第8話【少女と問題児筆頭】
あれから使い魔の鼠が見つからない。
「…………」
使い魔がいなくなってしまったリタは、沈んだ面持ちで次の授業を待つ。
次の授業は動物言語学――使い魔の存在が必要になってくる授業だ。
授業の実践で使い魔と会話する場合があるのに、肝心の使い魔が存在しなければ成り立たない。使い魔がいなくなってしまったリタには、もう動物言語学の授業を受ける資格はないのだ。
罪悪感に押し潰されそうなリタの元に、白い猫を抱えた女子生徒――同級生のエレン・オリテンティアが近づいてくる。
「使い魔は見つかったんですの」
「…………まだ」
リタは絞り出すような声で応じた。
「あら、それなら授業を受ける資格はないかもしれませんわね」
「そうだね……」
彼女の言っていることは事実だ。
授業の道具が碌に揃っていないのに、動物言語学の授業を受けようという魂胆が間違いである。きっと担当教科の先生にも「授業を受けることが出来ません」と退室を求められるに違いない。
魔法動物の研究がしたくてヴァラール魔法学院に通わせてもらっているのに、大切な使い魔がいなくなれば何も授業が受けられない。魔法動物関連の授業は、大半が使い魔の存在を必要とするのだ。
「あ……」
その時、授業の開始を告げる鐘が鳴り響く。
エレンは「どうなるんでしょうね」などと他人事のように言いながら、自分の席に戻っていった。
用意された教科書に視線を落とすリタは、じわじわと込み上げてきた涙をグッと堪える。やりたいことが出来ずに追い出されたら、リタはどこに怒りと悲しみをぶつけていいのか分からない。
「はい、席に着きなさい。授業を始めます」
そんなことを言いながら、動物言語学を担当するジョシュ・ハロウィットが教室に入ってきた。
生徒たちは自分たちの座席に着くが、エレンが「先生」と手を挙げた。
性格の悪いエレンのことだから、使い魔のいないリタが授業を受けることを告げ口するのだろう。人間の中身は出来ていないが、この場合に悪いのは授業を受ける資格を持たないのにこの場で留まり続けるリタだ。
「リタさん、使い魔がいないのに授業を受けるつもりのようです」
「……アロットさん?」
ジョシュ・ハロウィットの冷たい瞳が、リタに向けられる。
「使い魔の鼠はまだ見つからないんですか?」
「すみません……」
「探査魔法を得意とする先生に相談は?」
「しましたが、1日で見つけるのは難しいって……」
探査魔法の授業を受け持つ教師にも鼠がいなくなったことを相談したのだが、やはり小さな鼠を見つけるのは至難の業のようで最低でも1週間近くはかかると言われてしまったのだ。
ジョシュ・ハロウィットは「そうですか」と言う。それから指先を教室の外に向けた。
言わんとすることは理解できる。動物言語学に必要な使い魔を見つけることが出来ず、また代替を用意することも叶わなかった哀れな生徒にかけてやる慈悲などこの学校にはないのだ。
「アロットさん、貴女に授業を受ける資格はありません。厳しいことを言いますが、出て行きなさい」
「はい……」
リタは教科書と紙束を抱えて席を立つ。
やはり言われてしまった。エレンのニヤニヤした意地悪な笑顔が嫌だ。彼女はリタに何の恨みを持っているのか分からないが、それでも事実なのだから仕方がない。
涙を堪えて教室から立ち去ろうとするリタだったが、
「あれ?」
誰かが声を上げる。
教室に猫が侵入していた。
純白の体毛を持ち、透き通るような青い瞳をした綺麗な猫。雪の妖精と呼ばれる希少な猫で、ふわふわの尻尾を揺らしながら堂々とした足取りで教室内を闊歩する。
その猫は、口に小さな箱を咥えていた。青いリボンが巻き付けられたプレゼント箱である。教室に並べられた机の隙間を縫うようにして歩く純白の猫は、教室から出て行こうとするリタの目の前で止まった。
「貴女は……」
かつて、リタが「ユキちゃん」と呼んでいた猫だ。
純白の猫はリタが使用していた座席に飛び乗ると、咥えていたプレゼント箱を置く。青いリボンが巻き付けられた小さな箱にポンと毛むくじゃらな手を乗せた。
透き通るような青い瞳でリタを見上げると、
「にゃあ、にゃんにゃにゃ」(どうしたリタ嬢、浮かない顔をして)
「あ……あの……」
「にゃーにゃ」(まあいいや)
ふわふわの尻尾を揺らす純白の猫は、
「にゃにゃ、にゃーあにゃ。にゃんにゃ」(今日はこの前のお礼を持ってきたんだ。早速開けてくれ)
「え、でも……そんな……」
「ふしゃーッ!!」(何だアタシの言うことが聞けねえのか!!)
「あ、ご、ごめんなさい」
毛を逆立てて怒る純白の猫に従って、リタは小さな箱に巻き付けられた青いリボンを解く。
よく見れば、箱には無数の穴が開いていた。模様というより、まるで空気穴のようである。この中に生物が詰め込まれているのか?
猫の習性から考えると虫などの死骸が詰め込まれていそうだが、
「え」
小さな箱の蓋を開ければ、そこから突き出てきたのは尖った鼠の鼻だ。
ふすふすと鼻をひくつかせ、ぴょっこりと顔を出してきたのは見慣れた使い魔の鼠である。首に巻かれた赤いリボンはどこか土に塗れていて、今までどこにいたのか簡単に予想できる。
苦楽を共に過ごした使い魔の鼠を前に、リタは思わず叫んでいた。
「シェリー!! どこに行ってたの!?」
「じー、ちちッ」(リタ、おはよう)
この鼠、呑気に挨拶をする始末である。
リタと使い魔の鼠による感動の再会を見届けた白猫は、用事は済んだとばかりに机から飛び降りる。白くてふわふわの尻尾を揺らしながら歩く猫を、リタは「あの!!」と呼び止めた。
白猫は首だけリタの方に向けると、青い瞳を音もなく細めてこう告げた。
「にゃあ、にゃにゃあ」(今度はなくすなよ)
そう言い残して、白猫は足取り軽やかに教室から立ち去った。
「じじッ、ちーじじッ」(いい人よ、あの魔女さん)
「え?」
ふすふすと鼻を鳴らして箱から身を乗り出す鼠の使い魔は、
「じじじッ、じーちちッ、じーぢゅいぢゅいッ」(檻に帰れなくなっちゃった私を保護してくれたのよ、その時に怒られちゃったわ)
「何て怒られたの……?」
「じーじじッ、じーちゅい」(あまりご主人様を心配させるなって)
普段の姿から予想できないことだった。
リタは、あの白猫の正体を知っている。白猫が人間の姿に戻った際、何をしているのか理解している。このヴァラール魔法学院でどんな立ち位置にいるのかも分かっている。
でも、予想以上に彼女は優しいのだ。魔法動物の研究がしたいと望んだリタの背中を押し、必要になりそうな授業も指導し、動物言語学では教えてくれなかった常識も教えてくれた。少しばかり厳しめな指導方法だったが、間違っていることはなかった。
問題児と呼ばれることに似つかわしくない、面倒見が良くて非常に優秀な魔女の大先輩だ。
「アロットさん、使い魔が戻ってきたんですね?」
「は、はい!! シェリーが、使い魔が戻ってきました!!」
「そうですか」
今までのやり取りを傍観していたジョシュ・ハロウィットは、
「それではアロットさん、席に着きなさい。授業を始めますよ」
「…………はい!!」
使い魔が戻ってきた以上、リタが授業を受けられないということはない。同級生のエレン・オリエンティアが悔しそうに爪を噛んでいたが、もう授業が受けられない心配をする必要はなくなった。
リタは安心して席に戻る。抱えていた教科書と紙束を広げ、箱から使い魔の鼠を机の上に出した。
鼠はふすふすと尖った鼻をひくつかせながら机の上を歩き回り、それからリタの手のひらに身を寄せて落ち着く。首に巻き付けたリボンが泥だらけになっているから、あとで洗ってあげることにしよう。
退室せずに済んで安堵の息を吐くリタだが、
「ぐっもーにんえぶりわーん!!」
ガラガラスパーン!! と。
扉が勢いよく開き、弾んだ挨拶が部屋中に響き渡る。
授業の開始を告げようとしていたジョシュ・ハロウィットは、教室への闖入者に目を剥いて驚く。
「も、問題児!?」
「いやー、ご機嫌ようハロウィン先生」
盛大に名前を間違えたのは問題児筆頭と名高い銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルである。
今日も今日とて雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、肩だけが剥き出しとなった特殊な黒装束に身を包む。飛び抜けた美貌に浮かぶ大胆不敵な笑みは、これから問題行動を起こす気満々だった。
ジョシュ・ハロウィットは「ハロウィンではありません!!」と叫び、
「何しに来たんですか、ここは貴女たちのような問題児が来る場所ではありませんよ!!」
「まあまあ聞けよ、ハロウィン先生よ」
「だからハロウィンではないと!!」
「実は犬が欲しくてさ」
ユフィーリア・エイクトベルが後ろ手に握っていたものは、水風船だった。
水風船にしては随分と薄い。おそらく購買部に売っている避妊具に何かの液体を詰め込んだのだろうが、中身はリタでも予想できない。
問題児筆頭の行動に警戒心を最大限にまで引き上げたジョシュ・ハロウィットだが、
「ていやッ」
「へぶぅ!?」
銀髪碧眼の魔女が投げたのは先生ではなく、エレン・オリエンティアだった。
顔面から水風船を叩きつけられたエレンは、ぼひんと間抜けな音を立てて白い煙に包まれる。
絹を裂くような悲鳴が聞こえてきたが、白い煙が晴れた時にはすでにエレンはエレンではなくなっていた。残されていたのは彼女が身につけていた制服と下着、尻尾をぼわぼわに膨らませて固まっている使い魔の猫に加えて見覚えのないものが座席にいた。
ふわっふわな体毛が特徴の小型犬である。金色の体毛とつぶらな双眸、コロコロとした全身はまるで落ちた雲のようだ。愛玩動物としても人気の高い犬種である。
「わあ、ふわふわだぁ」
ユフィーリア・エイクトベルは混乱した様子で席に座る小型犬を抱きかかえると、ふわふわな身体に頬擦りする。
「よーしよーし、今日からお前はアタシの使い魔だからな。大切に育ててやるからな、エヴリン」
「きゃんきゃんッ、わん!!」(ちょっと、どういうことですの!!)
「はははは、エヴリンは元気だなァ」
激しく吠える小型犬をグリグリと撫でるユフィーリア・エイクトベルは、満面の笑みでこう告げた。
「ちなみに言っておくけど、アタシもアーデルハイトじゃねえんだよな」
「わ゛」(え゛)
「よーしエヴリン散歩の時間だ、行くぞー」
ふわふわの小型犬を脇に抱え、ユフィーリア・エイクトベルは満面の笑みで教室から飛び出していく。
アーデルハイトとは、エレン・オリエンティアがリタの連れている白猫を呼んだ時の名前だ。「使い魔の性別を間違えるとは何事だ!!」と叫んでいたのはリタも記憶にあり、猫語を習得中の生徒もまた白猫の絶叫を聞いたことだろう。
問題児筆頭の呟きを聞き、生徒の何名かは「え?」「まさか?」などと反応を示した。アーデルハイトもしくはユキちゃんの正体に気づいてしまったか?
「ま、待ちなさい問題児!! 生徒を返しなさい!!」
「嫌だ、エヴリンはもうアタシの使い魔だーッ!!」
「誰がエヴリンですか彼女はエレンです!!」
犬に変えられてしまった生徒を奪還するべく、ジョシュ・ハロウィットが問題児を追いかけて教室を飛び出していく。そのまま2人のやり取りが徐々に遠ざかっていくので、おそらく壮絶な追いかけっこを繰り広げていることだろう。
多分これで授業は潰れてしまう。どのみち、今日学ぶことは明日に持ち越しだ。
リタは苦笑しながら使い魔の鼠の鼻を指先で突き、
「やっぱり問題児は問題児なんだね、シェリー」
「じじー、ぢゅーい」(欲望のままに生きているだけよ)
「欲望のままに生きすぎなんだと思うなぁ」
それでも、リタは問題児筆頭に助けられた記憶を忘れることはないだろう。
楽しいことが大好きで、常日頃から問題行動を起こし、欲望のままに生きるヴァラール魔法学院創立以来の問題児たち。
本当は、仲間想いで面倒見が良く、弱者を決して見捨てないある意味でヒーローみたいな人たちなのだ。
少なくとも、それがリタ・アロットの認識である。
《登場人物》
【リタ】鼠を使い魔とする女子生徒。動物言語学では優秀な成績を残している。問題児筆頭に対して、根は優しいのかもしれないという印象。
【シェリー】リタの使い魔。うっかり外へ冒険しに行って帰れなくなった。お腹が減って動けないところで問題児筆頭に発見され、保護され、説教もついでにされた。
【ジョシュ】動物言語学の担当教員。赴任してまだ3年目。猫語の半音上げる常識は誰にでも備わっているものと思っているので教えておらず、授業で必須の科目と他の動物言語学の先生から教えられて生徒に謝罪する羽目になる。
【エレン】リタの同級生。動物言語学は何か簡単に単位が取れそうだから選択授業で選んだだけ。リタに注意されてから目の敵にしているが、大抵自業自得。今期落第生候補と名高い。
【ユフィーリア】実は優秀な魔女。普段の問題行動のせいで台無しになる。生徒が抱く印象に気にした様子はない。