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その六 セビージャ(セビリア)

十五日目 五月二十三日(日曜日)

 朝食を済ませた上で、朝九時にホテルをチェックアウトし、歩いてRENFEのトレモリーノス駅に行った。

 階段の坂道は避けて、二人で一ユーロという有料のエレベーターを利用した。

 九時二十分頃のセルカニアス(近郊)電車に乗って、マラガ・マリア・サンブラーノ駅に行き、隣接するバス・ターミナルのカフェテリアで時間を潰してから十二時発の長距離バスに乗って、セビーリャに向かった。

 そして、バスは定刻通り、午後三時頃にセビーリャのプラド・デ・サン・セバスティアンと呼ばれるバス・ターミナルに到着した。

 そのバス・ターミナルで昼食を摂った。

 メヌ・デル・ディアと言われる日替わり定食を食べた。

 観光案内書を見たら、ホテルまでは一キロメートル足らずだったので、街の風景を見ながらのんびりと歩いて行くこととした。

 紫色の花をつけた街路樹を見かけた。

 並木となって、鮮やかな紫の花を一杯つけている様子はまさに圧巻であった。

 「まあ、綺麗!」

 香織が感嘆したような声を挙げた。

 「本当に綺麗な花ですね。丁度、今が満開といったところですね」

 三池も香織に同調した。

 「この花をつけた木、かなり大きな木ですが、はて、どこかで見たことがあるような気がします」

 と言って、三池は記憶の糸を辿った。

 その内、思い当ったように、三池が語り始めた。

 「そう。これは、ハカランダという木ですよ。昔、メキシコのクエルナバカという街に行った時、見た木です。思い出しました。世界の三大花木と言われる木です。日本の櫻に匹敵する木ですよ」

 「あらっ、三大花木なら、知っています。他に、カエンボク、ホウオウボクでしたわね。でも、実物は見たことがありませんでした」

 バス・ターミナルを出て、メネンデス・ペラヨ通りという大きな通りを、左手に鬱蒼と繁った森を見ながら歩き、ムリーリョ公園の入口で左に折れて三百メートルほど歩いたところに予約したホテルがあった。

 このホテルから三百メートル足らずのところに、カテドラル、ヒラルダの塔、アルカサルといった観光名所があることがホテルを選んだ理由であった。

 ホテルにチェックインをして、早速、アルカサルの見物に出掛けた。

 今日は日曜日であり、カテドラルには入れない、明日の月曜日はアルカサルに入れないということを前もって、三池は調べていた。

 アルカサルは壮麗なイスラム風の宮殿であり、イスラム勢力が強かったここアンダルシアには至るところにアルカサルとかアルカサバと呼ばれる宮殿とか要塞がある。

 漆喰細工のアーチが美しい『乙女の中庭』で暫く佇んだ。

 この宮殿はどこか、グラナダのアルハンブラ宮殿を彷彿とさせる趣がある、と三池は思った。

 二人はアルカサルを出て、ホテルがあるサンタ・クルス街という一帯を散策した。

 迷路のように入り組んだ細い道と白い家といった街並みは観光客の目を楽しませる趣向に満ちていた。

 諺には、語呂合わせの諺がたくさんあります、と三池が香織に言った。

 スペイン語にもあります、セビーリャを見ずして、マラビーリャ(素晴らしい、という意味の言葉)と言う勿れ、がその代表ですかねえ、つまり、セビーリャはそれほどマラビーリャである、と。

 香織が道の敷石に少し躓いた。

 三池は思わず、香織の手を取った。

 二人の手はすぐに離れたが、三池の掌に香織の手の柔らかな感触が暫く残った。

 それは、三池にとって、胸が疼くような切なさを感じさせる感触であった。

 黄昏が迫って来た。

 三池は『パティオ・サン・エロイ』というバルを探した。

 インターネット情報によれば、なかなか評判の良い店であった。

 歩きながら、時折道端の人に訊いて探した。

 サルバドール教会を過ぎ、エル・コルテ・イングレスデパートの近くにあった。

 中に入り、ビールを飲みながら、七皿のタパスが付くコンビネーション定食を食べた。

 その店のカマレロ(ボーイ)はとても愛想のいい男で、香織をセニョリータと呼び、通り過ぎる度、いろいろとピロポ(お世辞)を陽気な口調で言った。

 日本人は彼らの目から見たら、一様に若く見える。

 自分はともかく、香織はひょっとすると二十代のお嬢さんのように見えたのかも知れない、と三池は笑いながら思った。

 分かった範囲で、カマレロのピロポを翻訳して香織に話してやった。

 東洋の美しい真珠、セビーリャに美しい花が一本増えた、とか言っていますよ。

 香織は無邪気に笑っていた。

 店を出た。

 夜の道は迷いやすい。

 少し酔った三池は歩いてホテルに戻れる自信が無かった。

 少し歩きだしたところに、流しのタクシーが通りかかった。

 ホテルの名前を言ったら、運転手はバレ(OK)と言った。

 バレという言葉はこのスペインでよく聞いた言葉だ。

 英語で言えば、OKという意味で使われているらしい。

 この言葉は、ドン・キホーテの後篇の最後に使われている。

 『さらば』という意味で使われているのだ。

 三池は香織の後にタクシーに乗り込みながら、俺の人生も、バレ、バレ、だと思った。

 ホテルに戻り、少し窓辺の椅子に腰を下ろし、二人は軽口を叩きながら寛いだ。

 窓から眺める通りは街灯に照らされ、人々が影絵のように揺らめいて見えていた。

 ふと、三池は気付いた。

 元来、無口である自分がこの頃、かなりのお喋りになっていることに気付いた。

 香織と話していると、妙に口が軽くなり、言いたいことが自然と素直に口に出てしまうのだ。

 こんなことは今までに無かった。

 相性がいい、ということか。

 それと同時に、彼女も随分とお喋り好きな女性であることも判った。

 香織もお喋りなたちかも知れない。

 会社で話した時とか、今回の成田では口数の少ない女性だと思っていたが、自分は案外香織のことを見損なっていたのかもしれない、これが彼女の『地』なのかも知れない、と三池は思った。


十六日目 五月二十四日(月曜日)

 朝食が付いていたので、ホテルのレストランで食べた。

 部屋に戻り、身軽な格好になってホテルを出た。

 今日は、昨日見られなかったカテドラルとヒラルダの塔を見ましょう、と三池は香織を誘った。

 セビーリャのカテドラルはスペイン最大の大きさを誇っており、その建設には百二十年という歳月もかかっている。

 そして、当時の四人の国王が柩を担いでいるコロンブスの墓も有名である。

 新大陸の発見と征服はスペインに多大な富をもたらした。

 イタリア人であるコロンブスはこのような形でスペインの繁栄に貢献した。

 当時のスペインを構成していた四カ国の王に担がれる資格は十分にあったということだ。

 また、ヒラルダの塔も百メートル近い高さを持ち、七十メートルという高さの展望台からは、セビーリャの街が一望できる。

 しかし、あいにく、ヒラルダの塔は修理中で登ることは出来なかった。

 三池は香織にウインクしながら、登れなかったという証拠写真を撮りましょう、と言って黄色に塗られた工事車両にデジカメを向けた。

 それにしても、建物の巨大さにはほとほと感心する。

 巨大な建築を長年かけて建設するというヨーロッパ人の熱意というか執念というか、並みはずれた発想と根性に三池はほとほと感心していた。

 日本人には到底できない。

 精々、数年かけて巨大な城を作るくらいのエネルギーしか無い民族だ、と思った。

 農耕民族の限界か、とも思った。

 「香織さん、セビーリャと言えば、歌劇カルメンの舞台となった街です。本場のフラメンコ・ショーを観ませんか。カルメン並みの粋な踊り子が踊るかも知れませんよ」

 昼食を済ませ、ホテルに戻って、フラメンコ・ショーのことを訊くと、老舗のフラメンコ・ショーがある、と言う。

 料金は少し高いが、二時間たっぷり観ることができる、とも言っていた。

 その話に出た、ロス・ガリョスのフラメンコ・ショーを予約して貰った。

 幸い、ホテルのすぐ近くにあった。

 夜八時からのショーということで、その時間まで、お互い、自由行動としましょう、ということになった。

 夜七時頃、香織はホテルに帰ってきた。

 少し買いものをしてきた、と言っていた。

 こんなものを買ってきました、と言って香織は三池に見せた。

 三池に品物を見せる香織は少女のような顔をしていた。

 その夜のフラメンコは二人を十分堪能させた。

 フラメンコはかなり扇情的で猥褻な踊りである。

 しかし、踊りは全て卑猥なものでは無かったか。

 天照大神を天の岩戸から出させるために、アメノウズメノミコトが踊った踊りは極めつけの猥褻な踊りであったはず。

 古来、神に捧げる踊りは男女の性を高らかに謳い上げる踊りでなければならなかったはずだ。

 フラメンコ、アルゼンチン・タンゴはそれ故、人を根源から脅かし、感動させる。

 踊りながら見せる表情は、セクシーでエクスタシーまで感じさせる表情である。

 しかし、それで何が悪い。

 猥褻さ、猥雑さ、大いに結構ではないか、本当はそうしたいくせに、興味なさそうな顔をして無視するのはまさに自分に対する欺瞞であり、恥ずべき偽善ではないのか。

 昔、読んだ小説の題名に、見る前に跳べ、という題名があった。

 俺もいっちょ跳んでみようか、と三池は思った。

 三池は香織と共にホテルに帰り、不埒な思いを密かに巡らしている時、香織はふいに、これ上げます、と言って三池に夕方買ったお土産の一つを差し出した。

 皮のコイン入れだった。

 三池は気勢をそがれ、何だか意気消沈してしまった。

 思わず、ありがとう、と言ってしまった。


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