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第1話【異世界少年と携帯電話】

「最近ねぇ、暑くなってきたよねぇ」



 眠たげに「ふあぁ」と欠伸をする強面の巨漢――エドワード・ヴォルスラムが衣装箪笥クローゼットの扉を開けながら言う。


 確かに、夏へ移り変わる頃合いだからか蒸すような暑い日が続いていた。ヴァラール魔法学院の生徒や教職員も薄手の制服や衣類を身につけ、氷菓などの冷たい食べ物や飲み物が飛ぶように売れている。併設された4つのレストランでも冷製パスタなどが目立ってきている。

 ただ、元の世界で味わった暑さと比べればまだ耐えられる方だ。ちょっと長袖のメイド服は着たくないが、半袖のメイド服や生地の薄いメイド服を最愛の旦那様であるユフィーリアから支給されたので夏の暑さ対策は万全である。


 ショウは「そうですね」と同意し、



「ジメジメした暑さは嫌ですね」


「だよねぇ」



 エドワードは「今日もジメッとしてるからぁ、半袖にしちゃおっとぉ」と衣装箪笥から迷彩柄の野戦服を引っ張り出す。

 いつもの野戦服とは違って生地も薄手になっているし、彼の丸太のように太い腕を強調する半袖仕様である。現在も下着1枚という姿なのだが、彫像めいた肉体美を余すところなく晒しているので思わず見入ってしまう。


 半袖の野戦服に着替えるエドワードは、



「ハルちゃんはいつでも暑苦しいねぇ。少しは季節感とか考えなよぉ」


「オレは別に平気だよ!!」



 頼れる先輩であるハルア・アナスタシスは、いつもの衣嚢ポケットが無数に縫い付けられた黒いつなぎを着用していた。ただし長袖の部分は盛大に捲られて半袖仕様に無理やり変更している。

 黒は熱を吸収しやすい色なので、確かに見た目は暑苦しいかもしれない。季節感を無視してもなお愛用のつなぎを着る先輩の強い意思には感服する。


 すでにつなぎへ着替え終わっているハルアは「ショウちゃんはどうするの!?」と問いかけてくる。



「俺も今日は暑いから半袖に」


「薄手でもいいから長袖のメイド服にしなさいねぇ」


「何故!?」


「ユーリがいるじゃんねぇ」



 エドワードに指摘され、ショウは「なるほど」と納得した。


 最愛の旦那様である銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルは冷感体質と呼ばれる冷気が身体に溜まりやすい奇怪な体質だ。普段こそ煙管で身体から冷気を吸い上げているが、夏場はむしろ涼しくなるので煙管を吸う頻度が少なくなっている。

 エドワードは筋肉質だし、ハルアも長袖のつなぎを着てユフィーリアの発する冷気には対策バッチリである。ショウの場合は冷えから守る脂肪部分が限りなく少ないので、ユフィーリアの近くにいる時は夏場でも長袖の衣服を着るのが良さそうだ。


 エドワードの忠告通り、ショウは薄手のメイド服を衣装箪笥クローゼットから取り出そうとする。



「あ」


「どしたの!?」


「これ……」



 衣装箪笥の隅に追いやられた黒い詰襟に、ショウは思わず手を伸ばしてしまう。


 この異世界にやってきた時に着ていた学校の制服だ。箪笥の肥やしになっていた影響か、どこか埃を被っているし汚れも目立っている。

 おそらくこの汚れは、叔父夫婦に揃って殴られた際に出来たものだろう。この詰襟を見ていると嫌なことを思い出してくる。


 黒い詰襟を片手に立ち尽くすショウに、ハルアが「あ、それ!!」と詰襟を指差した。



「ショウちゃんが来た時に着てた服だよね!?」


「元の世界で着ていた制服なんだが、衣装箪笥にしまわれていたんだな」


「着れるかな!?」


「え?」



 ハルアは琥珀色の双眸をキラッキラと輝かせて、



「オレ見てみたい!!」


「えっと、制服姿を?」


「うん!!」



 そう言われてしまうと、ちょっと期待に応えたくなってしまう。

 この詰襟を見ていると虐待を受けていた日々が蘇ってくるが、逆立ちしても元の世界に帰れないのであれば、この制服はただの衣装である。着てみるのもやぶさかではない。


 ショウは一緒に洋袴ズボンと詰襟の中に着る為の襯衣シャツも引っ張り出して、



「じゃあ着てみるが、似合っていなくても笑わないでくれるか?」


「笑わないよ!!」


「ショウちゃんが男の子の格好をするのって久しぶりだねぇ」



 そういえば、この世界に来てからメイド服が標準装備となっていたかもしれない。ユフィーリアが手放しで「似合う、似合う!!」と言ってくれるから嬉しくなっちゃったのだ。


 襯衣シャツに袖を通し、丁寧にボタンを留めていく。1つ留めるたびに悪しき記憶が蘇ってきそうだったが、頭を振って嫌な記憶を追い出した。

 制服の洋袴を穿き、ベルトを腰に巻き付けて金具を留める。ちょっと太ったのか、いつも巻き付けていたベルトの穴の位置から1つばかりずれていた。一般人から見れば誤差の範囲かもしれないが、痩せ型のショウにとっては大きな成長である。


 最後に詰襟の上着を羽織れば、完成だ。



「どうだろうか」


「「おおー」」



 興味津々といった風にショウの着替えを眺めていたエドワードとハルアは、詰襟を身につけた今の姿に小さめな拍手を送る。


 埃が目立ちそうな真っ黒い詰襟姿は禁欲的な印象を与え、着崩さず真面目に着用するのはショウらしいと言えばそうだろうか。ただ少し制服では息が詰まる。

 懐かしい自分自身の制服姿に、ショウもちょっと変な気持ちだった。何というか、こそばゆい感じである。入学式でちゃんと実父であるキクガに見せれば、エドワードやハルアのような反応が期待できるだろうか?


 ――いいや、彼の場合は泣くかもしれない。「大きくなった」とか言いながらボロボロと涙を零すかもしれない。



「ん?」



 ショウは胸の衣嚢ポケットに違和感を覚えた。


 何かが入っている様子だった。

 制服の上から胸の衣嚢に触れ、それから詰襟の内側に手を突っ込む。衣嚢からその何かを引っ張り出せば、それは手帳のように見えた。


 いいや手帳ではない。見た目こそ手帳のようだが、手帳型のケースに収納された携帯電話だ。



「こんなものが入ってたのか……」


「手帳かねぇ?」


「手帳かな!?」


「手帳みたいなものではあるのだが……」



 ショウは手帳型ケースを開いて、



「これは俺の元の世界にあった通信魔法を使う為の専用機器だ」


「この板が!?」



 ハルアはショウの手首をガッチリと固定し、手帳型ケースに嵌め込まれた携帯電話に注目する。

 携帯電話と呼ぶにはボタンもなければ折り畳めることもなく、見た目は本当に黒いだけの板だ。つるりとした表面を指先で触れることで操作することを彼らは知らない。


 視線だけで携帯電話の操作を求めるハルアとエドワードに応えて、ショウは試しに携帯電話の電源ボタンを指先で押した。



「海!!」


「海だねぇ」


「ただの写真だが……」



 待ち受け画面に表示されたのは広い海の写真だ。

 特に意味はないし、海に行った記憶もない。携帯電話にあらかじめ登録された壁紙を適当に選んだだけだ。ただ、海は見ていて落ち着くので気に入っているだけである。


 ハルアは携帯電話の画面を指先でダダダダダダと連打し、



「この海、触れないね!!」


「ここにはないからな」


「そうなの!?」


「ただの絵だ」


「凄えね!!」



 食い入るように待ち受け画面の海に夢中なハルアに、ショウは苦笑するしかなかった。

 まあ、もう使い所はない無用の長物だ。異世界にやってきた時点で電波など存在しないし、現に今も画面の隅に表示される電波の印は『圏外』の2文字を冷酷に伝えている。


 どうせ持っていても邪魔なだけだし、嫌な記憶しか蘇ってこない。ショウは手帳型ケースを閉じると、



「ハルさんにあげる」


「いいの!?」


「大切なものじゃないのぉ?」


「もういいんだ」



 頼れる先輩用務員に携帯電話を譲渡したショウは、



「この世界で使う機会もなければ、使ったところで嫌な記憶しか蘇らないから。どうせならハルさんの玩具になってくれればと思って」


「そっか!! ありがとう!!」


「ショウちゃんは優しいねぇ」



 ハルアは満面の笑みでお礼を告げ、エドワードは大きな手のひらで頭を撫でてくれる。ガラクタなのにこれほど喜んでもらえるとは想定外だ。


 さあ、もうすぐ朝ご飯の時間帯である。

 今日はハルアとエドワードの要求にお応えして、詰襟姿のままでいよう。たまにはこういう格好も悪くない。きっと悪しき記憶が上書きされて、この制服も好きになれるかもしれない。


 そう思っていたのに。



 ――ピリリリリリリリリリリ、ピリリリリリリリリリリ。



 無機質な電子音が、ショウの耳朶に触れた。



「わ、急に鳴り出した!!」



 ハルアは手帳型ケースを開いて、画面を確認する。



「何か数字が書いてあるよ!!」



 そう言って、彼はショウに携帯電話の画面を突きつけてきた。


 そんな、嘘だ。

 だって先程まで、確かに圏外だったはずなのに。


 携帯電話に表示されていた数字の羅列は、叔父の携帯番号だった。



「――――――――」



 ショウは一瞬だけ呼吸の仕方を忘れそうになった。


 異世界にやってきて、なおも叔父の呪縛から逃れられないのか。そもそもここは本当に異世界なのか。自分自身が今まで過ごしてきたのは幸せな夢で、この番号に触れてしまったら現実世界に引き戻されてしまうのか。そうなった暁にはまた虐待されるだけの痛くて苦しい生活に逆戻りしなければならないのか?

 頭の中に過ぎる、いくつもの最悪の可能性。どれを選んでも行き着く果ては叔父夫婦から虐待される地獄の日々。悪しき記憶は封印から解き放たれ、ショウを恐怖の濁流へと連れ去る。



「ショウちゃん?」


「どうしたのぉ?」



 いつまでも電子音を奏でる携帯電話を構えたまま詰め寄ってくるハルアから、反射的にショウは携帯電話を払い落とした。


 部屋の隅に転がっていく携帯電話。耳障りな音を立てると同時に、電子音も消え去った。

 明かりの消えた板から叔父の声が流れ出てくることはないが、それでもショウにとっては十分すぎるほど恐ろしいものだった。



「はあ……はあ……」



 ショウはヘナヘナとその場に座り込んでしまう。


 ハルアとエドワードが何かを言っているが認識できない。頭の中を反響するのは叔父夫婦から与えられた罵倒の数々だけ。褥で囁かれた歪んだ愛の言葉も入り混じる。

 ガタガタと震え出した身体を抱きかかえ、ショウは蹲る。耳鳴りがする。気持ち悪い。現実を受け入れたくなくて、どうしようもなく自分が汚い存在に思えて、それで。



「――ショウ坊?」



 名前を呼ばれて、ショウは顔を上げる。


 恐慌状態に陥ったショウの精神を引き上げたのは、百合の花を想起させる凛とした女性の声。

 弾かれたように振り向けば、男子専用の衣装部屋に銀髪碧眼の魔女が顔を覗かせていた。透き通るような銀色の髪と色鮮やかな青い瞳、人形めいた美貌。白磁の肌を強調するような黒装束は、肩だけが剥き出しとなる特殊な出立ちをしている。


 ユフィーリア・エイクトベル――ショウの愛する旦那様だ。



「ユフィーリア……ッ!!」



 安堵感からか、ショウの瞳からは涙が溢れ出てくる。


 異変を素早く察知したユフィーリアは、恐怖と安堵から涙を流すショウを静かに抱きしめた。ひんやりとした冷たさと花のような香りが鼻孔をくすぐり、優しく背中を撫でてくれる手つきが心地よい。

 穏やかな声で「もう大丈夫だ、ショウ坊」と言うユフィーリアは、



「何があったか話せるか?」



 ショウは小さく頷くと、何があったのか説明する為に口を開いた。

《登場人物》


【ショウ】携帯電話を持ち込んだ張本人な異世界出身の少年。携帯電話にいい思い出はない。電話とメールなどの最低限の機能しか使っていないので、アプリなどは知らない。

【エドワード】この薄い板で通信魔法が使えるとは考えられない強面の巨漢。もしかしてショウは異世界でも魔法使いだった……!?

【ハルア】この薄い板で通信魔法が使えるとか凄いなと思っている。精密機器を真っ先に壊す破壊神。


【ユフィーリア】ショウの最愛の旦那様。通信魔法は様々なものを使えるが、特に鏡を用いた通信魔法が得意。

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