第6話【とある新入生と学院長】
「大丈夫? 災難だったね」
全身ずぶ濡れのグレンにタオルを貸してくれたのは、このヴァラール魔法学院の学院長である青年だった。
随分と若いが、この1000年も続く名門魔法学院を立派に成長させた実績はあるようだ。まあ、あの訳の分からない連中の手綱を握っている時点で色々と怪しむところはあるようだが。
グレンも伊達に長い時を生きていない。と言っても、グレンの場合は前世の記憶を持ったまま転生したので大体2000年ぐらいの時を跨いだ感覚である。過去の自分はそれはもう優秀な成績を残し、大賢者とも呼び声が高かった。
現在の自分の記憶がこの名門魔法学院でどれほど通用するのか試したかったのだが、突きつけられた結果は門前払いという非情なものだった。何が起きたのか自分にも分からない。
「すみません、タオルまで借りてしまって」
「いいよ、気にしないで」
学院長は気軽に応じてくる。
魔法で動かされる陶器製の薬缶やカップが自動的に動き、順調に紅茶を淹れる為の準備が進められている。凄い技術だと思うが、あの程度ならグレンも出来る。
学院長から差し出された紅茶のカップを受け取り、グレンは熱い飴色の液体をゆっくりと啜った。どこか安心する味で思わず「ほぅ」と息を吐いてしまう。
「美味しいです」
「ありがとう。落ち着く為に蜂蜜も垂らしてあるんだ」
朗らかな笑顔を見せる学院長は同じ紅茶を啜りながら、
「君は確か、今日の前期試験を受けに来た子だよね?」
「はい」
「結果はどうだった?」
学院長に結果を問われ、グレンは押し黙ってしまう。
結果は不合格だった。
それどころか「帰れ」と門前払いされる始末である。
グレンはその理由が知りたかった。十分に魔法の才能もあるはずなのに、どうして不合格にならなければいけなかったのか。
魔力測定の試験は文句なしのS判定だったにも関わらず、魔法の威力を計測する為の試験では「帰れ」と言われてしまったのだ。魔法の威力を計測するのならば、最大火力で焼き払うのが常識だろう。
俯くグレンの態度に何かを察知したらしい学院長は、
「うん、正確な結果は聞かないでおくよ」
気を取り直したように「さて」と朗らかな笑顔を見せた学院長は、グレンに拍手を送った。
「おめでとう、君はヴァラール魔法学院の特別新入生に選ばれたんだ。これは滅多に選ばれることはないから、君は誇りに思っていいよ」
「本当ですか!?」
グレンは驚いた。
魔法威力計測の試験で論外判定を食らったのに、特別新入生という如何にも特別な生徒の称号を得られるとは想定外である。
特別新入生なんて聞き覚えはないのだが、優秀な受験生に送られる立場なのだろうか。入学が確約されたようなものである。これからの学生生活が楽しみだ。
このヴァラール魔法学院に入学すれば、グレンを拷問してきた銀髪碧眼の不良を筆頭とした連中と遭遇するだろうが構うものか。グレンは優秀な生徒に選ばれたのだから、喧嘩を売られたら追い返せばいい。魔法の腕前ではこちらの方が上だ。
「いい反応だね、僕も選んだ甲斐があるってものだよ」
学院長は紅茶を淹れた陶器製の薬缶を差し出し、
「もう1杯いるかな? 本当ならお酒でも振る舞ってお祝いしてあげたいところだけど、君は未成年だからお茶で我慢してね」
「いえ、あの、特別新入生に選んで貰えて嬉しいです」
「喜んでもらえてこっちも嬉しいよ。ますますヴァラール魔法学院が発展するね」
陶器製の薬缶からグレンの持つカップに追加の紅茶が注がれ、さらに「特別だからね」と言って学院長は小さな瓶を取り出した。
瓶の中身は綺麗な琥珀色の液体が満たされている。匙で掬い上げればとろみがあり、僅かに糸を引いていた。「蜂蜜を垂らした」と言っていたから、おそらく紅茶に垂らす為の蜂蜜だろう。
学院長はグレンの持つカップに、琥珀色の蜂蜜を垂らした。飴色の液体に甘い蜂蜜が混ざり込んで、花の香りを強く感じる。
「いただきます」
蜂蜜が追加されたことで甘さが増した紅茶を啜った瞬間だ。
「あ、れ……」
頭が重たい。
思考回路にも靄がかかって、上手く働かない。
強烈な眠気がグレンを襲いかかった。それは抗い難い生理現象で、徐々に身体からも力が抜けてしまう。かろうじて指に引っかけていたカップをひっくり返してしまい、飴色の液体が豪華な絨毯の上に広がる。
「安心しちゃったのかな、少し眠るといいよ」
学院長はグレンからカップを取り上げ、それから手のひらで瞳を覆い隠してくる。
耳に触る彼の言葉が心地いい。ひどく安心できるものだ。
それと同時に、得体の知れない恐怖が押し寄せてくる。何か自分は大きなことに巻き込まれてしまうような、そんな気さえした。
こんなところで寝てはダメだ、と思った時にはすでに遅い。
「おやすみ」
ダメ押しとばかりにグレンを眠りの世界へ誘う魔力が流し込まれ、今度こそ意識が刈り取られた。
☆
グレン・ダスティネス。
由緒正しい魔法使いの一族であるダスティネス家の三男坊で、他の兄弟よりも極めて優秀な子供だった。生まれた時から卓抜した魔力量と魔法の知識を持ち、ヴァラール魔法学院に正しく入学すれば優等生であることは間違いなかった。
彼は残念ながら、魔法を正しく使おうとはしなかった。魔法を己が力を誇示する為だけに使用する様は魔法使いの風上にも置けず、また是正することは非常に困難なことだと判断された。
故に、前期試験を装って彼は両親から売られた。
「案の定、合格できなかったみたいだね。これで正しく魔法を使えていれば、少しは君のご両親も見直したんじゃないのかな」
規則正しい寝息を立てるグレン・ダスティネスという少年を見下ろし、グローリアは事前に送られてきた彼の受験票と手紙へ視線をやる。
「『将来的に反乱分子と認定される素質があり、ダスティネス家では手を余します。エリシアの未来の為、魔法の発展の為にご使用ください』――うーん、なかなか分かっている文章だね」
グローリアは朗らかに笑い、グレン・ダスティネスの受験票と彼の両親から送られた手紙を魔法で燃やす。
魔法の力は偉大だ。指先を動かすだけで空を飛ぶことが出来たり、明かりをつけたり、炎や風を起こすことだって可能だ。技術があれば長時間の飛行や長距離の転移、炎と風の魔法を合わせて大災害だって引き起こせる。
だから魔法は正しく使わなければならない。間違っても誰かを巻き込むような使い方は正しくないのだ。正しい魔法を正しい場面で正しく使う常識が、魔法使いや魔女には求められる。
己の強大すぎる魔法の力を誇示する為だけに使用すれば、将来的に反乱分子となり得るのだ。それは本人にその気がなくても、態度に表れれば認定されてしまう。
「魔力も上質だし、かなり才能があるみたいだしね。これはいい実験が出来そうだ」
グローリアは満足げに微笑んだ。
残念ながら魔法発展の為の礎に選ばれてしまった彼は、この先悲惨な結末を迎えることになる。それでも、彼を使って進んだ実験結果はエリシアの未来に大きく貢献することだろう。
魔法を正しく使おうとしない反乱分子は、この世界に必要ないのだ。過去にどれほど優秀な功績を残して『大賢者』と称えられていたって、七魔法王に敵うことなどない。
紅茶に睡眠作用のある蜂蜜を使ってよかったかもしれない。相手は完全に気を抜いていたし、問題児たちがやらかしてくれた精神的な傷が尾を引いていたのも原因に数えられる。彼女たちは本当によくやってくれた。
「学院長、今年の特別新入生はどうでしょうか?」
「もうこっちに確保してあるよ。実験場に運んでくれるかな?」
「承知いたしました」
「乱暴に扱わないでね。今回の実験台はかなり上質なんだから、目一杯働いてもらわないと」
「心得ております」
部下の魔法使いに眠ったグレン・ダスティネスを預け、グローリアは紅茶を零されたことで染みになった絨毯を魔法で綺麗にする。
「さて、ダスティネス家にお礼の手紙を書かなきゃ」
実験が待ち遠しくて仕方がないグローリアは、弾んだ足取りで机に向かう。
グレン・ダスティネスという実験台を提供してくれたことに感謝をしなければならない。
将来的な反乱分子候補の芽を摘み取った勇気も称え、エリシアの未来と魔法の発展に協力してくれたことに最大限の感謝を捧げよう。
《登場人物》
【グレン】ダスティネス家の三男坊。2000年ぐらい時を跨いだ大賢者と名高い少年だったが、傲慢な性格が災いして全国的に疎まれていた記録がある。将来的に反乱分子となる可能性を読まれ、学院長の実験台として売り飛ばされたことは知らない。
【グローリア】彼よりも凄い魔法使い。魔法に対しては人道に背くような真似もしでかす馬鹿野郎だが、知識や経験などは随一である。毎年誰かしらが特別新入生として売り飛ばされてくるので嬉しい。