086 有り得ん! 何のミスも無かった筈だ!
惣左衛門とカリプソの技の応酬は、武術においては常識的な範囲の人間といえる、クロウリーと五人の魔法使い達には、余りにも速過ぎて、何をやっているのかすら、まともに視認出来なかった。
経穴を突かれる技を食らった後、カリプソはクロウリー達に背を向けていた上、苦痛のせいで大きな声は出なかった為、クロウリー達はカリプソの危機的な状況に、気付き難い状況といえた。
燕蹴りで吹っ飛ばされたカリプソを目にして、クロウリーや他の魔法使い達は、カリプソが惣左衛門との格闘戦に敗北した事に、ようやく気付く。
魔法による攻撃でしか破れない筈の、シドリ製の戦闘服による防御が、魔法を失った筈の惣左衛門に破られるという、起こり得ない筈の事態に、驚き慌てながら、クロウリー達は対処を開始。
燕蹴りを放った惣左衛門が、着地するよりも前に、クロウリーは身を守る為、呪文の超高速詠唱に入った。
他の五人の魔法使い達も、超高速とまでは行かないまでも、かなりの速さでの呪文の詠唱を始める。
後方宙返りを終えて、着地した惣左衛門は、呪文の超高速詠唱を始めたクロウリーに、左掌を向ける。
そして、左手の甲に溜め込まれていた気を、噴射するかの様に放つ。
古武術や忍術において、「遠当て」などと呼ばれる、気を敵にぶつけて倒す技の一種を、惣左衛門は使ったのである。
だが、気をぶつける遠当てや、遠当てと同種の技である、中国武術の技……掌法などが、セフィルの防御で身を守る魔法使いに、ダメージを与えられない事は、繰り返された過去の戦闘から、明確になっている。
つまり、惣左衛門の放った気を受けても、シドリ製の戦闘服に身を包むクロウリーは、何のダメージも受けない筈なのだ。
そもそも、気を扱えないクロウリーには、気が見えないので、涼風の如き空気の流れを、身に受けた程度に感じるだけである。
気を敵に浴びせる、遠当て的な攻撃が、セフィルによる防御を行っている魔法使いに、何のダメージも与えられないのは、惣左衛門も承知している。
その上で、惣左衛門は気を放ったのだから、当然の様に、気は無駄に放たれた訳ではなく、クロウリーに影響を及ぼしていたのだ。
燕蹴りを放った惣左衛門が、着地するよりも前に、クロウリーは呪文の超高速詠唱を始められた。
しかも、シンプルな防御障壁を作り出す為の、創造魔法の呪文であった為、クロウリーであれば一秒もかけずに、確実に唱え終えられる。
そのせいもあり、惣左衛門が気を放った後、次の行動に入る前に、クロウリーは呪文の詠唱を終える事が出来た。
だが、この段階で明らかな異変が起こり、クロウリーは驚愕し、動揺する。
通常なら、呪文の詠唱を終えれば、クロウリーの足元には、円形の創造魔法陣が出現し、クロウリーの胸元に、必要なだけのセフィルの塊が現れる。
魔法陣もセフィルの塊も、眩いばかりの金色の光を放つので、離れていても視認は容易である。
だが、セフィルの塊も魔法陣も、出現する様子はなかった。
魔法の発動に失敗した時、こういった状態になる場合があるのを、クロウリーは知っていた。
しかし、クロウリー程の魔法使いとなると、開発中の魔法を実験的に発動するような場合でもない限り、魔法の発動に失敗するような事は、まず有り得ない。
その有り得ない筈の事が、起こったのである。
「有り得ん! 何のミスも無かった筈だ!」
少し前のカリプソと同様、信じられないとばかりに、驚きの声を上げたクロウリーに、惣左衛門が迫る。
五メートルも離れていないので、惣左衛門からすれば、一瞬で詰められる間合いだ。
魔法を失った惣左衛門など、魔法使いであるクロウリー達にとって、ほんの少し前までは、恐れるに足らぬ存在であった。
魔法を発動した上での防御どころか、シドリ製の戦闘服による防御すら、破れぬ筈だと思っていたので。
ところが、シドリ製の戦闘服で身を守っていた、武術の達人であるカリプソを、惣左衛門は魔法を使わずして、倒してしまった。
カリプソを倒した今の惣左衛門は、クロウリー達にとって、再び恐れ……警戒すべき存在に戻ったのだ。
迫り来る惣左衛門に対処する時間は、クロウリーには残されていない。
既に自力では打開出来ぬ以上、誰かが助けに入らなければ、襲い掛かって来た惣左衛門に、倒されるしかない状況に、クロウリーは追い込まれつつあった。
だが、助けに入る者達が、クロウリーと惣左衛門の間に、割って入って来た。
クロウリーの左右に並んでいた、銀の星教団の魔法使い達である。
クロウリーの危機を察した彼等は、発動中だった魔法の呪文詠唱を、途中で止めると、クロウリーを助ける為、駆け付けたのである。
クロウリーから見て右隣にいた、若い男性の魔法使いは、バスケットボールの優秀な選手であり、運動神経と反射神経に恵まれていた。
それ故、真っ先にクロウリーを助けに入り、惣左衛門の前に立ち塞がったのだ。
無論、勝てる訳などないのは分かった上で、ほんの僅かな時間を稼ぐ為に。