第4話【学院長と怪奇現象】
「この前の魔法実験は上手くいったなぁ」
ヴァラール魔法学院の学院長であるグローリア・イーストエンドは、羊皮紙に魔法実験の結果を纏めながら意気揚々と呟いた。
以前、希少な魔石が大粒でヴァラール魔法学院に卸されたのだ。純度の高い魔力が内包された魔石だったので、少し高難度の魔法実験に使ってしまったのだ。
結果的にその魔石は副学院長であるスカイが注文したものだったので慌てて返却したのだが、あの時のスカイは何とも言えない表情をしていた。具体的には怒りと呆れが入り混じった時の顔だ。
実験結果を羊皮紙に纏め終えたグローリアは、愛用の羽根ペンを元の位置に戻す。
「やっぱり謝った方がいいかなぁ……」
故意ではなかった。ただ魔石が入っていた箱には宛先が書いていなかったので確認したら、あの希少な魔石が緩衝材代わりの布の上に鎮座されていたのだ。
グローリアが共同で魔法実験している誰かが注文したものかと思ったので、つい実験に使ってしまったのだ。事故とはいえ、無断で他人の貴重な資材を使ってしまった訳である。
特に副学院長のスカイ・エルクラシスは、魔法兵器の設計・開発では右に出る者がいないと言われるほどの天才肌だ。グローリアが想像しないことを平然とやってのける魔法使いである。あの魔石も、きっと彼の設計した魔法兵器に必要な材料だったのだろう。
「うん、やっぱり同じ魔石を買い直そう。罪悪感で100回は死ねる」
あの希少な魔石と同じものが市場に出回っているのか不明だが、根気よく探せば出てくるはずだ。どれほど値が張ろうとスカイの資材を無断で使用してしまったのは事実だから、同じものを買って返さなければならない。
余計な話だが、グローリアが今回やらかした事件を問題児の連中はほぼ毎日のように繰り返しているのだ。彼らの辞書に『買って返す』という文字はないので、口が酸っぱくなるほど説教してから折檻もしている次第だ。この部分は学院長と問題児の差がある。
グローリアは「魔石の辞典ってどこにあったかな」と執務椅子から立ち上がると、
――ピリリリリリリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリリリリリリ。
どこからか無機質な音が聞こえてきた。
「え?」
聞き覚えのない音である。
グローリアは異音が響き渡る学院長室内を見渡す。
名門魔法学校を束ねる長らしい威厳のある調度品の数々と上等な絨毯、それから魔導書が隙間なく詰め込まれた本棚が壁に沿って置かれている。グローリアの執務机には自分が担当する授業で行った小試験の答案用紙が山のように積まれ、さらに答案用紙を採点する為の魔導書も何冊か積み上げられている。
その仕事人間を体現したかのような執務机に、見覚えのないものが鎮座していた。
「何これ、板?」
答案用紙の上に置かれた板のような物体を拾い上げるグローリア。
つるりとした表面には魔法陣が浮かんでいる。魔法式から判断して、通信魔法の類だった。
ただし、その通信魔法の式が細かく設定されている。場所などの設定は曖昧にぼかされているのに、何か特殊な要素が魔法式として盛り込まれている様子だった。
「もしかして、この物体の識別式なのかな?」
未だに不思議な音を奏で続ける意味不明な板に視線を落とすと、魔法陣の上には通信魔法を仕掛けてきた相手の名前が表示されていた。
「ユフィーリア……」
グローリアはげっそりとした表情で呟く。
ユフィーリア・エイクトベル――ヴァラール魔法学院の用務員でありながら創立当初から色々と騒がせる問題児筆頭である。
魔法の才能はグローリアと真正面から対抗できる唯一無二の天才魔女であり、しかしその才能は日々の悪戯や問題行動にしか使われないという才能の無駄遣いをこれ以上なく体現したような自由奔放とした問題児だ。頭もいいし、要領もいいし、なおかつ他人に魔法を教えるまたとない才能を秘めているのに問題行動のせいで台無しである。
なるほど、彼女がこの板の製作者だろうか。広く深く学んでいる彼女は、魔法兵器の知識も1級品である。スカイには遠く及ばないだろうが、この程度であればユフィーリアでも作成できる魔法兵器だ。
「えーと、この魔法陣に触れればいいのかな」
板の中心で主張する魔法陣を指先で触れれば、それまで室内に響かせていた無機質な音が鳴り止む。
「ユフィーリア、何この音の出る板は。一体誰からの入れ知恵?」
『よお、グローリア。今どこだ?』
「はあ? 学院長室だけど」
板から聞こえてきたユフィーリアの声は、酷くひび割れていて聞き取りづらかった。
『アタシは今――ザザッ、ザ、――購買――ザザザップツ』
通信魔法はそれきり途切れてしまう。
うんともすんとも言わなくなってしまった板を見下ろし、グローリアは「え?」と首を傾げる。
あの問題児は何を伝えたかったのだろう。かろうじて聞き取れた単語は『購買』ぐらいだったが、ユフィーリアたち問題児は購買部にいるのか。
わざわざそれを伝えるのは何故だろう?
――ピリリリリリリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリリリリリリ。
再び、あの奇妙な音が響き渡る。
板に表示された魔法陣は先程と同じ通信魔法だが、魔法式に若干の相違がある。やはりこの物体それぞれに振られた識別式のようだ。この板で、同じような物体を持つ相手と通信魔法が出来るのか。
ユフィーリアの次に表示されたのはエドワード・ヴォルスラムだ。あの問題児筆頭の右腕とも呼べる存在である。
「……エドワード君?」
魔法陣に触れて通信魔法に応じれば、
『あ、学院長――ザザザッ、ザッ――今ねぇ、西階段にいる――ザザザザーッ』
かなり音質の悪い通信魔法なのか、ところどころに雑音が入り込む。
途切れ途切れに聞こえてきたエドワードの声は、西階段がどうのと言っていた。「西階段にいる」――彼は今、西階段にいるのか?
ユフィーリアの時は購買部と言っていた。そこから移動したのだろうか。
「何なの?」
問題児の悪趣味な悪戯の気配を察知して、グローリアは眉根を寄せる。
わざわざこんな複雑な通信魔法の専用装置まで作って、彼らは一体何がしたいのだろう。どうせ主犯格は問題児筆頭のユフィーリアだし、そして元ネタを提供したのは彼女を愛して止まない異世界人の少年だ。実に面倒なことをしてくるものである。
この専用装置をぶん投げて壊してやろうと大きく振りかぶるが、3度目の無機質な音が学院長室に落ちた。
――ピリリリリリリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリリリリリリ。
板にはまた別の識別式を盛り込んだ魔法陣が表示されている。
今度はハルア・アナスタシス、問題児の中でも暴力面でやばい暴走機関車野郎だ。魔法の使えない彼が通信魔法を使ってくるのだから、この板はなかなか優れ物なのかもしれない。
少しだけ考えてから、グローリアは魔法陣に指先で触れる。
「はい」
『もしもし、学院長!?』
板から聞こえてきたハルアの声が、鼓膜に容赦なく突き刺さる。
「君たち、一体何を企んで」
『今ね、中央階段にいるんだ!!』
グローリアの言葉など無視して一方的に要件を伝えてくるハルアは、
『もうすぐ着くよ!!』
そう告げて、通信魔法は切れてしまった。
ユフィーリアやエドワードの通信魔法よりも鮮明に聞こえてきた。
いいや、それよりも気になるのは彼らが伝えてくる場所である。最初のユフィーリアは購買部、次のエドワードは西階段、次のハルアは中央階段だ。
徐々に近づいてきているのだ。
「…………え、何。本当に何なの?」
問題児が何を企んでいるのか分からない。
わざわざ学院長室を訪れるのに、途中で通信魔法を投げかけてくる必要はあるのか。逆に恐怖心を煽るような行動をしてくる。
いいや、もしかしたらそれが彼らの狙いなのかもしれない。グローリアを怖がらせて遊んでいるのだ。
「ふふん、来るなら来なよ。僕は絶対に怖がらないもんね」
強がりな独り言を吐き捨てると同時に、4度目の音が学院長室に落ちた。
――ピリリリリリリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリリリリリリ。
魔法陣に表示されていたのは、アイゼルネである。問題児の中で最も得体の知れない、南瓜のハリボテを被った元娼婦だ。
比較的、話の通じる相手ではある。ただ彼女の場合、冗談と本音の境目がひどく曖昧なのだ。どれほど本音を聞き出そうとしてもはぐらかされるし、ふとした拍子に本音が漏れ出たりするのだから。
グローリアは「ふん」と鼻を鳴らして、魔法陣に触れた。
「何かな、アイゼルネちゃん」
『おねーさんね、学院長室の扉が見えてきたところヨ♪』
聞き慣れた声で、アイゼルネは言う。
『楽しみだワ♪』
ぷつん、と通信魔法は途絶える。
ついに学院長室付近まで到達したようだ。やはりグローリアの読み通りなのかもしれない。
ここで怖がってしまうと問題児の思う壺だ。出来る限り冷静に対処すれば、彼らの悪戯など怖くはないのだから。
――ピリリリリリリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリリリリリリ。
5度目だ。最後と言えば彼に決まっている。
板の表面に映し出されたのは、アズマ・ショウという名前。
異世界から召喚されたという興味深い少年だ。最初の印象は生真面目でどこか臆病な常識人だった気がするのだが、今ではすっかり立派なユフィーリア狂いである。
グローリアは何の躊躇いもなく通信魔法に応じ、
「ショウ君、今どこにいるの?」
『学院長室の前にいます』
「僕を脅かそうと思っても簡単にはいかないからね」
『本当ですか?』
「本当だよ」
グローリアは大股で学院長室を移動し、扉を開ける。
「今回は僕の勝ちだったね、残念だ、けど――」
開け放たれた学院長室の扉の先には、誰もいなかった。本来いるはずの問題児の姿が全く見当たらない。
いつのまにか通信魔法は切れていた。グローリアが扉を開けると同時に切れたのだ。
板を握りしめたまま立ち尽くすグローリアは、
「何で、どこに」
――ピリリリリリリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリリリリリリ。
6度目の音が鳴り響く。
無人の廊下を前に呆然と佇むグローリアは、手に握りしめた板を見やった。
つるりとした板には魔法陣が表示され、ユフィーリア・エイクトベルの文字が並ぶ。学院長室の前まで来れば、最後は。
「よお、グローリア」
ひやりとした冷たさが、グローリアの首筋を撫でた。
背後に誰かがいる。氷のように冷たい身体をした、あの問題児の声を真似た誰かが立っている。
グローリアの背中にピタリと張り付き、首筋を指先で撫で、ついにその冷たい指先はグローリアの顎に到達して無理やり背後を向かせる。強制的に体勢を変えられたからか、グローリアの手から板が滑り落ちた。
そこにいたのは、
「イま、おまエの、うしロに、いルよォ」
左の眼球が外れ、口が左右の耳まで裂け、ボサボサの銀髪を振り乱した悍ましい姿の女だった。
――それから、グローリアの記憶は途切れている。
《登場人物》
【グローリア】未知なる魔法兵器を前にしても、とりあえず使い方は瞬時に理解できるほどの頭脳は有している。なのに魔法の実験を前にすると馬鹿になる。
【ユフィーリア】ヴァラール魔法学院創立以来の問題児。なまじ魔法の知識が豊富だし、魔法の技術力もあるので学院長の魔法実験の助手に駆り出される。半ば強制的である。
【エドワード】ユフィーリアの右腕的存在。身体が頑丈なことを理由に魔法の実験助手に駆り出される確率が高い。ユフィーリアほどの回数ではない。
【ハルア】暴走機関車野郎。魔法の実験道具をぶっ壊すので実験には全く関わらせて貰えない。残念とは思わない。
【アイゼルネ】南瓜頭の娼婦。魔法の実験の際には得意な幻惑魔法で逃走を図り、見つけられずに相手が諦める。協力する気はない。
【ショウ】異世界出身の女装メイド少年。魔法実験をしたいが他の問題児が障壁となって近づくことすらままならない。最近だと自分の意思で学院長室を消し炭にしているので、実験に関わらせない方が吉である。
【最後に出てきた怪物】あれは果たして本当に問題児なのか?