第4話【問題用務員と商業都市】
「ユフィーリア、これから向かうイストラとはどういう町なんだ?」
窓の外を流れていく景色をぼんやり眺めていたユフィーリアは、可愛いお嫁さんからの何気ない質問に「んあ?」とやや眠たげな声で応じる。
「イストラ?」
「ああ」
硝子杯の中で絶えず降り続ける雨模様のお茶をストローで掻き混ぜながら、ショウはしっかりと頷いた。
「ヴァラール魔法学院の外に出たことがないので、その、どういう町なのか想像が出来ないんだ」
「イストラはヴァラール魔法学院から魔法列車で大体30分程度の場所にある商業都市だ。生徒たちも休みの時になればイストラまで遊びに出かけたりするぞ」
外出届を事前に提出すれば、ヴァラール魔法学院は生徒たちに外出の許可を出してくれる。さすがに遠くまで行くことは不可能だが、イストラまでの距離だったら「気分転換になるだろう」ということで許可されるのだ。
もちろん、無断でイストラよりも遠くの町に出かけようものなら問答無用で退学である。ヴァラール魔法学院には世界中のどこでも覗き見し放題である『現在視の魔眼』を持つ副学院長がいるので、どこに出かけようと必ず見つけることが出来るのだ。
これから向かうイストラとは、魔女や魔法使いが多く住まう商業都市である。
魔法を使う際に用いられる杖や魔石、長衣などの衣類、教科書や参考書を取り揃えた本屋など多数の店が存在する活気ある町だ。購買部で取り寄せが何日か必要になってしまう商品でも、イストラであれば揃ってしまうと噂がある。
まあこれは、購買部の店長を務める黒猫店長の沽券に関わるので誰も言わない。大半は購買部に行けば解決できてしまうので、ほとんど生徒たちの用事は喫茶店でお茶して帰る程度しかないのだが。
「アタシらもよく行くよ。購買部では取り扱ってねえモンを買いに行ったりとかな」
「購買部でも取り揃えていないものはあるのか?」
「魔法薬に使われる特殊な素材は扱ってねえな。特にマタタビ系の魔法植物」
「ああ……」
何となく察しがついてしまったショウは、
「酔ってしまうのか……」
「マタタビ酒って猫妖精の好物なんだよな」
ちなみに購買部の黒猫店長は、このマタタビ酒を浴びるほど飲んで奥さんに怒られてから禁酒しているらしい。マタタビ系の魔法植物を扱わないのも、うっかり吸い込んで酔ってしまったら大変だという理由からだ。
種族的な事情があるので仕方がないと言えば仕方がないのだが、魔法薬学の授業でたまにマタタビ系の魔法植物を使うことがあるのだ。その際は問題児――ではなく用務員がわざわざイストラまで出てきて購入する。
当然ながらタダで帰ってくる訳がない。たっぷり寄り道をしてから帰るのが問題児の鉄則である。
「まあ楽しみにしとけよ、人が多すぎて目を回すぜ」
「そんなに?」
「エリシアで唯一無二の魔女・魔法使い養成機関のお膝元ってんで、魔女や魔法使いだけじゃなくて魔法の使えない観光客もいるからな」
期待に赤い瞳を輝かせるショウは「楽しみだ」と心の底から楽しそうな表情で言う。
さあ、彼は一体どんな反応を見せてくれるだろうか。あまりの人の多さに目を回すか、それとも興奮状態でユフィーリアの手を引っ張ることになるだろうか。どちらにせよ、反応を想像するだけで楽しくなってくる。
頭の中でどういう店を見て回るか道順を組み立てながら、ユフィーリアは「イストラにはこういう店があってな」と話題を切り出す。イストラにある店の話をしてやれば、可愛いお嫁さんは前のめりになってユフィーリアの話に聞き入っていた。
☆
『イストラ、イストラに到着です』
魔法列車内に特徴的な音声が流れ、イストラに到着したことを告げる。
魔法列車からイストラの駅に降り立てば、まず耳朶に触れたのが賑やかな話し声である。弁当を販売する売店の呼び込みや親を引き止めようとする子供の甲高い声、複数人の女性が集まって和やかに会話をする様が確認できる。
ヴァラール魔法学院ではあまりお目にかかれない光景だ。大荷物を抱えた旅行者が次々と魔法列車へ乗り込む様子を横目に、ユフィーリアはショウへ手を差し伸べる。
「はぐれるといけねえからな」
「ッ、そうだな」
遠慮がちに伸ばされたショウの手を取り、ユフィーリアは人で溢れ返るイストラの駅を突き進んでいく。
ヴァラール魔法学院の前にある駅は無人だったが、この駅はきちんと駅員の存在がいる。魔法列車でも使用した切符を駅員に見せれば、笑顔で「お通りください」と改札を開いてくれた。
改札を潜った先に広がっていた町並みは、
「わあ……」
手を引かれるショウの、感嘆に満ちた声が、ユフィーリアの鼓膜を揺らした。
背の高い建物が並んでおり、建物の隙間を縫うようにして箒に乗った魔女が飛び交う。駅前の広場では大道芸人が魔法を使った芸を披露しており、山高帽から大量の鳩が出てきたり、何もない場所から犬の形をした風船が出てきたりと観客を魅了している。
大道芸人のすぐ側では、画家らしき青年がキャンバスに絵を描いているところだった。使い古された絵の具で真っ白なキャンバスに筆を滑らせれば、赤から青と絵の具の色が変化していく。魔力に反応して色を変える特殊な絵の具を使用しているのだろう。
服屋や本屋、杖を販売する杖屋、靴磨き屋などの様々な店が建ち並ぶイストラの光景を目の当たりにして、ショウはやや興奮気味にユフィーリアの手を引いてきた。
「凄い凄い、こんなに賑やかな町なんだな」
「ショウ坊、落ち着け。そんなに興奮してると」
ドン、とショウが通行人とぶつかってしまう。興奮のあまり周囲が見えていなかったのが原因だ。
ぶつかってしまったのは、鍛えられた肉体を小さめの襯衣に押し込んだ柄の悪そうな男である。大きく開かれた胸元から隙間なく施された刺青が覗き、エドワードと同じぐらい鋭い双眸がぶつかったショウを睨みつける。
ショウは「ひえ」と上擦った声を漏らし、慌ててぶつかってしまった相手から距離を取る。見るからに堅気ではない相手である。ここは彼の格好いい旦那様としてショウを守ってやらなければ。
「――――あーッ、いってえ!!」
唐突に刺青の男が腕を押さえて悲鳴を上げた。
「痛えわこれ、絶対に骨が折れたわ、どうしてくれんだエエ!?」
「ひッ」
怒鳴りつけられたことで身体を縮こめるショウは、小声で「ご、ごめんなさ……」と謝罪する。不注意でぶつかってしまったのは悪いことだが、ぶつかった程度で骨が折れるとはその筋肉は見かけ倒しか。
「おら、詫びとして身体で返してもらおうか? ん?」
「〈骨よ折れろ〉」
「ぎゃーッ!!」
可愛いお嫁さんを怒鳴られたこととショウを乱暴に連れて行こうとしたことであっさりと堪忍袋の緒が切れたユフィーリアは、魔法で相手の骨を折ってやった。
ゴキンという嫌な音が聞こえる。
男の太い右腕の骨が折れ、皮膚が青紫色に染まっていった。腕を押さえて呻く男は鋭い双眸でユフィーリアを睨みつけてくるが、ユフィーリアが咥える雪の結晶が刻まれた煙管を見つけて腕の色と同じく顔を青褪めさせた。
「あ、姉御!? すいやせん、姉御の連れだとは思わず!!」
「おう、認識を改めてくれたのは嬉しいけどアタシの目の前でやらかしたのは間違いだったなァ? え?」
顔にまで刺青を施した男の顔面を握り、ユフィーリアは綺麗な笑みを見せる。5本の指に力を込めれば「イダダダダダダダダダダ!!」と男はさらに大きな悲鳴を上げた。
男の悲鳴を聞きつけて、通行人たちが「何事だ」と言わんばかりの視線を寄越してくる。
本来なら警官でも誰でも呼んで喧嘩を仲裁すべきなのだろうが、通行人たちはやれやれと肩を竦めてその場から立ち去った。通行人たちの気持ちを表現するならば『問題児相手に喧嘩を売った方が悪い』だろうか。
ユフィーリアは悲鳴を上げる刺青の男を解放してやり、
「まあでもぶつかったのは事実だからな、アタシの嫁が悪かったな」
「よ、嫁……? はあ……」
「何だ左腕も犠牲にしてえのか、それならそうと早く言ってくれよなァ今度は魔法を使わずに折ってやるからなァ」
「イダダダダダダダダダダすいませんすいません別に『想像できねえよ』とか『女同士で結婚とかあり得るか』とか思ってませんからすいません!!」
ギリギリと刺青男の左腕を締め上げて骨を折ってやろうと思ったが、必死の謝罪を受けたので仕方なしにユフィーリアは男を解放してやる。
「あ、あの、右腕……」
「ああそうだったそうだった、悪いな忘れてたわ」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして、刺青の男の右腕に回復魔法をかけてやる。皮膚の青紫色も引いていき、男の表情もどこか安堵したものに変わっていった。
「あ、じゃあ姉御、その、すみませんでしたもうしませんので」
「おう、じゃあその場で飛べ」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げる刺青の男に、ユフィーリアはもう1度繰り返す。
「飛べ」
「え、あの、何で」
「慰謝料」
簡単に逃す訳がなかった。「ごめん」で済んだら世の中の問題行動は全て解決する。
「アタシの嫁をよくもまあ怖がらせてくれたなァ? 慰謝料を貰わなきゃいけねえなァ?」
「いや、あの、その勘弁してください……」
「飛べって言ってんのが聞こえねえのか、魔法で振り回すぞエエ!?」
「は、はいいぃ!!」
刺青の男はユフィーリアの指示通りにその場でピョンピョンと飛び跳ねる。
飛び跳ねた影響で、どこからかチャリンチャリンという音が聞こえてきた。金銭を持っている証拠である。
ユフィーリアが笑顔で手を差し出せば、刺青の男は観念したように財布を懐から取り出してユフィーリアに手渡してきた。
「小銭しかねえじゃねえか」
「いやあの今ちょうど病弱な妹の為に薬を買ってですね、手持ちがですね」
「へえ、賭博場に病弱な妹とやらの病気を治す薬が売ってんのか」
「ゔぇ」
財布の中から出てきた賭博場の換金表をヒラヒラと揺らしながら、ユフィーリアは青い顔をする刺青の男へ冷酷無慈悲に告げる。
「このことは頭領に言っとくな」
「あーッ勘弁してください姉御!! 頭領に報告されたら腕の骨を折られるどころの話じゃねえよぉ!!」
「そういえば今度アタシに迷惑をかけたら去勢だって言ったよな? どうする? お前の腐った【自主規制】を千切り取ってやろうか?」
「腐ったオレの悪事を頭領に報告しといてくださいオナシャス」
土下座で「去勢だけは勘弁してください」と懇願する情けねえ刺青野郎からなけなしの小銭を奪い取り、空っぽになった財布を相手の顔面に叩きつけてやり取りは終了である。あとで刺青野郎の上司に報告しておこう。
往来で土下座したままの状態を維持する刺青野郎を放置し、ユフィーリアはショウの手を引いてその場から離れた。
全く、命知らずがいたものだ。ヴァラール魔法学院のお膝元とされるイストラに於いて、問題児の異名が轟いていない訳がないのである。
「ユフィーリア、今のは」
「昔にこの辺りを取り仕切ってた暴力団の下っ端で、組織ごとボコボコにしたら頭領含めて媚び諂ってきたんだよ」
「やっぱりユフィーリアは凄いなぁ」
問題児ここに極まれりとばかりの馬鹿みたいな行動だが、洗脳でもされているのかと思うほど盲目的に旦那様を愛しているショウは手放しでユフィーリアに称賛の言葉を送るのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】イストラにはよく買い物に行くが、外出先にイストラを設定するもめちゃくちゃ寄り道しまくる魔女。好きな店は本屋の他に杖屋が好き。
【ショウ】イストラに初めて来た異世界少年。元の世界ではまともに買い物すら出かけられなかった。暴力団に怯むものの、冥砲ルナ・フェルノを取り出せば1発だと思っている。