107 発動させるかッ!
この段階に至り、クロウリーも茫然自失の状態から回復し、惣左衛門の突撃に気付く。
クロウリーは即座に、短時間で発動出来る、現象魔法の超高速詠唱に入る。
(発動させるかッ!)
この時、惣左衛門とクロウリーとの間合いは、十メートルを切っていた。
惣左衛門は右掌をクロウリーに向けると、右手の甲に溜めていた魔穢気を放つ。
魔穢気疾風は惣左衛門よりも先に、呪文の超高速詠唱中であるクロウリーに襲い掛かる。
ランタンシールドを失ったクロウリーは、魔穢気から魔法の発動を、守り通す事が出来ない。
呪文の超高速詠唱が終わる直前、クロウリーは魔穢気を浴びてしまい、魔法の発動自体を阻害される。
そして、高速で突っ込んで来た惣左衛門の体当たりを、クロウリーは食らってしまう。
無論、ジョーカーを纏うクロウリーに、幾ら気で脚力を強化しているとはいえ、魔法少女ではなくなった惣左衛門の体当たりなど、通用しない。
むしろ、体当たりした側の惣左衛門の方が、衝突の衝撃で激痛を覚えた上、気の流れを操り塞いでいた胸の傷が開いて、激しく出血してしまい、自身とジョーカーを赤く染める。
体当たりの直後、気を失いそうになる程の、激しい痛みを堪えつつ、惣左衛門は右掌から穢気を放出しながら、クロウリーの右前腕を掴む。
惣左衛門の放った穢気が、クロウリーの右前腕を守る、シドリが作り出すセフィルの薄膜と、混ざり合い始める。
クロウリーは惣左衛門が、何かを仕掛けようとしているのを察し、右手を振り解こうとするが、振り解けない。
突き飛ばそうとするが、それにも失敗する。
惣左衛門は左脚だけで、上手く身体を移動させ、自分の身体をジョーカーに押し付け続けている。
追い込まれたボクサーが、相手の攻撃を防ぐ為に行うクリンチの様に、惣左衛門は身体を上手く密着させている。
このクリンチ風の動きのせいで、クロウリーは惣左衛門を振り払えず、突き飛ばせもしない。
それ故、身体を離すのではなく、密着状態のまま、クロウリーは惣左衛門を攻撃し、倒す手段に切り替える。
ジョーカーの左前腕にも、固定武装がある事を、クロウリーは思い出したのだ。
左前腕を守る篭手の中には、クロウリーの意志通りに出し入れ出来る、二本のスパイクが格納されているので、近接戦闘時はスパイクを出して、敵を突き刺して攻撃出来るのである。
クロウリーは即座に、左前腕の篭手から、二本のスパイクを出す。
鋼のセフィルで出来た、五寸釘程の長さがある釘の様なスパイクが、蜂の尾から迫り出す毒針の様に、篭手の中から迫り出して来る(五寸釘は十五センチ半程)。
拳を握った状態であれば、拳から五センチ以上先まで、スパイク部分は伸びている。
拳で敵を殴り付ければ、五センチ以上の深さで、敵を突き刺す事が出来る。
クリンチを受ける側のボクサーが、正面からは殴れない為、相手の脇腹を殴り付ける場合の様に、クロウリーは惣左衛門の右脇腹を、左拳で殴り付ける。
当然、左の篭手から伸びる二本のスパイクが、惣左衛門の右脇腹に突き刺さる。
鮮血が噴出し、ジョーカーの左腕を赤く染める。
惣左衛門は激痛に呻き、崩れ落ちそうになるが、必死で踏み止まり、クリンチ状態を維持し続ける。
クロウリーは雄叫びを上げながら、スパイクを引き抜くと、今度は少し上にずらして、左の脇の下辺りを、スパイクで突き刺す。
再び鮮血が噴出し、惣左衛門とジョーカーを赤く染める。
普通の人間であれば、既に死んでいる筈の傷を負っているのだが、まだ惣左衛門は瀕死の状態とはいえ、生きている。
激しい痛みを堪えながら、惣左衛門は気の流れを操作して、すぐに出血を止めているので、まだ何とか身体が動いているのだ。
あと一度でもスパイクで刺されれば、気の力をもってしても、惣左衛門の身体は動かなくなるだろう。
そんな状態の惣左衛門の身体から、再びスパイクが引き抜かれる。
クロウリーは三度目の攻撃を加える為、スパイクを引き抜いたのだ。
刺す時よりも引き抜く時の方が、傷口からの出血は激しい。
スパイクによる三度目の攻撃を、クロウリーが放とうとした時、獲物の姿を捉えた肉食獣の目の様に、惣左衛門の目が輝いた。
惣左衛門はクリンチしながら、クロウリーの右前腕の状態を、観察し続けていたのだが、とうとう待ち望んでいたチャンスが訪れたのだ。
待ち望んだチャンスとは、魔穢気が消滅するタイミングである。
穢気とセフィルが混ざり合って出来る魔穢気は、体外に存在する場合、ほんの数秒でセフィルだけを残して、消滅してしまう。
経穴付近で魔穢気が消滅する際、ほんの僅かな間だけ、経穴付近のセフィルによる防御能力が、薄皮一枚と言える程に著しく低下。
経穴に魔穢気操穴が、通じる状態となる。
惣左衛門は先程、クロウリーの右前腕に穢気を放ち、シドリが発生させているセフィルと融合させ、魔穢気化させた。
そして、クリンチの様な手で防御しつつ、クロウリーの右前腕を覆う魔穢気が、消滅するタイミングを待っていたのだ。
この経穴付近の魔穢気が消滅し、クロウリーの右前腕に、魔穢気操穴が通用する状態になるタイミングこそが、惣左衛門が待ち望んでいたチャンスであった。
そのチャンスが訪れたのを視認したからこそ、惣左衛門は目を輝かせたのである。