南蛮かぶれ 異説 明智光秀忠臣伝
「藤吉郎殿。このワインと申す酒は、じつにこうワンダフルですな」
頬を赤くして、羽柴藤吉郎秀吉にもたれかかったのは、明智十兵衛光秀であった。
織田家臣団恒例の大宴会の席である。
いよいよ、信長は甲州征伐の方針を固め、光秀はこれに同行する予定。秀吉は総大将として、中国攻めに出陣することになっていた。
秀吉は、眉をしかめて光秀に苦言を呈した。
「十兵衛殿……浮かれすぎですぞ。で、その『わんだふる』とは、どういう意味で?」
「はは。これは失敬。最近、勉強し始めたイングリッシュが混じってしまいましたな。『ワンダフル』とは『素晴らしい』『優れている』『気に入った』という意味を合わせたような言葉です」
「ふむう……一つの意味ではないのですな」
「そこがイングリッシュのワンダフルなところです。一つのワードが日本語に一つずつ対応しているわけではないため、一言でいくつもの意味を表現できる。また西班牙語や葡萄牙語と違って女性名詞や男性名詞などというものもなく、シンプルなのもいい。文法においては、日本語にない『過去完了進行形』という、ある時点まで続いていたが今は終わっている事象の表現も……」
「ああもう、ちんぷんかんぷんです。光秀殿が勉強好きで頭が良いのはよく分かり申した」
ドヤ顔で英語の説明をしようとしていた光秀を、秀吉は辟易した様子で制した。
「そんなことより、もう上様もお休みになられたことだし……少し折り入って話があるのですが」
「折り入って……シークレットな話……ですか?」
秀吉の目は、いつになく真剣である。織田家臣団の中でも、切れ者で通る光秀は、すっと真顔に戻った。
「こちらへ……」
秀吉は、まだ幹部クラスが大声で騒いでいる宴会場から、離れへと光秀を誘った。
(む? これは妙だな……)
心の中で、光秀は首を傾げた。
二人きりなら、茶室で話すのが、もっとも秘匿性が高い。なのに、秀吉が行こうとしているのは、本来は来客謁見の間となる小広間であったのだ。
まさか、他にも誰かいるのか……そう訝りつつ襖をくぐった光秀は、思わず声を上げそうになった。
そこには、主だった織田家の重臣。その大半が集合していたからである。
丹羽長秀、前田利家、柴田勝家、滝川一益、佐々成政、穴山信君……顔が見えないのは、織田直系の血を引く者と、光秀配下の武将くらいのものであった。
中でももっとも驚いたのは、上座に座る人物の顔を見た時である。
「内府殿……これはいったい、ホワットハプンです?」
「ほ……ほわ?」
怪訝そうな顔で聞き返した徳川家康に、光秀は慌てて言い直した。
「あいや失礼。『何が起きた』のですか?」
「う、うむ。じつは右府様のことだが……日向守殿は、どう思われる?」
「は? どう、とは?」
「ここしばらくの右府様のなされよう……あまりにも専横が過ぎる、とは思わぬか?」
家康の言葉に、他の家臣たちも難しい顔をしたまま、それぞれ頷いている。
「いやまあ、少々エクストリームでラディカルなことは認め申すが、それも天下布武のためとあっては、キャント ビー ヘルプドでは?」
「そのような悠長なことを言って居る時ではない!!」
声を荒げたのは、柴田勝家だ。
「あのお方には、理屈も道理も通用せんのだ。今堅田の砦の戦では、陽動だけのために何の罪もない京の町を焼き払ったのだぞ。北ノ庄で一揆が起きた時、わしが問答無用で尾張へ戻されたのも、奴らを調子に乗らせておいて、一気に皆殺しにする作戦だった。民あっての政であり、戦にも道理あってしかるべきではないか?」
秀吉が大きくうなずいた。
「上様は、民衆の命など、何とも思っておられぬのです。わしも百姓の出。ここまで取り立てていただいた大恩があるといえ、扱いがあまりにも軽い。今度の遠征も、まるで勝ち目がない。『死ね』と言われたようなものです。」
「左様。ゆえに……上様には、そろそろ死んでいただきたい、と我々は思って居る」
家康がぞろりと口にした言葉に、光秀は仰天して飛びあがった。
「サプライジング……エブリバディ、なんということを申されるのです!! 上様をアサシネイションなどと……」
「嫡男と正室を、私が上様の命令で処刑させねばならなかったことは、存じておられよう。その恨み……晴らして晴らせるものではない……」
そうつぶやくように言う家康の目には、涙が浮んでいる。
「光秀殿、そなたも叡山焼き討ちの折には、大変心を痛めておられたではないか。先日は、些細なことで上様にひどく叱責され、皆の前で殴打された。あのような横暴な方が天下を取られれば、どうなることか……公方様も危惧しておられます」
そう言ったのは前田利家だ。
「く……公方様……」
公方……つまりは征夷大将軍・足利義昭のことである。
もともと義昭の家臣として信長に近づいた光秀としては、これは痛い言葉であった。
「我々には、遠征の命が下っておる。これを理由に、上様の身の回りをわざと手薄にするのだ。そのうえで遠征前に、それぞれの軍より百人ずつ、京の周辺に潜ませ、一斉に襲わせる。これならば、誰が殺したか分からぬ……」
家康の言葉を、秀吉が引き継いだ。
「この件、ここにいる者以外に知る者はおりません。十兵衛殿にお教えするのは、必ずや我々の気持ちを汲んでお味方くださると、見込めばこそ。しかし、もし上様の方につく、と仰られるなら、これだけの将を敵に回すことになる……それを覚えておいていただきたい」
*** ** *** ***
(むう……弱った。これほどディフィカルトなプロブレムが舞い込もうとは……)
甲州征伐より坂本城へ戻った光秀は、誰にも話せず苦悩していた。
秀吉や家康の気持ちは、光秀には痛いほどわかっていた。義昭の名を出されたのも痛かった。
だが、信長には拾ってもらった恩義がある。年老いた自分を立て、様々な局面で重用してくれてもいる。また京を追放された足利義昭には、明確に非がある。彼に今後天下を統べる度量があるとも思えなかった。
(裏切りたくない……バット……謀反の兵数はざっと二万……こちらは一万三千か……)
まともに戦っても、勝てるかどうか分からない数だ。
しかも、秀吉たちは、最後に条件を出した。
加勢しないのは勝手である。だが、信長にも付かぬ、という証明に、敢えて手勢を一切京に残さず丹波攻めへ向かえと。
それが、彼らの邪魔はしないという意思表示となるからだ。
だがもし、それを破って手勢を残せば、京に住む光秀の家族が危険にさらされる。
かといって、家族を守るために京に自分が残ってしまえば、信長の命に背くことになってしまい、そこを秀吉たちに突かれれば、逆賊は自分の方となる。
(ああも身内が敵だらけでは、こっそりご注進もインポッシブル……)
結局、答えも出せぬまま、光秀は西国へ出陣する日を迎えてしまったのであった。
その日、光秀は一日中悩んだ挙句、日暮れ近くなってからようやく軍備を整え、丹波亀山の居城を出立した。
兵士らにはあえて出陣目的を告げず、老の坂を上り、山崎を廻って軍を東に向かわせた。沓掛に着くと、兵たちに休息を許し、光秀は一人で考え込んだ。
沓掛は京と西国への分岐点である。
(明朝、このままウェストへ向かってよいものか……いやノーだ……本能寺の近くには、上様を狙うソルジャーが潜んでいる……)
翌朝、光秀はようやく覚悟を決めた。
たとえ逆臣と疑われようとも、信長は聡明な主君である。後には必ず理解してくれるはずだ。それよりも、まずお守りする方が大事である。
だが、謀反の伏兵は市井に紛れている。指揮する大将も、落とすべき本陣もないのが厄介であった。信長を守るためには、本能寺の周辺、ほとんどそのギリギリ近くにやってきた敵を、いちいち識別して迎え討つしかない。
(謀反の証拠もない。ただ守れといってもホワット トゥ ドゥ 分からない。ベリーベリーディフィカルト。何と言って家臣たちに戦わせるべきか……む。そうだ!! この様な場合に、ベストマッチなワードがあるではないか!!)
軍が桂川に到達すると、光秀は兵たちに戦闘準備をさせ、主だった家臣を集めてこう叫んだのであった。
「敵は、本能寺ニアリー!!」
※nearly:ほとんど もう少しで ~の近くに ~の傍に
この言葉を勘違いした家臣たちは、一斉に鬨の声を上げ、本能寺へと進撃してしまったのであった。
制止のために光秀があわてて現場に到着した時には、既に本能寺は焼け落ち、信長の姿はいくら探しても見つからなかった。
それではと、息子の信忠だけでも保護しようとしたが、信忠も勘違いしてあっさり自刃。
抜け駆けされたと思い込み、怒り狂った秀吉に、傷心の光秀が討ち取られるのはそれから十三日後のことであった。