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僕と彼女の朝食

作者: 日月明

 僕と彼女の朝食は、わりと質素だと思う。粗食を選んでいるとか、特別貧困にあえいでいるとかではない。二人とも、起きてからてきぱき動きけるようになるまで時間がかかるから、早めに起きてもたくさん食べられないのだ。


 白いご飯を茶碗に半分とみそ汁と漬物と玉子焼き。低いテーブルの前にクッションを敷いて、向かい合って食べる。テレビが点いていたり、点いていなかったり。


 僕は二十五歳で、彼女は二十七歳。付き合って六年で、同棲して三年。結婚しようかなんて話が出ないのは、僕も彼女もそういった形式的なものに特別こだわりがないから。


「ウェディングドレス着たい?」


 いつか僕が聞いた疑問に彼女は


「そのお金を使って旅行して、美味しいものが食べたい」


 たしか、いつかの朝食時の会話。アイドルの熱愛報道なんてどうでもいいニュースを今にもまた眠ってしまいそうな目で流し見ながら答えられたから、「本当はウェディングドレス着たいのかな」なんて思った。


 けれど、仕事から帰った彼女のカバンは、旅行パンフレットと旅行雑誌で学期末の小学生のランドセルくらいパツパツになっていた。カバンをひっくり返す彼女の目は、朝とは打って変わって星が降るほど輝いている。同棲して半年、その日僕は彼女の朝の弱さを改めて知った。


 今日も彼女は、開ききっていない目で納豆を一生懸命混ぜている。右肩あたりの髪の毛があらぬ方向に跳ねているけれど、お手本の様に綺麗なお箸の持ち方と凛とした鼻筋が彼女の綺麗さを損なわないでいる。


「寝癖、ついてるよ」


「ん、あとで直す」


 箸を置き、僕が指さした先を二回ほど撫でたけれどすぐに箸を持ち直した。


 僕は彼女が好きだ。努力家で真っ直ぐで柔らかくて、時々リセットするように全力で子供になる彼女が好きだ。たまに怒りっぽくなるし、朝はなかなか起きないけれど、その程度で嫌いになったりしないくらい。


「ちゃんと起きないと、納豆こぼしちゃうよ」


 僕の声にはっとした彼女は寝かけていた頭を再び起こし、納豆を混ぜている手に力を入れた。どんどん泡立っていく納豆に比例して、納豆特有の鼻にのっそりと入ってくるような重苦しい不快な臭いが、僕の鼻孔に触れる。その臭いを打ち消すように、僕は目の前にある奈良漬けを二きれ口に入れた。強い酒粕の匂いが、鼻の内側から納豆の悪臭を押し出す。安心して、僕は豆腐の入ったみそ汁に口をつけた。


 僕は納豆が嫌いだ。臭くて食べづらくて見た目もあまり綺麗じゃない。何度か克服しようと頑張ったけれど、今のところ成功していない。それでも僕は、スーパーに行くと決まって納豆を買った。三パックセットのやつ。毎朝彼女が食べるから。


 うちの冷蔵庫には、三段目の右奥に常にストックされている。納豆は嫌いだけれど、納豆なんて無くなってしまえとは思わない。取りにくい場所にあるのは、僕なりの小さな抵抗。


「今日の玉子焼きは、一段と美味しいね。海苔が混ざってる」


「会社の先輩が、「実家に帰ったお土産にどうぞ」ってくれたから混ぜてみた」


 昔父さんがやってくれていたのを思い出したから挑戦したけれど、好評なようだ。彼女は、僕の作る玉子焼きが好きらしい。いつだったかに気まぐれで作ったのが好評で、毎朝作るようになった。特別なことはしていない、普通の出汁味の玉子焼きなのだけれど。


「私は玉子料理苦手だから、すごいと思う」


「難しくないよ。味付けして焼いて巻くだけ」


 麦茶で口を湿らせてからぶっきらぼうに言うと、彼女は胡瓜の浅漬けを口に放り込んだ。


「その味付けして焼いて巻くだけが出来ないの」


 負けず嫌いな彼女は乱暴に胡瓜をかみ砕くと、席を立ってお椀を持ち台所へと行く。みそ汁のお替りだろうか。珍しい。


 テレビに目をやると、養蜂場のニュースがやっていた。蜂と花を管理することで採ることが出来る蜂蜜。道端で遭遇すると驚く蜜蜂も、花と一緒に映っていると可愛く見えた。蜂と花と管理者。花と蜂の関係に手を触れて恩恵にあやかる僕らは、彼らに何かを返すことが出来ているのだろうか。


 台所から戻った彼女は、お椀を持つ手と反対の手に、別のタッパーを持ってきていた。どうやら、彼女のお母さんが送ってくれた梅干しのようだ。お母さんはたまに、自分で漬けた梅干しを送ってくれる。彼女はお母さんの梅干しが好きで、まるで見てわかっているかのように無くなりそうな頃合いになるとまた送られてくる。彼女が大学入学を期に一人暮らしを始めてから、ずっと送り続けてくれているらしい。


 僕は、梅干しが嫌いだった。自己主張の激しい真っ赤な色をしているのに、食感はとても稀薄で頼りない。すぐに嚙み切れてしまうくらい軟弱なのに、舌に触れた途端攻撃的だと思うくらい酸味が暴れ出す。よくわからないこの感じが、僕は好きになれなかった。けれど、彼女の目を窄めた酸っぱい顔を見ているとなんだか食べたくなって、気が付いたら嫌いじゃなくなっていた。


 彼女が、一粒梅干しを口に入れる。きゅっと窄む目。僕も口に入れる。彼女ほど窄まないから、同じものを食べていても僕の方が彼女の表情がよく見える。


「ぼーっとしてる。まだ寝てるの」


 見られているのに気が付いた彼女が、テレビに視線を向けながら何気ない風に声を掛けてくる。養蜂所のニュースは終わっていて、天気予報をやっていた。


「噛みしめてた」


「梅干し? お母さんの、特別酸っぱいからね。でも早くしないと、仕事遅れるよ」


 テレビを見ながら言う彼女は、今日の天気が午後から雨だという予報に渋い顔をした。


「それじゃあ私、今日は早いから先に出るね」


 そう言うと、ちゃちゃっと自分の食器を流し台へと運んで行く。平日スイッチの入った彼女からは、朝の弱さが綺麗さっぱり払拭されていた。


 奈良漬けに箸を伸ばすと、彼女も同じタイミングで僕の後ろから奈良漬けをひょいとつまむ。肩にかかる彼女の体重に驚いて、僕の箸から奈良漬けが逃げてしまった。


「行儀悪いぞー」


 まだエンジンのかからない声でやんわり注意すると、彼女は悪びれる様子もなくぽりぽり音を鳴らしながら洗面台の方へと向かった。そういえば、彼女は奈良漬けがあまり好きじゃなかったはずなのに、最近は減りが早い気がするな。



卒業制作二次創作シリーズです。

吉野弘氏の「生命は」という詩をモチーフに作成しました。

そちらと合わせて、お楽しみください。


感想、レビューなど一言でもうれしいです。

遠慮なく置いて行ってください。

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