第7話【問題用務員と後始末】
「こんちゃーす」
深夜2時、間伸びした挨拶がヴァラール魔法学院のどこかに存在する研究室に響き渡る。
壁沿いに並べられたいくつもの本棚には小難しい魔導書が隙間なく詰め込まれ、作業台には三角壜や試験管などの機材が並べられている。三角壜や試験管には色とりどりの溶液が揺れており、綺麗という感想を抱くより先に実験されそうな空気が漂う。
中でも異様な空気を纏っていたものは、ゴボゴボと泡立つ紫色の液体が揺蕩う硝子製の巨大な容器だろうか。部屋の中央に設置されたそれは、数え切れないほどの配線で繋げられた人間の脳味噌を閉じ込めていた。得体の知れない装置に普通の感性を持ち合わせる人間が見れば、悲鳴を上げてこの場から逃げ出すかも知れない。
非人道的な魔法の実験をしているのは明らかだった。おそらく、相手は言っても魔法の実験を止めないだろうが。
「やあ、ユフィーリア」
羊皮紙に実験結果を纏めている最中だったらしいグローリアが顔を上げ、パッと朗らかな笑顔を見せる。
「こんな夜中にごめんね」
「悪びれる常識があるなら特別報酬を寄越せや」
「あはは」
「笑って誤魔化すんじゃねえ」
ユフィーリアは「ッたく」と肩を竦めた。
特別新入生という言葉の意味はよく知っていた。あれはグローリアの魔法実験に使われる実験動物として売られてきた若者なのだ。
将来的に反乱分子へ成長することを危惧されて、早いうちに芽を摘み取っておこうという名目で学院長のグローリアに売り飛ばされた哀れな実験動物である。凄惨な実験に使われるぐらいなら、いっそ殺された方がよかったのに。
実験動物を処理する為の袋を広げるユフィーリアは、
「エド、仕事だ仕事。さっさと終わらせるぞ」
「うええー、血の臭いが充満してるよぉ。臭いよぉ」
半泣きでエドワードが室内に足を踏み入れ、嗚咽を漏らしながらも水を溜めたバケツを床に置いて清掃作業を始める。
この実験動物の処理は、ユフィーリアとエドワードが担当していた。ハルア、アイゼルネ、そして新人のショウはこの仕事内容を知らない。勘のいいアイゼルネは気づいているかもしれないが、何も言ってこないうちは仕事内容を明かすことはない。
清掃が面倒な上、かなりの重労働なのだ。実験に使用された実験台どもの見た目も最悪である。ユフィーリアは顔を顰めるだけだし、エドワードは血の臭いが嫌なだけなのだが、残りの3人は黙々と作業なんて出来ないだろう。
ユフィーリアは実験動物の残骸が乱雑に詰め込まれた寸胴鍋を覗き込み、
「うーわ」
「何よぉ」
「エド、見てみろ。スープだ、スープ」
「うええー」
寸胴鍋には肉塊が浮かんだドロドロの液体が揺蕩っていた。生臭さが鼻孔を掠めるので、おそらく特別新入生に選ばれてしまった彼が実験過程で溶けたのだろう。一体どんな実験をしたのか気になるが、聞いたら話が長くなりそうなので止めておく。
箒を担ぐエドワードは、ユフィーリアが持ってきた死体処理用に防水加工を施した袋を広げる。寸胴鍋の中身を袋の中に移し替えれば、鍋の底から眼球だの人間の臓器だのが溶解しかけた状態で出てきた。しかも鍋の底にへばりついていて取れない。
これを素手で取るのは嫌なので、ユフィーリアは魔法で作り出した氷柱を使って引っ張り出す。氷柱越しに伝わってきたブヨブヨとした感触が非常に気持ち悪く、思わず「うええ」と顔を顰めてしまう。
「本当にふざけんなよ、グローリア。こんなになるならアタシらに仕事を任せるな」
「君たちはいつも死体を綺麗に処理してくれるよね、どうしてるの?」
「企業秘密だ」
いつもはユフィーリアが第七席【世界終焉】の能力を使って、死体を跡形もなく処理しているのだ。かなり便利である。
ちなみに死体をこの世から消しているだけで存在や過去の記録等は残っているので、終焉には該当しない。こんなものを終焉させていたらキリがない。
無惨な姿に成り果てた実験動物の残骸を袋に移し替え、エドワードが袋の口を縛って閉ざす。「おえッ」と今にも吐き出しそうになっていた。
「何をしたらこうなるのよぉ」
「え、聞きたい?」
「聞きたくないよぉ。俺ちゃんには全く理解できないんだからねぇ」
キラッキラの瞳で振り返ってきたグローリアに、エドワードは拒否の姿勢を突きつけた。ユフィーリアも実験結果など聞きたくないのでエドワードに完全同意だ。
「それにしてもぉ」
エドワードは袋に詰め込まれた、かつてグレン・ダスティネスと呼ばれていた少年の残骸を一瞥する。
「この子ってぇ、死ぬ必要はあったのぉ? 不合格の判定を受けた上に魔法実験で殺されちゃってさぁ」
「普通は不合格にならねえんだよ、普通は」
血で汚れた寸胴鍋を魔法で洗いながら、ユフィーリアは言う。
「犯罪者を1人殺すのに、魔法で無関係の人間100人も巻き添えで殺すような奴を魔法使いに数えたら終わりだよ」
「そうだけどさぁ、言えばこの子も直したんじゃないのぉ?」
「いや無理だな」
ユフィーリアは即座に否定する。
確かに説得すれば理解したかもしれない。性格を矯正して、後期試験を受けさせればヴァラール魔法学院に合格できたことだろう。両親の教育が悪かったのか、それとも本人の性格に難があったのか、今となっては不明である。
ただ、ユフィーリアがキッパリと断言したのは今までの経験を鑑みてのことだ。彼のような人間はどれほど説得をしても、どれほど教育をし直しても無駄なのだ。必要ないほど優秀なので洗脳魔法も聞きにくいし、彼以上に優秀な人材など周囲にはいなかったのだろう。
「コイツと同じような性格をして、同じようなことをやらかした連中を35人も終焉に導いてきた。残したらダメな奴なんだよ、コイツらは」
「残してたら何かあったのぉ?」
「コイツらは自分の正義と常識で動くからな。他国の常識が自分の常識にそぐわなかった場合、その非常識な他国を滅ぼすんだよ」
なまじ優秀だから周囲の人間も彼のような性格の若者を祭り上げ、煽てて、調子に乗らせて他国を滅ぼさせるのだ。平和もクソもあったものではない。
そのせいで魔法動物を『魔物』と判断して絶滅に追い込まれたり、歴史ある魔法使いの一族が滅んだり、果ては国が火の海に変えられたりと被害が絶えなかった。彼らのような若者を残しておくと後々になってまずいので、エリシア全体の総意で早いうちから殺しておくことにしたのだ。
その基準が魔法威力計測の試験である。そのままの意味で捉えてしまえば、反乱分子になるだろうと判断されて処理されるのがオチだ。
「自分は何もしてないのに、ある日突然『お前は悪だから死ね』って言われて殺されりゃ恨むだろ。そういう事件が過去に勃発したから、魔法威力計測の試験を文字通りに受け止める奴は殺すようになったんだよ」
「そりゃ問題文も読めないお馬鹿さんは死んだ方がいいけどねぇ」
エドワードは「まあ、世界側がその判断なら仕方ないねぇ」と頷いていた。物分かりのいい魔女の忠犬である。
「彼らのような人間は魔法を『誰かを傷つける手段』として使ってしまうから、早々に処分した方がいいって理由もあるよ」
ユフィーリアとエドワードがそんなことを話していたら、グローリアも口を挟んできた。彼は羊皮紙に実験結果を纏めながら言葉を続ける。
「魔法は誰かを救うことが出来るし、誰かを守ることも出来る。生活を豊かにも出来る。けれど同時に、簡単に命を奪うことも出来る。だから魔法を使える人は強弱を調整する能力を早い段階から身に付けなければならないし、法律にも制定されているんだけど、彼の場合は両親からの教えは無駄に終わったってことだね」
「強ければいいって訳じゃないんだねぇ」
「魔法を使う上で必要なことは正確性と柔軟性だからね」
そんな会話の中で「じゃあさぁ」とエドワードが口を開く。
「ユーリの魔法の使い方は正しいものなのぉ?」
「彼女の場合は使い方自体は正しいんだけど、どうしてそんな使い方をしちゃうのかなって疑問に思う使い方ばっかりなんだよね」
「おい」
ユフィーリアはジト目でグローリアを睨みつけ、
「アタシはいつでも正しく魔法を使ってんじゃねえか」
「じゃあ聞くけど、氷柱の魔法は何の為に使うのさ」
「座薬」
「ほらぁ!! 突き刺す意味合いは正しいけど、突き刺す場所が違うじゃん!!」
しかもご丁寧に氷柱の先端を丸めた仕様にしているので、急な襲撃にも安心である。尻に突き刺す時点で何も安心は出来ないが。
本来、氷柱の魔法は相手の急所を突き刺す攻撃魔法である。その他、標本のように手足などを突き刺して身動きできなくする魔法なのだが、ユフィーリアの場合は尻に突き刺して気絶させるのが常識と化していた。色々とおかしい。
グローリアは甲高い声で、
「魔法の使い方は正しいはずなのに、何でそうやって馬鹿な使い方をしちゃうのさ!! 優秀さが台無しでしょ!!」
「その方が面白いからに決まってんだろ!!」
「面白さを求めないでよ!!」
「面白さを求めて何が悪い!?」
「ユーリはちゃんとお掃除してよぉ!! 学院長もさっさと実験結果を纏めちゃってよぉ、徹夜してフラフラの状態で校内を歩いていたらハルちゃんをけしかけるからねぇ!!」
「エドワード君はハルア君を使って何をする気なの!?」
魔法の使用方法に関して掴み合いの喧嘩に発展しそうだったユフィーリアとグローリアだが、エドワードに一喝されて渋々拳を収めることになった。特にグローリアは「ハルア君に何されるんだ……?」と暴走機関車野郎による暴虐を恐れながら実験結果を纏めていた。
おそらく徹夜でオネムなグローリアとハルアを引き合わせた場合、間違いなく学院長室に叩き込まれた上で寝かしつけられることだろう。全裸で添い寝までセットかもしれない。悪夢を見そうだ。
綺麗になった寸胴鍋を片付けて、いざ掃除を始めようとしたその時だ。
「あ、そういえば」
羊皮紙に羽根ペンを滑らせながら、グローリアが口を開く。
「ユフィーリア、特別新入生の彼を水責めにしてたよね」
「ンだよ、文句は聞かねえぞ」
「あれのおかげで思った以上に睡眠魔法がかかりやすかったんだ。ありがとうね」
グローリアは「よし完成」と実験結果を纏めた報告書を完成させ、
「お礼に君たち用務員の今月の給料は5割増しね」
「一生ついていきます学院長」
「靴舐めます学院長」
「現金だなぁ」
真顔でそんなことを言ってのけるユフィーリアとエドワードに、グローリアは苦笑する。
問題児とて金は必要だ。給料の増額はそれとして、5割という破格の増額は靴も舐めたくなるし忠誠も誓いたくなる。臨時収入である。
思わぬ問題行動で増額の話が転がり込んできたユフィーリアとエドワードは、ウッキウキで実験動物の後始末をするのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】秘密の掃除人その1。死体を跡形もなく片付けることに於いて右に出る者はいない。給料が上がるなら汚れ仕事も靴を舐めることもやってやる所存。
【エドワード】秘密の掃除人その2。勤続年数の長さ故にユフィーリアと面倒なお仕事に巻き込まれる苦労性。
【グローリア】ヴァラール魔法学院の学院長。死体処理は問題用務員どもに任せている。実験動物の死体ってどうなってんだろうとは気になる。