追いかけた。
《登場人物》
【ショウ】かつて虐待されていた少年。異世界では見事に幸せな人生を歩んでおり、故郷に対する未練は全くない。父と再会したが、捉え方によって死んだと思われてもおかしくない。
【蓮二】ショウの叔父にしてキクガの弟。今のところ兄であるキクガに対する歪んだ愛情を抱いている変態以外の情報はない。