033 君の事、気に入ってたんだけど……敵同士なのよ、私達。今のままではね……
藤那は一刀斎の問いには答えず、瞬時に間合いを詰め、一刀斎の腹部を狙い、右手で掌打を放つ。
壁を背にしている一刀斎は、後方に跳び退いて、間合いを開く事が出来なかったので、掌打を左手で払い、直撃を避ける。
右の下段回し蹴り(ローキック)をフェイントとして放って、藤那の意識を下半身に引き付けつつ、一刀斎は本命の攻撃として、右手を素早く鎖骨上窩に伸ばす。
一刀斎は藤那に、鬼落しをかけようとしたのだ。
だが、藤那はフェイントには引っかからず、一刀斎の右腕を左手で払い除ける。
ほぼ同時に、左頬を狙って、藤那は右の掌打を放つ。
一刀斎は空いている左手で、藤那の掌打を払う。
そのまま、一刀斎と藤那は、狭い間合いで激しい打ち合いを開始、どちらも鋭い攻撃を放つが、相手に捌かれたり、かわされるなどして、攻撃はヒットしない。
激しいショートレンジでの打ち合いを、数十秒間続ける内に、一刀斎は何故か、惣左衛門に稽古をつけられている時と、同じ感覚に陥る。
何故、そんな感覚に陥ったのか、一刀斎はすぐに気付く。
(――かなり手を抜かれてるな)
手酷いダメージを与える技の使用こそ避けているが、一刀斎は本気といえるレベルの鋭さで、攻撃を仕掛けている。
だが、相手である藤那の方は、攻撃自体が本気とは程遠く、余裕を持って自分の相手をしている事を、一刀斎は察したのだ。
戦いでも試合でもない、自分より格上の相手に、稽古をつけられたり、実力を計られたりする時の感覚を、一刀斎は覚えたのである。
(何でこんな事するのか、理由が分からないが、このまま続けてもキリがない!)
周囲を見回し、何か打開策として利用出来そうな物が無いか、一刀斎は探す。
すると、脚を伸ばせば届きそうな辺りに、譜面台が幾つも置いてあるのに、一刀斎は気付く。
(あれだ!)
一刀斎は一瞬で腰を落とし、右脚で足払いを放つ。
藤那は僅かに後退し、余裕で足払いをかわすが、それは一刀斎にとっても計算通り。
伸ばした右脚の向きを変え、一刀斎は譜面台の下の部分を払う。
すると、数台の譜面台が喧しい音を立てて、一刀斎と藤那の間に倒れこんで来る。
自分と藤那の間を、譜面台が遮ったせいで、手足が届かぬ間合いの状態となり、先程までの様なショートレンジでの打ち合いが出来ない状態になった。
(今だ!)
打ち合いが途切れた隙に、一刀斎は床を蹴って跳躍。
更に背後の壁を足場にして、いわゆる三角跳びを行い、自分の身長より数十センチ高い、スチール製の棚を跳び越える。
取り敢えず、出入口のあるドアに向かって、逃げようとしたのだ。
だが、棚を跳び越えた一刀斎の前には、既に藤那が回り込んでいた。
(読まれた? いや、それだけじゃ無理だ! まさか、「気」を操って加速してるのか?)
鬼宮の人間以外に、そんな気の使い方が出来る人間と、一刀斎は出会った経験が無い。
故に、藤那が鬼伝流を使う鬼宮一族と同様、気を操れるのかもしれないという考えに、確信は持てなかった。
だが、藤那が気を使っているのかどうかについて、一刀斎には考え続ける暇はなかった。
藤那が長い脚で蹴りを放って来たので、一刀斎は再び打ち合いをする羽目になってしまったからだ。
先程よりは、広さに余裕があるドアの前、打ち合いの間合いも広い。
リーチの長い藤那の方が、より有利となった状況なのだが、今回も藤那は手を抜いていて、自分を仕留められるにも関わらず、仕留めようとしていないと、一刀斎に感じさせた。
(これなら、どうだ?)
一刀斎は必殺技といえる隼打ちで、藤那に突進する。
だが、それを見切った藤那が、カウンターとなる掌打を狙うモーションを見せたので、一刀斎は隼打ちを中止、全身の体勢を落として、床に手をついて急停止した上で、後ろに跳び退く。
打ち合いにしては広めの間合いで、一刀斎は身構えたまま、藤那と対峙する。
「――本気、出して無いよね?」
打ち合いが途切れたタイミングで、一刀斎は藤那に問いかける。
「私が本気出したら、鬼宮君に怪我させちゃうから」
事実だろうと、一刀斎は思う。
藤那が本気で仕留めにかかれば、自分では数秒も持ちこたえられないのではないかというのが、藤那と戦った一刀斎の印象だった。
惣左衛門を相手にする時程ではないにしろ、速さも技の切れも、読み合いにおいても、全てが遠く及ばないと、一刀斎は感じていたのだ。
「何で、こんな事を?」
「鬼宮君が眠る前に、ちょっと試してみたくなったのよ。世界最強の男の息子である、鬼宮君の強さをね」
「俺が……眠る?」
「そろそろ、眠くなって来たんじゃない?」
藤那の言った通り、突然、猛烈な睡魔が、一刀斎を襲い始める。
全身から力が抜け始めるのと同時に、意識が遠くなり始め、一刀斎は、構えを維持出来なくなってしまう。
「やっと、香水が効き始めたようね」
意味が分からなかったので、一刀斎はよろめきながら、藤那に問いかける。
「香水が……効く?」
「特別製って言ったでしょう? ヘカテっていう香水でね、魔力が解放されていない人間にとっては、睡眠薬としての効果があるの」
「何で、先生が俺に……睡眠薬なんて?」
一呼吸置いて、藤那は一刀斎の問いに答える。
「鬼宮君が世界最強の魔法少女、鬼宮惣左衛門の息子で、私が銀の星教団の、魔女だからよ」
「先生が……魔女?」
魔力が解放されていない人間には、睡眠薬としての効果がある、ヘカテという香水を身に纏っても、平気だという現実は、藤那の魔力が解放されているのを意味している。
藤那が魔女だというのは本当なのだと、遠くなる意識を総動員しながら、一刀斎は理解する。
無論、信じたくは無かったのだが。
「君の事、気に入ってたんだけど……敵同士なのよ、私達。今のままではね……」
藤那の寂しそうな声を聞きながら、一刀斎は気を失って、その場に倒れ込みそうになる。
藤那は一刀斎が床に倒れないように、一刀斎の身体を優しく抱きとめた。
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