ウイスキー・ボンボン
エマはそわそわしていた。あの騎士が訪ねてくる時間帯は過ぎている。騎士を迎え撃つ、いや、出迎える準備はできている。今日の一皿を見て、うん、と一人頷く。皿のチョイスも盛り付けも我ながらよくできている。もちろん今日の一品に使っている素材も一級品ばかりだ。コンコン、と玄関から音が聞こえた。音がしたほうにエマはすっ飛んで行った。扉を開けるとそこには騎士服をかっちりと着込んでいる騎士の姿があった。乱れた髪と汗ばんだ額を見て、仕事が終わるなり家にも帰らずすぐに会いに来てくれたのだと悟る。それを悟った瞬間、胸に微妙な感情が広がった。これが、恋人や旦那候補だったら文句ない。これ以上ないほどに理想的だ。ただ、あの騎士の目的は騎士団勧誘なだけであって、エマ本人に対して恋愛感情など抱いていないとわかっている。こんなにまめに通ってくれているのも、こちらの剣術の腕を高く買ってくれているということだ。しかし、その熱意にこたえるつもりはない。なんとしてでも、こちらの料理の腕を認めてもらい、諦めてもらわなければならない。だというのに、胸に広がる少し寂しいような感情は何だろう。いや、考え込んでいても仕方がない。エマは、胸に生まれた奇妙な感情にふたをして、さっと部屋の中に騎士を招くと、椅子に座るように勧めた。
「また夜遅くに訪れてすまない。」
「いえいえ!!ささ、今日はこれです!!」
アレックスの謝罪をぶった切ると、今日の一品をずずいと差し出した。皿の上に載っているのは、高級ココアパウダーをふんだんにまぶした、ウイスキー・ボンボンだった。普通は菓子店でしか見ない高級チョコレート菓子に騎士は目を丸くした。
「チョコレートか?」
「ウイスキー・ボンボンです!!」
ふふんと胸を張ってエマは答えた。さあ食べください、となかば押し付けるようにして、騎士の手にボンボンを押し付ける。しかし、騎士は手寧な仕草でボンボンを皿に置いた。そして、足元に置いていた荷物を探り、何かを取り出した。食べる前にこれを、という言葉と共に差し出されたのは手土産だ。また物で釣る気かと、唇をかみしめたが、その手に握られているものを見て、エマは目を輝かせた。
「はちみつ酒……!!」
「これなら、女性でも飲みやすいと思ったのだが……。」
現実世界では成人していた。あまり強いほうではないが、お酒は大好きだったのだ。満面の笑みでお酒を受け取ってしまう。
「そうだ。騎士様も一緒に飲みましょう!!」
「い、いや、酒は……。」
「お酒は誰かと一緒に飲んだ方が、もっとおいしくなるんですよ!!」
エマの押しの強さに根負けしたのか、騎士は小さく息を吐くとうなずいた。エマは、いそいそとキッチンに向かって、ワイングラスを手に取った。他には、普通のガラスのコップしかない。やはり、お酒を飲むのは雰囲気から入らなければ。そう、一人思いながらテーブルに戻ると、騎士はボンボンにまだ手を付けていなかった。律儀にエマが戻ってくるのを待っていたようだった。エマはワイングラスをテーブルに置くと早速はちみつ酒を注いだ。黄金色の液体がとぷとぷとグラスに注がれる姿を見るだけで口角が緩む。
「では、かんぱーい!!」
半ば強引に騎士のコップにグラスをぶつけると、くいっとグラスを傾けた。酒独特の鼻を突く香りととろりとした甘さが口に広がる。嚥下すると同時に、喉から胸のあたりにかけてじわりと熱が広がった。最高だった。エマ好みの甘い酒だ。続いて、自分で作ったウイスキー・ボンボンを口に放り込む。カカオのほろ苦さが舌に響くと同時に、ウイスキーをたっぷり含んだガナッシュがどろりと溶ける。コク深いウイスキーの風味が重層的に口の中に広がり、なんとも言えない。甘いはちみつ酒にぴったりの大人のおつまみだった。終始美味しそうにしているエマを見て、騎士も意を決したように、ぐいっとグラスを傾けた。続いて丁寧な仕草でボンボンを口に運んでいる。少しどきどきしながら騎士の反応を伺う。甘さよりも苦みが際立つボンボンに仕上げたのは、騎士のためだった。一般的に男性は甘いものを好まない、という固定観念がエマの中にあったからだ。しかし、この騎士もそうであるとは限らない。しかし、それは杞憂だったようだ。騎士が、すぐに二つ目のボンボンに手を伸ばしたからだ。どうやら気に入ってもらえたようだ。ウイスキー・ボンボンを作ったのには訳がある。料理に精通しているところを見せるには、やはり、豊富なレパートリーを見せるのが一番だと思ったのだ。前回のスパゲティのようなメインディッシュだけでなく、デザートも作れるところを見せれば、納得してくれるかもしれない、と淡い期待を抱いたのが今朝だ。昼間に酒屋に行き、上等のウイスキーを買い、せっせとウイスキー・ボンボン作りに励んでいたというわけだ。ちらりと見れば、騎士は、三つ四つと次々にボンボンを口に運んでいる。しかし、エマはそこでようやく気付いた。はちみつ酒が入っていたボトルが空になっていることに。エマはグラス半分しかはちみつ酒を飲んでいない。エマが思考にふけっていた短い間に、この騎士がすべて飲み干してしまったようだ。さすがにペースが速すぎる、とエマが言う前に、騎士が先に口を開いた。
「好きだ。」
「え、あ、本当ですか?お口に合ったみたいで、よか……。」
「違う。」
チョコレートを褒められたと思った瞬間に否定された。どういうことなのかと聞き返す前に、ぐっと手首をつかまれ強く引っ張られた。不意打ちのことだったので、咄嗟にバランスを保てず、ぐらりと体が傾く。しかし、床にたたきつけられるようなことはなく、筋肉質な腕が受け止めてくれた。そのまま離してくれるのかと思いきや。むしろ騎士のほうに引き寄せられてしまった。
「あなたの剣の腕でも才能でもなく、あなたが好きだ、エマ殿。」
突然の愛の告白にエマは騎士の腕の中で目を白黒させた。いや、どんな技術を持てば、丸いテーブルの向かい側に座る人間を力ずくで引き寄せられるのか。騎士の目は薄赤くうるんでいた。酔っているのだ。騎士が悪酔いするタイプだとは思わなかったため、戸惑ってしまう。酔っている人にはどのように対処すればいいのか。
「よ、酔ってます、よね?」
「……。」
すっと騎士の顔が険しくなった。騎士はいつも穏やかな表情しか見せてくれなかったため、急にそのような顔をされると、少し怖くなってしまう。間近にある騎士の目の中に、怯えてひきつった顔をした自分の顔が映って見えた。こちらの腕をつかむ手にぐっと力がこもった。ぐいっとさらに強く引き寄せられる。
「……あなたが悪い。」
「……っ!?」
唇を柔らかいものが、ふにゅっと当たった。それが騎士の唇だと認識するのに数秒かかった。