第3話【問題用務員と動物言語学】
動物言語学の授業は、基本的に自分たちの教室で執り行われる。
生徒たちが使用する通常教室は、3人がけの机が配置されて好きな場所に座るのだ。席順が決まることはない。
使い魔は生徒たちの各寮部屋にて管理され、動物言語学を始めとする使い魔が必要になってくる授業を受ける場合は、あらかじめ専用の飼育部屋みたいな場所に預けるのだ。今回、鼠の使い魔が脱走した原因は檻の管理が甘かったのだろう。リタの使い魔は、随分と好奇心旺盛で冒険好きな模様である。
1年通常教室と書かれた札の下がる扉を開ければ、ちょうど授業開始を告げる鐘の音が校舎全体に鳴り響いた。滑り込みギリギリといったところだろう。
「アロットさん、早く席に着いてくださいな」
黒板の前に立っている真面目な雰囲気のある女性教師が、やや厳しめな口調でリタに着席を促す。
「は、はい。申し訳ありません、ハロウィット先生」
「今回は目を瞑りますが、次回からは減点としますのでそのおつもりで」
「はい……」
授業に遅刻しそうになったリタをやんわりと忠告すれば、同じ教室内で授業を受ける生徒たちから小さな笑い声が上がる。それを受けたリタは恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。
全く、たかが遅刻程度で減点など厳しすぎやしないだろうか。遅刻や無断欠勤が当たり前な問題児には考えられないことである。
抱っこしていたユフィーリアを机の上に下ろし、リタはようやく席に着いた。ボロボロになった動物言語学の教科書と無地の紙束を広げれば、
「ところでアロットさん、貴女の使い魔は猫でしたか?」
「え?」
ハロウィットと呼ばれた女性教師は、銀縁眼鏡の向こう側で輝く青色の双眸を細める。
「私の記憶が正しければ、貴女の使い魔はシェリーと呼ばれる鼠だったはずですが」
「あ、あの……」
リタは使い魔の鼠が逃げ出したことを説明しようとするが、
「先生、その猫はわたくしの猫ですわ」
挙手したとある女子生徒が、頓珍漢なことを言い出す。
その挙手した女子生徒は、如何にもいじめっ子と言わんばかりの風体をしていた。艶やかな金色の巻き毛に自信が溢れ出た強気な表情、猫のように釣り上がった新緑の瞳が特徴の少女である。
彼女の側には似たような白猫がいた。純白の体毛とふわふわの尻尾は『雪の妖精』と一致するだろうが、瞳の色が琥珀色である。雪の妖精は青い瞳であることが必須条件なので、あの猫は普通の白猫なのだろう。
女子生徒はわざとらしい涙声で、
「酷いです、リタさんがわたくしの猫を盗むなんて……」
「オリエンティアさん、減点」
「ふぁッ!?」
容赦ない減点に、女子生徒が悲鳴を上げた。
「オリエンティアさん、使い魔は通常1人につき1匹までとされています。使い魔を管理・使役する為の魔力操作が複雑だからです」
「わ、わたくしには出来ますわ!!」
「動物言語学の成績が下から5番目の貴女が何を仰いますか。冗談も大概になさい」
女性教師は「まあでも」と言い、
「アロットさんの連れている猫がもし貴女の使い魔だとすれば、ちゃんと使役できるはずですよね? 先程、貴女は『複数の使い魔を使役可能だ』と仰いましたね?」
「せ、先生、あの」
「使役してごらんなさい」
女性教師の冷たい声である。
ヴァラール魔法学院は魔女・魔法使い養成機関である。成績優秀者や実力のある生徒、真摯に魔法を学ぼうとする生徒には好意的に受け入れる。
ところがどっこい、彼女のようないじめっ子体質の生徒は冷遇される。特に成績が下から5番目の彼女は論外だ。あれほど冷たい態度を取るぐらいだから、入学時に親が入試担当の教員に金でも握らせたか。
引くに引けない状況になったのか、女子生徒は意を決してユフィーリアのところまで歩み寄る。下卑た笑顔を見せて、
「さ、さあアーデルハイト。こちらにいらっしゃい」
「ふしゃーッ!!」(男の名前で呼ぶんじゃねえクソが!!)
「ぎゃーッ!!」
ユフィーリアは問答無用で猫パンチをした。もちろん爪も出した。おかげでいけ好かない女子生徒の顔に傷跡が残った。
「にゃんにゃにゃにゃ、にゃむにゃむ、にゃんにゃー!!」(使い魔の性別を間違えるとか舐めてんのか、それともただの馬鹿なのか、母ちゃんの腹からやり直してこいダボが!!)
「?」
「にゃーん!!」(コイツ猫語分かってねえ!!)
猫語が分かっていればユフィーリアの口の悪さにも気づけるだろうが、残念ながら猫パンチを受けてぶっ倒れた女子生徒に猫語は分からなかったようだ。何故に猫を使い魔に選んだのか。
ちなみにリタはちゃんとユフィーリアの猫語を理解しているのか、苦笑いしながら「ユキちゃん、どうどう」とユフィーリアの背中を撫でる。撫でる手つきが妙に優しかった。魔法動物の扱いを心得ている手つきである。
リタは「あ、あのね」と口を開き、
「エレンちゃん。動物の嫌がることをしたらダメだよ、ユキちゃんとっても怒ってるから」
「び、貧乏人が何を……!!」
「それとエレンちゃんの使い魔は男の子だから、エリザベスなんて名前はつけない方がよかったかも。使い魔の方から意思疎通を遮断されているから、いつまで経っても成績が上がらないんだよ」
「ぐぅ」
ぐうの音も出ないほどのど正論で、今度こそ性悪生徒は撃沈した。使い魔にだって意思はあるのだから、雄に女の子の名前を与えるのは精神的によろしくなかったりする。
言い負かされた性悪生徒は、トボトボとした足取りで自分の席に戻っていく。元の姿に戻ったら絶対にお礼参りをしよう、とユフィーリアは心に決めた。誰がアーデルハイトだ。
女性教師は「はい、授業を始めますよ」と告げ、
「アロットさんは猫の使い魔に変えたということでよろしいですか?」
「あ、あの」
「何か?」
「実はシェリー……あの、私の鼠が逃げちゃったんです。それで逃げた鼠を探していたら、その、この猫ちゃんが協力してくれるって」
「そうでしたか」
女性教師は「それなら仕方ありませんね」と納得してくれた。使い魔を必須とする授業内容の為、逃げ出した使い魔が見つからなければ代打を立てるしかないのだ。それで「授業を受けさせません」と言おうものなら、今度はユフィーリアの猫パンチが飛ぶところである。
特に責められることなく授業が開始され、女性教師は動物言語学の教科書を読み上げ始める。教科書を読み上げる彼女の側には止まり木が設置され、そこには大きな鷲が瞳を閉じた状態でじっとしている。魔法動物ではなさそうだが、なかなか立派な鷲だ。
ユフィーリアは「くあぁ」と眠たげに欠伸をすると、
「にゃむにゃー」(おやすみ)
「ユキちゃん、寝るなら私の膝の上に来る?」
「にゃむ」(おう)
退屈な授業など聞いていても面白くない。それなら寝ていた方が断然マシだ。
ユフィーリアはリタの膝の上に乗ると、身体を丸めて瞳を閉じる。
寝ているユフィーリアの頭や背中を撫でてくるリタの手つきが優しくて、すぐに意識を手放してしまった。
☆
「ユキちゃん、ユキちゃん起きて」
「にゃあ?」(あ?)
ポンポンと起床を促され、ユフィーリアは寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。
寝る前と現在の状況を比べると、やけに騒がしかった。教室全体が動物の鳴き声に埋め尽くされている。
生徒たちの使い魔が暴走したのかと思えばそうではなく、どうやら使い魔と生徒たちが会話をしている様子だった。拙い猫語や犬語に、使い魔たちがそれぞれの鳴き声で応じている様子である。
何の実践だろうか、これは。ぽやぽやと寝起きの状態でいるユフィーリアを机の上に移動させたリタは、
「あのね、授業の実践で使い魔と世間話をしなきゃいけないの。1人1人が前に出て使い魔と世間話をするんだって」
「にゃおん」(へえ、そうか)
「それで、私もユキちゃんとお話したいんだけど……」
動物言語学の教科書を抱えるリタは「いいかな?」とお伺いを立ててきた。
まあ協力すると言った以上、協力してやらないことは問題だ。彼女にはユフィーリアのお願いを聞いてもらう予定でもあるし、持ちつ持たれつの関係を継続させなければならない。
こっちは何千年も生きている魔女で、魔法の天才と呼ばれた問題児筆頭様である。動物言語学など造作もないのだ。
「にゃあん」(いいぞ)
「ありがとう、ユキちゃん」
リタは「じゃあね」と動物言語学の教科書を開き、
「にゃ、にゃにゃにゃあ。にゃにゃーん」(こんにちは、私はリタ・アロットだよ。お前の名前を聞かせて)
「ふしゃーッ!!」(礼儀がなってねえ!!)
「へぶぅッ!!」
ユフィーリアはリタの頬をぶん殴った。当然、爪は出していない。
殴られたことを理解していないリタは、目を白黒させて殴られた頬を押さえていた。「え? え?」と分かっていない様子である。
動物言語学の受け取り方は動物個人で変わってくるが、少なくとも最低限の礼儀作法がある。今時の動物言語学の授業でそんなことも教えてやらないのか、それとも近年の使い魔は随分と寛容になったのか。
とはいえ、礼儀作法すらなってねえ奴とまともな会話をしてやる気は全くない。ユフィーリアはふわふわの尻尾をシターン!! と机に叩きつけながら、
「ふぎゃ、ふなーッ!! うにゃにゃにゃなーん、にゃあ!!」(言葉遣いが全然ダメじゃねえか!! なァにが『お前』だ、ちゃんと言葉を選べ!!)
「え、だ、ダメだったかな……?」
「にゃにゃにゃ、にゃにゃーんにゃあ」(猫と会話する時は、半音上げて会話するのが当たり前なんだよ)
「半音?」
首を傾げるリタに、ユフィーリアは「にゃあん……」とため息を吐いた。
「にゃにゃにゃん、にゃあにゃあにゃ」(そんなことも教えてねえのかよ、ここの授業は)
「えっと、何かまずかったかな……」
「にゃんにゃにゃにゃ!!」(基礎中の基礎だろうが覚えとけ!!)
「え、ご、ごめんねユキちゃん!!」
怒り気味なユフィーリアに恐れを成して、リタは慌てて羽根ペンで教科書に「猫と話す時は半音上げる……」と書き込む。
「えと、じゃあもう1回やっていい?」
「にゃにゃあ」(ちゃんと半音上げろよ)
「に、にゃ、にゃにゃにゃあ。にゃにゃーん」(こ、こんにちは、私はリタ・アロットだです。貴女のお名前を聞かせろください)
「ふしゃーッ!!」(中途半端に半音上げるから言葉遣いがごっちゃになってんだろうが!!)
「へぶぅ!?」
ユフィーリアの容赦ない猫パンチが襲い掛かり、リタは「ご、ごめんなさい!!」と謝る。全く、半音上げたつもりが変な方向に突き進んでいってしまった。
しかし、リタは諦めることなく殴られながらも半音の調整を繰り返す。厳しい指導にも耐えられる心意気は称賛に値するかもしれない。
それからユフィーリアとリタはまともに会話をすることなく、教師の終了が告げられるまで声の高さの練習ばかりしていた。
《登場人物》
【ユフィーリア】動物言語学もお手のものな天才魔女。現在はふわふわの猫ちゃん化である。どうせなら最愛のお嫁さんのお膝の上でブラッシングされたい人生ならぬニャン生である。
【リタ】動物言語学を得意とする1年生。動物のことが絡むと相手に意見を言ったりするが、基本的に大人しくて他人に意見をするなどもってのほかな少女。