ニタカサンナスビ
最高の当て馬ってなんだろう、を考えながら書いていこうと思います。当て馬がどちらかは、まだ決めていません。
「おいタカコ、東京勤務に『初夢』がやっと揃うぞ」
同期の言葉に振り向いた唯子は、聞き慣れたあだ名が本名でないことを、今更ながらに自覚した。肩口でボブヘアーを揺らし、オフィスチェアーをギシッと鳴らしながら半回転する。なんやかんやで仕事がたて込み、3ヶ月美容院に行けていないから、若干髪質が荒れているのが許せない。
背後から声をかけてきた男と目を合わせ、いつものように反論する。
「それ、私の名前がまたタカコだと思われるんだけど」
「いーや、タカコでいいんだよ。間違ってはない」
たしかに間違ってはいない。
『タカコ』は、仁鷹唯子の略称と言っても過言ではないからだ。だが、この男、ただでさえ本社の中でも目立つのだ。唯子は、いつものようにジトッと目の前の相手──真三を見つめ、分かるくらい大袈裟なため息をついた。
180センチを超える身長と、いつも変わらないパリッとしたスーツ姿。二重で鼻筋が通っているのに、どことなく大型犬を思わせる人懐っこさ。同期の目から見ても「かっこいい」部類に入る。贔屓目じゃない評価を差し出すくらい、真三はよく出来た営業マンだ。何より唯子は、彼の靴が常に磨かれ、踵がすり減っていないところが好ましかった。
午後8時半をまわった社内──第二営業部のオフィスは、月末に制定されたはずのプレミアムフライデーに乗っかれず、まだチラホラと主力メンバーがパソコン画面とにらめっこをしている。
ここユニサスケミカルは法人向け、とりわけ自動車産業を支える樹脂類を数多く取り扱い、全国5カ所にプラントを構えた、そこそこ大きな上場企業だ。東京と大阪に本社を構え、安定した資金繰りと離職率の低さから、就活生の中でも密かなホワイト企業として名高い。年度ごとの海外進出や新グレードの樹脂開発を進める強気な姿勢があるのに、社長以下全体的にのんびりゆったりした気質の社員が多く、働く当人達もその点だけは不思議がりながら過ごしている。
そんな雰囲気が流れる社風の中でも、この東京本社だけは日々忙しなく仕事を抱える人間が多い。夜でも東京の電力を遠慮なく使って会社の屋台骨を支えていた。
唯子と真三は、そんな第二営業部で共に主任。初年度から同じチームに配属され、5年目で同時に昇格したまま、唯子は事務方のリーダー、真三は営業部の稼ぎ頭として会社のいち歯車としてせかせか働いている。
「で、初夢って何」
「あれ、前言ったろ?今度ここ来て俺の部下になる子だよ。富士山なの」
前に言ったことなど山ほどあって、いちいち覚えていられない。記憶力のいい唯子だがそんな話を聞いた覚えもなく、あまりに言葉が足らない真三の相変わらずさに、またため息をつきかける。
「待て、これ以上息吐いたら俺の幸せが逃げる」
「那須くんは大丈夫だよ、自分で吸って取り戻せるでしょ」
「そりゃそうだろ。俺の幸せは俺がつかむ。あぁ、でさ、富士山だよ。不二が7月やっと東京くるからさ。フジハジメくん、だよ」
なんとなく言わんとすることがわかってきた。名前だ。
仁鷹唯子
那須真三
そして、不二一
お分かりだろうか。
「そういうことね」
「だから言ってんじゃん。これで我が第二は、一富士、二鷹、三茄子だって」
年明け始まり、その夜に縁起のいい夢を見れば今年一年が息災に過ごせるだなんて、誰が言い出したのだろうか。少なくとも生まれてこの方27年、来月の誕生日で28歳になる唯子は、今まで記憶に残っている初夢で、当該縁起物に出会えたことはない。
「村上部長が嬉しそうにしててさ〜第2は縁起がいいから冬ボも期待できるなって」
それは働く人間の頑張りでしかどうにもならないのに、などと唯子は現実的なことを考えてしまう。すぐさま冷めた感想を抱く自分は、あまり好きではない。
愛用するマグカップにわずかに残ったコーヒーを飲みきり、茶渋を覗き込む。そろそろ持って帰って、漂白剤にでもつけ置きしたほうがよさそうだ。
「まぁ、お金はもらえたほうがいいもんね」
「だろ?ってかお前、不二と喋ったことある?」
「あるも何も、今日も話したよ」
「え、そうなの?なんか接点あった?会ったことないだろまだ」
「うん多分。でもほら、いま那須くんの引き継ぎしてるから」
「あぁそっか。俺のやつでタカコんとこ連絡入ってんのか」
──そうだよ、困ってるんだから。
言いかけた言葉を引っ込めて、何度も首を縦に振っておく。
同期同士だからうまく連携取れるでしょ、ということで4年目からは同じ業務に携わるようになっていた真三のものを、先月から一部不二に引き継いでいた。
困っているのは、なにも不二が3年目の社員で、真三との社歴差で業務に関して何かしらのトラブルが起きているからじゃない。そこは流石に唯子がフォローしているし、実際不二は仕事ができた。
同期にどう相談したらいいかわからない。
とにかく彼が、ずっと馴れ馴れしいのだ。
『あ、もしもし仁鷹さんどうも。今週も元気でしたか?もうすぐ金曜も終わりですよ、夜は何するんですか?』
定時の18時が近づく、10分前。
不二は毎週金曜日、大阪本社から内線を必ずかけてくる。
大体が他愛もない話、というより質問。土日は何するんだ、趣味は、お昼は何食べたんですか、なんて。それ、興味があって言ってるか?の内容オンパレードだ。最初こそ後輩だから、と思って唯子も律儀に答えていたが、ボールを返すと反応が「へーそうなんですか」の、本当に興味がなさそうな回答。次第に付き合うのも馬鹿馬鹿しくなって、そっけないまではいかない、簡素な態度を取るようになってしまっている。そして決まって最後は18時になったらあちらから内線を切る。
『仁鷹さん、じゃ、俺帰るので』
はーい、お疲れ様。の一言に心がこもっていたことは少ない。自分にはまだまだ広がる事務処理。国内プラントとの調整、輸出入、それから後輩、派遣社員へのフォロー。6年目になっても、まだ上手く立ち回れない。
「タカコ?」
心配そうな目が、唯子へ向けられている。
「…あ、あぁ。困ってることとか、ないよ。不二君、ちゃんと報連相してくれるし、和歌山工場との調整うまいんだよね。あそこのおばさま方、結構厳しいのに」
「あぁアイツ、そういうの出来るよな。たまに生意気って思われちゃうけど、俺はあれでいいと思うわ」
唯子もそれでいいと思っていた。言うべきことは言わなければ進まない。若年層には珍しい、能動的に行動することを初めから身につけている不二は、確かに仕事がしやすかった。
不意にスマホのデフォルト音が鳴った。スラックスのポケットから取り出した真三が、表示画面を見てから舌打ちする。
「あーー…なんで今電話してくんだ…」
「どこから?」
「大阪。課長、朝言ったのにこんな時間にかけてくんなよ…いいや、無視する」
鳴り続けるスマホを唯子のデスクに置き、自身から遠ざける。
「え、これ大丈夫なの」
「大丈夫、この人遅いから、俺がもう解決済。…まだ鳴らすのかよ」
自分が手の速い、出来る上司の元で仕事ができてよかったと思う瞬間だ。そんな村上部長は、孫が誕生日だから、と言って今日は定時に謝りながら駆け出していっている。
やっと鳴り止んだスマホをもう一度元あったところへしまい直すと、真三が急に真面目な顔になった。
「タカコ、いつ帰んの?」
「もうあと10分したら帰る。なんで?」
「可愛い子は夜遅くまで仕事したらダメだから」
「なんだそれ」
軽口を叩かれ、思わず笑いかける。冗談を言われると反応に困って笑う癖が、今日も健在だ。真摯に受け取るなんてことは、しない。
可愛いなんて今でもたまに言われることもあるけれど、大概は賢そうとかキツそうとか真面目だね、とか。いつもそんな感じ。
でもお世辞でも、心配してかけてくれる言葉は嬉しかった。
「那須君も、かっこいい子歩き回ってたら大変なんじゃないの、彼女は?」
「あー…あれは別れた」
「えっまた……ダメだったの?」
「なんかやっぱ俺仕事大事にしたいし、プライベートも絶対毎週デートする、とか無理だからさ。まぁ、相手が嫌がるよね」
「そっか。そんなことないと思うけどなぁ」
「そんなこと言ってくれんの、タカコだけよ〜ありがとう。ほら、もう帰り支度しな」
もう21時前。これ以上やると、今度はだらけた残業が間延びして、22時過ぎコースになることは経験済みだ。
「そうだね。来週でいっか」
「そうそう、来週でいいよ。さ、帰ろ」
「あれ、那須君も帰るの?」
「帰るから迎えに来てんの」
「地下鉄、反対方向じゃん」
「そんなこと言わず、駅まで一緒に行こうよ〜送るから」
送る距離でもない。そもそも自分たちの自宅最寄りは反対方向だし、駅までの地下通路入り口がここから近いのだ。
女子高生のようなノリで唯子の帰宅を促す真三に急かされながらパソコンをシャットダウンする。これで、今週がやっと終わった。
「はい、お疲れ様」
「お疲れ様でした。あ、来週の──」
「タカコ、俺はもう仕事の話は聞かない」
きっぱりと手で制された唯子は、苦笑しながらあとでラインするねと言った。残った社員数名に声をかけながらオフィスを出る。
エレベーターのボタンを押すと、すぐさま奥からロープで巻き上げるような機械音がした。流石にビル内の人が少ないから、すぐに来てくれそうだ。
「不二のこともだけど、俺のこともよろしくな」
真三が不意に呟く。
「那須君は大丈夫でしょ」
「いや、タカコいないと結構ザルよ、俺の仕事」
「そんなことないよ」
「いや困る。タカコともっと仕事できるように俺頑張るから」
「いやいや、いつも頑張ってるでしょ。私から見たら頑張りすぎなくらい、本当によくやってるよ。偉い」
これは本心だ。
真三は、飄々としているように見えて、実は心配性で繊細な人間だ。自分を少しだけ削って心配りをし、ミスがあっても自分が責任を負ってリカバリーする。そんな仕事の仕方は、唯子の仕事におけるモチベーションにもつながっている。
エレベーターが上がってきた。チン、と音がなって、重い扉がゆっくりと開いていく。唯子はヒール靴を踵を鳴らして一歩を踏み出したのに、真三は動かない。振り返って「ひらく」のボタンを押しても、真三は箱の中に入らなかった。
「那須君?」
「……そういうとこだよ」
「何が?」
「なんでもない」
俯いて歩き出す真三が、髪をかき上げる。その一瞬の仕草が妙に目に焼き付いて、唯子は階層ボタンを凝視する。
「なー、一杯だけ飲んで、帰らない?」
「空いてるかな」
「空いてるだろ、一席くらい」
飲みたかったから迎えに来たのか、と唯子はやっと納得する。給料も出たし、こんな日だからこそ飲んだほうがいいかもしれない。
「ひらく」を離して右隣を押すと扉が閉まり、ゆっくりと降りてゆくエレベーター。耳に空気圧を感じながら、今日も夜が老けていく。