077 狡いよ、大人だからね……
「我々の目の前で、マジックオーナメントを外して貰うのさ」
男の声が突如、一刀斎とカリプソの会話に、割り込んで来る。
割り込んで来たのは、パイプテントの方から、一刀斎とカリプソの方に歩いて来ていた、黒装束の男。
一刀斎とカリプソの近くで立ち止まった、その黒装束の男は、一刀斎にとってはニュース映像などで、見慣れた男だった……父親の宿敵として。
「塩川饅頭朗!」
一刀斎は、男の名前を口にした。
魔法使いとしての真名では無く、故意に本名の方を。
「本名では無く、アレイスター・M・クロウリーという真名の方で、呼んで欲しいものだね。鬼宮惣左衛門の息子の、一刀斎君」
塩川饅頭朗が名乗るアレイスター・M・クロウリーという真名は、十九世紀から二十世紀の初頭にかけて、イギリスを中心に活躍した、有名な魔法使い……アレイスター・クロウリーから引用したものだ。
銀の星教団という団体名も、アレイスター・クロウリーが結成した、銀の星(Argenteum Astrum)という秘密結社の名前から、引用している。
ちなみに、ミドルネームのMは、饅頭朗(Manjyuurou)のMである。
シドリが開発される前から、魔法使いとして活動していたクロウリーは、本名も本当の顔も知れ渡っている。
故に、クロウリーの本名や本当の顔を、一刀斎も知っているのだ。
「日本人の顔には似合わないと思うよ、そのアレイスター何とかとかいう名前。温泉饅頭とか、好きそうな顔してるし、饅頭朗の方が似合ってるんじゃないの?」
大魔法使い相手に、一刀斎は平然と軽口を叩く。
「――顔も似ているが、性格も似ているようだな。父親同様に恐い物知らずで、口が減らない」
塩川饅頭朗ことアレイスター・M・クロウリーは、忌々しそうに呟く。
「おそらく魔力の強さも、鬼宮惣左衛門に似ていると思われます。この少年を人質として使い終えたあかつきには、教化の上、私に部下として頂けないでしょうか?」
カリプソは、一刀斎を自分の部下にする事を、クロウリーに願い出る。
「鬼宮惣左衛門の息子には、規格外犯罪対策特別委員会も、目をつけている筈です。本人が望まずとも、義務教育期間を終えると同時に、優先的に魔力検査の対象にするでしょう」
「そうなれば、魔法少女となって、魔法主義革命の障害となる可能性も、高いという訳か……」
少しの間考えてから、クロウリーは口を開く。
「分かった。好きにするが良い」
「有り難う御座います」
言葉と共に一礼するカリプソに背を向け、クロウリーはパイプテントの方に、歩き去って行く。
「俺は魔法主義者になんか、なんねーぞ! 魔法少女にもな!」
クロウリーの背中に、怒鳴り声をぶつける一刀斎の方を向くと、優しげな口調で、カリプソは語りかける。
「――魔法教典『ケマの書』に触れれば、鬼宮君は私達の同志になるしかないの」
「嫌だって言ってるだろ!」
「今は嫌だと思うかもしれないけど、大丈夫。教化されれば、少しも嫌じゃなくなるから」
「そんな……」
カリプソは仮面を外し、腰を落として、一刀斎の顔を覗き込む。
「鬼宮君、私の事……好きだよね。気付いてたよ」
見詰められながら囁かれ、一刀斎は頬を染めて俯く。
本人相手には、隠しているつもりだった恋愛感情が、気付かれていた事を、本人から知らされてしまい、一刀斎は恥ずかしくて堪らなくなる。
「同志になって、私の部下になれば、何時でも一緒にいられるんだけど……それでも嫌?」
何と答えれば良いのか分からず、一刀斎は黙ったまま、答を返さない。
「君の事、気に入ってたって言ったの、本当よ。だから私の敵じゃなくて、味方になって欲しいの……」
カリプソは、一刀斎の顎に手を添え、俯いていた顔を自分の方に向ける。
そして、仄かに頬を染めつつ、一刀斎に顔を寄せると、強引に唇を重ねる。
突然のキスに、一刀斎は驚き……大きな目を見開く。
一刀斎にとっては、初めての経験であり、憧れ続けていた相手とのキスだったので、嬉しくない訳ではなかったのだが、心が躍る事は無い、嬉しさよりも、哀しさが勝るキスだった。
それ故、唇が離れた後、どんな顔をすれば良いのか分からず、一刀斎は俯くと、消え入りそうな声で呟く。
「せんせい……狡い」
「狡いよ、大人だからね……」
自嘲するかの様に呟いた後、カリプソは仮面を被り、姿勢を正す。
「君を人質にして、君のお父様を脅し、魔法少女を辞めさせようとする様な事だって、平気で出来るの……狡い大人だから」
「――俺なんか人質にとっても、親父は魔法少女を辞めないよ」
「何故?」
「俺の事より、魔法主義革命家連中を叩き潰して、世の中を守る事の方が、親父には重要な事だからさ」
拗ねた風な言葉を聞いたカリプソは、優しげに一刀斎を諭す。
「普段、どんな態度をとっていたとしても、自分の子供の命より、世の中の方が大事だなんて親はいないよ。私も昔、鬼宮君と同じ様な思い違いをしていたから、気持ちは分かるんだけど……」
「先生が?」
驚きの声を上げる一刀斎に、カリプソは頷く。
「子供の頃、私は父に嫌われてるって……大事にされてないって思ってたの。刑事だった父は、仕事が忙し過ぎて、殆ど家にいなかったし、厳しい人だったんで、家にいる時は良く叱られていたから……」
昔を懐かしむように、カリプソは語り続ける。
「家族の事より、社会の平和を守る仕事の方を、大事にしてるように感じたのよ、子供だった私は。だけど、それが思い違いだって分かったの、私が高二になった頃……」
カリプソが高校二年生だったのは何年前か、一刀斎は暗算で答を出す。
(先生が高二っていうと、六年前か? 六年前といえば、確か……あの事件が……)
六年前に起こった大事件の事を、一刀斎は思い浮かべる。
小学一年生の時、自分が住む彩多摩県で起こった、六年前の大事件は、一刀斎の記憶に、深く刻み込まれていた。
故に、六年前という言葉から、その事件の事を、すぐに一刀斎は連想し、思い浮かべてしまったのである。
「高二の春まで、私の家族は神山町に住んでいて、『シンザン・ジェノサイド』に、巻き込まれたんだ」
カリプソの口から出てきた事件の名は、一刀斎が思い浮かべた事件と、同じだった。
「母と弟は、シンザン・ジェノサイドに巻き込まれて即死……。私は瀕死の重傷を負って、死を待つしか無い状態で、東神山の救急病院に担ぎ込まれたの」
一刀斎の頭に、伊織が事故にあって、病院に担ぎ込まれた時のイメージが浮かぶ。
「医師には手の施し様が無く、見放されたも同然だった私を助ける為に、父は魔法に頼ったのよ。魔法なら、私を助ける事が出来るかも知れないと思って……」
「――癒しの魔法で?」
カリプソは、領く。
「刑事だった父は、丁度……銀の星教団関連の事件を捜査中で、銀の星教団の構成員の所在を、ある程度掴んでいたんだ。無論、取り結まる為にね」
懐かしそうな顔で、カリプソは昔話を続ける。
「父は取り締まる筈だった、銀の星教団の構成員の元に行って、クロウリー様を紹介して貰ったの。そして、捜査の責任者だった父自身が警察を辞めて、捜査情報を引き渡した上で、魔法主義者として教化される事を条件として、クロウリー様に私の治療を頼んだのよ」
「それで……クロウリーが、先生を治療した訳?」
一刀斎の問いに、カリプソは頷く。
規格外犯罪対策局も目を付けていた程、優れた捜査能力を持つ警察官であった、カリプソの父……北村三蔵が警察から離れるのは、クロウリーにもメリットがある。
故に、クロウリーは三蔵の頼みを、聞き入れたのだ。
無論、サンジェルマンの凶行に巻き込まれた被害者の命は、救えるものなら救いたいという感情も、クロウリーにはあった。
「――クロウリー様の魔法による治療が間に合ったお陰で、私の命は助かったから、父はクロウリー様に教化され、銀の星教団のメンバーとなった訳」
(先生だけじゃなくて、先生のお父さんも、銀の星教団のメンバーだったんだ)
驚きの表情を浮かべつつ、一刀斎は心の中で呟く。