035 一刀斎が誘拐された時より、時は一時間以上遡る
一刀斎が誘拐された時より、時は一時間以上遡る。
房総半島と三浦半島に挟まれた海峡、浦賀水道の入り口辺りの、陽光に煌く紺碧の大海原で、一隻の巨大な船が停船していた。
液化天然ガスに満たされた、巨大な白い串団子の様なガスタンクを積んだ、全長二百五十メートル、十万トン級のLNGタンカー……ガス・ホライズンが、太平洋から東京湾に入った直後、緊急停船に追い込まれたのだ。
原因は、全長二百メートルを越える、巨大な二匹の黒い亀に、行く手を遮られたのが、その原因。
無論、その様な巨大な亀が、まともな亀の訳はない。
魔法主義革命家団体の魔法使い達が、創造魔法で作り出した、中国の伝説に出て来る、巨大な亀の妖魔……玄武を象った、一種の魔法武器である。
魔法武器の中でも、こういった巨大な物は、魔法駆動巨像と定義されている。
一部の例外を除き、大抵は多数の魔法使いが、集団で作り出す物なのだが、魔法武器の一種である為、その魔法使いの中には、魔法武器を扱えるレベルで、武術に通じている者が含まれ、中心となって操作しなければならない。
中国で活動する魔法主義革命家団体……蓬莱仙幇の、仙人や仙女を自称する魔法使い達は、海や湖沼……河川などを、潜水艦の様に行動出来る魔法駆動巨像、玄武を作り出す魔法を使うのだ(中国語の発音、ピン音では、蓬莱仙幇と発音)。
玄武は魔法武器の一種なのだが、武装などは存在しない為、海や河川を自由自在に移動出来る、乗り物として使われている。
頑強な甲羅を持つ為、玄武は体当たり攻撃を仕掛ける事は出来るが、それは民間人に犠牲者を出さない状況に限られる。
蓬莱仙幇はガス・ホライズンの奪取を目的としているが、体当たり攻撃をガス・ホライズンに仕掛ければ、民間人である乗員に、死者が出てしまいかねない。
故に、蓬莱仙幇はガス・ホライズンに、玄武による体当たり攻撃は行わない。
まずは二匹の巨大な玄武を、水中から浮上させ、ガス・ホライズンの行く手を遮り、緊急停船に追い込む。
その上で、一匹の玄武をガス・ホライズンの後ろに、回りこませただけである。
二匹の玄武により、サンドイッチにする形で、ガス・ホライズンの動きを封じたのだ。
蓬莱仙幇の魔法使い達は、動きを封じたガス・ホライズンに乗り込み、乗員達を教化した上で、液化天然ガスごとガス・ホライズンを奪取する計画であった。
そして十数分前、浦賀水道に入った直後のガス・ホライズンを緊急停船させ、動きを封じた蓬莱仙幇は、玄武に乗っていた多数の魔法使い達を、甲羅の中から出して、ガス・ホライズンに乗移らせようとした。
だが、その時……ガス・ホライズンの周囲に、巨大な硝子球の如き、防御結界が出現した為、魔法使い達はガス・ホライズンには乗り込めなかった。
防御結界を展開したのは、ガス・ホライズンに搭乗していた、強力な防御魔法を得意とする魔法少女だ。
防御結界とは、現象魔法や創造魔法、能力魔法などには分類されない、特殊魔法に分類される、結界魔法により作り出される、魔法のバリヤーの様な存在である。
創造魔法により作り出される防御障壁とは違い、大抵は特殊な能力や性質を持っていて、強力な防御能力を誇るのだが、使い手を選ぶ特殊魔術であるが故、使える魔法少女や魔法使いは少ない。
大型のガスタンカー全体を防御出来る程、強力な防御結界を展開出来る魔法少女が、ガス・ホライズンに乗っていたのは、規格外犯罪対策局の情報部が、魔法主義革命家団体によるガス・ホライズンへのテロ攻撃の情報を、事前に掴んでいたから。
ガス・ホライズンをテロから守る為に、規格外犯罪対策局は三名の魔法少女を、ガス・ホライズンに送り込んでいたのである。
科学文明社会を支える、主要なエネルギー源を運ぶタンカーへの、魔法主義革命家団体のテロ事件は、珍しくは無い。
規格外犯罪対策局は、今回も有り勝ちなタンカーへのテロだと判断し、せいぜい十数人程の魔法使い達による、小規模団体によるテロを想定。
それ故、ガス・ホライズンに配されたのは、防御魔法を得意とする魔法少女と、攻撃を担当する魔法少女二人という、三人編成の魔法少女達のみ。
ところが、今回のテロにおいて、日本の小規模団体は手引きをしただけであり、実際に攻撃を仕掛けて来たのは、中国の魔法主義革命家団体の中では、中規模といえる存在の、蓬莱仙幇だったのだ。
蓬莱仙幇は総数千人前後と推測される、中規模の魔法主義革命家団体(千人だと、日本では大規模に分類されるが、中国では中規模)。
S級の魔力を保有すると言われる若き教主、常勝真人が率いる、勢力を急拡大中の新興勢力である(中国語の発音、ピン音では、常勝真人と発音)。
以前の蓬莱仙幇は、教化活動と勢力拡大に専念していた。
だが、中規模の団体となる程の勢力拡大を果たした一年程前から、中国に化石燃料などを運ぶ、パイプラインやタンカーなどに対する破壊活動を、蓬莱仙幇は続け様に行うようになった。
実は、ガスホライズンが今回積んでいる、オーストラリアから運ばれている液化天然ガスは、半分が千場県袖ヶ浦市のLNG基地向けであり、残り半分は中国の黄海沿海にある、複数のLNG基地向けなのだ。
つまり、ガス・ホライズンは、中国向けの化石燃料を運んでいるが故に、蓬莱仙幇のターゲットとなったのだった。