第7話【異世界少年と宝石店】
「お、ちょっとあそこの店に寄ってもいいか?」
「分かった」
本来の目的である本屋での買い物も済ませたところで、ユフィーリアがとある店に興味を示した。
来店する客の数はあまりなく、それどころか気軽に近づくことさえ出来ない雰囲気に包まれた店である。店の見た目は高級感が溢れ、店内も明るく、制服にきっちり身を包んだ店員が立っていて、極めて硝子製の箱が店内にいくつも設置されていた。
どこからどう見ても宝石店である。問題児が近づくような場所ではない。
「ユフィーリア、本当に行くのか……?」
「え?」
宝石店の扉を押し開ける途中だったユフィーリアは、不思議そうにショウへ振り返ってくる。
「まさか強盗をするつもりでは……?」
「信用ないな、ショウ坊?」
ユフィーリアは「用事はちゃんとあるっての」と言い、
「お守り用の宝石をいくつか買うんだよ」
「お守り用の宝石?」
「宝石は魔除けの効果も見込める素材だからな。ヴァラール魔法学院でも宝石魔法学っていう宝石を使った魔法の授業があるんだよ」
なるほど、そういう意味合いで宝石店に立ち寄るのか。てっきりデートの軍資金がなくなってしまったから、強盗目的で宝石店に押しかけるのかと思ってしまった。
これも普段の問題行動による弊害である。言い訳じみているが、最近は問題児の思考回路に染まってきたなと自分でも思ってしまう。
ユフィーリアが宝石店の扉を押し開ければ、カランカランと来客を告げる鐘の音が店内に鳴り響いた。
「いらっしゃいませ、エイクトベル様。――あら?」
真っ先に近づいてきた綺麗な女性の店員は、ユフィーリアの少し後ろに控えるショウの姿を認識して瞳を瞬かせる。
「可愛らしい人ですね。彼女様ですか?」
「アタシのお嫁さん」
「まあ」
女性店員はユフィーリアの返答に対して大袈裟に驚く素振りを見せると、
「それなら、今回は指輪のご購入ですか?」
「まだ15歳だから結婚できねえよ。指輪を買う時はもう少し先」
「そうでしたか。その時は是非、指輪選びにご協力させてくださいね」
女性店員は綺麗な微笑を浮かべて「ご用件はいつものでございますか?」などと聞いてくる。先程の宝石を使った魔法の話を聞いているので、おそらくユフィーリアはこの宝石店の常連客なのだろう。
「青玉系の宝石と紅玉系の宝石、それから橄欖石系の宝石を見せてくれ」
「かしこまりました。エイクトベル様、その組み合わせでしたら紫水晶などは如何ですか?」
「紫水晶は手元にあるから、今回はその3種類だけ」
慣れた様子で宝石に関するやり取りを繰り広げるユフィーリアと女性店員は、話がまとまったのか「それではこちらで少々お待ちください」と告げられる。女性店員が優雅な足取りで店奥に引っ込み、商品を用意してから再び店内に戻ってきた。
彼女の手には黒い天鵞絨が貼られたお盆が握られ、そこにはユフィーリアが指定した宝石がいくつか並べられている。色鮮やかな宝石の数々に、ショウは目が潰れそうだった。
綺麗に研磨された宝石を1粒ずつ摘む女性店員は、
「如何でしょうか? 当店最高品質の宝石になります」
「『深海の青玉』なんてよく仕入れたな」
「伝手を活用させていただきました。なかなか市場には流れない品です」
女性店員の掲げる青い宝石は、深い海を想起させる美しい紺碧の色をしていた。ユフィーリアは「深海の青玉」と言っていたが、特殊な宝石なのだろうか。
よく見れば、宝石の中身に気泡のようなものが揺らめいている。まるで深い海の底を宝石として閉じ込めたかのような、そんな不思議な雰囲気のある宝石だ。
ショウは「わあ」と瞳を輝かせ、
「綺麗だ」
「『深海の青玉』は深海にて生成される特殊な宝石になります。お守りを作成する際に相性がとてもいいんですよ」
女性店員は「エイクトベル様、如何いたしますか?」とユフィーリアに問いかける。これほど綺麗な宝石だ、買わない訳がないだろう。
「いや、今回はその宝石だと勿体ねえから普通の青玉で」
ところが、ユフィーリアは首を振って購入をキッパリと辞退した。
「あら、そうですか……」
「その代わりに代金は払うから、それを店に置いといてくれ。然るべき時が来たら指輪へ加工してもらう」
「なるほど」
少しだけ残念そうな表情を見せた女性店員だったが、ユフィーリアの提案を受けて視線がショウに向けられる。彼女の持つ『深海の青玉』とやらに視線が釘付けになっていたショウは、首を傾げる他はなかった。
何を察知したのか不明だが、ショウを見るなり女性店員は小さく微笑むと「かしこまりました」と応じる。もしかして宝石に対してそれほど知識を持ち合わせないから馬鹿にされたのだろうか。
深海の青玉を含めた宝石を片付けた女性店員は、
「それでは普通の宝石をお持ちしますね」
「頼むわ」
黒い天鵞絨のお盆を手にした女性店員は店の奥に引っ込んでいく。すぐに注文した宝石をお盆に乗せて店内に戻ってくると、客であるユフィーリアに宝石の説明をし始めた。
産地がどこだとか、値段がどうとか、純度があれだとかショウの分からないところで話が進んでいた。もはやこれは専門家の会話である。話についていくにはもう少しだけ勉強が必要になりそうだ。
ショウは何とはなしに店内を見渡してみる。硝子製の箱に収められた宝石たちはどれもキラキラと輝いているが、側に添えられた値段がべらぼうに高いので簡単に手を出すことが出来ない。
「ん?」
店の端に追いやられた硝子製の箱には、指輪がいくつか並べられていた。宝石も何もついていない指輪だったが、その色が特殊である。
金属めいた光沢は残っているものの、色が銀や鋼色ではなく赤から青へグラデーションになっている指輪だったのだ。とても綺麗な指輪で、値段もそこまで高いものではない。
硝子製の箱に並べられた色とりどりの指輪を見ていると、
「お連れ様の指輪をお探しですか?」
「あ……」
いつのまにか、ショウの側には別の店員が立っていた。
小柄な金髪の女性である。透き通るような青い瞳でショウを見据え、ニコリと可愛らしくて微笑む。男性にも女性にも好かれそうな綺麗な笑顔だが、不動の1位に愛する旦那様のユフィーリアがいる時点でショウの眼中にはない。
女性店員は宝石について議論を交わしているユフィーリアを示し、
「指輪をされていませんので、もしかしてお連れ様の指輪をお探しかと」
「あの」
「こちらの指輪ではお値段もそれほど高くありませんので、今ならお好きな色に刻印も承っております」
「その」
指輪を購入するつもりはなく辞退する気だったショウだが、
「お連れ様の指輪の大きさ、把握しておりますよ」
「本当ですか?」
女性店員の悪魔の囁きに負けてしまった。
☆
「悪いな、ショウ坊。せっかくのデートなのに個人的な買い物に付き合わせちまって」
「いいや、大丈夫だ。俺も商品を見ていて楽しかったから」
用事が済み、無事に目当ての宝石が購入できたところでユフィーリアとショウは宝石店から笑顔で見送られた。
ショウは後ろ手に握った箱の存在に、緊張感が高まっていくのが感じる。
女性店員の悪魔の囁きに抗えず、思わず購入を決めてしまった指輪だ。刻印も色も選べるということで依頼をしてしまったが、これを渡した瞬間に迷惑がられないか心配である。
いいや、店員も「きっと喜びますよ」と言ってくれたのだ。酷い結果にはならないと信じたい。
「ユフィーリア」
「ん?」
不思議そうに首を傾げるユフィーリアに、ショウは要求する。
「左手を貸してくれないか?」
「おう」
疑う素振りを見せず、ユフィーリアは左手を差し出してきた。
綺麗な手だ。普段は黒い手袋で覆われているが、すらりとした白魚のような指先や真っ白で傷ひとつない手の甲は素直に綺麗だと思える。
ショウは緊張気味に後ろ手で隠していた箱を取り出し、
「……俺の世界では、男性も女性も左手の薬指に指輪をつけたんだ。左手の薬指が、心臓に繋がっていると信じられていたから」
箱を開けると、そこには黒と青の指輪が台座に嵌め込まれていた。
黒から青のグラデーションが特徴的な指輪は、さながら夜から昼に変わる空模様のようだ。指輪の表面にはショウの左手薬指に嵌め込まれた従僕契約の証である指輪と同じく、雪の結晶を刻み込んでもらった。
店員と意見を擦り合わせて、ユフィーリアに似合いそうな指輪を作ったのだ。お値段もそれほど高くないので、贈り物に最適である。
「俺の指にはあって、貴女の指にないのは寂しいから」
ショウはユフィーリアの左手を取ると、
「貴女に、これを贈らせてほしい」
左手の薬指に、黒と青の指輪を通した。
大きさもピッタリで、隙間なくユフィーリアの左手薬指に嵌まっている。指輪の大きさを知っていると店員も言っていたが、彼女の提示した数値は正しいものだったのだ。大きさが合わなかったらどうしようかと思った。
左手薬指に問題なく指輪が嵌まったことに安堵するショウだったが、
「ユフィーリア!?」
最愛の旦那様の顔を見やれば、彼女の青い瞳からダバダバと涙の滝が流れていた。身体中の水分を全部持っていきそうな勢いである。
ショウは慌てて鞄から手巾を取り出して、ユフィーリアに握らせる。どうにかして涙を止めてやりたいが、あまりの衝撃的な光景に混乱するばかりだ。
もしかして迷惑だっただろうか。涙を流すほど嫌なことだったか?
「これ、お前が選んだのか?」
細々とした声でユフィーリアが問いかけてくる。
「ああ、その、店員さんと相談して……」
「そっかぁ」
ユフィーリアは頬を伝う涙を手巾で乱暴に拭うと、
「ありがとうな、ショウ坊。今までで最高の贈り物だ」
そう言って、彼女は嬉しそうに笑った。
よかった、迷惑な贈り物ではなかったのだ。拒否されたらどうしようかと思っていたが、そんな不安は杞憂に終わった。
エリシアではお嫁さんの位置にある指輪だが、ショウの世界ではこれが普通である。相手の心臓を握るという意味合いでもいい場所だ。
ユフィーリアは指輪を嵌めた左手を差し出して、
「じゃあ帰るか。そろそろ魔法列車が出るし」
「ハルさんたちにお土産を買って帰りたい」
「駅前に美味しいケーキ屋があるからそこに寄ろうか」
「ああ」
ショウはユフィーリアの差し出された左手を握り、駅に向かって歩き出す。
左手の指に嵌め込まれた指輪の感覚に、愛おしさが込み上げてくる。
そっと指先で左手薬指に嵌め込まれた指輪を撫でれば、キュッと少し強めに手を握り返された。
《登場人物》
【ショウ】宝石で好きなのはサファイア。理由はユフィーリアの目に似ているから。結婚指輪にサファイアを使ってくれたら嬉しいが、大人になったらユフィーリアにサファイアの指輪を贈りたい。
【ユフィーリア】宝石で好きなのはダイアモンド。理由は魔法に使いやすくお守り用の礼装を組みやすい。でも最近はルビー系の宝石を選ぶようになった。お嫁さんのショウには青い宝石を贈りたいが、やはり本人の意思を確認したい。