058 あいつも何時の間にか、色気づきやがるような歳になったんだなぁ
「一刀斎といえば、昨日……佐織が言ってたんだが、どうやら好きな女の子がいるらしいんだ」
感慨深げな口調で、惣左衛門は付け加える。
「あいつも何時の間にか、色気づきやがるような歳になったんだなぁ」
「まぁ、惣さんと佐織さんが付き合い始めたのと、大して変わらない歳なんですから、そういう話も出て来ますよ」
「そう言われれば、そうなんだが……親としては気になるだろ、相手がどんな子なのかは」
「惣さんが、どんな相手だか知らないって事は、凛宮ちゃんじゃないんですか?」
「どうも違うらしい。佐織も知らない相手だそうだ」
「あらら、凛宮ちゃん……可愛そうに」
鬼宮一族の多くは、彩多摩県に住んでいるので、親戚が集まる機会も多い。
苗字こそ違うが、親戚関係ではある為、榊は凛宮の事は知っている。
惣左衛門も榊も、凛宮の一刀斎への態度から、大よそ凛宮の一刀斎への感情は察している。
当の一刀斎は、全く気付いていないのだが。
「親としては、良く知ってる凛宮ちゃんの方が、安心なんだが……ん?」
榊の方を見ながら話していた惣左衛門は、何かに気付いた風な表情を浮かべる。
惣左衛門の目線は、榊の右肩辺りに注がれる。
「少し『穢れ』が溜まってるぞ」
そう言うと、惣左衛門は左手の人差し指で、榊の右肩に触れる。
ただ触れた訳ではなく、項にある経穴を、人差し指で突いたのだ。
項に触れられ、一瞬だけ本物の少女であるかの様な、照れた風な表情を、榊は浮かべる。
「――後で外に出そうとしてたの、忘れてました」
惣左衛門と榊が言う「穢れ」とは、疲労や精神の乱れ、病気などが原因で発生したり、気を練り損なった時などにも発生する、出来損ないの気の事だ。
鬼伝流では「穢れ」や「穢気」と呼んでいる。
穢気は基本的には、人体には有害な存在。
普通の人間であれば、少量が身体の一部に溜まるだけでも、体調を崩してしまうし、経絡を流れて全身に巡ってしまえば、身体が動かなくなってしまう。
大量の穢気が体内に溜まって、経絡で全身を巡る様な事になれば、死に至る場合もある。
気を操れる鬼伝流の使い手であれば、経絡の気の流れを操作出来るので、穢気の流れを封じてしまえる為、そこまで酷い悪影響を受けはしないのだが。
榊も鬼伝流の武術と魔法を、組み合わせて戦うので、戦いで気を大量に練るのだが、連戦の疲れの影響で、気を練り損ない、身体に穢気を溜め込んでしまっていたのだ。
穢気が発生する身体の部分は、決っている訳ではない。
黒大蛇を作り出した頃、項と右肩辺りに穢気が発生していたのを、榊は気付いていたので、経絡の流れを操作し、穢気が身体の他の箇所流れない様に、止めていたのだ。
世界を照らす自由団との戦闘中で、穢気を体外に出す暇がなく、右肩の調子が悪いまま、榊は戦い続けていたのである。
気を操れる者なら、穢気を自力で体外に出す事も出来るし、僅かであれば自然に消える。
ただ、穢気は他者に吸い出して貰った方が、自分でどうにかするよりも、時間がかからず楽なのだ。
「抜いてやるよ」
そう言うと、惣左衛門は経絡の気の流れを操作し、榊の右肩の経穴から、穢気を吸出し始める。
鬼伝流で経穴を突く種類の技……操穴は、経穴から相手の経絡に、気を流し込むのが普通なのだが、逆に経穴を通じ、相手の身体から気を吸い出す技も存在する。
惣左衛門が榊相手に使っているのは、その吸い出す技の一つで、穢気吸いという。
攻撃の為の技ではなく、身体に溜まった穢気を吸出す為の、治療の技だ。
吸い出した穢気は、一時的に自分の手の辺りの経絡に移しておくが、すぐに指先や掌から放出する。
穢気を体内に溜め込むのは、気を操れる者でも害となるので、すぐに放出した方が良いのである。
自分の穢気や、他者から吸い出した穢気を、経穴を突いた指先で、敵の経絡に流し込んだり、掌から敵に放つ攻撃技も、鬼伝流には存在する。
そういった技に使う為、まともに練り上げた気を故意に劣化させ、穢気へ変える事も出来る。
攻撃技に穢気を使う場合は、主に手の甲の辺りに、穢気を隔離して溜めておく。
かなりの技術が必要な上、身体にも害がある為、惣左衛門ですら長くは溜めておけないのだが。
穢気を使う攻撃技は、殺傷力が高い上、気を操れない人間には、穢気は視認すら出来ない。
そういった性質がある為、穢気を使う攻撃技には、暗殺に利用されていた、後ろ暗い過去もある。
後ろ暗い過去がある上、穢気を使った攻撃技は、難易度が異常に高く、技を使う側の身も危険に曝されてしまう。
それ故、鬼伝流において、穢気を使う攻撃技は、完全な禁じ手扱いとされている。
吸い出した穢気を、攻撃として使うのではなく、すぐに掌や指先から排出するだけなら、危険などない。
榊から穢気を吸い出し終えた惣左衛門は、左腕を頭上に伸ばし、左掌を空に向けると、穢気の排出を始める。
気を操る能力が無い普通の人には、気の一種である穢気は視認出来ない為、単に惣左衛門が左掌を空に向けただけにしか見えない。
だが、気を操れる惣左衛門や榊には、薄い気や体内に溜まっている状態の気も、視認しようとすれば視認出来る。
それ故、煙突から排出された煙が、風に流されるかの様に、空に向けられた惣左衛門の左掌から、黒い煙の如き穢気が排出され、風に流され大気に溶けて消える光景が、榊には視認出来る。
無論、惣左衛門自身にも。