第3話【極東の侍と世界終焉】
ギン、キィン、と金属の擦れ合う音が闘技場に響き渡る。
観客が固唾を飲んで見守る中、侍と死神による死闘が闘技場にて繰り広げられていた。
双剣の如く分割された銀製の鋏を、頭巾で頭部を覆い隠した死神が踊るように振るう。銀色の軌道が虚空に刻まれ、侍が繰り出す刀の攻撃を捌いていた。鋏と刀が擦れ合って火花が散り、ギィンと耳障りな音を奏でる。
縦横無尽に闘技場を駆け回る侍と死神は、ギリギリと鍔迫り合いのあとに互いに飛び退って距離を取る。死神の方に疲弊した様子は見られないが、侍の方は死神を仕留めるべく駆け回っていた影響で疲れが溜まっている様子だった。
「はあ……はあ……」
これほど強い相手がまだこの世界にいるとは思わなかった。
侍――サカマキ・イザヨイは、自らの得物である刀を構える。柄を両手で握り、大上段に構える姿は『霞の構え』と呼ばれるものだ。
半身を捻り、頭の横で刀を構えるイザヨイは無貌の死神を観察する。相手もイザヨイのことを観察しているのか、銀製の鋏を両手に握りしめたまま動く素振りを見せない。
刺突、切り払い、居合などの技を繰り出してみたが、相手に刀身が触れることすらない。黒い外套には切られた痕跡すら残されておらず、また死神は呼吸も乱れていなければ頭巾が脱げる気配さえない。
「強いな……お主は」
強者を相手に、イザヨイは笑った。
初めてだった。これほど命のやり取りが続く相手は、今まで存在しなかった。
今までは少し打ち合うだけで戦意が削がれてしまい、刀を投げ捨てて命乞いをする連中だらけだった。そんな腰抜けに用はないので、イザヨイは全てを斬り捨ててきた。
目の前の相手は、死神と呼ばれるだけある。確実に首を狙った軌道で、イザヨイは何度も命を落とす危機に見舞われたものだ。
「楽しいなァ、楽しいぞ!! これほど楽しいのは初めてだ!!」
イザヨイは歯を剥き出して笑うと、闘技場の地面を力強く踏んで無貌の死神に突っ込んでいく。
無貌の死神――第七席【世界終焉】。
キュッと唇を真一文字に引き結んだまま、死神はピクリとも動かない。突っ込んでくるイザヨイに驚く表情すら見せない。いっそ無機質さすら覚える極光色の2つの光が、頭巾の下からイザヨイを真っ直ぐに射抜く。
すると、第七席【世界終焉】は両手に握りしめた頭上に向かって放り投げる。唐突に得物を手放したのだ。
「ッ!?」
第七席【世界終焉】の奇怪な行動に、イザヨイの足が止まりかける。
鋏を手放したことで身軽となった第七席【世界終焉】は素早くイザヨイの懐に潜り込むと、密かに握りしめた拳を鳩尾めがけて叩き込んできた。
イザヨイの腹に重い衝撃が走る。筋肉や骨を伝って、内臓を揺らし、イザヨイの喉奥に酸っぱい液体が迫り上がってきた。
「ぐッ、お」
膝から頽れそうになるイザヨイの顎に、第七席【世界終焉】の膝蹴りが強襲する。
脳味噌が揺れるほどの衝撃が、顎を通じて頭部全体に伝播していく。あまりの威力にイザヨイの身体は軽々と吹っ飛ばされてしまい、放物線を描いて闘技場の地面に叩きつけられる。
わッ、と観客どもが湧く。耳障りな声援が飛んできて鬱陶しい。
「ぐぅッ」
取り落とした得物を拾い上げると同時に、第七席【世界終焉】の手元に頭上へ放り投げたはずの鋏が戻ってくる。鳩尾を殴られた痛みと顎を蹴られた痛みによってまともに動けないイザヨイの元へ、さながら散歩するかのような足取りで近づいてくる。
鳩尾の痛みはまだ耐えられる。顎の痛みのせいでまともに立ち上がることが出来ない。
刀を地面に突き刺して杖の代わりにし、何とか立ち上がれば第七席【世界終焉】はピタリと足を止めた。「まだ起きるのか」と言わんばかりの態度だった。
「驚くか。まだ拙者が起き上がることに」
殴られ、蹴られた時の衝撃はあるし、痛みもまだ残っている。
だがそれだけだ。第七席【世界終焉】がイザヨイに残せた爪痕など、タカが知れている。やはり首を狙うだけの殺気がなければ勝てない。
口の中に溜まった唾を吐き出したイザヨイは、大胆不敵に笑って第七席【世界終焉】を見据えた。
「まだ倒れんぞ。まだ、まだだ」
そう、まだだ。
イザヨイはまだ満足していない。
第七席【世界終焉】の強さは身を持って体験した。あの迷いのない戦い方は、もう何人も命を屠っている死神そのものである。果たしてイザヨイはこれで何人目になるのだろうか?
いいや、そんなことはどうだっていい。まだ相手に食らいついてやるのだ。
「きえええああああああッ!!」
「…………」
刀を握りしめて突進してくるイザヨイに、第七席【世界終焉】から憐れみを込めた視線のようなものを寄越される。「まだ立ち向かってくるのか」という感情が込められた視線だった。
左脇から右肩にかけて袈裟斬りにしようと刀を振るうが、第七席【世界終焉】はその動きさえも読んでいたのか右手の鋏でイザヨイの刀の軌道を逸らす。ギィンと耳障りな音が鼓膜を揺らした。
相手の懐に潜り込んでしまったのも運の尽きだ。左手に握られた【世界終焉】の銀製の鋏が引き絞られ、イザヨイの胸元に鋭利な先端が吸い込まれる。
どッ、と突き刺さる。銀製の鋏はいとも容易くイザヨイの胸を貫通し、心臓さえも串刺しにしてしまった。
「きゃああああああああああああ!?」
「嘘でしょ!?」
「刺されてる!!」
観客たちの悲鳴が聞こえる。
『おっとぉ!? サカマキ・イザヨイの心臓を第七席の鋏が貫いたぁ!?』
『いや、本当に貫いたのでしょうか? 血が出ていないように見えますが……』
『先輩は何でそんなに冷静なんですか!? 今まさに殺人がこの闘技場で起きようとしているんですよ!?』
高みの見物を決め込む若者たちのやり取りが煩わしい。
「…………」
騒ぎ立てる観衆とは対照的に、第七席【世界終焉】は自分が何をしたのか理解している様子だった。鋏を突き刺す手つきに迷いはなかったし、引き結ばれた唇に動きはない。
痛みはある、刺された衝撃もある。
それなのに、鋏の刃が突き刺さるイザヨイの胸元から血は1滴も流れていなかった。元からこの冷たい身体には流れていないのだ。
「お主は気づいているだろう、第七席よ」
イザヨイは第七席【世界終焉】の耳に囁く。
「拙者の身体は、すでに死んだものだと」
「…………」
第七席【世界終焉】は僅かに首を上下した。
イザヨイは第七席【世界終焉】の意外と華奢な肩を掴み、突き飛ばす。
よろけた【世界終焉】の動きに合わせて鋏が抜け落ち、イザヨイの胸に風穴が開く。血は噴き出さないし、腐りかけた肉が垣間見える嫌な傷跡だ。
イザヨイはすでに死んでいる。どうやって動いているのか、皆目見当もつかない。
ただ、死者蘇生魔法が何らかの理由で中途半端に発動しているのだろう。この魔法学院に潜り込んで、故郷では邪道とされてきた魔法に触れ、いくらか自分の身体の仕組みについては理解できたと思う。研究熱心な魔法使いに捕まれば実験にでもされただろうが、その時は斬り殺せばいいだけだ。
胸に開いた風穴を撫でるイザヨイは、
「不思議なものだな、血が流れん」
この奇妙な感覚は慣れたものだ。
最初こそ自分の腕を切っても血が流れないことに恐怖心が隠せなかったが、今になっては慣れてしまった。いくら致命傷を負っても不思議と生きているのだから、イザヨイにとっては便利なものである。
第七席【世界終焉】にはこの上ない厄介な敵となるだろう。試したことはないが首を刎ね飛ばしたところでイザヨイは動き回れると思うので、首だけになっても相手に食らいついてやる。
刀の柄を両手で握り、大上段で構える。もう1度霞の構えだ。
「さあ、まだだ。まだ殺し合おう、斬り合おうぞ。第七席よ、拙者を楽しませてみせろ!!」
殴られ、蹴られた痛みなど何ともないとばかりに、イザヨイは第七席【世界終焉】に突っ込む。
馬鹿正直に胸や腹を狙えば避けられる。第七席【世界終焉】の回避能力はかなりのものだ。身体能力は卓抜していると見ていい。
ならば狙い目は頭部――頭巾の下で輝く極光色の2つの光だ。頭巾の下を狙えば確実に相手を傷つけられる。
眼球の片方を潰して視界を奪うのでもよし、最低限でも頬を切ることが出来れば幸いだ。
「せあああああああッ!!」
裂帛の気合いと共に、イザヨイは刀を突き出した。
第七席【世界終焉】は最小限の動きで、イザヨイの突き出す刀を回避する。首を逸らして鈍色の刀身を回避するが、寸前のところで間に合わずに刀身が頭巾の下に吸い込まれていく。
何かを突き刺した感覚はない。衝撃で目深に被った頭巾が刀の先端に引っかかり、僅かに揺れ動く。
胸中でイザヨイが舌打ちをすると同時に、第七席【世界終焉】が動いた。
強く足を踏み込み、イザヨイの懐に潜り込む。前に1歩を踏み出したことで、刀が引っかかった頭巾が取り払われた。
脱ぎ払われる頭巾の下から零れ落ちたのは、透き通るような銀色の髪の毛。ふわりと重力に従って落ちる髪の隙間から覗き込む、色鮮やかな青い瞳。人形めいた顔立ちに平素から浮かべる余裕の笑みはなく、ゾッとするほどの無表情のみがそこにあった。
右手に握りしめた鋏を振り、相手はイザヨイの胴体を袈裟斬りにする。斬られた衝撃がイザヨイを襲い、堪らず倒れ込む。
『な、な、な、な』
あの若者の声が、闘技場を揺るがす。
『なぁんと、なぁぁぁぁんとおおおおおお!!』
誰もが呆然としたことだろう。
世界中の人々から神々の如く崇め奉られる七魔法王が第七席【世界終焉】――無貌の死神と恐れられる史上最強の存在が、まさかの人物だった。
それは普段から生徒や教職員を相手に迷惑をかけまくり、問題行動の数々を起こし、仕事を碌にせず給料を減額されて悲鳴を上げるという尊敬もクソもない生き方しかしていない問題児筆頭にして、誰よりも仕事をしない用務員。
『第七席【世界終焉】の正体が、あの問題児筆頭!! ユフィーリア・エイクトベルだったぁぁぁぁあああああああ!?』
『これは世紀の発見ですね』
『先輩、何でそんなに冷静なんですか!!』
分割された銀製の鋏を両手に握りしめ、問題児筆頭――ユフィーリア・エイクトベルは絶対零度の光を宿した青い瞳でイザヨイを見据えていた。
《登場人物》
【イザヨイ】強い相手だけを求めてきた硬派な侍。【世界終焉】との戦いを楽しんでいる。
【世界終焉】何かが目的で闘技場に乱入した死神。その正体は……?