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騎士にはなりません!!  作者: いろはうた
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5章 ハニージンジャー

やらかした、と最初にアレックスは思った。アレックスは酒に強くない。ゆえに少量のアルコールで簡単意識は飛んでしまう。昨日、はちみつ酒をエマへの手土産としたのは、純粋に彼女に気に入ってもらえそうだと思っただけで、自分では飲むつもりはなかった。しかし、惚れている娘の勧めを強く断ることができずなし崩し的に酒に口をつけてしまった。そこからの記憶があやふやだ。ただその時に口にしたウイスキー・ボンボンが非常に美味だったことを覚えていた。床から起き上がると体にかかっていた毛布がはらりとおちた。はっとしてみればエマの姿は椅子にあった。椅子に腰かけたまま静かに寝息を立てている。おそらくアレックスを寝室まで運ぼうとしたのだろうが、力が足りず毛布だけ掛けてくれたのだろう。胸に申しわけなさと温かい気持ちが生まれ、急いで立ち上がると、彼女の体にそっと毛布を掛けた。ちらりと窓を見れば、日が差してきていて、部屋の中の誇りがキラキラ舞っているのが見えた。この時間帯だと直接出勤したほうがよさそうだ。名残惜しい気持ちでエマの顔をちらりと見ると、早足で彼女の家を後にした。











仕事を終えたアレックスは、いつものようにエマの家の前に立っていた。会って日も浅い娘の家に通い詰めるのが習慣化していることが自分でも不思議だった。しかし、ノックをしようとした手が止まった。いつもなら、料理の良い香りが漂ってきたり、食器を洗う音が聞こえてきたりするはずなのに、今日はひどく静かだった。アレックスは眉根を寄せた。いや、静かすぎる。力を込めてドアノブを回すと、あっさりと開いた。鍵を閉めていない。女性の一人暮らしにしては不用心すぎると、アレックスは顔をしかめた。

「エマ殿。」

返事はない。焦燥感がじりっと胸を焦がした。

「エマ殿、入らせてもらうぞ。」

ドアを後ろ手に占める。エマは部屋にいた。朝椅子に腰かけて居眠りをしている格好のままだった。その頬は以上に赤く、その小さな唇からは荒い気が漏れている。血の気が全身から引くのが分かった。

「エマ殿!!」

急いで彼女のもとに駆け寄り頬に手を当てる。やけどをしてしまいそうなほど熱い。抱き起されても、エマはわずかに呻くだけで、目を開こうとしない。ひどい高熱で意識がもうろうとしているようだった。春の夜はひどく冷える。だというのに、家にある毛布をアレックスにかけたため、彼女は身を覆うものがなかったのだ。炎のように熱い彼女の体は小刻みに震えていた。悔恨で強く唇をかみしめながら、ぐったりとした華奢な体を抱き上げ、毛布でぐるぐると巻き、覆う。それでも足りない気がして自分の外套を脱ぐと、アレックスはさらにエマの体にかけた。窓の外はオレンジ色に染まりつつある。それを見てアレックスは矢のような速さで駆けだした。この時間帯ならばまだ医者はいるかもしれない。いつもより早く仕事が終わったことに心底神に感謝した。















結局、医者からは、風邪ですな、と言われた。彼女には薬と滋養のある食べ物、そして温かな睡眠が必要なのだという。そのうちの二つは用意できるが、滋養のある食べ物がアレックスにはわからないし作れない。薬を与えられて、少し落ち着いた様子で寝息を立てるエマを抱えて、アレックスは夜道を歩いた。向かうのはエマの家だ。そのほうが彼女も落ち着くだろうし、何より、食料も豊富だろう。しかし、家につき、エマを毛布でしっかりとくるんだ状態でベッドに横たえると、アレックスは途方に暮れてしまった。エマのキッチンに行ってはみたものの、何を作ればいいのかさっぱりわからない。とりあえず火を起こすかと、暖炉に薪をくべつつ思案にふけったが、滋養のある食べ物すらわからなかった。アレックスは体が頑丈で、生まれてこの方風邪をひいたことがないのである。気が付けば、体が汗ばむほど猛烈に火を大きくしてしまったことに気付き、慌てて火の調整をすると、今度はエマのほうにすっ飛んだ行った。思った通り毛布でぐるぐる巻きにされている彼女は苦し気に眉根を寄せながら滝のような汗を流していた。自分のハンカチでその汗をぬぐい、冷え切った己の手を彼女の小さな額に乗せる。それが気持ちよかったようで、エマの表情から苦しげなものが消えた。枕もとに用意した水差しで少しだけ彼女の口火水を含ませ、溜息を吐くと、アレックスは立ち上がった。これはもはや、同僚に話を聞くしかあるまい。アレックスの同僚は老人ばかりである。生活の知恵も多少は持っているだろうと、やや後ろ髪引かれる思いで、エマの家を後にした。















月が夜空に輝く頃に、アレックスは戻ってきた。やや、げっそりとした表情である。その手には、病人食のレシピが数枚握られていた。しかし、これを貰うのに事情を根掘り葉掘り聞かれた挙句、にやにやとした表情でさんざん同僚にからかわれた。同僚の奥方が止めなければそれは今も続いていただろう。アレックスは疲れた足取りでエマのキッチンへと入った。まず作れと言われたのは、ハニージンジャーだった。ありえぬほど不器用なおまえでも作れるはずだ、と余計な一言を添えられ渡されたレシピに載っている。エマの食物庫をごそごそ漁り、なんとか生姜と蜂蜜を発掘した。生姜は体の内側から体を温める効果があり、体にも良いらしい。まずは生姜の皮を取り除き、それをすりつぶすように、とレシピに書いてあるのを見てアレックスは顔をしかめた。皮を除くというような細かい作業が苦手なのである。これもエマ殿のため、と己に言い聞かせ、えぐるような勢いで生姜の皮をはいでいく。結局身も厚く取り除いてしまい、指ほどの大きさだった生姜は豆粒ほどの大きさになってしまった。これをすりつぶせとのことだったが、どこにすり鉢があるのかもわからない。とりあえず、まな板で擦れるだけ擦るかと指先に少しだけ力を込めた途端、ぐしゅっ、という音がした。

「……。」

指先を見れば豆粒大だった生姜が指圧で潰れていた。常人ではあり得ぬほどの筋力を持つアレックスならではのアクシデントである。これもすり潰したことになるだろうと半ば自分に言い聞かせるようにして呟きながら、潰れた生姜をコップの中に入れる。ケトルに水を入れ、暖炉の火にかけると、またキッチンに戻り今度はスプーンと蜂蜜を手にした。スプーン2杯の蜂蜜を入れろ、とレシピには書いてある。しかし、この程度の少量の蜂蜜で、エマは元気になるのだろうか。滋養のある蜂蜜はできる限り沢山入れたほうがいいのではないだろうか。迷った末、蜂蜜をスプーン四杯だけ入れることにした。木枯らしのような音をケトルが立てているのが聞こえた。急いで暖炉まで駆け寄り、ケトルを火から外す。しゅーしゅーと勢いの良い音を立てているそれをコップに傾けると、湯気の立つお湯がコップの中の黄金色の蜂蜜と潰れた生姜にかかった。どのくらいの量を入れたらいいのかわからず、コップの半分までお湯を注いだところで手を止めた。濃ければ効き目がありそうな気がしたからだ。スプーンでくるりと中を掻き混ぜ、そのまま手で持ってエマの寝室へと運ぶ。こぼさないように、慎重にだ。枕もとの小さなテーブルには、薬と水の入ったコップがある。それも飲ませなければならない。

「エマ殿。」

ハニージンジャーの入ったコップをテーブルに置き、眠るエマに囁く。彼女はやがて弱々しく瞼を上げた。

「薬を飲もう、エマ殿。」

ぐずるように、エマは顔をくしゃっと歪めた。声を出そうとしたらしく、せき込んでいる。慌てて彼女の身を起こすと、その背中をさすった。目じりには生理的なものなのか涙が浮かんでいる。水の入ったコップを渡すとこくりと大人しく飲んでくれた。震えているまつげの下にはぼんやりとした焦点を結ばない瞳がある。

「薬も飲んでくれ。」

「苦いの、や。」

「……。」

こんな時、こんな時だというのに、何かがアレックスを打ち抜いた。彼女の言い方がいちいち胸に刺さって悶絶しそうになる。そこをぐっと堪えて、辛抱強く言葉をつづけた。

「あ、甘い飲み物も用意した。」

途端にエマの表情が柔らかくなった。やはり、彼女は甘いものが好きなようだ。

「わかった、ちょうだい。」

「まずは、薬を飲んでから。」

薬は苦いらしく、エマは顔をしかめながら飲んでいる。飲み終わると、苦し気にため息をついている。なんだか、色づいた頬や、ぽってりとした赤い唇に視線が向いてしまい、慌てて目をそらした。どぎまぎしながらハニージンジャーのコップを持つ。緊張しているのは、自分が作ったものを飲んでもらうからなのか、それとも。

「うっ、けほっ。」

ハニージンジャーを一口飲んだ彼女はいきなりむせた。それまでのもやもやが吹っ飛び、慌ててエマの背中をさする。

「だ、大丈夫か。無理をして飲まなくていい。」

「つくって、くれたの……?」

コップを両手で持ちながら、エマが弱々しく問う。言うべきか迷ったが、正直にアレックスは頷いた。彼女の反応から見るに、美味しくはないのだろう。そのようなものを、店で買ってきたのだと言うのは気が引ける。そっか、とつぶやくと、エマはゆっくりとハニージンジャーを飲み干していった。飲み終わると、ごちそうさま、と空になったコップを返されてしまった。ふうっと息を吐くエマを半分信じられない思いで見る。

「無理をしなくていいと言ったのに。」

「いっしょうけんめい、つくってくれたから。」

たどたどしく言葉を紡ぐ彼女の顔色は、こころなしか先ほどより良く見えた。頬に赤みが少しさしている気がする。

「あたたかくて、おいしかった。ありがとう。」

「……寝るといい。」

なんだか胸がいっぱいになってしまって、気の利いたことも思いつかず、ぶっきらぼうに言ってしまった。しかし、それに気づかなかったようで、エマは素直に頷くと、ベッドに横たわった。毛布を彼女の首まで厳重にかけると、部屋をあとにした。後ろ手に扉を閉めると、深く深くため息をつく。手で顔を覆った。なんて、愛おしい。自分は彼女をどこまで好きになったら気が済むのだろう。日に日に思いは募っていって苦しくなる。


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